※なりきりの話がある
※タイトルから推察できるように気分のいい話ではない。あと長い。
今の話ではなくもうずっと昔の話。
踏み抜いたのは1人で、それ以降遭遇してないレアケース。たぶん。
今の私が楽しく過ごすために、書き捨てにきた。私の視点しかないから、私に都合のいい解釈・事実が並んでいます。私は私が一番かわいい。
====
ガチトーンで己の自傷/自殺を仄めかした上で、私やキャラに行動要求や行動制限をかけてくる状況ってきっつい。
そんなとんでも体験そうそうないよってやっと思えてきた。思春期?っていろいろあるね、こわいね。
冗談めかしたトーンで絶対その行動が起こらない状況は問題ない。ダメな状況は今まで立ち会ってない。というか、私もすぐ死ぬ死ぬいってるよね。5月は屍の山。
この状況、遭遇するとたぶん今の私は、私側のキャラを何が何でも殺して事態収束をはかるし、人の心がわからないので、死ぬ!に対してどうぞって言いかねない人でなしになるので、平和に生きよ。脅迫なのか?脅迫かもしれない…こわ………。
私が人でなしな話。文量すごいなあ。
多分この状況ね、私にきっかけがある。私が、原因となったその人に弱音を吐いたのが悪かった。
私が最初に都合よく相手を扱った。自業自得。だからレアケースだし、今は遭遇していないんだろな。
昔はまあ繊細だったので、親族の死にダメージ受けてた。ただそんな暗いネタ日常で友人に言うも重いし、えっめんどくさ…って思われるのも嫌。家族は同じ傷持ってるのに言えませんねの心境。でも私はしんどい。
相手はシリアスネタ好きで、なりきりでそんなノリもしてた。創作系が好きで、否定しないだろうということも多分感じてた。
だからね〜〜言っちゃったんだよな〜〜〜。ばかだったな。一人で抱え落ちるか、言うにしたってもっと信頼できる近い人間だし、なんなら専門機関を活用することが最適解だったと今の私は思う。
相手は優しい人間だったのかも。そこそこ仲良し(なりきりできる距離感)で暗い話暴露でも否定しない人だった。
それで、多分、それを私にもして欲しかったんだと思う。その人(ややこしいから以降、A)が私の話を自分ごとのように蘇りとても辛くなること(共感力が高いですね)、Aが今まで辛かったことを私に伝えるように。残念ながら、人選ミスで終わるオチです。
その頃はまだ私も比較的いい人対応、というか話聞いてもらった恩もあるから無下にはできなくて、なりきりも楽しかったし、Aは貴重な人間だった。Aには同情の言葉もかけてただの傷の舐め合いしてた。
たぶんこれらの最初の対応を間違った。おそらくAには、私がより親身になったように見えたんだと思う。だからなりきりでもリアルでも、これが増えた。
私の暗い話は死に関係してる。言葉だけでも昔の私は過敏に反応してしまって、それを出されると何が何でも防ぐ方向で考えて動いた。人なんかそうそう死なないとかわかってたけど、万が一が怖かった。また私が殺してしまうと思って、私は私のためにAを気遣った。だからおかしくなっちゃったんだなあ。
Aは私の心配だけじゃ足りなかったらしい。行動の根底に好意がないのを感じたのかもね。そういうのって感じとる人はいるよね。人でなしは嫌われてるのはわかるけど、好意はあんまりわかりません。アンテナが死んでる。
話戻って、Aから見たら、私のなりきりキャラと私の周りにいるかつ私が好意を抱いている存在は邪魔だったっぽい。
まずキャラは強制的に仲の良かったキャラが死ぬ展開にゴロゴロゴロゴロ。そのキャラ私の心の深いところにいたのにぃ。だからだよ。
次に人でなしの方。友人と話していたことで届く自傷しそうメール。遊びは自分を優先してほしい。できなければ届く自傷しそうメール。返信する気が起きねえと放置する。あらあら届いたわよ自傷報告メール(※字のみです。たすかったね)。やだ〜〜〜〜!こわ〜〜〜い!!
当然疲れが溜まってくる。
だんだん、ワードがなくても、相手の要望を叶えなければワードが届くこと、それによってもっと面倒なことになると思い始める人でなし。私の行動で人が死ぬって思ってた。実のところ、向こうはそんなつもりなかったらしいですけどね(後日談)。わかるかばかやろう。
この心理状態ってすごく危ないと思うので、次またこうなることあったらなりふり構わず第三者に相談した方がいいんだろなって人でなしは思いますね。
なんか思い出話ながいな。飽きてきた。
まあ、最終的に死にそうって言われたら、そっか〜〜〜で終わる人間が完成しました!おめでとう!ただの人でなしです!!
ここに至るまでに夢でAを殺したり、なんでかAと性行為してる夢を見た日には起き抜け嘔吐決めたりもした。どうしてよりにもよってそんな夢を……。
なりきりで恋愛的な感情を向けられるのは、10年以上経った今も怖さはある。けれど、いま遊んでくれてる方々は暖かい人ばかりで、こんなレアケースに至る人たちではないと、なんとなく怖さはほぐれてきた。人によっては大丈夫なところまでこれてると思う。
今、私が怯えるのは、私がAのようになる可能性。私は人でなしだけどAと同じ人間で、しかも前置きした状況、原因は私にもある。なら、私も、そうなる要素があるかもしれない。それだけがこわくてたまらない。
補足挟んでいい?挟むね。私がAをどう見ていたか。
Aを人として好きだった?って聞かれたら、好きじゃなかった。私は本当に人としてどうかしている。
Aは創作や漫画・アニメが好きで、それを共有できる相手には好感情を持つ。でも人付き合いにおいてはやや排他的で、身内以外の人間には刺々する印象だった。少し、人を見下す面もあって、それを私の友人に向けるのは見ていて不快だったから、距離がとれるよう立ち回ってた。
笑ってなんとなく流してやり過ごす人でなしは、Aはなんでそんなに敵を作ってまわるんだろうって思ってた。私は、相手を人として好きでなくても、別に、益があればその一面だけを切り取って表面上取り繕える人間で、Aも被害者だ。
私の傷は、幼い私の小さな視野ゆえに出た故人に対する恨みを持った事実と、精一杯可愛がってくれた相手の今際の際を醜いと感じた事実。ひどいね。想像力の欠如が深刻です。
死んだ親族は生前、事業を失敗して、その影響で小学生の私の周辺環境が変わった。幼い私の世界は小さかったので、環境が変わる原因となったその親族を恨んだ。事業失敗の片付け中にガンが見つかり、闘病している状態でも、会いたがらなかった。あんなに良くしてくれたのにね。
後悔してるけど事実は消えないから、いまは同じことをしないように心に刻んでるだけになってる。
※補足。故人は私をとても可愛がってくれていたし、事業失敗の余波が私たち家族に及ばないように尽力してくれています。先を見据えることを怠ったとはいえ、責められるだけの人ではないです。