はてなキーワード: 再帰性とは
自分のことそう思っているかは別として、「顔がいい」と言われることがある。そして、まぁチヤホヤされたりすることもある。そしてそれをうらやましいと思う人がいる。うらやましいと思わないにせよ、調子に乗っている、と思う人がいる。
でもこんなにルッキズムが騒がれている世界で、顔がいい(とされている)人間が自分の暴力性について考えないわけがないだろう。むしろ、確信犯的に暴力的になっている。確信犯的に、調子に乗っている。
その再帰性、引き裂かれが重要なんじゃないのか。だって自分の顔の良さの暴力性に直面した時、人はブサイクになるか、死ぬしかない。それ以外に自分の暴力性を解消できない。存在してるだけで暴力になるんだもん。
だから本当は自分の顔の良さの特権を利用することは卑しいことなのはわかってるんだけど、死ぬわけにはいかないし勝手に利用「されてしまう」ので、もういっそのこと「利用している」ように振る舞う。それが一番正直なやり方だから。
でも今度は異性の側からまた、「自分のことかっこいいと思ってる」とか「囲われてチヤホヤ」「キャッキャうふふ」とか言われる。
別にわかってもらえなくていいけど。同性諸君、ルサンチマンを溜め込んで「調子に乗っている」とかいうのはやめてほしい。異性諸君、最初に私の顔の良さを利用・消費しようとしたのは君達だ、責任とってくれよ。顔がいい人間は別にそんなに馬鹿じゃないよ笑。同時に僕はルサンチマンをため込んでしまう人の気持ちはあんまりわからないけど。
(問題提起)結婚以外にも再帰性という考え方が浸透しているのではないか?
第三節のなかに「再帰性」という言葉がある。本書によれば、再帰性とは「ある行為なり制度なりを『別なふうにもできるのではないか』という観点から眺める態度」と説明されている。この観点に通じるものとして、山田昌弘は結婚しない若者たちの現状を取り上げ、「もっといい人がいるかもしれない症候群」と名付けた。「この先もっとよい人があらわれるかもしれない」。現代において、現在の事柄はより見通しのよい未来を獲得するための手段にすぎないのである。「再帰性」という言葉は広い範囲で応用されうる、強力な思考である。山田昌弘は、現代の結婚観のなかに「再帰性」を見て取り、鮮やかに示してみせた。しかし、「この他によりよい未来が待っている」という、主体の今いる現状を顧みない、いわば運命に身を委ねるような考え方は、結婚に限らず恋愛において多分に散見される。<承けて繋げる>(結婚にかぎった話ではない。恋愛において、よく散見されるものである。)(たとえば、「告白」を考えてみよう……)(「告白」というテーマに照準を合わせたものの、上手い事例がでてこない。もう少しやりやすいものはないか?類似しているものはつぶしがきく。「別れる」という動作に着目してみよう。)(輪郭がぼんやり浮かんだ!!でも、書き出すとなると苦労する。それは往々にして範囲が広く、抽象的であり、実感しにくい事柄である場合である。だから範囲をしぼる。身近な例を思い浮かべ、それをそのまま書く。)
(検討)
『『『→たとえば、恋愛における「別れる」を考えてみよう。別れるという行為には、分かれるに足る決定的な理由が存在することが少なくない。しかし、時として、これとは異なる理由で別れることがある。順調に交際を重ねていけば、いつかはマンネリとなる。(マンネリになるよ!)二人が二人でいることに、慣れてしまう。(慣れてしまい停滞する。)(停滞している状態になる)(マンネリとは〜〜)停滞期には、些細な出来事が火種となる。(二人の関係が不安定なものになるとき、楽しかった思い出は、これまでとこれからを天秤にかけ、私たちに選択を迫る。<説明を加え過ぎ。抽象的な説明は2段階にとどめる。3つ目はくどい>)「このまま、関係を続けていって本当にいいのだろうか。」困難を見事乗り越えることができたならば、二人はめでたく、ーーおそらくは信頼が以前にも増して強固となってーー次の段階へ進んでいく。しかし、この問いに対して、「次へ」
(書くしかない!)』』』
(煮詰まっているときは一つの主題を掘り下げようとするあまり、論旨をどのように展開していくのか見失っている。文章を書き進めていくときは、水平性を意識して垂直に掘り下げる。ある思考にたいして、分析するさいは垂直方向だけ意識していればいいが、論文やレポートのような長文にたいして、同様な態度で臨むと、思考が煮詰まる。頭がぼんやりとして、手が動かない。捗らない。この状態は、集中力が途切れたのではなく、一つの物事に偏執して全体が見えていない状態である。いわば、過集中である。)
(主張)
ただ一緒にいれば楽しかった、順風満帆な時期は過ぎ、停滞期に入る。『これから二人の関係をどうしていこうか』と考える時期になる。(所詮は)他人である二人の人格の衝突を、乗り越えていけば、二人の関係は以前にも増して親密なものとなるだろう。しかし、厳しい状況を乗り越えていく気概が持てないことがある。「もっといい人を見つけよう」と早い段階で見切り、(何の確証もない)確証がない明るい未来に全身を賭ける。(安易に)現在の関係を断ち切り、次の交際相手を見つけることができれば、万事良しである。本当にそうだろうか。このような身のこなし(方)にはいくつか問題がある。
〜〜剥き出しの主張は過激で偏屈であるから(主張に至る経緯)(妥協)を鏤めて、なめらかにする。主張は正しいか誤りかで判断するのではない。より説得力を持った文章が、受け入れられるのである。〜〜
(検討&主張)
〜〜何をどのように書くか?テーマと意見の設定、検討-過程の設定〜〜
(テーマ)
恋愛における付き合う、付き合わない
(問い)
仲がよいのに、どうして付き合わないのか?
女はわかる、男は?
Tupper's Self-Referental Formulaは、2次元で描画されたときに、自身を可視的に再現するような再帰性をもつ式であり、Jeff Tupperによって定義された。
Tupper's self-referential formula - Wikipedia, the free encyclopediaより超訳
「つまり、タッパーの再帰公式のような式になるような数式の条件が求まるんだ」
「そんな馬鹿な!!だいたいグラフは人間が見て初めて数式だとされるんだぜ」
君は思わず反論する。増田の発言はどう考えたってナンセンスだ。ところが増田は我が意を得たりと「その通り」。指を鳴らして、君を指さす。仕草がいちいち気に食わない。彼は続ける。
「ところが数学的に厳然たる方法で条件を求められる。つまりだな、数学が我々の認知体系を仮定なしに記述できたんだ。物理なんかとは違う。形而下の世界に対して形而上の数学を押し付けるのでない。人間は本来形而上の存在なのだと示されたんだ」
増田は、不信をあらわにする君に構わない。多少、歩調を早めたようだ。
「ケイオスに対して人間の認識体系が意味を与えコズモスを築くのではない。バベルの図書館には、どんな言語体系に於いてもどんなルールを課しても意味をなさない完全にランダムな文字列が含まれるんだ。今、まさに我々は」
いいながら、増田は、ちょうど目の前をドアを開け放った。できすぎた演出に苦笑しつつ、部屋に入るとそこでは70年代の漫画にでてくるようなコンピュータが、テープを吐き出していた。君の疑惑は、ますます深まる。増田は、君が圧倒されるという期待が裏切られて、言葉を継げないでいたが、気を取り直し
「…タッパーの式の条件を一般化してね、あらゆる文字列のうち意味をなすものだけ出力させるようになっている。今のところ、例外なく完璧に意味の通るものしかでていない。見たまえ、これは『じゃじゃ馬ならし』の一節、これに至ってはツァラのナンセンス詩だ…」。