男が悪いって理論
どこの空もたいして変わらないよ
今日も女は男叩き
家を出たよ 派遣(寮付き)で県外に出たよ
「自分の正論(欲望)を押し付けて、受け入れてくれない女」というのがすでに認知の歪み。
そこにいるのは「話を聞いたうえで、間違いを指摘してくれている女(たち)」にすぎない。
「何でも自分たちの思い通りに察しない、従わないと男性差別ダー!」という認知の歪み。
それを理解できないからこそ、真に男性に危害を加える者にホイホイ惹かれて痛い目を見る。(そしてそれを無関係の女性にぶつける)
最近の問題が持ち上がる前は、吉本の稼ぎ頭の人気芸人が「兄さん文化」によって、食えない若手に飯を奢ってやったり、お小遣いを配ってやったりすることを男気があると言われていた。
大学病院も同じで、教授にすべての金と権力が集中し、学会なんかでは、教授のお気に入りの若手は食事代やホテル代がすべて出してもらえることがある。
さて、芸人も大学病院も稼ぐ力が上から順に100, 10, 5, 3, 2, 1, ,1 , 1, .....だとしたときに、
100の人気芸人や教授が1億の年収(または自由に使えるお金)だとして、1しか稼げない若手は100万でいいな、その代わり困ったときには100の俺らが助けてやるからな、
というのがこの界隈のしきたりであった。俺らはたしかに100稼いでいるんだから、ほら、これのどこに問題ある?
一般に、伝統的な日本の会社では、一人を雇うのに、大体3000万必要と言われている。
つまり、3000万稼いでいない社員は会社からすると育成要員であり、新入社員から数年はこれに当たる。
逆に、1億稼ごうが、数億の案件を掴んでこようが、急激に年収が上がることはない。
日本の伝統的なこのやり方に嫌気がさして、外資の刺すか刺されるかの雰囲気の中で切磋琢磨している人たちがいることを知っている。
もちろんそれも良いだろう。
ただ、問題なのは、芸人も大学病院も、刺すか刺されるかのような雰囲気はなく、
むしろ稼ぐ力100の椅子というものが存在し、その椅子にこそ価値があり、中身に大した価値がない。
よって、稼ぐ力100の椅子を150にしようなどと誰も考えず、ただ椅子の取り合いこそが目的の競争となる。これが一点目の問題。
二点目の問題は、トップが若手にお金を配分するという構造自体が権力構造を生み出すことだ。
本来、会社や大学病院が各雇用者の働きに合わせて給与を決定するべきなのに、権力者がその機能を内部化している。
つまり、好きなヤツには仕事やお金をばらまけるし、嫌いなヤツは干すことができる。
これが社長や病院長ならまだしも、一介の芸人、一介の教授ができてしまう。
横だけど、どこが主語でかすぎなん?