社会学に修辞的な要素が大きく、また国ごと、分野ごとにお作法が大きく違うのは事実だと思う(だから、他国のジャーナルにはその国の言語に堪能なだけでは出しにくい)。
ただ、「個人の体験談や感想」を書くことが論文だ、ってのはちょっと違う。
むしろ、そこから出発して、それを突き放して客体化する、みたいなプロセスがあると評価される。
そのやり方で「異化効果」「否定的弁証法」「脱構築」「再帰性」みたいな表現がされる(それらが「どう違うのか」という説明も、分野や流派のお作法があると思うけど、ざっくり言えばみんな同じことを言っている)。
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文芸なら文芸でもいいけど、それ学者じゃなくて文筆業だろ。