指が6本描かれていれば、さすがになんらかのツッコミは許されるよね。
もちろんその温度感は反AIがやってるような辛辣なものではなく、たとえばだけど、「指6本やんけ!」に対して作者から「ほんまやwww」くらいのノリがいいと思うし、せめて「指が6本になってますけど、最近忙しそうなので疲れてませんか?心配です!」みたいな、たまたま気付いた熱心なファンからの、イヤミにならないコメントなら、まあ、ありだとされてほしい。少なくとも、「何かを見つけてもそれに言及するべきではない」みたいな張り詰めた社会ではないはずだと思いたい。
カボチャや窓の形に対しても、変だと感じて、その感じ方がAIっぽいと感じることだってあるだろう。
その上で、『AIっぽいとしても、だから何?』『実際にAIで描いていたとしても、何?』みたいな空気感であってほしいなとは思う。(そういう空気感なら、AIっぽさについて言及するコメントも、ふつうの感想に埋もれる程度になるだろう)
それともちろん、カボチャに不自然な葉っぱが付く絵が描かれることは人間にも発生しうる。AIのほうが発生させやすいとは言えると思うけど、これはあくまで確率の話。疑わしきは罰せずの精神から言えば、これだけでAIだと断定しちゃいけないと思う。そもそも罰する必要なんてないよねとも思う。
ただ、指が6本になるのは単なる数え間違いやしっかり数えず無意識で描いちゃうことで発生するけど、カボチャに葉っぱを描くのは、何か間違った資料を参考にしたり、誤解に基づく必要がある。葉っぱ付きカボチャの資料は、たとえあっても、たまたまそれを参照する確率はとても小さい。誤解にしても「ええっ、カボチャってこういう葉っぱが付いてるもんだと思ってた!」なんて人は、少数派だろう。屋根付近の窓が1+2個の組み合わせになるのも、もちろんアシンメトリーの美的感覚でそう描くことはあるだろうけど、現実の窓や、多くのふつうの絵描きは、仮に3つ描くなら真ん中に3つ均等に並べると思う。あくまで確率の話。左下のカボチャの口が真ん中からズレているのも、多くの絵描きはずらさないし、何か意図を持ってずらすときはたとえば「このカボチャは子どもが作ったものということにしておこう」みたいな遊び心で、むしろもっと、子どもらしさを出してみたりするもんだと思う。指の数にしたって、たとえば左手が3本で右手が7本だったとしたら、何かよほどの意図があるか、よほど疲れていたか、AIなのかなとは思うだろう。
しかしどれもこれも、確率や人数比率の話でしかない。繰り返すけど、そういう絵を人間が描くことだってありうるし、これだけでAIだと断定しちゃいけないし、そもそも罰する必要なんてない。(そう思わない極端な反AIが批判的に騒いでいることだけが問題で、理想的な平和な世界なら、上記のようにまじまじとAIらしさについて考察する必要もないので、絵描きさんが萎縮することもない)
ただ、話はわき道にそれるし極端な例だけど、AI利用という点では、『AIに特定人気漫画家のデータだけを学習させて、その画風で描かせたけど、だから何?』というのは、問題を孕むようにも思える。パロディと何が違うんだって話にもなっちゃうから、あくまで「難しい問題で、議論が必要で、議論を尽くしても答えは出ないかもしれない」ということなんだけど。男女の問題と同じ。
🐊「オッ…オレに聞かんでくれえッ❗️‼️‼️❗️」
政治家もお前のこと犬だと思ってるよ
そろそろ正解言えよ!
そういう枕あったな