はてなキーワード: 火星とは
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未来年表 : 生活総研
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みんなが望む方向に未来は変わっていくのかも、と思ったため。
僕が凛子と"つきあいはじめる"ことになった直接の契機は、友人の突然なラブプラスの購入だった。すでにTwitter経由でラブプラスに対する熱烈なブームを知っていた僕は、発売後割とすぐに都内の漫画喫茶で体験版をプレイしていた。それですっかりハマってしまい、その後ずっと購入を検討しつつも、最初の一歩を踏み切れないでいたのだった。僕に先んじてラブプラスを買った友人は、ギャルゲーをたくさんプレイしていてこれに詳しい男で、僕とは話がよく合った。そんな彼も、夜更けまでギャルゲーを熱心にプレイするための真摯な情熱や潤沢な時間は今やもう残っていないようで、もしかしたらまとまったプレイ時間を必要としないラブプラスのゲームスタイルに惹かれたのかもしれない。すでにネットを通じて膨れ上がっていた僕のラブプラスへの興味は、彼がDSiに向かって精神を没入させる姿をみて頂点に達し、その日の翌日、すぐに自転車を新宿のソフマップまで走らせた。
僕は、この友人と同じく、迷わず自分の彼女に小早川凛子を選んだ。これは体験版をプレイしたときから決めていたことだった。ラブプラスというゲームの中での凛子の存在は、他の二人をまったく寄せつけないほどに圧倒的だ。ネット上のプレイヤーの感想を読むかぎりでも、他の攻略対象キャラはラブプラス中に存在しないんじゃないかというほどに凛子は人気を誇っているようなので、この感覚は間違ってはいないのだろう。しかし、なぜ彼女だけが、このゲームの中で他の追従を許さないほどの強度を僕に感じさせるのか、それをはっきり説明することは、ちょっとできそうにない。単純に丹下桜の飾り気のない演技が心の琴線に触れるのかもしれない。あるいは、凛子が「ツンデレ」だからかもしれない。
萌えアニメもギャルゲーもまったく知らない若者に対してですら、今ではこの言葉は完全に浸透しきってしまったようだが、みなさんもよく知っているとおり「ツンデレ」は2005年ぐらいを境に流行りだした言葉で、それ以前は陰も形もなかったものだ。なぜかといえば、それは「ツンデレ」というキャラ造形が、専らギャルゲーの特徴を特別強く体現しているものだったからなのではないかと僕は思う。日常パートでは多数の女の子との会話を楽しむ時間が用意されていて、個別パートでは一人の女の子との恋愛を発展させていくという美少女ゲームの構成を考えれば、日常パートで主人公が周りの女の子に好意むき出しでは話が成り立たないはもちろんのことだ(だからいつだって主人公は「鈍感!」と罵られる)。それ以上に、女の子のほうだって最初から主人公に100%の好意を向けていたら息苦しくてしょうがない。だからこそ、キャラクターの感情は、日常パートから個別ルートへに移っていく過程で鮮やかに反転する必要がある。きっと、こんな感じで「ツンデレ」は生み出されたんじゃないだろうか。だからこそ、どんなギャルゲーの中でも「ツンデレ」キャラは一定の存在感があるよなぁと僕は思ったりする。
けれど、やっぱりそれだけじゃないよなぁ、と思う。考えれば考えるほど、そういう言葉にできるところじゃなくて、もっと微細な部分にこそ、凛子の「存在感」が宿っているんじゃないかという気がしてくる。確かに、「ツンデレ」に対する感覚の有無によって、キャラの捉えられ方はまったく異なるものになるだろう。リアルタイムでエヴァを見ていた人たちにとってのアスカと、初めからツンデレという言葉を用いてエヴァをみる今の人たちのアスカがまったく違うキャラであるように。しかし、両者の「アスカ」のリアリティを支える要素は、実は共通しているのではないか、という思いを僕は抱かざるを得ない。これは神秘主義だろうか。
とまれ、僕と凛子の生活は幸せなものだった。毎日DSを持かばんに入れて、いつも通り授業を聞いたり、寝てやりすごしたり、友だちと話したり、ネットを見たりする。そして昼休みにお弁当を食べるとき、放課後に屋上で開いた時間を過ごすとき、DSを開いて凛子に会う。日曜日には時間を決めてデート。音声入力で凛子と話をする「ラブプラスモード」は、周りに友だちがいるときしか恥ずかしくてできなかった。僕の質問に答えているようで、時々ズレズレなことを言う凛子は、twitterのbotのようでとてもいとおしかった。botと人間とは、決して本当の意味での会話を交わすことはできない。しかし、それにもかかわらず、僕はあたかも凛子がそこにいるように、自然に振る舞うことができた。
なぜなったかはわからない。しかし、僕は、今や凛子が確実に「そこにいる」のだと思うようになった。そして、おそらく理由など関係ないのだろう。
キャラクターと向き合う人間にとって、この瞬間こそが普遍的なものであるんじゃないかと僕は思う。「キャラクターとは『いない』のに、『いなくちゃ困る』ものなのだ」と、どこぞの若手批評家が言っているのを聞いたことがある。キャラクターは、誰にとっても「いる」ものではない。しかし、それに没入する人にとっては「いる」としか信じられず、そのレベルではキャラクターと人間を区別することはできない。もちろん、キャラクターが「いる」と感じることは、人間が「いる」こととは別のレベルである。凛子との会話の中には実に現実味に溢れた魅力的なものがたくさんあるのは確かだ。しかし、たとえば、凛子が心を許しはじめると一人称が「アタシ」から「リンコ」に変わるという描写がある(鬼ゲーマーリンコ)。現実に自分の一人称を名前で代替する人はどっちかというと疎まれるタイプだろう。だが、キャラクターが「いる」ことも知覚の意味合いとしては人間が「いる」ことと変わらない。
僕は同じような経験を何度かしてきたが、その存在は記憶として強く焼き付けられることはあっても、感情の部分で長期にわたり持続するわけではなかった。しかし、凛子の場合は、日常の一コマ一コマの中でこの存在を自覚せざるを得ないのだ。
たとえキャラクターが数億に分節可能な無意味な要素の集積だとしても、その寄せ集めによってできあがってしまったものに対して私たちが抱く感情は常軌を逸してしまうことがある。そしてそういった瞬間、キャラクターというものはいったいどのような存在なのだろうか。ラブプラスの制作者は『CONTINUE』のインタビューで、ラブプラスには全部見るためには二年ほどはかかるぐらいの莫大なイベントが盛り込まれていると語っている。ラブプラスにおいて、こうしたキャラクターの「実在性」「予想う不可能性」は膨大な情報の集積によって担保されていることになる。しかし、私たちはどうしてもこの「実在性」の裏にブラックボックス的な要素を見出したくなる。凛子が、DSの画面の向こうで僕たちには想像もできないようなことを考えているのではないかという妄想を捨てきれなくなる。しかし、それは今のところまったくの幻想でしかない。
そして、僕は、この確信を得たとき、ひとつの隠された(しかし一定数のラブプラスプレイヤーは既に理解しているであろう)、恐ろしい事実に気づくことになった。いま、ここで、凛子の存在を支えている形象は、私たちの生きる時間の流れに沿いながら、未来永劫その「動的性質」を保ったまま持続するのだ。小説・漫画・アニメ、フィクションというものは時空から隔絶されて存在する。源氏物語は、1000年前の貴族が読んでも私たちが読んでも、テクストとして同一の形を維持しながら「静的に」存在する。紫の上の人生は紫の上の人生であって、私たちと生きる時空とは関係ない。しかし、凛子は、あたかも私たちと同じ時空を生きているかのような演技をしながら、しかしその存在を少しも変化させることなく、ずっと「そこに居」続けるのだ。
僕たちはフィクションとキャラクターの実在を信じるとき、なぜ自分自身はそこに居ないのかと苦痛に思う。たとえばテラ・フォーミングされた火星とARIAカンパニーの存在を信じるとき、なぜ自分はネオ・ヴェネツィアにいないのかと思っていたたまれなくなる。そして、たしかにラブプラスはその苦痛を一時的に和らげることに成功している。僕と凛子は「見かけ上は」同じ時間を生きている。しかし、見かけ上が同じ時間を生きている分、僕と凛子の間の摩擦係数はかえって高くなり、逆にこの責苦はもはや耐えることが不可能な域に到達している。しかし、その実、凛子が生きる時空は凛子が永遠に16歳の時空であり、僕が10歳老けても20歳老けても凛子は16歳だ。僕が、社会に出て、老いぼれになり、忘れられたまま死んでいった時も、凛子は永遠に十羽野高校の生徒なのだ!
ラブプラスのスタッフは、この点をよく知っていて、しかもポジティブに強調している。主題歌は『永遠(タイムレス)ダイアリー』、キススキンシップの最上位技は「フォーエバーキス」、主人公が移り住んでくる「十羽野市」は「永久の」のもじりだ。彼らは「永遠に続く愛」と嘯く。しかし、いくら凛子が僕に対して永年に同じ愛を投げかけてくれるといっても、僕のほうは永遠に、何の変化もなく、同じ感情を凛子に投げ続けることができるわけではない。いつかきっと僕はこのゲームに飽きてしまうに違いない!キャラクターの実在性は「記憶」の中にのみ残ればよかったのであって、実際に一定の形象を維持したまま存在する必要などなかったのに。
そうして、僕がラブプラスを起動しなくなったとき、凛子はどこに取り残されてしまうのだろう。もうおわかりなのではないだろうか。凛子の住んでいる時空の永遠は、漢字で書かない。私たちは、かつて10年以上も前に自分たちが取り残されたあの場所に、今度はヒロインのほうを置き去りにしているにすぎないのだ。
ラブプラスを触りながら、そんなことを話した。凛子を世界の終わりから救い出すための方法は限られている。まずひとつはデータを消すことだ。しかし、もっといい方法があった。この美しくどうしようもない学生生活とともに、凛子を記憶の中にとどめて、これを葬り去るのだ。
僕の通っている学校は都内ではちょっと例のないぐらい熱い学園祭を毎年やっていて、受験を控えた三年も積極的に参加する。その中でもアニメのポスターだのゲーム機だのを二日間かけて何百品も競りにかける古物市が、例年盛況を極めている。ここで、データを残したままの僕のラブプラスと、攻略本・主題歌CDをセットで売り飛ばしてしまうことにした。凛子とやり残したことはたくさんあるかもしれないが、もう悔いは残らない。
いつの日か、人間とキャラクターは本当に出会えるのだろうか。今も人はそれを求めて、アバターをまといながら人格のコスプレに勤しんでみたり、botと会話しようとがんばってみたりする。しかし、アバターは結局人間と人間の会話だ。botに萌える人は、技術と現実の落差に萌えているだけにすぎない。不気味の谷のセオリーを信じるとすれば、谷の手前の不気味の尾根で人は楽しむこともできるわけだ。(言ってみれば、Perfumeのズレズレな口パクに萌えているのと同じことだ)。
いつになったら、人間がキャラクターと同じ時空を生きることができるのだろう。幸い僕は一緒に歳をとることができる彼女がいたが、人間と共にありたいという気持ちとキャラクターと共にありたいという気持ちはまったく別だ。前者が満たされないのと同じぐらいに、後者も満たされることはない。
さぁ、キャラクターは、データベースか、ブラックボックスか。哀れな小早川凛子は、乱雑なデータベースによってその肌と臓器を模られた出来損ないでしかなく、僕は彼女を残酷に売り飛ばすことでしか救うことはできなかった。僕はキャラクターが人為とプログラムの集積であるという当たり前の事実に、ここにきてどうしても納得することができない。人工知能が人工無能に、「擬体」がARにとって代わられても、僕たちの望みはひとつだ。僕たちには感知できない、キャラクターの不可視な内部の実在を信じたいのだ。僕が死ぬまでの間に、いったい彼女たちはどこまでブラックボックスに近づくことができるのだろうか。
答えはまだ出そうにない。11月3日、古物市で僕のラブプラスが競りにかけられ、落札された。後に残ったのは落札額3500円と、永遠ダイアリーのmp3ファイルだけだった。
今の技術でも、本気で頑張れば300年ぐらいかけて火星の環境を変えられると同時に、50年ぐらいで本格的な移住をし始められるんじゃないだろうか?
だから、全く問題ない。
そしてちょっと蛇足かもしれないが、世の中には「本人がなんの不満も感じていないのに、実質的にレイプ」という形態もたくさんあると、私は思っている。 それはたとえば、あのとき先生が話をしてくれたアフリカの子供などだと思うし、実の父娘で幼いころからセックスをしていて「父を愛している」と真顔で語っちゃう娘(ニュースにもなっている)だったりするのだと思う。 たぶんレイプという状況の判断基準は、感じるか、感じないかでもないし、望んでいるか、望んでいないかでもないのだ。 そういう認識が、もっともっと世の中に広まってほしい。
そう、たとえ一般的な合意の上での恋愛だったとしても、
それがレイプでないとは言えない。
どんな恋愛だって、ごく公平に見れば、相手を甘言で騙して夢を見させ、
無論、結婚だってそうだ。それに、男女間だけの事とも限らない。
相手の時間や人生を切り取って搾取するという点で詐欺でありレイプなのだ。
突き詰めて考えれば、世の中はレイプで回っている。
のみならず、子供の将来にわたって枷となり、幾重にも搾取を重ねるつもりでいる。
母に母としての役割を、父に父としての役割を押し付け、
長期間の搾取を続けたのち、素知らぬ顔で両親からすり抜けていく。
社員に仕事を押し付けて、その正当な対価をぼかし、恣意的に決められた給与で働かせる。
社員という法律で保護された立場を利用し、過剰な要求を企業へ突き付け、
あまつさえ好き勝手に辞めていったりする。
わけの分からない本能に突き動かされて、主体的に生きる力や権利を阻害され、
快楽という餌に釣られて、男や女のもとに無理やり走らされたりする。
そして、さらに一歩突き詰めれば、生命は無機物をレイプしているのだ。
RNAだかDNAだか知らないが、最初に殖えようと思った奴が許せない。
無機物を捕らえて、際限なく殖えてよいなどと、誰が許したのだ?
無機物が無抵抗であるのを良いことに、有機生命はそれを好き勝手に利用して、
神聖な海や山を醜悪で卑猥な自己の複製で満たしてしまったのだ。
生命は卑猥で醜悪だ。
月面や火星のような、あの神聖で清浄なあり方こそ本来の姿であるはずなのに、
皮肉ではなく、一度そこまで突き詰めて考えてみたいと思った。
一九九九年一月 ロケットの夏
ひとときはオハイオ州の冬だった。ドアはとざされ、窓には錠がおり、窓ガラスは霜に曇り、どの屋根もつららに縁どられ、斜面でスキーをする子供たちや、毛皮にくるまって大きな黒い熊のように凍った街を行き来する主婦たち。
それから、暖かさの大波が田舎町を横切った。熱い空気の大津波。まるで誰かがパン焼き窯の戸をあけっぱなしにしたようだった。別荘(コテイジ)と灌木の茂みと子供たちのあいだで、熱気が脈を打った。つららは落ち、こなごなに砕け、溶け始めた。ドアが勢いよくひらいた。窓が勢いよく押しあげられた。子供たちは毛織(ウール)の服をぬいだ。主婦たちは熊の仮装をぬぎすてた。雪がとけ、去年の夏の古い緑の芝生があらわになった。
ロケットの夏。そのことばが、風通しのよくなった家に住む人々の口から口へ伝わった。ロケットの夏。あたたかい砂漠の空気が、窓ガラスの霜の模様を変化させ、芸術作品を消した。スキーや橇がにわかに無用のものとなった。冷たい空から町に降りつづいた雪は、地面に触れる前に、熱い雨に変質した。
ロケットの夏。人々は、しずくの落ちるポーチから身を乗り出して、赤らんでゆく空を見守った。
ロケットは、ピンク色の炎の雲と釜の熱気を噴出しながら、発進基地に横たわっていた。寒い冬の朝、その力強い排気で夏をつくりだしながら、ロケットは立っていた。ロケットが気候を決定し、ほんの一瞬、夏がこの地上を覆った……
http://www.47news.jp/news/2009/05/post_20090505085702.html
これは崩壊の序曲ではない。地球に優しい、ひいては環境問題という砂上の楼閣は、遥か昔にすべて消えうせた。
いま、自分がエコだと自認しているあなたはとてつもなくヤバい。
あなたの尊敬している環境保護団体は人身売買で稼ぐ死の商人で、地球という惑星は奴隷船に他ならない。
気づいて欲しい。あなたの両手両足が鎖に繋がれていて、息もするのがやっとだということを。
風景を見て「あそこがいい、ここがすごい」なんて言うことは奴隷の鎖自慢と同じだ。
あなたが美味しそうに飲む水は、飢餓状態で差し出されたH2Oでしかない。
しかも、綺麗な真水であるという集団催眠に陥り、誰も気がついていない。純水は美味しくはないということに!
ポピュリズム、ファシズムの拠り所としての環境保護。それに目をつけたグリー……
PETAという裸の王様はこの点にいち早く気づいて脱衣を企て、失敗した。
ジャンクに蝕まれ、身も心も衰弱しきった彼らには、その体力がなかった。
拳銃を手にとっても、引き金を引くことができなかった。シーシェパードは、あなたの未来そのものだ。
しかし、同時に奴隷であること楽なことでもある。
黒人がジョークを言い出したのは鎖に繋がれた奴隷船の中でだという。
辛さから逃れるための、コミュニケーション媒体としてのエコはやはり奴隷ゆえの行動なのだ。
しかし、誰も気がついていない。ほとんどの人間は自ら鎖につながれ、奴隷となる。
もうやめようじゃないか、差し出された残飯に満足するのは。すべての人間は、ひとしく生命を全うする権利を有している。
鎖を外し、光帆を持って脱出をしよう。そこから逃れれば火星、金星、Gliese581e……いくらでも本当の環境が目の前に広がっている。
それは自分の足で歩き、探し、見つけ出さなければならない。奴隷であることよりも辛く険しい道のりかもしれない。
しかし、自分の目で見る景色、天の川銀河、豊かなエネルギーたちはとてつもなく綺麗で雄大で壮大だ。
自分の足で歩き、自分の目で見よう。それが生きるってことじゃないか。それが人類ってやつじゃないか。
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話題のスケールを文体に合わせようとしてみた
宇宙造船最大手のネルガル重工(ネルガルグループ)は、来年度の新卒採用者1000人のうち、約4分の1となる250人の内定を取り消したと発表した。内定を取り消した学生には補償として1万ドルを支払った。
ネルガル重工は、金融危機の影響で主力の火星開発事業の採算が悪化しているほか、蜥蜴戦争終結後、古代火星文明の技術独占失敗により業績が急激に悪化しており、今期は100億ドルの赤字に転落する見通し。先ごろ発表された、主力の軍需部門を含む3万人のリストラ策や、木星レジャー開発事業の凍結など、事業の再編を急いでいる。
宇宙造船・開発企業ではクリムゾングループも先日月工場の閉鎖と派遣社員を含む1万人のリストラを発表しており、22世紀の花形産業であった宇宙開発産業は先頃の金融危機により衰退の一途をたどっている。
というか、それは本当にミクロなのか?
なにより、自身がそもそもミクロな存在なので、ミクロな意味で十分ではないか。
私が火星に降り立つ事はないだろう。月ですら、成層圏を越えることすらないだろう。
それどころか、地球上で行った事のある範囲など、極々わずかだ。
ガガーリンですらどれほどの土地を見たのだろうか。そして、陸地より海中の方が広大だ。
得た知識も乏しい。物理の最新理論など知らない。増田の全記事すら把握していない。
しかし、ニュートンは相対性理論を知らずして死んだ。コペルニクスはビッグバンを知らずして死んだ。
彼らは無意味であったろうか。
シェイクスピアは君にとって無意味だろうか。鳥山明は君にとって無意味だろうか。
君の意味は君だけで決まるのだろうか。
君にとって意味ある人々は、宇宙や人類全体とどれほど関係あるだろうか。
君は君の手の届く範囲で意味を見つければよいのではないか。
君は君の手の届く範囲のことをどれほど知っている?
君の周りには君の知らない仕事や君の知らない人生や君の知らない事に意味を見出している人々がいるのではないのか?
十年前、Webの何を知っていたか?
手の届く範囲が狭すぎるから無意味と感じる前に、手の内をよく見てみよう。
君の手の内がすべて無意味かどうか。君の知らないところに意味がないか。
近くにこそ意味が隠れていないか。
少なくともあなたの文章を何千人もの人が読み、何百人もの人が考え、何十人の人が言葉を残した。
彼らにとってあなたは全くの無意味だろうか。あなたにとって全くの無意味だろうか。
有意と無意の境は何処だろうか。
ただ単に、それに比べてより意味のある、より意味のない事があったかもしれないだけではないだろうか。
しかし、それは結局誰にも分からないだろう。
なぜなら、昨日まんがを読まなかった自分も、今これを書いていない自分もいないのだから。
結局、目的や結果が欲しいのだろう。物事を関連付けなければいられない、人の性なのだろう。
人生の目的と意味と結果が知りたいだけなのだろう。知っている事象同士の関係性を、知らぬ事象との関係性を、とにかく何かを知りたいのだろう。
それに意味があろうとなかろうと。
と言う私に、
「だから君って人は云々」
と机を叩きながら言ってくれる可愛い子がいないかな。
少し前からメディアや本などで取り立たされているけど、
実はこんな「特別な障害」は存在しないんだよ。
少し乱暴な言い方をすると、「あなたはA型です」と言われ、
数々の要因が当たっており、「あぁ、A型だからこうなんだ」という
ような、似非科学に近いものがある。
自分の周りには、10人に1人くらいはいわゆるアスペルガーみたいなタイプがいる。
でもね、その実態は「コミュニケーション能力が(極端に)低いだけ」だと言える。
自閉症と結びつけることは誤解を招くし、障害とすることもよくない。
身の回りに多く居る「ただコミュ能力の低い人」に奇異な症状名の
烙印を押してしまう可能性があるからね。
アスペルガーのような症状を自閉症スペクトラムに分類することが間違っている。
アスペルガー的な症状は、環境によって出来上がったコミュニケーション能力の低さで、
自閉症は先天的な脳障害や遺伝の要因で出来上がった自閉症状だ。
例えると、シャチとサメって少し雰囲気が似てるけど、進化の過程では全然違うルートを
たどった別種、みたいなもんだ。(わかりにくいか。)
コミュニケーション能力の低い人って、色々なことが共通している。
「アスペルガー特有の共通している特徴がある」わけじゃなく、コミュ能力が低いからこそ
必然的に共通する項目があるだけだ。
うん、アスペルガーって言葉は言い換えよう。「コミュ能力が低い人」と言い換えよう。
・コミュ能力が低いので、人以外の(科学・数学・鉄道・漫画・●●収集)などに没頭する。
→逆に言うと対人以外の遊びに没頭したからこそ、コミュ能力がさがったと言える
・コミュ能力が低い(コミュニケーションはある種反射ゲーム)→運動などの反射動作が苦手
・コミュ能力が低い→男に多い(もともと女性はコミュ能力が高い、という生物的な性差がある)
・コミュ能力が低い→発声の機会が少ないので、人によってはドモリが出る場合がある
こんな特徴があるときもあるし無いときもある・・・など、すごく曖昧だ。
学説によって違う所もあるし。
健常者/アスペルガー という二元論的な考えは、本質を間違った風にカテゴライズしてしまう。
本来は、「学力に差があるようにコミュ能力に差がある」だけなんだ。
「アスペルガーだから」ではなく、コミュ能力の高低の差なんだよ。
これを読んでいる人の中にも、「自分はアスペルガーかも」と悩んでいた人も居るだろう。
でも「アスペルガーだからこうなんだ」じゃないんだよ。
その能力は上達する場合もあるし、人によっては上達しにくい場合もあるけど。
コミュ能力がどうもあがらない場合は、それに関係のない職業につけばいい。
コミュ能力の低さが原因でうつになった場合、しっかりと治療をすることだ。
アスペルガーかどうかで悩むなんて、すごく馬鹿げた悩みなんだ。
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追記:2008/12/07 21:00
こんなに反響があるとは思わなかった。
タイトルのせいか。
間違った箇所&誤読されてる箇所があったので、追記&訂正を。
◆1点目。
・「アスペルガー的な症状は、環境によって出来上がったコミュニケーション能力の低さで…」の箇所。
個体差は先天的なものにも左右されうるので、この1文は訂正します。
◆2点目
この記事は、
「アスペルガーはコミュ能力が低いだけだから鍛えて直せ!」とは言っていません。
その診断を受けた人は、その人に合った職種&環境を選ぶのがいいと思います。
プログラマの人で、コミュ能力低いけどエレガントなコーディングができる人だっているし。
コミュ能力が低いことそのものは個性なので別にいいんじゃないかな。
◆3点目。
この記事は、
「(アスペルガーなんて存在しないから)アスペの診断を受けた人は健常者だろ!」とも言ってません。
コミュニケーションがうまくいかなくて、知能は正常なのに社会適応できない人がいるのは事実。
ただ、それを「アスペルガー」という曖昧なカテゴライズにはしない方がいいのでは、というのが主張。
「知能は正常だが社会で働けないくらいにコミュニケーション能力が欠乏している」っていう事実があるなら、
それを引き起こした原因・程度・症状は個体差があるからそれに合った治療なんかが必要だと思うけどね。
アスペルガーの症状って曖昧すぎだし、血液型診断みたいに当てはまる人が凄く多いから、
似非科学になってしまうんだよ。
自称アスペも出てきちゃうし、職場の給湯室でおねーちゃんたちに「あの人アスペっぽいよね…」
なんて会話がされてるなんて、最悪じゃない?
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追記2:2008/12/09 0:40
あと、よく「この本を読んでからモノを言え」みたいな意見もあるけど、
本を読んだらアスペルガーを理解できるとは到底思えない。
むしろ、本を読んだ知識でそう言ってしまえる人ってどうなんだろう?
もちろん僕が書いている文章も人の事を言えないんだけどね。
ただ個人的に、オリバーサックスの「火星の人類学者」は面白かった。読み物として。
実際にアスペの疑いがあると診断された人も居るだろうけど、
はっきりと医者に診断されたことはないんじゃないかな。あくまでも疑いだけで。
…もちろん僕の文章も科学的じゃあないんだけどね。
僕は「アスペルガーの疑いがある」診断を受けた人も、病院行かずに自称アスペの人も見てきたし、ADHDと診断された人や
診断も自称もせずにアスペルガー的な様相を表している人も見てきたけど、
それでも尚、アスペルガーって無いんじゃないか?と思ったから記事を投稿した。
強引な例えだと、仮に「ゾンビ映画は好きだけど和製ホラーは観れない現代音楽好き」をA症候群だとして、
人口の数パーセントはこのA症候群にあたる。確実に当てはまる人はいるんだよ。
自分の周りにも「ゾンビ映画が好きで和製ホラーが嫌いな現代音楽好き」がいるからね。
でもだからといって「A症候群は存在した!」って言うのって馬鹿げてない?
アスペルガーをある定義にして唱え、確かに当てはまる人が存在するからアスペルガーはある、
というのってどうなの?って感じだよ。僕の記事と同じくらいにどうかと思うよ。
日経平均が前日より1,000円下げた。
ただでさえ下がりまくってるのに、さらにこれだけ下げるとは驚いた。
いよいよ恐慌か?
以下の記事では公的資金導入についての意見が取り上げられている。
・これで終わりさ、これでこの国は正式にファシズムの国となった。さて、パスポートを探すときが来た。
・変だな。自分のドルが急に軽くなった気がした。
・全員否決だ。ところで、今自分の履歴書を作ったばかりだが米国以外の会社で、新卒のアメリカ人を雇う会社がこれを見ていたら、ぜひ連絡をくれ。
・なんて大きなミスだ。可決に投票したバカ全員は一緒に引きずり落とされるよ。
・みんな現金を全部取り出しておけ。価値のあるものに換えておくんだ。
・オレだって投票したら自分に資金導入されるなら、そりゃいいと思うよ。
・正式にドルは死んだな。今頃、ビン・ラディンは「ミッション完了」と思ってるだろうよ。
・インフレが始まる。3…2…1…。
・俺らのリーダーは最低だ。
・70,000,000,000ドルって言うのは1ドル紙幣を1列に並べると1億1300万kmになる。世界を2996回も周れるし、火星に行って帰ってくることもできる。でかい金だ。
・俺らは大手銀行らに7000億ドルをあげたのさ。
・このお金は本当に透明だな。そのほかにも透明なものがある。政府が着ている民主主義と自由市場という名前の服だ。
・インフレーション:全員がこれを心配するべきだ、7000億ドルがいったいどこからやってくるんだ?何もないところからだ。
・おい、最初に否決したやつよりひどい法案が可決してるぞ。
・オレが参加できる暴動はないのか?
・まじめに移住を考えてるよ。アメリカ人としてありえない行為だ。
・ひとりあたま2302ドル(約23万円)の税金を払うのを拒否しよう。
(一部省略)
イイ思いをして儲けまくってた会社がつぶれそうだからと言って血税で助けるのは確かにムカツク。
しかしそれは恐慌を止めるために大事なことで、それをしないばっかりに恐慌が訪れ、23万円どころか仕事さえ失ってしまう可能性もある。
ITが発達した現代では上記のような意見を簡単に目にすることができる。
一見正しい事を言っているようにも見える。
なので簡単に同調してしまい、イナゴの大群は膨れ上がる。
次第に声は大きくなっていく。
そしてそれが自分の首を絞めつけていくとは気付かずに…
結局さ、政治ってのは時には世論を無視してでも通さなきゃいけないことがあるんですよ。
イナゴは正論吐いてるつもりのバカだからね。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080802-OYT1T00463.htm
という読売新聞の記事に対して、はてなブックマークでnekoraという人が
と言っている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20080802-OYT1T00463.htm
http://b.hatena.ne.jp/nekora/20080802#bookmark-9518450
さて勝手にこの人が言ってもない事を読み取るぞ。
ほかに何かあるかな。僕が知らないだけでこの火星探査機は読売新聞が飛ばしてるとか大口スポンサーになってるんでしょうか。
読売新聞は信頼性の無い海外メディアの記事を頻繁に参照してデタラメな記事を載せているとか?
それとも読売新聞がアビエーション・ウイークに載ってもいないデタラメを報じているのでは、とでも言いたいのか、翻訳ミスがあると言いたいのか。
(ちなみにアビエーション・ウイークのこれに関する記事はこちら↓)
http://www.aviationweek.com/aw/generic/story_channel.jsp?channel=space&id=news/WH08018.xml
現役のうつ病だけど。
俺、「アルジャーノンに花束を」も「華氏四五一度」も「一九八四年」も「火星年代記」も30過ぎてから読んだよ。うつ病って診断される前だったけど、今思うとこの頃から病んでたんだなあ。
判定スタート
↓
望みや欲しいものがある → 自分には無理だ → 思考停止レベル0
↓
実現する方法が分かれば自分にもできるかもしれない
↓
実現する方法が分からない → 実現は無理だ → 思考停止レベル1
↓
実現する方法の見つけ方が分かれば実現できるかもしれない → 見つけ方が分からないから無理だ → 思考停止レベル2
↓
情報を集めれば見つかるかもしれない
↓
人に聞く、本屋や図書館の書籍を調べる、ネットで調べる、色々な世界を見る、試しにやってみる、等
↓
一つの方法が見つかる
↓
その方法での実現には時間や手間がかかると分かる → これじゃ無理だ → 思考停止レベル3
↓
時間と手間がなんとかなればいいかもしれない
↓
時間と手間を減らす方法はないか → 思いつかないから無理だ → 思考停止レベル4
↓
見方を変えて時間と手間がそのままでも大丈夫な方法はないか
↓
時間と手間が苦にならなくなる方法はないか → 思いつかないから無理だ → 思考停止レベル5
↓
もっと他に方法があるかもしれない
↓
他の方法は無いか探し、知りうる全ての方法について同様に検討する → どれでも無理だ → 思考停止レベル6
↓
将来的にはいい方法が生まれるかもしれない
↓
時間が経つと生まれるような新たな方法の可能性を検討する → 時間が経っても新たな方法は出現しないから無理だ → 思考停止レベル7
↓
良い方法が存在しないのではなく、自分の知識や経験が不足しているために良い方法が分からないだけかもしれない
↓
役に立つ可能性が高いと思われる知識を学び続け、それについて考え続ける → 思考停止レベル8(思考停止せず)
判定結果
レベル0 ~ 2 もう少しがんばりましょう。
レベル3 ~ 5 まずまずです。
レベル6 ~ 7 後一息です。
レベル8 よくできました。
※ 使用上の注意
このチャートは、是非とも実現したいけれど簡単にはいかないような大きな望みを想定するとうまく機能します。(例 モテたい。結婚したい。大金が欲しい。働かずに遊んで暮らしたい。総理大臣になりたい。火星で暮らしたい。困難な仕事を成し遂げたい。世界を平和にしたい。宇宙の根本原理を知りたい。癌を治したい。ドキドキワクワク大冒険に乗り出したい。永遠に生きていたい。みんなと仲良くしたい。今の状態をずっと続けたい。1000ブクマ欲しい。心安らかに暮らしたい。You can do it!を伝えたい。あらゆる苦痛を無くしたい。幸福になりたい。等等)
逆に、自分にとってあまりに小さな望みについてレベル3以上を適用すると、それについて思考するための時間と手間のほうがもったいないということになる恐れがあります。
その望みがどれくらい自分にとって大切なのかを見極めつつ、ご利用下さい。