みんなで何とかしようという。その考え方が幼稚である。子供がそうだ。みんなで協力することが大切なことだという。そう信じ続けて大人になった人々も大勢いる。しかしそれは嘘だ。
世の中の常識というものの何と薄っぺらで浅はかなことか。しかも悪いことにそれは嘘だときたものだ。
世の中の一般常識といわれることすべてを疑ってかかるくらいでちょうど良い。常識ほど恐ろしいものはない。そこで思考停止に陥ってしまうことを怖れよ。
ある投資家がいっていたのだが、集団の中で卓越した意思決定は不可能だ。個人がすべてだ。卓越した思考とは個人しかなしえない。
賢い人々はいる。
とてつもなく、私自身の想像を超えて賢い人々がいるのだ。このことを忘れてはならない。
世の人々を軽々しく批判するようなことは控えねばならない。私自身が愚かである可能性がある。
しかし、ときにどうしようもなく愚かしく見える人々はいる。そしてそれは過去の自分の姿でもある。愚かだと自覚できたとき自分自身は前よりほんの少し賢くなったといえるのかもしれない。そのように自分自身を省みることができるようになったということは知的な成長である。精神的な成長である。
謙虚であらねばならない。でないとやはり成長できないのだ。
自分よりとてつもなく賢い人が大勢、この世の中にはいるのだ。そしてそういう人々は基本的に沈黙を守る。考えが浅い人々ほど軽々しく口にする。あらゆることがらに口出しして恥を感じない人々は愚者である。
世間一般が大騒ぎする事柄の大部分は、どうでもいいことであり、自身に関わりのないことなのだ。それを認識できているから黙っている。賢い人とはそういうものだ。
賢い人々について思いを馳せるべきだ。彼らは基本的に沈黙を守るので、こちらは冷静に観察しなければならない。そして自分自身をそのレベルまで引き上げていかねばならない。
そのためには今自身の身の回りにいる人々、自分と同じレベルの人々とは異なる次元の考え方をしなければならないということでもある。
http://kumagi.hatenablog.com/entry/ntt-blocking-matome
ねとらぼが広告代理店や広告主側に問い合わせたら数日で出稿停止との結果が出たわけですが、
カワンゴ率いる角川みたいにほぼ文芸専門ならともかく、講談社が社として法的手段に動かずとも
週刊現代が代理店や広告主への取材問い合わせをする、それだけで十分大きな圧力になったのでは。
記事にすることでかえって漫画村を広めてしまうという懸念もありそうだけど、取材したからといって
雑談レベルでできればやめてほしいかなーって言ってみたりしたらしいですが、緊急避難に際して
ずいぶん余裕ですね。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1804/27/news117.html
――海賊版サイトに広告を出稿する広告主や広告代理店に対して出稿停止依頼を行ったり、訴訟を行うなど、収入源を断つ対策はどうか。
広告主に対しては、雑談レベルで内々に配信停止を要請するぐらいしかできておらず、実質何もできていなかったと反省している。今後本格的に、広告主や代理店に対して、掲載の自粛要請や、法的手続きも含む対応を、きちんと行っていきたいと思う。
電子マネーのWAONって紛失補償みたいなのってしてくれないのか?
大前提として睡眠時間削るのだけはない。7時間程度なら普通に寝て何も問題ないし、これから1年も続く生活なんだからわかってもらうしかない
それと時間よりも質の方がよっぽど大事。グダグダやる5時間よりしっかりやる1時間。「15時間もやったから大丈夫」じゃなくて「時間がないからがんばる」の方が気持ちとして強い。ゲームは多少縛りがあった方がモチベが保てる的な話です。
母親には結局分かってもらえないかもしれないけど、少なくとも貴方が「時間がないから合格できないー」とか悲観する必要はないです。
肉体と思考とは密接に結びついている。
脳の活動は身体の活動と密に結びついている。考え事は動きながらやるのが良い。
歩きながら考えると、脳の思考が促される。
手も同じだ。紙に書いて考える。そうしていると、手そのものが考えてくれているように感じられる瞬間がある。
たとえ、それがガバガバ展開であっても
なろう読者は一歩も引かないぜ!
飽きられてしまう日まで
わたくしたちはTUEEEEしつづけます!
それが なろう異世界転生なのです!
パ・パ・パ パパパ パパー
この世の中、どうでも良いことで満ち満ちている。その最たるものは芸能ニュースである。
中年男性アイドルグループの誰それが女の子に対してどうしたこうした、そんなニュースが連日流されていて、大きく取り上げられていて、それで大の大人が大勢やいのやいのいっている。程度が低い。ばかか。
そんなことをしていて何が楽しいのか。他にやることがないのかといいたい。
実際ないのだろう。やるべき仕事が他にないのだ。やるべきことがない、求められてることがない暇な人々が、そういう事柄を取り上げて時間を費やしている。ある意味かわいそうな人々である。
しかし異なる視点で見てみれば、それはその程度の事柄に時間を費やしていて、それでなお生きていくことができているという事でもある。つまり平和で幸せな人々なのだ。日々生きていくことに汲々としているような人々でれば、そんなどうでもいい事柄に時間を費やすことなどできはしない。自身の人生に何ら関わりのないような事柄に時間を費やして、それでもなお、のうのうと生きていられるのだ。すごい国である。
幸福な環境の中にいる人々といえる。この日本とはそういう素晴らしい国なのだ。弱者にとても優しい。誇るべし。
しかし、その弱者と呼ぶべき人々が幸せを感じているかといえばそれは疑問である。程度の低い事柄に多大な時間を費やしてそれでいて気にならないような人々が、精神的な満足を得ているかどうかといえばそれは疑わしい。
朝の情報番組とやらが見苦しくてしようがないのでこういうことを書いた。普段は見ないのだが、旅先の朝食会場で、大音量で流されていたりすると嫌でも耳に入ってしまう。つくづくテレビは愚者製造マシンである。そのなかに程度の低い事柄を仰々しく口にする大の大人が大勢いる。恥ずかしくないのか、コメンテーターとか自称する人々は。見苦しい。気の毒ですらある。若い人たちは真似してはならない。
Otubone Leader