はてなキーワード: 自己嫌悪とは
後日談。
相手を傷つけた。
自己嫌悪で死にたくなるかと思いきや、思ったほどではなかった。
爽快感にも似た、ふっきれた気分になった。
人を困らせて爽快感を得るんじゃ、いよいよ頭がおかしい、欠陥人間かな?これがいわゆるボーダー、境界性人格障害ってやつなんだろうか?と思った。
それはさておき、ただ、とにかく淋しくて、デリヘルを呼んだ。
ラブホは思ったよりも汚かった。
来た女は、想像より若くて可愛かった。
26000円も払うとこっちは客だ!と急に強気になれた。
精神科で話す10倍くらい正直にいろんなことを話せた。
27年間彼女がいないこと。
ありのままの自分を見て欲しいという歪んだ願望があるということ。
等など。
100分のうち50分くらいは話しを聞いてもらった。
そして、セックスした。
その次の日から、体の調子がよかった。
明らかに仕事の作業効率もよくなった。
なんだったんだろう、もしかして俺はセックスがしたかっただけだったのだろうか?
体の変調が出るほどに、したかっただけなのだろうか?
それとも、愚痴ったせいだったのだろうか?
とにかくも、調子は戻った。
でも、数日前からまたおかしくなりつつあった。
またデリヘルを呼べばいいのだろうか?そんなことを考えていた矢先。
そして一昨日。
元記事で書いたメンヘラ女から
「調子はどう?」
的なメールが来る。
この前は
「自分でどれだけ酷いこと書いてるかわかってる?」
とりあえずありのままに書いてみた。
要約すると、
メンタル受診した。風俗にいった。体調はよかったり悪かったり。
だからなおのこと自力で頑張りたい。
でも、どうしようもなく辛い。
そうしたら、
って返事が来た。
わからない。
だって彼女は
といっていたので、
ボーダー的な行動は迷惑で、そのためには思考を矯正するのが一番であるという俺の考えは理解してくれるかと思ったのだが・・・
こんな調子で一方的に怒られて、絶縁状態になって、時間を置くと向こうからメールってパターンはもう何度だろう?
だとしたら俺はどんだけ思考がおかしいんだろう?
構ってもらいたがり、困らせたがりの境界性人格障害。
いや……すでに生温かく見下されてる感があります。
それは別に良いんですよ。私には勿体無い彼氏だと思ってるんで。何で私なんかっていつも思ってるんで。
自分のこと棚に上げて、相手に求めるものが多い。自分で分ってるから、一生独身だろうなって思ってたんですよ。
でも彼氏と付き合うようになってから、なんかいろいろ将来考え始めちゃって。
今までいい加減すぎたなあって反省&自己嫌悪なんですよ。今まで培ってきた甘ちゃんな精神もすぐにどうこうなるもんじゃないし。
彼氏にたいし、「焦らないでもうちょっと見守っててよ、少しずつまともになるからさ……」って気持ちで一杯。
同意。
しかし、謝罪が中心になることは、本末転倒だな。
とはいっても、謝罪を中心に行う人が多い。
それは何故だろう。
考えてみるに、様々な理由があるだろうが、動機の大部分を占めるのは、恐怖であろう。
具体的には、上司からの評価を失うのが、怖いのではないだろうか。
評価の下落を止めるために、謝罪が有効であると考えているのではないか。
たしかに、謝罪をして、評価の下落を思いとどまる人もいるだろう。
だが、「謝ってすむなら警察は要らない」という言葉を、マスメディアでよく耳にする。
「謝ってすむなら警察は要らない」は、被害をこうむった人間が、謝罪だけでは決して満足しないということを、表現している。
この言葉が、みんなからどれくらい支持を受けているのか、わからない。
だが、この言葉がいまだにマスメディアなどで使われるということは一定数は「謝罪だけでは満足しない」、と考えているということだろう。
そこで、「遺憾の意を表す」だけよりも、失敗の原因を分析し、対応の方針を具体的に報告して、付加価値をつけるように指導するというのはどうか。
そして、上司から評価される付加価値を、失敗者が付加できたら一番だ。
付加できた場合は、失敗者が、また同じ失敗をする可能性は、減少できる。
何故ならば、失敗者が、失敗前とは異なって、失敗した理由を、きちんと把握できているからだ。
よって、俺が、有限である業務時間中に、部下が与えた仕事を失敗するという状況に遭遇した場合の話。
反省「だけ」を”報告”するよりも、失敗の原因の「解析」と「具体的」にどのように「対応」するのかを"報告"して頂くほうが嬉しい。
何故嬉しいかというと、単純に俺が使える情報が増加するからだ。
反省だけだと、情報量は少なくなるし、具体的にどこを改善したらいいのかわからない。
たとえば、失敗した原因は、俺の配置が悪いのかもしれない。
もしかすると、医師免許を持たない「弁護士」に、「外科手術」を依頼していたのかもしれない。
そういうケースならば、失敗者本人だけの問題ではなくて、彼の適正を見誤った俺にも問題がある。
もちろん、これは結果だけで判断してもいい。
しかし、失敗者の自己申告によってより精度を上げられる。
正しい申告かかどうか判断することは、難しいけれども。
ただこれらは、あくまでも俺が嬉しいだけで、現実には自分の上司のニーズにあった対応を、することが一番大切だ。
上司の評価を、「良好に保ちたい」という欲求が、あればの話だが…
しかし、業務外に個人的に相談してきてくれたほうが、俺は的確に対応できる可能性があがる。
アルコールを導入したり、おいしい物食べさせて、テンションをあげさせたり、そうやって雰囲気を作ってからのほうが、俺はよりよい対応ができる。
恥ずかしいことに、勤務中に陳情されるとと、彼の感情よりも、自分の感情を優先してしまう。
叱らないで怒っちゃうことがしばしば。
大声をあげると、失敗者のモチベをより下げてしまうことにつながるので、俺にも、不利益だ。
改善したいが、俺はまだ感情に支配されてしまう…。
でも、雰囲気を作れる人って言うのはこの辺すごくて、仕事中であってもその人にあわせて即座に雰囲気を任意に変更して、失敗者を励ますことが出来る。
失敗者のモチベを即座に上昇させることが出来れば、失敗者をより、効率よく動かせるように、改善できるだろう。
それは、結果の上昇にもつながるんだがなぁ。
上司に叱られる。目上の人に叱られる。そのとき僕は不安で心がいっぱいになる。
彼らが叱るのは、僕のまずい点を指摘して、同じ事を繰り返さないようにしてほしいから。
単純にむかついてるだけとかもあると思うけど、基本的には現状をよりよくしようとして僕を叱るのだと思う。
失敗は繰り返さなければいいんだ。叱られたらなぜそうなってしまったのかをしっかり考えて、同じ失敗を繰り返さなければ良いんだと人は言う。
でもね、それが「きびきび動け」とか「面倒がらずにあらゆることに気を配れ」というように怒られてしまうと、自分のやっていること全てがきびきびしてないのか不安になってしまう。不安になると、冷静に物事を判断できなくなり、さらに失敗しやすい状況になってしまう。
自分なりに気を配ってはいるつもりなのだ。手は抜いていない。精一杯やっている。が、それが上司の要求に応え切きれてないのだ。と言うことが分かると、やはりそんな自分が嫌になり、上司の要求に応えられない自分という存在が不安になってくる。
(「精一杯やっているというだけで褒められるのは小学校までだ」とテレビでふかわりょうが言ってた)
どうやったら不安に心を奪われないようになるのだろう。自己嫌悪さえなくなれば、冷静に失敗の原因を探って行動習慣を改めることが出来ると思うのだが。
わかる。ほんとうによくわかる。おれもそういう自己嫌悪でわらにもすがりたいときは、性格改造セミナーみたいなのへの参加さえ考えてしまうもん。
同居の家族構成はこんな感じ。
嫁
嫁の親父
子供三人(上二人は嫁の連れ子)
俺(マスオ状態)
実は結婚寸前まで知らなかった。というか嫁も嫁の親父も「不真面目学会員」なので、一般人と全く変わらない。だから、結婚する時も最初ウチの親に学会員てだけで眉をひそめられたけど、今はまったく問題なし。ちなみに俺の実家と嫁・嫁親父の関係も極めて良好。
おれが学会嫌いをカミングアウトしたら、池田大作の本も焼かないまでも隠してくれたし、そういう配慮にはホント感謝。嫁の家が学会員てことなんてずっと忘れて暮らしてた。
そんなうちに、ずっと病院生活だった嫁の母親が死んだ。通夜と葬式しなくちゃならない。
おれ遺族にあたるし、めっちゃ我慢してたけど、坊主なしで喪服のオッサンがナンミョーナンミョー連呼して、隣にいる嫁や近所で仲良くしてた義兄とかもナンミョーナンミョー言ってるのに正直ドン引きした。後ろみたら嫁の連れ子の二人も、上の子はサボってたけど真ん中はナンミョー言ってるし。ちなみに、この二人は学会には入れていないとのこと。
普段まじめに宗教活動してなかったらあまり気にしないけど、葬式とかあると強烈に意識するよねこーいうの。ていうかホントは嫁にも学会辞めてほしいし聖教新聞を昔からとってるのも辞めてほしい。でも、嫁の家(嫁親父含む)からしたら前々からこんな感じのユルユル学会員生活できたのに、やってきた新入りに「おれが気に入らんから辞めろ」と言われるのも癪だろう。だから、「おれはイヤだしホントは辞めてほしいけど、強制はしない」というスタンスをとっている。
しかし枕元にある、「今まで存在すら忘れそうになっていた」仏壇が開いて、学会特有の「戒名じゃなくて実名の書いてある」位牌を毎日見てるとどうにも気になってしょうがない。今まで「やっぱ学会はアカンわ。わしゃ目が覚めた」といってた嫁親父が「池田大作」と書かれた香典袋を見て興奮して舞い上がってたのを見て呆れる。嫁に言われたことはなんでもそのまま忠実に実行する真ん中の娘がお供えのご飯をもってきて大声でナンミョー唱えるのも正直ムカムカする。
嫁がおれに気をつかって本を隠したりして譲歩しようとしてくれているのに、おれはムカムカしてるあたり、自分のワガママの方が大きいなぁと自己嫌悪にも陥ってみたり。
人間ってね、他人に受け入れられないストレスが溜まると、「あいつはバカだから高尚な俺様が理解できないんだ」という思考回路に陥ることがあるんだよ。あと、自分の劣等感を自分で攻撃して自己嫌悪に陥るのは嫌すぎるから、「周りの奴が自分を攻撃しているんだ。それに反論するのは正当な権利だ」という思考回路に陥ることがあるんだよ。そうすることで、自己嫌悪の苦しみから逃れると同時に、自分を必死に自己正当化しようとする。
そして、どういうわけか女より男のほうが、こういう思考回路に陥りやすいんだよ。いや、誤解しないでほしい。男より女のほうが理性的だとか優れているとかいう話じゃないよ。女はまた別の方向に歪んだ思考回路に陥るだけだから。
攻撃的非モテに男が多いのはこのせい。
今年を振り返る(性的な意味で)
2008年1月 女子大生に囲まれた職場で過ごす。しかも家では一人Hできない環境。毎日のように悶々としてて仕方なく風俗に行く。
裸で抱き合って口と手で刺激してもらう。コリがとれて腰が軽くなった、感謝している。3人。一人上京したばかりの田舎娘がいた、地元に残した彼氏の話を聞いて落涙しながら絶頂に達する。整形マニアの女がいて、どこまでが本当のリアルなのか帰りの電車でしばし思索にふける。
2008年2月 出張先の地方都市で暇すぎてマンガ喫茶に入ったけど、やることないのでとなりの席の子に声をかける。無視される。
2008年3月 友達の年上女性が上京してきたので2日ほど過ごす。
2008年5月 GWに海外に行く。悪い友人にそそのかされて初めて買ってしまう。ちょっとすさんでたからという理由もあるけど、後で自己嫌悪。
1人目は日本語もしゃべれる中国出身、もち肌の美人。胸が大きいけど整形ぽい。嬌声が完全に日本人仕様なので前の仕事が想像できる。再来日を狙ってるらしく日本での連絡先などを聞かれるが嘘を答える。
3人目もタイの女の子。本当にかわいい。アイドル並のルックス。言葉はわからないのにきちんと空気読めて瞬時に笑いにつなげる。接客能力としては世界トップクラス。連れて帰ろうかと思ったくらいだった。生まれた場所が違うだけでこんな人材がこんなところで働いているなんて、と思うと落涙してしまった、どうしたの?と心配されながら達した。
2008年6月 大阪。前からちょっと好きだった知り合いの子の家に遊びに行く。酔った勢いもあって2日。
つきあって欲しいとお願いしたけどそういう関係になりたくないと言われた。泣く泣く電話を切る。
2008年7月 元カノと遊ぶ。手と舌でお互いsharpens you up!したけど結局入れさせてくれなかった。
2008年8月 3月の友達がきたので何回か。この月の後半になってもう一度会った。
2008年9月 3月の友達とホテルで待ち合わせ。お酒飲みすぎてグダグダだったけど、なんとか義務を果たした。
2008年9月 元カノとご飯食べに行く。路地裏で手でいかせて部屋に入るけど、やっぱり最後は拒否された。お互い手と舌で慰安しあう。
2008年11月 3月の友達の近くに出張したので会う。疲れた。
2008年11月 お酒飲んでたら隣の子がしてくれない?って言ってきた。勢いよく話したら冗談もわからないの?と言われ意味不明な暗い気分になる。
2008年12月 ネットで知り合った人と会う。彼氏の相談や悩み事を聞いてるうちにそういう雰囲気になる。やりそうになったけど浮気は申し訳ないので泣く泣くやめる。今では連絡も来ない。思い出すたび後悔する。
2008年12月 先月から友達になってた人で、つきあうのかなと思ってた人と一回きり。この人は風俗で働くとか言い出したからもういい。
2008年12月 忘年会の勢いで風俗にいく、最後までしてくれたけど、別にかわいくもないので後悔する。
今年はいろいろあった。15人くらい。本職の人もいるからwindow periodが終わったらHIV検査でも受けに行こうと思ってる。
早く彼女が欲しい。
江国香織の「ネギを刻む」って話がそんな話だったっけ。その話の主人公はひたすらネギを刻むそうで。
私は好物を食べる。本を読む。増田をする。仲いい女友達とちょっとお酒飲む。
気をつけてることは異性の友達や元彼には連絡を取らないこと。
違うな。非モテの本質とは、「彼女をつくってセックスできない俺格好悪い」「異性と接触できない俺格好悪い」という、極めて個人的な劣等感と思い込みだ。まずはこれが基本。
そして、ここから非モテは大きく二種類に分かれる。一つは、そのまま個人的に悩む非モテ。もう一つは、「自分が自分を格好悪いと思っている」という事実を直視できず、「他人が自分を格好悪いと言っている」というふうに、自己嫌悪を他者嫌悪に摩り替えてDQN化する非モテ。なぜ自己嫌悪を他者嫌悪に摩り替えるのかというと、もちろんそのほうが精神的に楽だから。そして、「社会通念やリア充による社会支配に対する異議申し立て」などと称して他者を攻撃し、それに反論してくる他者を「ネットみのもんた」などと言う。
セックスできない非モテを一番格好悪いと思っているのは、他ならぬ非モテ自身だ。
恋愛至上主義とやらを一番信じているのも、他ならぬ非モテ自身だ。
非モテが「社会通念やリア充による社会支配に対する異議申し立て」をしているとき、それは非モテの間接的な自己嫌悪なのである。
料理は好きだ。
掃除は苦手だが最低限こまめにやらなければいけないことは適度にこまめにする。トイレ掃除とか風呂掃除ね。
洗濯はこまめにする。アイロンがけはサボっているけれど、干すときには丁寧に干す。
それが数年前の自分だった。
ここ2,3年すべての家事がほぼできなくなった。
事情があってあまり休みがない。給与には反映しない休出や残業を繰り返し(別に役職付ではない)、河原の石を積むみたいな作業を繰り返しているうちに、毎日ぼんやりするようになった。
家に帰って一人になって気がゆるむと、疲れ切ってしまってもうぼんやりする。反動で友人と長電話をすることもあるが、たいていは一人でぼんやり本を読もうとし、ゲームをしようとし、テレビを見ようとし、すべて途中で挫折して、眠ってしまう。着替えることもせずシャワーも浴びず、眠ってしまう。食事はコンビニかレトルト、外食。へたしたら食べない。食べても、箸を使うことがめんどうくさくて、手でそのまま食べられるサンドイッチやおにぎり、ファーストフード、またはスプーンで食べられるカレーなどのレベル。
さすがに出勤前に慌ててシャワーを浴びて出かけるけれど、風呂もトイレも掃除をする気力がなくて、どんどんひどい汚れが目立つようになった。こびりついて取れなくなったような汚れを見ると、やらなくてはと思い、もういっそ大掃除をして汚れきった用具は捨ててしまうつもりでいろいろ買い込むが、結局それも袋に入ったまま埃をかぶる、の繰り返し。
連休があまりなく、あってもひたすら眠ってしまう。数時間眠り、起きてはぼんやりしてまた眠る。すべきことややりたいことが思いつかず、ぼんやりして眠る。ひとと会わなければ風呂にすら入らず、会えば会ったで疲れて帰宅後に眠る。
躁鬱。
病院ではそう言われた。けれど、病院にこまめに行く暇もなく、やすみの日には病院までの距離が果てしなく遠く思え、出かけられない。結局途中で通院をやめてしまう。しばらく期間があいて、少し気力がチャージされたところで通院する。二回、三回がんばると力尽きる。この繰り返し。
鬱で仕事に来られなくなった同僚に対して、会社はそこまで不親切ではない。フォローするよう命じられ、自分も何人かフォローした。けれど自分はまだ、出勤もできるし職場にいればそこそこ仕事も作業もこなしているとは思う。だから休みもなかなか取れないし、勤務時間も減らない。2か月にいっぺんくらいは、疲労がピークになり、風邪のふりをして休むけれど、罪悪感に苛まれて結局その後休んだ分も働く。
ときどき黒い渦がこころのなかでぐるぐるする。
自分も「いけなくなった」ふりをしてサボればいいんじゃないか?
そしたらきっと誰かがフォローしてくれて自分は楽になるだろう。
これだけ家の中のことはなにもできず、生活がいっぱいいっぱいなのに、ただ「出勤できる」「行けば責任感がわいて仕事はする」っていう状態だから誰にも気がつかれていない。
これじゃ倒れたもん勝ちじゃん、と言いかけて、その台詞の非人道さに、酷な内容に自己嫌悪が始まる。
毎日これを繰り返している。こんな黒い渦が出てくるってことは、自分はほんとうの躁鬱じゃないよな? ただのサボりたい病(実際の業務のキツさは置いておくとして)だよな?
ほんとに参ってるわけじゃないからこんなこと考えてしまうんだよな?
家事も、単にサボってるだけなんだよな?
でも、振り向くと荒廃した自室がある。ごみ袋いっぱいにたまったごみと、積もった埃、汚れた洗面所、見えなくなってきた床、皺のまま干された洗濯物、洗濯するまでには日のあいてしまった汚れた服の山。
病んでるのか、ただサボってるダラなのか、自分じゃわからなくなってしまった。
俺は、ほんとのところ、どうなんだろう?
正常なのか?
異常なのか?
ただ、ゆっくりねむりたい。
リア充非難や恋愛至上主義・恋愛資本主義非難は、自分がそうなりたいにもかかわらずそうなれないのと、投影であると思う。つまり、恋愛できない自分を一番格好悪いと思っているのは自分自身で、一番恋愛至上主義にまみれているのは自分自身であるのだけれど、それを直視するのが嫌なので、自分が自分を貶めているのではなく、他者(リア充や世間)が自分を貶めているのだと考え、その他者を攻撃することによって、自己嫌悪を他者嫌悪にすり替えているんじゃないかな。
ちょうど、出世した人に出世してない人が「お前俺のこと無能だと思ってるんだろ」って言って、出世した人が「えっ?」ってなっているのと同じ構図だと思う。
自覚すべきなのはどっちなんでしょうかね。
実のところ、恋愛経験の多寡を基準にして人間を二つの集団に分け、その優劣や上下関係を問題にしているのは、他ならぬ処女厨や非モテ本人であると思う。
リア充非難や恋愛至上主義・恋愛資本主義非難は、自分がそうなりたいにもかかわらずそうなれないのと、投影であると思う。つまり、恋愛できない自分を一番格好悪いと思っているのは自分自身で、一番恋愛至上主義にまみれているのは自分自身であるのだけれど、それを直視するのが嫌なので、自分が自分を貶めているのではなく、他者(リア充や世間)が自分を貶めているのだと考え、その他者を攻撃することによって、自己嫌悪を他者嫌悪にすり替えているんじゃないかな。
ちょうど、出世した人に出世してない人が「お前俺のこと無能だと思ってるんだろ」って言って、出世した人が「えっ?」ってなっているのと同じ構図だと思う。
ボクはなになにうんたらという事を正確には知らないいやそもそも知っているってことさえ分からないみたいなやたらと無知の知強調する奴ってなんだよはいはい謙虚アピール乙と言わせてもらうぜ別にな他人が議論してるのをな人間が狭いわっかの中で傷つけ合うのを静かにみてるーって思うのはいいんだがなわざわざ静かにみてますよって言う必要はないじゃんそれ静かにみてないじゃん喋ってるじゃんそーいうやつは「大人は忙しさを理由に思考停止してる」「なんで生きるのかとか幸せってなんなのかよりよく生きるにはどうすりゃいいのかも考えず政治をごちゃごちゃやるなんて滑稽」みたいなことを得意げに語ってる子供に多い気がするおれのことだよくそっくそっおれのことだよなんてなんでおれは書いてしまったんだろうバックスペースを押したい気もするしでもこういうだらだらした句読点のない文章を書くときには文章が長いほうがだらだらかん出るかなみたいな理由でこのだらだらをだらだらdaradaraみたいなみたいなmitainaていうか「ていうかー」っていう話の切り出し方をすると「なんて俺は若者若者してる若者なんだろう!!」なんて女の子女の子してるみたいな形容で自己嫌悪することが頻繁にありますみたいなこの「みたいな」とか「的な」なんてもう!でもでも〓〓的って言葉をよく使う人結構いるよねこけこっこーこういう人になんか名前をつけたいねなにも思いつかないねあふろあふろうんぼぼうんぼぼ
みたいな×8+なんて×5=47
そうそう5年ぐらい前から「自分が楽しんでるとき自分は他人も楽しんでるように感じてるけども実はそんなことないんじゃないか?!」なんていう脳内革命がどどんと起こったんですけども最近はthat以下のことを思いましたはい「自分の発言は自分にとって全く明晰で自然なものなんだけど実際は全然真意と違った解釈されるような文章なんじゃないか?!」そして究極的には相手が自分の真意を理解しているのかどうかなんてわかりっこないのだーなんてねへへへー全ての会話はひとりごとー理解し合ったふりをするー理解されてるふりをするーみんなで嘘をーつきましょおーもう恋なんてしないなんて言わないなんて歌わない