はてなキーワード: 死刑廃止とは
http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1319950981/
99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/30(日) 14:26:24.20 ID:bCaDrVUp0
■冤罪の可能性がある
すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。
■命は取り戻せない
取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。
さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、
仮にそうならば真っ先にあなたは9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである。
■抑止力が無い
嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)
刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役は監禁、罰金は恐喝になる。
自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。
■終身刑でいいだろ
日本の刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金も無駄。
さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。
■刑務官がかわいそう!
■野蛮!
救援ノート http://qc.sanpal.co.jp/kyuennote/
監獄に真の医療を!すべての獄中者の問題として
死刑は欠陥を抱えた刑だ 江田五月法相の地元岡山で死刑廃止を訴える
うわあ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110310153347
hirono_hideki カンニングで逮捕された受験生に寄せ書きを差し入れてきました 2011/03/10
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%BB%A3%E9%87%8E%E7%A7%80%E6%A8%B9&rls=com.microsoft:ja:{referrer:source?}&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&rlz=1I7ADBF
うわあ。
asita211 2011/03/10
http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090803/1249324535
おはようございます! 革命の あさを むかえた ニートのあしたです。
みんな だいすき くびくびカフェ。京都大学時間雇用職員組合 ユニオンエクスタシー。
うわあ。
@toled RT @hokusyu82:
Cunliffe これはすごい 下の方で拒否反応示してる方々、なんというかまあお気の毒様/相変わらずで安心した。 2011/03/10
うわあ。
A家族というもっとも大切な存在を奪われた人間は冷静な状態にはないし、ましてや死刑というものについて議論できる立場にはない。感情論で「殺して」と叫ばれても何の意味もない。ちなみに、死刑を望む遺族に対しても同じことが言える。遺族の意向通りに死刑を執行しなければならないというのは、仇討ちが禁じられているという現実と矛盾する。遺族が殺して欲しいと言ったから殺してもいいということにはならない。
Q死刑囚の命を奪うのは人権侵害だというが、そもそも死刑囚はたくさんの命を奪ってる
A既に起きてしまった取り返しのつかない事と、これから行われることを混同してはいけない。これから殺人をする人間を事前に逮捕して処刑出来るか?死刑執行という名の殺人は、それが行われる前に止めることが出来る。よって人権を尊重するならば当然殺人を止めなければならない。
A被害者の遺族は大切な人間を失ったまま生きていかなければならないが、死刑囚は彼らよりも早くこの世からいなくなることが出来る。殺人を犯した者にとって、この世で生きている限り自分が人を殺したという事実は決して消えず、たとえいくら反省しても心からお詫びをしても被害者が生き返ることはない。その苦悩を一生自分で背負いこまなくてはならないはずなのに、死刑によって人生をいち早く終わらせることは彼らの反省の機会を奪い、苦悩する贖罪の日々を消すということに等しい。これが本当に被害者遺族が望むことなのか?一時の感情で殺せと叫ぶ遺族は、このようなことを望んでいるわけではないはずだ。自分たちが一生苦しむのと同様に、加害者にも自分の罪を背負い続けてほしいと思うはずである。殺せば全てが終わってしまう。反省の機会も、自分の犯した罪を償う時間も、全て奪われる。死刑を望むことは被害者遺族自身を苦しめることになる。
*どんなに言い繕っても、死刑が国家権力による殺人である事実からは絶対に逃れられない。殺人をしても良いと考える人間はいないはずだ。
廃止しないが形骸化させるべき
冤罪の可能性を考えると死刑を廃止すべきという論には一定の説得力がある。
しかし国民感情(参照)を考えると現実的には難しい。かつ世の中には怖じ恐るべき犯罪があり、死刑以外は考えられないものもある。(資料)
そこで死刑を判決させることを難しくする。手続きの公正を徹底するために可視化する。死刑の前段階として終身刑を設置する。
そのようにして冤罪の可能性を出来る限り減らす。場合によっては完璧に形骸化する(死んだ条文になる)。
1.取調べの可視化
2.終身刑の設置
3.裁判員の全員一致
→冤罪を防ぐためたとえ判決が出ても覆す可能性を残す。コストと時間がかかるが死刑の冤罪回避の必要経費といえる。
死刑は廃止せずこれら四つ成立させて死刑にすることを難しくするべき。
また四つまとめて通すことには無理があるから取調べの可視化から取り組むべき
以上
世論調査で、死刑を存続すべきだという理由の第一位が、被害者の感情が収まらないから、というのは理解に苦しむ。
わざわざ自分が被害者になったものと仮定して推論する理由はない。
それと、死刑廃止論者が嫌いだから死刑廃止論は間違っている、というのも論理的でない。
そうじゃなくて、普通に考えて、失われた命には命をもって償う、とか、そういうシンプルな理屈でいいと思う。
まあ、国連は死刑廃止の方向だし、欧州評議会も日本に、死刑を廃止するよう勧告してるから、
そういう外圧ということはあると思う。
でも、この事実はそれほど多くの人が知っているわけじゃない。
賛成派も反対派も、言っていることはちょっと底が浅いという印象を受ける。
死刑制度について議論する必要があるとか言ってるけど、先にやることあるんじゃね?
もし死刑制度を廃止したら、その代わりに終身刑を設けなきゃならないし、
そうなるとただでさえキャパオーバーの刑務所を増やさなければならない。
ありえないけど、終身刑を設けないのなら、凶悪な犯罪を犯した奴も釈放されるわけだし、
それによって、更生や出所後の監視に余計なカネがかかる。
何れにしてもカネがかかる。
死刑制度廃止を議論する前に、警察と司法の改革が先で、その上で執行方法を薬殺に変更
するとか、そういった議論するのがベターじゃないのかなぁ。
千葉法務大臣のことだが、死刑の執行にサインをした事と、執行に立ち会った事は非常に立派だ。
悩みに悩んだ末にこのようにしたのだろうし、この行為自体は尊敬できる。
他所で言われているように、本人が信念を曲げたとも思わない。
ただし確かに気になる事がある
たまたま偶然であれば良いのだが、敢えて選んどとすれば悪質だ。
これは議員を落選した大臣は、しなかった大臣よりも劣ると考えているからではないか?
少なくても「議員を落選した大臣」と「議員としての大臣」を明確に分けていることが伺える。
もし同等と考えていれば時期は関係ない。
同等と考えていなければ、自ら大臣に相応しくないと公言しているようなものだ。
できるだけ客観的に見ても、狙った時期と優れた技術しか思えず、パフォーマンスと言われるのも仕方ない。
まあ、この当たりは今後死刑に署名するかどうかで分かるだろう。
※パフォーマンスで死刑執行などできないと考えるのは人として当然だが、【時期】に関して今のところパフォーマンスとしか思えない。
死刑執行に立ち会ったことも、長期的にみてどうかと思う。
今回の行動は自らの行為に責任を負ったと思うし尊敬するが、次の法務大事が同じ事をしないと責任を果たしたと思われなくなるのではないか?
今の死刑制度は、死刑の罪悪感を検察、裁判官、法務大臣、執行人で曖昧にしている。
これは大事な事で、個人に過度の負担をかけさせないで済む。
法務大臣が一人で重責を背負う事が正しいだろうか?
もちろん法務大臣は重大な責任を負う立場ではあるが、人一人を生かすか殺すかの重責までは(一人で)負う必要はないと思う。
以前叫ばれた「死神」などと呼ぶことは論外だ。
死刑に反対するのは大いに結構。現役の大臣が反対派でも問題ない。
だだし、それと署名しないことは別問題だ。署名は法律で定められている義務だから当然するべきだ。
法の番人の長が、自ら法を守らないことは裁判官を、裁判制度をバカにしている。
もし死刑に反対なら法務大臣など断わり、高らかに廃止を訴えればいい。
国会議員としての十分な立場があるのだから、聞く耳を持つ人も多いだろう。
法務大臣である方が火急の人を救えると思うならば(良いこととは思わないが)、ひとまず大臣になり、速やかに死刑廃止を訴えればいい。
罰則がないからと言って守らなくてよい訳がない。
超法規的に保留するならば、当然速やかな議論があって然るべき。
議論をしない、積極的に裁判結果の調査をしないことは職務放棄に等しい。
落選した議員が大臣であることは問題と思うが、この調子だと総裁選までは千葉さんが法務大臣のようだ。
そのこと自体はどうしようもないが、せめてしっかりと職務を果たして欲しい。
死刑廃止をアイデンティティとする方々の千葉法務大臣への批判が
「裏切ったな!僕の気持ちを裏切ったな!鳩山と同じに、裏切ったんだ!」
みたいなのばっかり。
法務大臣が、
「自分が当事者になって真摯に考えた結果、やはり死刑執行は必要だった」
と考えたかもしれないとは思わないのか。
本来であれば、ともに死刑廃止を掲げる方々は、
「これまで執行を避けてきた大臣がこんな局面で執行するとは、今まで知りえなかった何かがあるのか。
それを確かめて自分たちも主張を再検証せねばならない。」
と考えるべきところではないか。
なのになぜ、過程の検証を飛ばして、執行の有無だけとらえてキャアキャアと非難するのか。
パフォーマンスだと言われるが、この状況で執行して誰かへの何かしらのパフォーマンスになると見込む人がいるのだろうか。
落選して「自由」となった身だからこそ、
両方から叩かれるとわかっていても、自分の信念に拠って執行せねばならないと考えた、
と想像するのは美化し過ぎだろうか。
死刑廃止を掲げる方々にとっても法務大臣はそれほどまでに信頼できなかったのか。
信頼がおけなくても自分たちに都合のいい主張さえしてくれればそれでよかったのか。
法務大臣の人柄や法務官僚を謗るのは、法務大臣が考えを変えた過程を検証することで自分の信念・論拠が
揺らぐことを恐れて、論点を逸らそうとしているだけではないのか。
と言っても、本編は国内未上映なので、公式予告編を見ただけですが。そもそもこの手の過剰にエコを
主張した作品は好きじゃないので、わざわざ予告編も見ようとは思わなかったんですが、YouTubeで捕
鯨反対派の方たちと議論している過程でこのドキュメンタリーも話題に登ったので、ちょっと見てみよ
うかな、と。
予告編を見ただけでも、色々とツッコミどころはあったんですが、整理すると言いたいことは以下の2点
になるかな:
(1)普通は隠すもんでしょ?
(2)野蛮って何?
ということで、これらについて思うことをだらだらと書いてみます。
(1)普通は隠すもんでしょ?
予告編中でどっかのおっさんが
「They are hiding something.」
とか大見得きってます。
本編見ていないので、確かなことは言えないけど、おそらく「入り江(Cove」でのイルカの「虐殺」の
ことを隠していると言いたいのだと思う。
でも、隠すのは当たり前じゃないのかな?だって屠殺場なんだから。家畜の屠殺場だって普通はそんな
にオープンになっていないでしょうし。「虐殺だ!」と批判する人のうち、家畜の屠殺場に行ったこと
ある人はどれだけいるんでしょうか?予告編では趣味の悪いことに、おそらくイルカの屠殺シーンであ
ろう映像を街行く日本人に見せて、顔を背ける姿を撮り「日本人にも隠している!」とか主張している
場面もあるけど、多分、ウシやブタの屠殺シーン見せても同じ反応を示すと思います。
もちろん動物愛護団体からの抵抗も予想して、イルカ漁をする方たちも人目につかないような入り江に
誘導して殺しているんだろうけど、そもそもああいう形の入り江の方が追い込みし易いんじゃないのか?
という気もする。
命の恵みを理解する意味でも、屠殺するところは子供に是非見せるべきだと俺は思うけど、まあ、それは
また別の主張になるので置いておきます。
(2)野蛮って何?
このドキュメンタリーがアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した際に、どこかのテレビアナウンサー
が「日本人の残酷さを 明白に描いている映画」とかコメントしていたけど、アホなのか?と思う。捕鯨問題
にしてもそうだけど、主に西洋人(白人)から構成される反捕鯨派の方たちはすぐにこの手の屠殺を指して
「野蛮(barbaric」だと指摘する。日本人的な感覚なのかもしれないけど、何かを殺して命を奪うということ
では、家畜の屠殺も捕鯨も、植物採取さえにも違いはないと思うんですがね。よく動物愛護団体は、家畜は人
道的な方法で屠殺されているから問題ない!とか言うけど、結局殺していることには変わりがないと思うのです
が。多分、殺される側の動物も口がきけたとしても
"Thanks, mate! I appreciate you are going to kill me in a humane way!"
とか言わないと思う。
そもそも、自分たちと違う考えやり方をすべて「野蛮」と決めつけるのって、いかにも西洋的(キリスト教的と
言うと語弊があるかも)だよな、と思う。結局彼らは十字軍の遠征や大航海時代に異教徒に対して行ってきたこと
を何にも反省していないんだろうな。自己中心的な世界観を元にそれに沿わない相手を野蛮とののしり否定し、
文明化という美名の下に西洋的な価値観を広めていった歴史に。捕鯨問題とか死刑廃止問題とか西洋的価値と日
本的価値の激突が生じている問題もその一部を構成するものは同根なんじゃないかな、と。
だいたい、他人を野蛮人扱いして、まともに話を聞いてもらおうという、その上から目線でいられる神経が理解
できないよな、と直情径行的な反発を覚えるのも事実です。
YouTubeのコメント欄でも感じたけど、もう少し冷静な議論が出来ないものかな?と思う。お互い様に。まあ、か
くいう自分も、ちょっと腹が立ったので相手をracist呼ばわりしたら、案の定、お前こそracistだ!という不毛
な批判の応酬になったことがある。結局、この手の問題は感情論になりやすいので、論理的な討論なんて出来ない
おそらく日本で公開しても見に行くことはまずないと思うけど、このドキュメンタリーのせいで、メディアリテラ
シーのない一部の日本人が感化されて、太地町の人とかが不当に非難されないことだけを祈っています。特に予告
編でも顔が写っていた啖呵切っていた人なんか、おそらくひどい目にあうんじゃないかな、と思う。あれって肖像
権の問題はどうなっているんだろうか・・・
日本国内で前から問題視されてても華麗にスルーの癖に欧米の白人達に抗議された途端即規制。婦人参政権とか男女雇用機会均等法とかも外圧なかったら絶対やってないだろ。この国の指導者はどんだけ白人コンプなんだろうか。明治以来の伝統?
死刑とかも将来そうなるんだろうな。死刑廃止でも別にかまわんが外国に言われたから急いでやるような無様なことはしないでほしいもんだ。
増田です。
裁判員制度を問い直す議員連盟が緊急総会なるものを行ったそうで、『「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」』なるものが事務局長である保坂展人議員のブログに掲載されています。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/21929301bf51872669470a5abd17bbeb
これの前に保坂議員が思いのたけを書き綴っている日記もあって、こっちを読んでおくと主張の背景が判るかも知れません。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/2a0f3fcc5177f4a295dea218a6f0a4ef
…なんですけど、幾ら読んでも、その主張がさっぱり判りません。なんと言うか、筋が通らない。単に増田の読解力が破綻してるのかも知れませんが、他増田はどう思いますか?
①思想・信条による「辞退」や面接時の「陳述拒否」が認められない
「私は人を裁くことはできない」という強い信念を持つ国民が、裁判所からの呼び出しを拒んだ時、「正当な理由なく出頭を拒否した」として10万円の過料の制裁を受けるのは憲法上の問題があります。また、裁判員候補面接時に「死刑も含む法定刑を選択出来るか」と問われた国民が、「『憲法19条の思想・良心の自由』に照らして、私はこの質問にお答えできません」と応答した時に「正当な理由なく陳述を拒んだ」として制裁を受ける危険があるのも問題です。憲法の上に、裁判員法が位置しているかのような倒錯があります。
「辞退権があるべきだ」と言うスタート地点から話が吹っ飛んで、「出頭拒否OK」に着地してるみたいですが、どんな理由であれ「辞退したい」と言うだけの理由で出頭拒否出来る必要が何処にあるんでしょうか? 裁判員なんてなりたくないのに無駄な時間取らせるなよ、と言う思う人は(沢山)居るとしても、事前に送付する質問票で辞退理由に当たるかどうか判断されている以上、制度として出頭拒否を肯定する必要なんてないと思うのですが…。
で、恐らくスタート地点であろう「辞退権があるべきだ」には、特に異論はありません。が、大々的に拒否権ありますって事にしたら、裁判員がやりたくやりたくてしょうがないって人しか裁判員なんてならないんじゃないかな(それはそれで激しく怖い)。つーか、実際問題として質問票なり面接の時なりに「裁判員なんて絶対やりたくない。選ばれたら出席はするけど、全ての審議に棄権する(or無効票を投じるor少数派につくetc)」って言えば、落とされるんじゃない? それでも選ばれる位、裁判員候補が酷かったらどうするんだって話はあるでしょうが、それはベツバナでしょう。
陳述拒否も同じ。そもそもそんだけ信念を持ってるなら回答を拒否する必要ないですよね。意識的に自分の思想を隠して、裁判官や弁護士、検察官を欺きたいってんなら話は別ですが、これも制度として肯定する理由を感じません。
つーかね。思想隠しOKなんて事にして「死刑万歳」とか「死刑なんて絶対ありえない」とか「左の頬を叩かれたら右の頬を差し出すべき(だから無罪)」とか言う人達で裁判員が構成されてる裁判なんて魔女裁判と変わらんと思うんですよ。そんな裁判絶対関わりたくないわ。審議の内容を見ずに思想だけで評議する奴は裁判員から外せってのは当然じゃないですかね? 保坂議員は死刑廃止論者で、裁判員制度見直しの話に死刑廃止の目論見を混ぜ込んでる(と言うか単に切り分けられないだけか?)ふしが散見されるんだけど、死刑万歳な連中が同じ事をした時の害を考えれば、自身の主張が馬鹿げてる事は自明だと思うんだけどな。
②守秘義務・虚偽陳述の罰則が重すぎる
さらに、「裁判員の守秘義務」の範囲が不明確だとして、「裁判員等の守秘義務の範囲の明確化と国民への説明」が付帯決議で指摘された点は、いまだに判然としていません。裁判員として途中経過に関しては一定の守秘義務が必要であっても、判決を終えた元裁判員について、評議の中で自らが述べた意見及び経過の要点については、他の裁判官・裁判員の評議・評決の態度に言及しない限り、可罰対象にするべきではありません。「評議の秘密は墓場まで」「守秘義務違反を行えば、逮捕覚悟だぞ」という威迫は、不要で過剰な重圧を国民に与えるだけです。
また、これらの守秘義務によって、裁判長や裁判官が一方的な評議の進め方をした時や、裁判員の声を無視して評議と異なる判決をした時等の「異議申し立て」も封じられてしまいます。
裁判員の守秘義務は裁判の傍聴では知りえない部分に限定される訳で、具体的には「裁判員の名前」やら「評議の経過」「事件関係者のプライバシー」。評議で言った事を後で公開・糾弾される心配をしながら裁判員なんて出来ないですよ? 怖すぎて。有罪に票入れれば犯人に恨まれ、無罪に票入れれば被害者に恨まれ…。何にも言えませんって。例えば、精神鑑定が議論になる様な裁判で「裁判員の一人が精神科医で、そいつの薀蓄で他の裁判員が抱き込まれて無罪になった。でも裁判官は全員有罪に票を入れてた。あんなのはおかしい、絶対有罪だ」なんて事も言って良いって事ですよね? 無罪判決が出ても一人の裁判員の思い込みで「裁判官は全員有罪だったんですって怖いわねぇ」とか言われても仕方がない、それが裁判員の権利だって事ですかね? 被告への社会的ダメージは計り知れないのでは? 裁判関係者(裁判員、被告、被害者等)を守る為にも守秘義務は必須でしょう。どうしても判決が納得できないなら、傍聴すれば誰でも知り得る範囲で活動すればいいのであって、裁判員しか知りえない情報を公開可能にする必要は全く感じられません。
あと、ここ以外でも主張の下地に「裁判官が腐ってた(裁判員を誘導した、裁判員を無視した)らどうするんだ」って言う疑念にある様に見えるんですが、これはそもそも裁判員制度の問題じゃないですよね? 現行制度なら裁判員を誘導したり無視したりする必要すらないんだから。「裁判官が腐ってたら裁判員制度は機能しないから、腐った裁判官だけで裁判すべき」って言ってる様にしか見えないんですけど…。
他にもいっぱい書きたい事はあるんですが、いい加減長いので、一先ずこの辺で終わります。
単に増田の読解力の問題ですかねぇ…。
どうして死刑廃止教の人はこう理屈づけがおおざっぱなんだろう。
■多くの人は犯罪者が更生するなんて信じていない なぜなら「犯罪者→更生して普通の人」を認めたら、「普通の人→ちょっとした理由で犯罪者」を認める事になってしまうから。
ひどいこじつけですねw
『犯罪者に対してすぐに「極刑にしろ」』 ← そんな奴いるなら見せてくれ。そんなこと言う奴は見たことも聞いたこともないわ。
『大量殺人やらかしたり監禁して殺して刻んで下水に流したりした犯罪者を死刑にしろ』
て言ってる奴しかみたことない。
何かの拍子にそんなことをする人はいない。だから
「自分や自分の周りの人が何かの拍子に犯罪者になるかもしれない」なんて当たり前の事(もちろん確率的に低いから普通に暮らせているけど)なのに。
こういう窃盗かせいぜい強盗程度を前提にした話は、木に竹を接ぐに等しい。