では新しい話題をどうぞ
煮つけにするとうまい魚だぞ
しあわせのお裾分けだぞ
いやお前の顔も見たくないんだけど何でお前の顔は出して良いの?
しあわせのお裾分けだぞ
独身者を下げるんじゃなくて、既婚者を上げればいいんじゃない?
既婚者は、大人になってから、育ちも価値観も多少なりとも違う人と一緒に過ごす努力をした人なんだなーと。
独身者でも元から人間のできた人はいるだろうし、寮で暮らしてそういう経験をした人もいるだろう。
「容疑者は『殺したのは私ではない』などと容疑を否認しています」
上の文を読んだとき、容疑者にどのような印象を抱いただろうか。「本当はお前がやったに違いない」という印象を抱いたのではないだろうか。
では次の文ではどうか。
この文を読んだときは「ふーん、犯人はこいつではないのかな?」と、先ほどと比べると、容疑者を犯人と決めつける確度が小さい印象を抱いたのではないだろうか。
こうなる理由は、「など」を使うと言外の意味を読み取る余地を与えるからだ。
文脈とも相まって、前者の文の場合には「容疑者は他に何かを(容疑者に不利なことを)言っていたんじゃないのか」という類推の余地を与える。
たとえば、「矛盾した言い訳」や「明らかにお前がやっただろうというような状況の供述」などだ。
もちろんそんなことは文からは読み取れない。
その背景にあるのは「容疑者として捕まったから犯人の確度が高い」という社会的な共通認識だ。
こういうことが起きるため「など」は安易に使うべきではない。
似たような事例として「助詞の『は』を勝手に限定用法で読み取る人たち」というものがあるが、そっちは文章の構成上使わざるをえないことが多い。