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はてなキーワード: 司馬懿とは

2020-02-15

事後諸葛亮=「こうすればよかったのに」

事後司馬懿=「もっと慎重になるべきだった」

後周瑜=「違う時代に生まれるべきだった」

事後曹操=新しく作ったルールをさも昔からあったかのように過去適用する

事後劉備=いい家柄や偉い立場を後になってアピールする(水戸黄門的な)

事後孫権=「やっぱり戦っておくべきだった」

2019-08-04

三国志演義詳しい人いるかな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

諸葛亮孔明より司馬懿仲達の方がすごいよね。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709154334

「漢」という大きな国で「黄巾の乱」という農民反乱が起きる。

朝廷は各地に将軍派遣してようやくその乱を鎮める。

そのあと董卓っていう奴が独裁者になって暴れるんだけど、部下の呂布という奴に殺される。

朝廷はぐちゃぐちゃで統制が効かなくなってしまい、各地の将軍たちが独立して戦国時代みたいになる。

そのころは大陸の北の方が豊かで人口も多く、その覇権を巡って曹操袁紹という二大勢力が戦って、曹操が勝つ。

曹操日本戦国時代で言えば織田信長みたいな冷徹天才タイプ

北半分を手中に収めて圧倒的な勢力を持つようになった曹操

しか大陸の南東のほうで勢力を拡大していた孫権という奴に「赤壁の戦い」で大敗する。

孫権徳川家康みたいな地域密着型の苦労性タイプ

また、孫権に協力していた劉備という奴が、その戦いのあとの隙をついて大陸の南西の方を占領する。

劉備豊臣秀吉…と言いたいけどわりと違くて、やたら仁義忠義にこだわる良い子ちゃんタイプ

実は西遊記三蔵法師に近いんじゃないか

北半分を得た曹操の「魏」、南東を得た孫権の「呉」、南西を得た劉備の「蜀」。

この三国が鼎立するから三国志演義」。

特に劉備主人公格で、義兄弟関羽張飛と共に、紆余曲折を経て国を打ち立てるまでが前半。

でも建国した矢先、関羽は呉と戦って殺されてしまい、張飛も部下に裏切られて殺されてしまう。

義弟たちを殺されて怒り狂った劉備は呉に攻め込むんだけど大敗して死ぬ

そして劉備軍師であった諸葛孔明が、劉備亡きあと、圧倒的な力を誇る魏に対してさまざまな奇策を持って挑む、というのが後半のストーリー

既に曹操も死んでいるから、魏の将軍司馬懿という奴が孔明ライバルになる。

孔明は魔術的な天才軍師として描かれ、司馬懿相手連戦連勝する。

しかし彼我の戦力差はいかんともしがたく、やがて孔明死ぬ

孔明の死後は、後継者姜維を中心に、蜀も粘るんだけど、ついに魏に降伏することになる。

具体的に言うと、鍾会という野心旺盛なエリート姜維を釘付けにしているあいだに、鄧艾というドモりが酷いおっさんが間道を通って蜀の首都を攻め落とす。

でも鄧艾のことが気に入らない鍾会は、鄧艾の勝手な振る舞いを讒言して殺してしまう。

さら姜維に唆されて、鍾会は蜀の地で独立してやろうとするけど、あっさり発覚して鍾会姜維は殺される。

この頃の魏は、司馬懿の息子たちがすっかり権力を握っている。

そいつらが蜀の滅亡の後に魏を乗っ取って、「晋」という国をつくる。

この晋の名将に羊祜という奴がいて、最後に残った呉をいつ滅ぼそうかと手ぐすねを引いていた。

しかし、このときは呉にも陸抗という名将がいた。

二人は国境を挟んで互いのことを認め合い、手紙や酒を送りあうほどだった。

この頃の呉は、晩年に耄碌した孫権が、悲惨後継者争いを引き起こして国力が低下。

陸抗の力によってようやく保っている有様だった。

やがて羊祜も陸抗も亡くなったあと、羊祜の後継者となった杜預という奴によって、ようやく呉は滅ぼされた。

魏も呉も蜀も消え去り、晋が大陸統一したのだった。

おしまい

2015-07-05

京観の定義って何?

中国史に出てくる京観ってさー、ざっくりと「敵の屍体を積み上げて作ったモニュメント」みたいな定義はあるけど実態としてはどうなの?

まず死体って人体まるごとを使うの? それとも斬首した首だけなの?

積み上げた屍体に土を被せて築山にするの? それとも屍体をそのまま積み上げるの?

あと、屍体を土壁に塗り込めたケースってあったりするの? 埋めたものだけ?

この辺の定義が人によってバラバラな感じがしてて、生首タワーから屍体が積み上がった小高い丘から

屍体がたっぷり埋まった築山から、果ては屍体を塗り込めた東洋パルテノン神殿まで

イメージが入り乱れてる感じがすんだよね。

はいえ、実際には京観にも複数の種類はあるかもしれないんだけど。

戦後処理として現地の成人男性虐殺した司馬懿の京観と、激戦の後に一度敵の屍体で作っておきながら

のちに壊して敵味方の別なく葬った鄧艾の京観とは多分製法は別物だろうしさ。

2014-12-27

魏呉蜀で五大軍師を選定してみた

魏 

荀彧・郭嘉・程昱・賈詡司馬懿(or荀攸or満寵)

呉 

周瑜魯粛呂蒙陸遜・諸葛格(or顧雍or朱治)

諸葛亮ホウ統黄権法正蒋エン






異論は認める

2014-10-25

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三国志を読んで呂布を凄いと思うけれどあこがれることはない。大軍を指揮する曹操だったり、知略輝く諸葛亮だったり司馬懿だったり、なにもしないけれどなんかすごい劉備だったり、それを支えるかっちょいい関羽だったり張飛だったりに憧れるだろう。

三国志仕事に援用するのはクッソつまらない読書方法だとしってはいるけれど、男の仕事って、指揮する側に立つのが目指されている。いつまでも現場じゃなくてマネージャとして管理職になって経営人を目指す、みたいな意識の高さ。それが男子一生の仕事みたいな共通認識が暗黙の裡に横たわっていることは大勢同意してくれると思う。

呂布ではだめなのだ。状況を作り出す曹操諸葛亮司馬懿こそが男の仕事なのだ。たしか呂布は状況を作り出せない。状況に放り込まれるだけだ。しかしいったん放り込まれたらその状況をねじ伏せるだけの膂力がある。それは誇っていいし、誇るべきだし、呂布価値はそこにある。

たとえばSI屋でプログラミングもできて、サーバ構築もできて、ネットワーク構築もできて、設計もできて、提案書もかけて、価格交渉もできる人がいたとする。で、上司最初はそういう人がいることを喜ぶ。自分の予想以上の結果を出してくれる人だからだ。少少の荒い現場だってそのスキルですべてねじ伏せる。呂布のような人。

が、しかし、残念ながらそのうち慣れる。そしてその能力を予想通りに貶める。スケジュールだって工数交渉だって全部その人がやることを前提にして立案する。そんなの他の人なら達成できないプロジェクトタスクなのに呂布ならできると知っているから、抵抗なくアサインする。そして最初のころは予想以上だった結果が予想通りに毀損される。呂布にとっては褒賞は当然必要だけれど、それと同じくらいにそのスキルパフォーマンスをほめられたい、無二のものである特別扱いされたいのだが、残念ながら上司は慣れてしまったので、そんな気持ちは持ち合わせない。それどころか呂布能力が人並みになると「予定と違う」と激高する始末だ。人なのだから出力に並はあり、時には人並みの能力にある時はあるというのに、自分の予想を裏切ったと怒るのだ。そんな都合のいい予想のために。

そして自軍の全員に呂布能力を求める。「あれが普通だ」と言い始める。兵の誰もが知っている「呂布特別だ」が理解できない。それを「特別」だと認識した予定ではないため認められないのだ。自分完璧な予定が無能な部下によって踏みにじられたと感じるのだろう。そうやって兵の心は離れていって、褒章分だけ働くようになる。あたなのためにはたらくのではなく、金のために働くだけになる。軍師を通して金をみるだけになる。軍師会社の金を自分の力だと思うのかもしれないが、部下はそうは思っていない。軍師は軍の威力を借りた厭な奴だ。ますます軍全体の出力は低下していく。それを現場責任に変換する。まちがっても出力を十全以上にだせるような雰囲気をつくらない自分に原因を設定しない。一度人の上に立ったものはなかなか反省ができない。ましてや「会社」の中では自分はただしいと認められたからその地位にいるのであって、部下は自分より正しくないから私の下にいるのだと認識する。

そうやって呂布がいることがどれほどの僥倖なのかを忘れていって、呂布を平均的な兵士の姿に想定して行動を策定するのだ。

それが男の仕事だと信じているから。最前線で具体的な案件課題に対して大勢兵士より優れた能力を出し続けて結果の本体を出し続ける男を下に見る。

彼がいつまでの戦場にいるのを馬鹿にする。

2013-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20130808181055

決着自体は帝国同盟征服しちゃった時点で終わってるしね。

結局のとこ主役の二人をうまく殺すには「テロ」「病死」ってのは考えてると思うよ。

誰かに負けたわけじゃないので傷がつかないし。

まぁどっちかが征服して終わりってのもなぁ。

田中芳樹中国の歴史とか好きみたいだし、征服後の反乱とかは漢帝国の件とか知ってれば面白い

オーベルシュタインの行動とかもね。

三国志なんかも統一したのは曹操孫権劉備の一族じゃなくて司馬懿だしね。

2012-09-02

諸葛亮は稀代の詐欺師

孔明は嘘を吐かせると右に出る者はいない。

かつて劉備の代理として孫呉に訪れた際、共に赤壁を打ち倒しましょうと言ってすり寄った。

実際には漁夫の利を得た形で約束違反である荊州簒奪した。漢朝廷にすら許可を取らなかったため、後に曹操に利用されて公式に周瑜を南郡太守、荊州総督を任せる等として荊州統治を孫呉に委ねたのだ。そうなると当然荊州の正当支配者は孫呉になり劉備違法にそこを占拠してるに過ぎなくなる。そこで孔明は一計を案じて周瑜を誅殺し孫権から荊州を借りる形を取って劉備を統治者とした。当然条件付きで蜀を取れば荊州を全て返還するという劉備孔明両名のお墨付きであるしかし蜀、そして漢中を奪っても返さなかった。孔明は嘘吐きである。これがきっかけで荊州争奪戦および関羽刑事件に繋がるのである。また、後継者問題では自身の優位を絶対にするため、劉備信者魏延らをあることないこと誹謗し続けたのである。これは一政治家としてあるまじき愚行であろう。ともすれば、これを手本とする日本の某政党は嘘吐きであることを肯定しているも同じである

孔明は人を見る目が皆無。

嫁に関して「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という諺が存在するほどで人を見る目が全くない。

後に重用された悲劇の名将魏延も反骨の相(史実では不明)としており、一方で劉備が重用するなと言っていた登山家馬ショクへは自身の片腕以上の待遇だった。また、後蜀将として蜀漢を直接滅ぼす原因を作り滅んだ後も劉禅迷惑を被って死んだ姜維へも彼は特別待遇にしていた。そう、孔明は老練の将軍よりも口先だけの若造を重用する傾向にあったようだ。だがそんな彼でも老練を重用することがあったのである名前李厳。後に李平と改名する政治家である。彼は孔明いわく「陸遜匹敵する名相」だったが、才覚は確かにあったらしい。しか性格に難があり、孔明はたびたび彼への諫言を聞くことになるが無視し重用し続けた。その結果231年の北伐の大惨敗を引き起こすことになる。とんだ見立てである。実は李厳だけではない。後に魏に投降したのち蜀に再び寝返り新城の戦いで司馬懿に瞬殺された孟達孔明は重用した。実は孟達も才能はあったが、李厳同様性格に難があった。日本プロ野球選手に例えると中村紀洋である孟達面白い所は劉備に信任された上庸を守らず更に関羽からの援軍要請を無下に断り見殺しにした所であろう。彼は李厳と同じく才覚はあったが考えるところは常に目先の小利だけである。その結果、関羽は死にその責任を負わされることになった孟達曹丕の元へ逃げそこで厚遇を受けた。しか曹丕死ぬ冷遇された孟達は蜀に帰りたいという非常に自分勝手な判断のもと蜀に保護を求めて降伏してきたのである。それを大いに喜んだ孔明は自らドツボにハマる事に気付かず結局孟達の死をきっかけに北伐は失敗に終わる。逆に彼が冷遇し続けた魏延は殿軍を務めるなど蜀を守る役目に徹して彼以上に功績を挙げてしまった。孔明自分が貶めようとした者が成功するのを見ていられなかったのだろう。死の間際にこれまた後に蜀を滅ぼした姜維に後事を託して五丈原で病没した。その託した後事が問題で当時重用していた文官楊儀確執のあった名将魏延を排除したのである。これを機に蜀は滅ぶ道を辿ることとなる。オチとしては魏延を廃した楊儀も後に謀反を起こして流刑となったことくらいか

結局孔明は人を見る目が皆無で、結果として劉備に信頼されておいて蜀を守りきれず滅ぼす遠因を作ったのである

孔明は内政は超一流だが外交軍事も他国どころか身内にも劣る

漢の四相と称される孔明だが、それは内政だけの話でこと軍事においては亡きホウ統法正に劣る。後の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名になる司馬懿電撃戦を得意とし曹操にも警戒された天才普通な孔明では太刀打ち出来ない相手なのだがここでも孔明は嘘吐きの才覚を遺憾なく発揮するのだ。また、火刑オタク陸遜孫武に勝るとも劣らないと称された天才孔明も対呉では慎重論を唱えたほどだ。実際には孫呉派閥政権なので内側から崩せば安易に滅ぼすことも可能だった。また曹魏にしても司馬懿の専横を煽る批判文を口先だけは超一流の馬ショクがやって見せたように続けていたら内部亀裂は免れておらず面白いことになっていただろう。孔明は情勢音痴だったのだ。また地理にしても荊州益州では無双だった孔明長安への道についてはこれまでにない慎重な姿勢を貫いていた。これを地理に詳しい魏延にたびたび批判されていたことは有名で、子午谷を通る国士無双の名将であった韓信攻略法を提案し続けたものの、却下し続けた。その結果が成果の見えない3度の北伐であるしか孔明は人を見る目がなかったので要所要所を劉備にすら諫言された将を大将に据えて任せており、その都度名将魏延を殿軍にするなどして引き離すといった愚行を演じている。こと軍事においては後世の学者からしても魏延の方が上回っていたと指摘されることがあるが、実際その通りだったのかもしれない。孔明は何も成果を挙げられていないのだからしかも北伐にかまけて劉禅教育を怠り漢王朝滅亡の原因である宦官制を敷いていたことが後に蜀を滅ぼすのだから孔明は実は内政も言われてるほど優秀ではなかったのかもしれない(宦官劉備提案かもしれないが)。

結論として孔明は、無能だが口先だけは一流の人間を重用し、まともな武将を片っ端から左遷ちゃうクソ政治家である。ま、そんな政治家を神としちゃう政党も流石だとは思いますけどね。

以上、孔明歴史捏造が生んだ最大の恩恵者であり、また稀代の嘘吐きである。某政党もこれを真似たのだから面白い。後に筒井康隆がその政党政権を取ると日本が終了するといった旨の小説を書いているが、これは単なる偶然の一致なのだろうか。

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