はてなキーワード: ガイドブックとは
いるいる。「あなたのプランはいやなんだけど、理由は言わないし代替プランもない!」って人。
彼女のそういうとこ見て冷めたりしない?
今回は、別に「前に行ったことあるから別のところ行きたいなー」でよかったのにね。
誰とって聞かれたって「友達と」でいいじゃん。言わないのはいかんだろ。
自分は友達を切りました。
絶対自分ではプラン立てないくせに、あれイヤこれヤダって否定しかしない。
じゃあ何がいいのよっていうと特にないという。
じゃあ何がイヤなのよっていうと特にないという。
それならさっきのでいいじゃんというとそれはイヤなんだもんという。
それが毎回毎回毎回なので、ぶち切れて終わりました。
高校の同級生で、切ったのは二十代半ばだから、そこそこ我慢したと思う。
で、その場での延命策。部屋は1つだったんだよね?
そしたら、お風呂に入るとかコンビニに買い物に行くとかで席をはずしたらどうだろう。
増田は「煮え切らない苛立ち」の気持ちからクールダウンできるし、
彼女は「追い詰められた」気持ちから逃れられる。
彼女にはガイドブックとかネットとか与えておく。よさそうなところ探してみてって言う。
もしくは、宿の人に聞いてみる。ここに泊まった人がよく行く観光地とかありますか?って。
旅行記を探してみるのもいい。意外な穴場があるかも。
これから増田ができることとしたら、
・自分主導の場合は、できるだけ事前に了解を取る。(苛立ち防止)
続けるつもりなら、たぶんこの先も、彼女に都合の悪いことは泣いてごまかそうとするので、
それに耐えられるだけの精神力を養うのだ。がんばれ。
■転載
「許せない日本人」 http://bit.ly/cNZ4Fc
海外に出ると、私もそうだが日本人だと何故か無条件で信用してしまって、初対面なのに貴重品を預けたりしてしまう。
それに、目をつけて日本人を騙す日本人もいる。トルコでも現地人の手先となって、日本人を騙して高い絨毯を売りつける日本人女性がいた。
さて、個人的に一番許せないのは現地人とすぐ寝る日本女性である。おかげで、日本人男性はよく馬鹿にされる。
いわく、なんで日本人女性はあんなに簡単なんだ。いわく、俺は日本女性何十人としたよ。いわく、俺は日本女性に何十万貢いでもらったよ。
もちろん、誇張していう奴もいるが、実際そういう日本女性は多い。旅に出た開放感からか、以外とおとなしめの子がはじけてしまう場合がある。
または、婚期の逃した30代も多い。というか、そういう人達をカモにしようと狙っている輩が多い。
出会ったばかりの外国人と簡単に寝て、お金を貢ぐ。バリ島、イスタンプール、カイロに特に多い。
特にトルコではなんまたもかけられて、そろって貢がされている女性が数多くいた。両方とも遊びなら貢ぐのも勝手にしてくれ、という感じだが、
トルコ人は完全にお金と体目当てであるが、日本女性は本気なのである。でも、彼女達は自分達が騙されているとはまったく気がついていないのでたちが悪い。
日本に会いに来てくれるので信用している人も多いが、彼らは全員から航空券代を送ってもらっているので、日本に行くとお金がもうかるのだ。。
彼女らは二人組みで旅をしていた。カイロからアスワンに行く途中、
列車の中で出会っただけのエジプト人男性二人組みとカップルになって部屋に一緒に泊まった。
翌日、ウエストポーチがない事に気づき、彼を問いただすと、お前の友人のバックを調べろ、と言い出す。
そんな所にあるわけないと抗議するが、彼がしつこいので調べてみると、彼女のウエストポーチが出て来たそうだ。
だが、現金11万円は消えていたと言う。彼に文句を言うと、お前の友人が盗んだんだ、と言い張ったそうだ。
そして、彼女が聞いてきた。
「それで、今一緒にいるんだけど、どうしたらいい」
「え、なんで、一緒にいるの!?」
そこにいた誰もが驚いた。
なんと、彼女達はその彼らと一緒に戻って来て、今お茶している所だと言う。
なんで、一緒にいるの、と尋ねると、そうよね、とげらげら笑う。
みんなが心配してアドバイスをするが、まだ笑っている。
すぐに警察を呼んだ方がいいと言うみんなの意見に従って、彼女は警官を呼んでお茶している現場へ駆け込んだが、
その二人はすぐに逃げてしまったそうだ。
「彼らの名前は」
「知らない」
「知らない」
こんな調子の上、彼女らは取り調べの時にもへらへら笑っているのものだから、警官達はあきれて帰っていってしまった。
みんなが彼女達を心配したが、11万円なんてどうでもいいわよ、と言っていた。
次の日、彼女達はまた知り合ったばかりのエジプト人と遊びに行った。
余談だが、外国人なら誰でも使っているガイドブック、ロンリープラネットの昔の「日本」版には、
日本女性は白人男性を見ると、自分から食事をごちそうしてくれてホテルに誘ってくる、とまで書かれていた。まさに国辱ものである。
最後にこういうタイプの女性の何が一番たちが悪いかといえば、誰かが注意をしようものなら、
http://anond.hatelabo.jp/20100324034034
の元増田です。
追記の形にしましたが、流れてしまったので改めて投稿します。
大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生にカルチャーショックを与えるようなものを感じた?
ご質問有り難う御座います。
カルチャーショックは感じると思います。
私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。
たとえば、ニューデリーの繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、
南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ
を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る
人々も各所でみられます。
交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バス、メトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良
で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイクの家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ
もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所
によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン
フラは維持できないことがよくわかります。
交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と
細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで
毛布にくるまっている人がたくさんいます。
ホテルもバックパッカーのドミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い
ます。大都市と地方の格差も大きいです。デリーとムンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした
(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。
街のにおいやレストランやホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも
羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリも日本の都会ではほとんど見ないのではないで
しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド
人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本のインドレス
トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘
かったんだと思います。
日本は規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が
します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会
が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな
いかと思いました。
インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら
れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニアや大学生とも話しましたし、
海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の
審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。
観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル
は写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も
あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ
てみないと、テレビや写真では、その感覚はわからないと思います。
インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない
ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。
私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカードが
使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック
パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国内旅行に比べれば安く利用できるので、
どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。
試験的な試みとしてやってみます。
今夜22時までに寄せられたトラバに答えられるものだけ回答します。
追記
大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生にカルチャーショックを与えるようなものを感じた?
ご質問有り難う御座います。
カルチャーショックは感じると思います。
私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。
たとえば、ニューデリーの繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、
南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ
を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る
人々も各所でみられます。
交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バス、メトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良
で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイクの家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ
もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所
によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン
フラは維持できないことがよくわかります。
交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と
細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで
毛布にくるまっている人がたくさんいます。
ホテルもバックパッカーのドミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い
ます。大都市と地方の格差も大きいです。デリーとムンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした
(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。
街のにおいやレストランやホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも
羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリも日本の都会ではほとんど見ないのではないで
しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド
人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本のインドレス
トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘
かったんだと思います。
日本は規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が
します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会
が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな
いかと思いました。
インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら
れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニアや大学生とも話しましたし、
海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の
審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。
観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル
は写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も
あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ
てみないと、テレビや写真では、その感覚はわからないと思います。
インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない
ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。
私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカードが
使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック
パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国内旅行に比べれば安く利用できるので、
どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。
男ふたり。
たしか青春18切符だった。
「なあ、18切符でどっかいかない?」
「え? いいけど、涼しいところがいいな。どっかある?」
夏だった。
「裏磐梯とか、考えているんだけど」
それを聞いたとたんに心が弾む。うきうきして鞄を探す。
「なあ、今からでれる?」
「当たり前じゃん」
そうやって、大宮から東北本線に飛び乗って、ふたりで車窓をぼんやり眺めながら、算段する。途中下車できるから、喜多方まで行ってラーメン食うか、一応ガイドブック買ってきた、お、用意周到じゃん。
「なんか探しておいてよ、任せるよ」
そういってぼくは車窓を流れる畑と建物を見る。送電線を見る。びゅんびゅんと遠ざかっていく東京をただ眺めていると、ふしぎと心が軽くなっていく。暗い薄曇りの街を飛び出して、陽が差す田舎がものすごい速度で流れていくのをただぼんやりと、片肘突いてペットボトルのお茶を飲んでいると陽が差してくる。
「なんかさ、都会って暗いよね」
「あ? あー、ビル多いからな。このへん何もないから」
そうか、太陽を遮るものがないからか。
がたごとびゅんびゅんそれは実に爽快だった。
それが始まりだったか、ぼくは何か暗く雲がわいてきたようなときには、いつも電車に飛び乗る。どこでもいいから場所を決めて、朝早く起きて電車に飛び乗る。それで、自分の住んでいる街から一時的に避難する。
長距離列車はいつもご機嫌で、陽の差すところを突っ走る。
まばらな建物の中を、都会の私鉄に慣れた人間には驚くほどの距離を、あっという間に走ってしまう。
それであっという間に目的地にたどり着く。
新幹線はもっとすてきだ。
宇都宮だろうが、高崎だろうが、三島だろうが、浜松だろうが、ぼくは新幹線に乗る機会があれば、それを逃さない。
改札をくぐって、重厚なホームへ行けば、そこには八戸や山形からの新幹線が滑り込む。スキー客やら、帰省客やら、馬鹿でっかい旅行かばんを抱えた飛行機組やらの間を抜けて、その広いシートに腰を下ろす。
ぐんぐんとした加速が始まり、街が遠ざかっていく。
通常ではあり得ない速度で、ビルがびゅんびゅん駆け抜けていくのを見ているだけでいい。自然に心が弾み始め、爽快な気分になっていく。時速三百キロで移動するのは実に心が弾む。
いやなことなんて、そのビルと一緒にどっかへいく。
きっとこうなんだとぼくは思う。
ぼくは長距離列車で、曇った自分の街を逃げ出し、陽の差す所へ行き、そして超高速で新しい自分の街へ帰ってくるんだって。行って帰ってくると、一皮脱皮した、別の街になっているだって。
そう書いて気付く。
やはり曇っていたのは、街じゃない、自分なんだ。
「ウェブカレ」は、エントリーを上げるとあっという間に高ブックマークを
ゲットしてしまう、はてなでは有名なはまちや氏プロデュースということで
興味をそそられ、会員登録した。
「ウェブカレ」の舞台は高校である。「ウェブカレ」をやっていると
自分の高校時代を思い出す。
私(♀)は新設2年目の高校に通っていた。入学した時は3年生はおらず、
体育館もプールも無く、高校と周囲の畑を隔てるフェンスも無かった。
希望と自由の風が吹いていた。
中学までは伝統とプライドでぎゅうぎゅうに締め付けられた学校に通っていた。
学業成績の悪くなかった私は進学校を受験してもおかしくなかったのだが、
それが出来なかったのは内申点が著しく低かったから。学校が強要してくる
不条理な伝統に、徹底的に反発した。
だから尚さら、私は自由な高校生活を謳歌していた。
そんな中、四年制大進学を希望し、成績もトップクラスだった私は、
自然、教師の期待を背負うことになった。
年3回ある実力テストの結果、学年上位50名の名前は毎回、昇降口の掲示板に
貼り出された。素敵ボーイズの一人、綾川竜士よりも私の名前はいつも上位にあった。
2年生の夏、私が掲示板を見ていると、人だかりの最後尾に立っていた人たちが
「あ!8組の(私の名前)さん、また入ってる!」
彼女たちは私の顔は知らないのだ。
私は恥ずかしくなって、その場を逃げるように立ち去った。
またある時は、クラスメートときゃあきゃあ騒ぎながら階段を昇っていたら、
背後から「あなたが(私の名前)さんですか!」
振り返ると4組の担任教師。私たちの学校は校則で、上履きのかかとに
名前を書くことになっていた。
私はいつしか特別扱い(補習、個人指導等)されることを当たり前のように
受け入れていた。だからあの日、10組の担任教師でもある生物の先生に
研究室に呼び出された時も、特段驚きもしなかった。
先生は受験向けの問題集を紹介してくれた。私はそれをメモった。
先生が、やはり四年制大に進学するつもりなのかと聞いた。
私はたぶん、はいと答えたと思う。
「俺のところへ、嫁に来るっていうのはどう?」
唐突な先生の冗談を、私は「それは無い!」と笑い飛ばした。先生も笑った。
10組の全員が祝福し、教室は手作りの花でデコレートされた。私は
「私にあんなこと言っておいて、先生、結婚するんじゃん」と思った。
「ウェブカレ」素敵ボーイズの一人、綾川司はただ一人、教師という設定。
かっこ良くて優しくて、女生徒に人気。
いつも温かく生徒を包む大人だが、時にドキっとするほど男性を意識する
発言をする。そんな危険な発言をしておいて
「驚かしてしまいましたか、すみません」と微笑んではぐらかす。
弟の竜士はそんな司を
誰にでも優しくするくせに本命には本心を言えない「デレツン」だと言う。
素敵ボーイズのオリジナル・ノベルが掲載されている。ノベルの中で
司は生徒に恋心を抱いてしまった苦悩を吐露している。
本気で私を好いてくれていたのではないかと…。
見合いの話が進み、自分の気持ちに踏ん切りをつけるために、
あの日私を呼び出して、不自然なプロポーズをしたのではないかと。
考えることすらできない子供だった。
司のノベル、最後の二行を読んだ時、それまでこらえていた涙が
抑え切れずに頬を伝った。
http://anond.hatelabo.jp/20091217224219
つづき。
「なんでまた、そんなところを」
ぼくはガイドブックから視線を上げて、うれしそうにする彼女を見る。
彼女はラオスのガイドブックを開き、ぺージをめくりながら、つぎつぎ指さす。
「やっぱりメコン河ですかね。特にこのシーパンドーン、四千の島という意味だって書いてありますし、あとはボーラウェン高原、すごくきれいなところなんです。さっきFlickrでチェックしたら、みんなバイクで。やっぱり取らないといけないですかね、免許」
ぼくはぽかんとする。
「あー、いや、1人あたりGDPとか、総人口とか、交通の便とか、そういうのを調べないと。それじゃあ、観光目的だよ」
はっきりと言う。
彼女のいまの夢は、観光目的でラオスに工場を建てるということ。
一見すると私益と社益の混同ではあるのだが、社益を私益にFIXさせることが出来るようになると、あんがい会社勤めは悪くないと思い始めたようだった。
「ラオスをバックパック旅行したいと思っていたんです。でも、それだといろいろ心配しないといけませんよね? でも工場建てて、そこに派遣されれば、全部解決だって気付いたんです」
なんとも途方がないことをうれしそうに言う。
確かに製造業は生産拠点を東南アジアに工場を移転しており、その中でもラオスの特に南部は穴場ではあるのだ(北部は中華系が占拠している)。いまは無理でも、3年後ぐらいなら、けっこうよい投資環境が整っているかも知れない。
「ね? いい考えでしょう?」
「え、ああ、筋はいいかも……」
「だから、いまのうちからラーオ語勉強しなくちゃ」
「はあ……」
こんなことをわざわざ言い出すまでもなく、多くの日本人は会社の夢と自分の夢を重ねることにより夢を実現させている。それが出来るようになれば、リスクは会社に背負わせたまま自分の夢を実現することが出来る。
彼女のようにそれがたとえ観光目的であったとしても、それが社益とFIXされれば、そのような夢や情熱を持つことは推奨される。
そのために同僚と夢を話し合い、共有し合い、仕事をこなして認められ発言力をつけ、いくつものプロジェクトを成功させ実力をつけなければならない。会社が夢を見ないなら、そこに自分のビジョンを植え付ける、たきつける。会社に絶望したのなら実績だけ作って、自分を別の会社に高く売りつける。
なんともたくましい。
半年ほど前、彼女がしきりに仕事を辞めたいと言っていたのを思い出す。
もう何度目かの作戦会議のあと、まだぐしゃぐしゃになってぼくのところに投げ出されていない別の案件で行き詰まっているらしく、彼女は言う。
「わたし、もうこの会社やめたいんです」
「え? なんで?」
「はあ」
「それに、子供の頃からの夢があるんです、わたしデザイナーになりたいんです」
それはよくある現実逃避で、ほとんどの場合上手くいかないことは保証できるのだが、彼女の場合、それが根深いように思えた。
「みんながなりたいものに、生活を掛けてしまうと、とってもつらいですよ?」
「ああ、よく聞く話ですね。競争者が多くて誰もがなりたいところは自然に過酷な労働環境になるって」
「作家なんかだと、たいてい仕事を持っていて、作家業が軌道に乗るまではその仕事をつづけるのがほとんどですし。本業の年収の倍を作家業で稼げるようになってから、作家業を本業にするなんて、よく聞く話で、それに」
ぼくは、言うべきか、言うべきでないか迷う。
それに気付いた彼女は、視線で続きを促す。
それなりに痛いことではあるのだ。
「本業にしてしまっていたときがあったんです、プロのカメラマンだったんです、昔」
ぼくは、彼女に話す。
進学校に入りながら、大学受験をやめてカメラの専門学校に入ったこと。それから、先輩のつてをつたってプロの端くれになったこと。下積み時代は長くて苦しくて、それでもある分野ではそれなりに認められるところまでは行ったこと。しかし、生活は激務で荒れ果て、収入は底辺に近いところだったこと。
それを彼女は静かに聞く。
「それで辞めたんです。先行きも暗いし。これをつづけても意味がないって」
彼女は首を傾げる。
「なんで辞めたんですか? カメラ」
「いえ、辞めたのは、カメラで生活することで、カメラは辞めてません」
ああ、なるほどと彼女は頷く。
「ぼくはカメラは好きだけど、カメラで生活することは好きじゃないって気付いたんです。実際のところ変わらないんです、カメラで生活していようがしていまいが、カメラすること自体は何ら変わらない。それが仕事である意味はないって気付いたんです」
「それで製図屋さんに?」
「ええ、この業界はニッチなんです。みんなきっとずっと製図ばかりしているのは退屈だろうと思うんです。なので高給で、仕事が楽で、専門性が高くて、安定しているにも関わらず、あまり多くの人がなりたがらない」
ぼくは笑う。
「そのとおり」
彼女が遠慮がちに聞く。
「どんな写真を撮るんですか?」
「え? ああ、自然が多いですかね。アマゾンとか一度撮ってみたいかなぁ」
結局のところとぼくは思う。
誰もが思いつきやすい夢というのは、非常に環境の厳しい実現しても不幸になりやすい夢であると。そこにあるレッドオーシャンを目指すよりは、誰も気付いていない未開のニッチのブルーオーシャンを目指す方がいい。
しかし、そんな南の楽園への道は紆余曲折が待っていて、それを探すためにそれほどハードではない仕事とのダブルスクールをすることは悪いことではないと。むしろ、そっちの方が、自分の可能性が多様になり、レッドオーシャンの血みどろの戦いに振り回されることなく、自分のやりたいように出来るのだと。
レッドオーシャンの嵐の中では船はコントロールさえ失ってしまうが、誰もいない大海原では、自分が取りたい進路を選ぶことができると。
そして、多くの日本人はもっと楽ちんな、会社に自分の夢を実現させるために、会社と自分の折り合いをつける選択をしているのだと。
いままさに、彼女がしているように。
「というわけで、ラーオ語覚えてくださいね?」
「え?」
「だって、そうですよね? うちの会社がラオスに工場を建てたら、製図屋さんも派出所をラオスに作らないと、契約あるんだし。そのときあなたが派遣されるためには、ラーオ語が話せるのはあなただけという状況になっているのが、望ましいんです」
「はあ」
なんとも、深慮遠謀な話だ。
「しかし、ラーオ語って、なんともニッチな」
「だからこそ、ブルーオーシャン、でしょ?」
ああ、それでラオスかと得心がいく。ラオスにほんとうに工場が建てられるかどうかはともかく、その夢のために情熱的に生きれるのであれば、それはよいことなのだ。
「計画にはぼくも入っているんですか?」
「え、だってあなたがいないと不便なんです、いろいろと。それに、あなた、わたしのことどう思っているの?」
伏し目がちに聞く彼女を見て、ぼくはどきりとする。
さんざんに曖昧だ、曖昧だと揶揄されてきただけに、その曖昧さを維持したいのだということは言えそうになかった。
たとえば、結婚してもいいというと、結婚のネガティブな面に意識がむき、それはどうかなと思い始める。同じように、恋人になりたいというと、恋人が出来たときのネガティブな面に意識がむく。
彼女はきまぐれだから、そのきまぐれに、その言葉の定義が合わなくなったとき、たとえばその気まぐれには恋人であることが不都合であったとき、その関係性を疎む、という性質があるのだ。
なので、彼女のきまぐれにいつでもつきあえるように曖昧にしておく。
ぼくはとてもストライクゾーンが広く、そして彼女はボールゾーンがおもいっきり広い。
なので、なるべくそのボールに球を投げないように、細心の注意を払う。
でも、ほんとうのところはそんな他人が作った言葉の定義は、いわばレッドオーシャンで、ぼくと彼女だけにしか適用できそうのない、ニッチなブルーオーシャンを探したいと思っている。
それはいったいどういうものなのかというと、それはぼくにも分からず、そのときどきに都合のよいように、彼氏にも、友達にも、相棒にも、変化するなにかだと思うのだ。
ときには問題を解決したり、ときにはいっしょに遊んだり、ときには恋愛物質に翻弄されたり、ときには抱きしめたり。
ようはぼくは彼女と一緒にいたくて、いろいろなことがしたくて、そこには好きという気持ちも、愛しているという気持ちも、一緒にいると楽しいという気持ちも、悪ガキのように作戦会議をするのも楽しいという気持ちも、彼女のあらしの側にいるとこっちも活性化するのでうれしいという気持ちも、ごっちゃになって含まれている。
「ねえ、どうなんです?」
「ラーオ語、覚えます。ひょっとしたら会えなくなる可能性を消しておきたいんです」
「また、曖昧」
彼女は不機嫌そうに眉をしかめた。
(それはきまぐれなあなたに合わせるためなんだけどなぁ……)
それでも、彼女はよしと意気込み、ラオスに工場を建てる計画の推進をはじめる。
その姿があまりにも眩しくて、ぼくはそれに見入ってしまう。
彼女の飛躍するような自由奔放なあらしの側にいると、こちらまで、もっと高い理想と夢を追わなければならない気になってくる。
彼女は停滞を嫌う。
それがぼくに向くときに、うわ、頑張らなくっちゃとなるのが嬉しかったりするのだ。
(しかし、ラオスか……、途方もないなあ……)
今日電話で白衣関係の友達と話していたらつい盛り上がってネットでいろいろ調べてみた。
どこまで正しいかわからないが、情報による新型インフルエンザ対策に興味があるひとがいたら読んでみて欲しい。
予備知識として、
といったあたりがあります。与太話と思うならそれも結構です。
以下、会話した個別の項目に出来るだけ裏取りをしたものになります。
インフルエンザワクチンが足りない分は海外から輸入するから大丈夫!とか言ってるが
やっぱり日本が輸入すると途上国の分を横取りすることになるみたい。。
糖尿病患者など重篤化による死亡の危険性がある患者はともかく、
あれも結局お金で列に割り込むやり方と批判されていたみたいだね。
こちらは自助努力できるものじゃないけど。
じゃあ出来るだけ若い人、とくに自力で直す力の強い
若者にどうやって症状に対抗してもらえるか?
こういうのに国が補助をつけたほうがいいのかは微妙だけど、
ワクチン作るだけが能じゃないんじゃないかって話。
これは海外の話。
タッグを組んで最後の結果に出た賭けだったらしい。
最初は度胸か根性かとおもったが、これも立派な「知識のワクチン」だったみたい。
いくら緊急だからといってもインフルエンザワクチンは保険治療の対象になるため、ずさんな処理による
不正請求や言い値での治療費請求が行われている可能性も疑わなければ不健全。
もしそこに搾取があるなら、来院による感染や来院パンデミック回避をする意味でも、
検査を保険の対象外にするとか、検査方法が簡単なんだから院内での「検査」で
保険点数つけさせないで妊娠検査薬みたいに一般販売したら?ってかなり大胆な
ディスカッションにもなった。
これに関しては現役の医療従事者のブログしか見つからなかったので
肝心なところはわからないのだけど・・・
これによるとなんだか結構検査に不確実性があり、例えば市販の
妊娠検査薬のようにくっきり判断するのは難しいもよう。
インフルエンザがどんどん進化することで、判定キットで偽判定が
出たり、出るべき所で取りこぼしが出たりするとなると、
市販はなかなか難しい・・・のかも。
これは何日か前の報道ステーションで見た話。ただあまりにも古舘キャスターが
自信満々にこの策を推薦するんで、懐疑的に思ってしらべていたら、
やっぱり同じように怪しいと思った人がいたらしい。
これについてはこんな分析があって、
バイアルで製造した場合で、これを10ミリリットルバイアルで製造すれば、
検査にかかる時間が10分の1で済むため、その分、多く作れると。」
これが正しければ年度内に用意できるワクチンが、
1800万人分から3000万人分になるそうです。
「ただ、バイアルは一度開けると使い切る必要があるため、
これはどういうことかというとつまり、マルチバイアルの
管理状態が悪いと、別の集団感染に繋がることもあり、なかなか難しいみたい。
1ml バイアル・・・個別に摂取出来るが効率が悪い
10ml バイアル・・・集団で摂取するため集団感染につながる
でも国も国で10mlのマルチバイアルも混在させながら
生産するとしているらしく、それでやっと1800万人分
なのだとしたら、これは飛ばしかもしれない。。
それだったらあの自信満々はなんだったんだろう。
無い分日本より計画的に進めている部分もあるらしい。
もらえるらしい。
「米国では、州ごとにワクチンの計画がされており、すべての州でワクチンを供給する計画を立てています。ワクチンは病院や学校以外にも薬局や職場など私的な場所でも受けられる準備をしています。米国(テキサス州)でユニークなシステムとして、マクドナルドとの提携があります。ワクチン接種用の車が特別に用意されて、マクドナルドの駐車場でワクチン接種が行なわれます。 子どもがマクドナルドでワクチン接種を受けると、ワクチン接種後のご褒美としてアイスクリームがもらえます。」
満たしておくことで、薬や体力以外の部分、対策のこころ
がまえのところにワクチンを打とうというものらしい。
210円というのはおそらく原価に近いはず。
自宅での看病の仕方など個人ができる対策を具体的に掲載しているらしい。
実際にメディアに利用されている部分もあるだろうけど
こういった通年の危機をずっと前から訴えてきたのは
すごいことだと思う。
昔冷戦時代、アメリカとソ連が協力するには宇宙人が攻めてくるしかない、
なんて与太話があったが、インフルエンザウイルスに対する災禍は
敵としては最悪の存在。
それにはやっぱりワクチンという物理的兵器(しかも特効薬ではない)や
しっかりした個人備蓄の方法をおさえておくなどの環境面や
個人での対策が必要なんだと思う。
ないわけで、より身近に守れるものがあるのならその手段を
社会の中で支援し合い、個人単位で対策を打ったって損はないと思う。
マスクだけあればいいやなんて考えは転売屋を儲けさせるだけだから、
そのへんは惑わされないようにしたいとこですね。
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英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
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(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
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通巻第2703号
もう我慢ならん。
「気持ち悪い」
何が気持ち悪いか、まず事典の行き過ぎた情報集中管理が気持ち悪い。
例えば、ブリタニカ。例えばタウンページ。
なんでもかんでも情報を集めて把握できるようにする、確かに便利だよ
でもさ、面白くネーの。「日常」が。経験する前に、分かった気になっちゃうから。
あ、話それるけど、リアルで「辞書引けばわかることは聞くな」とかほざく博覧強記(笑)がいたら直ちに首を吊ってほしいなぁ。
んなこと分かってら。情報だけ知りたいんじゃねぇよ、おまえとコミニュケーションがしたいからお前に聞いてんだよ。
空気嫁よ。血の通ってない博覧強記(笑)乙。とうとう魂まで辞書に載ったんだな
親「せみとり行こう」
子「じゃ、ガイドブックで場所とつかまえ方をくわしく調べてくる!」
こんな会話がもうリアルにありえるわけ。「伝聞でも一緒だろ?」と思う人もいるだろうが、全然違う。
伝聞なら、故郷、暑い日とか結構アバウトだったから、漏れのエピソード語ると、夏のある日、朝早く起きてとーちゃんとカブト探ししてなかなか見つからないことがよくあった。
クワガタが特に稀少だった。だから、やっと見つけたクワガタは本当に大事にしたよ。なかなか見つけられないことで、いろんな工夫を考える。
それだから見つけたときの喜びはひとしおだし、苦労してつかまえた生き物は余計に愛しかった。
一方本は町、番地、詳細な時間まで明らかにする。ここに何時に行けば「確実に」会えるという情報が手に入る。
本は「自分で考える」ことを妨害している。多様性(笑)の理解のために、見つける喜び、生き物を大切にする心を奪い取っている。これでいいの?
「調べれば分かることだから」と考えない子供が大人になって、いざ未知の問題に直面したときが怖い。
むしろ調べて分かんないことだらけということに気づけない、「調べれば何でも分かる」と考える子供を「タウンページ」とかは増やしている。
確かに本は道具で使い方次第だよ、でもその使い方を親たちが知らない、教えない。学校の話など素直に聞くのは田舎の小学生低学年までだ。
少なくともこの本の現状を子供には見せられない、というか見せたらイカン。
漏れに今何ができるか、ページ引きちぎって今日クワガタ探しに出かけることぐらいか。
それでいい。それでいいんだと思い込むしか今はできない。いまの出版物がわからない
税金じゃなくて、ポケモン株式会社と任天堂に頑張って頂く方向で。
道祖神サイズの石像なら1体100万も掛からないし土地代もタカが知れてるから、都道府県に1体とかケチな事言わずに、市町村に1体位の勢いで。
道祖神にDSのポケモン持って行くと、不思議な贈り物で道祖神と同じポケモンがゲット出来ます。
レアなポケモンはそれに相応に到達困難な場所とか、如何にもな場所に。
道祖神公式ガイドブックはポケモンセンターで販売しております。
公式ガイドブックに掲載されていない隠し道祖神はありませんので、無謀な特攻はお止めください(富士の樹海に道祖神はありません)。
3年位経ったら海外展開。ガイドブックも全国版(全世界版)に。
新聞奨学生になるつもりだったんだけど、色々ガイドブック取り寄せておかないとと思ってぐぐったら、新聞奨学生はなんかヤバいらしいことを知ってショック。
そんなにヤバかったのか??ネットの情報だからどこまで正しいか分からないけど…
学費も家賃もタダな上月数万はいってくるなら、親に全く頼らなくて済むし、学生としては万々歳だお!とか安易に思ってた自分て。
どうしよう……もう結構親もその気だ……
色々我慢してたことを大学はいってからやろうとか思ってたけど、なんかそれどころじゃないというか、本来の学業すら厳しいってそりゃないよ!
とりあえず勉強は続けるけど大学へそもそも入れるのだろうか?心配になってきた。
入ったとしてもその後大丈夫なのだろうか?
「後のことは考えても仕方ないから・不安になるだけだから」と思って今まで今の時点で考えても仕方ない事は考えずにいた。というか楽観視するようにしていた。勉強に支障が出ないように。
でもなんか今そういう不安が一気に圧し掛かってきた感じ。
一生独身で過ごさないといけないから、手に職つけないと女一人で生きて行けなさそうだし
なんか一気に怖くなってきた。今更?20年後、私生きてるのだろうか。
結局は使い方次第、そして、その便利さに世間が慣れるかどうかじゃないのかなー
たとえばストリートビューまで行かなくとも、地図を見れば、その町のガイドブックを見れば、
その町の地形や様子、建物の配置が分かったりする。
ググルマップの既存の衛星写真だってそう、ギリギリ停めてあるクルマや、
道からは分からない屋根の色・屋根の上に載ってるアンテナ等の様子、庭の配置などが
分かったりする。
人によっては、そうした「上から俯瞰しないと分からない情報」に嫌悪感を抱くだろう
けれど、時間がたって今の世になってしまえば、その嫌悪感が慣れになり、便利への妥協として
許容されてきてしまっている。
もし「○○への行き場所が知りたい」「○○の様子が知りたい」といった場合になったとき、
ググルマップでなくとも市販の地図を見るし、衛星写真から風景を察したりできる。
それと同じように、また、既存の地図にできなかった新機能として、
「○○の場所に行きたいけど、地図だと省略されたりゴミゴミしていて分かりにくい。
そうだ、駅から現地までの風景を予め確認すれば、もっと分かりやすいじゃない!」
という使い方をする場面になって考えれば、ストリートビューはたいへん便利だ。
世間がその便利さを知り、そして慣れてくれば、嫌悪感を抱くことさえ忘れてしまうだろう。
そしてまた、「便利」な一面があることを、知って欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080806004918
すげー参考になった。(まぁ俺は少なくとも後20年は盆暮れにやるコミケには縁のない人だけどさ。アーハッハッハ)
この心得、コミケに限らず行楽地やイベントに行く人は、結構言葉を読み替えればそのまんま適応できるんではなかろうか。
たとえば
あと金の件はコミケほど必須ではないけど、行楽地に行くときも万札ばかりでなく千円札に限らず小銭を用意しておいてくれると、おっちゃん大変たすかる。盆暮れ正月の行楽シーズンは銀行が止まって両替ができないから、普段の十数倍とか大量に用意してあるけど、無くなるときはなくなるので。そうなるとパチンコ屋にいって両替したりして強面のにーちゃんとかに目ぇつけられるのはあんまりたのしくないです……。(なにかトラウマがあるらしい)
コミケには参加したことがないし参加したいができないけど、一般的な行楽旅行やイベントの視点で補足すると
まぁこういう事を言い出したらきりがないのだが。いわゆる「備えあればうれしいな」というやつだ(違う
先日フィリピンへ行ってきた。海がやばい!
フィリピーナ目的の人も多いだろうけど、僕の乗った安いノースウェストはアメリカ人やフィリピン人ばかりだった。
じゃあまずは飛行機から書こう。
フィリピンの首都といえば、そうマニラ。一番安くマニラへ行けるのは成田発のノースウェスト航空の格安航空券。これは夜着なので慣れてない人は昼の便を利用した方がいいと思う。
今回は燃料サーチャージとか込みで5万円前半。7月後半まではもうちょっと安くなってるんじゃないかな。ただし、これにはマニラのニノイアキノ空港の使用料(出国時)は含まれてないので注意!750ペソとっておきましょう。
1ペソは大体2.5円くらい。物価は日本の1/2くらいの感覚。交通費は安くて(なんかオイル税がなくなる、みたいな記事を読んだけどもっと安くなるのか?)マニラの電車(LRT・MRT)は12ペソとかから。ジプニーは8ペソ。バナウエまでの夜行バス9時間で500ペソしないです。
ただマニラ空港のタクシーはたちが悪く、特に夜に着こうものならぼられないことがない。僕の中でワースト。下手をするとどこへ連れてかれるか分からない。
なので夜に着くならホテルにタクシーの手配をお願いしておこう。といっても空港クーポンタクシーのとこにはIDを下げた係員たちがいて、案外しっかりしてそうだったから、それを利用すれば怖がることはないと思う(僕は以前だまされたし、今でもぼったくりプライスでフィックスされてるけど)。
昼なら少し歩いて幹線道路に出れば流しが捕まえられるから、そしたら交渉で安くすませられる。
空港のあるパサイ市内なら100ペソ台で行けるはず。今回はそのパサイにあるカバヤン パサイの予約をしていった。
http://www.kabayanhotel.com.ph/pasay.htm
YouTubeに動画があがってるので見てみるとわかるけど、部屋とかはそんなに悪くない(窓の外は壁だけど)。
http://jp.youtube.com/watch?v=VjHLCWnrW_E
ただスタッフの対応は期待しない方がいい。何か質問してもシカトされたりテキトーだったり。およそサービスというレベルではないけど、まあフィリピンはそれがデフォルトと思ってればいいです。ちなみにフィリピンはチップいらないので。
このホテルは値段も安いけど、なにより場所がいい。空港(国際、国内、プライベートとも)に近く、すぐ隣がMRTとLRT(電車)の駅でマカティ方面へ行くにもマラテ・エルミタ方面へ行くにも至極便利。目の前にはアジア最大級(そうか?と思ったけど)のモールSM Mall of Asiaに行くジプニーも停まってるし、さらに長距離バスターミナルも集まってる。
ただ今回は世界遺産の棚田で有名なバナウエ(ガイドブックにはバナウェとあるがそれでは通じない)へ行くのにバスに乗ったのだけど、これはパサイから出てない。ほとんどはケソン市のクバオから出てるよう。KABAYANはクバオにもあるから、バナウエへ行くつもりならそっちの泊まってもいいと思う。マニラははっきりいって見るとこないから(ショッピングモールくらい)。
クバオはパサイから遠く電車も通ってない(多分)ので行きにくい。そこで歩き方にあったオートバスというバス会社を探すことにした。これはLRTで行けるキアポ(駅の名前は違う)の東にあるサントトーマス大学近くにある。ただ歩き方の場所から移転していて、そこからさらに10分ほど歩く。
ということで、やはり不便なとこにあるけど、バスターミナルの目の前をキアポ始点/終点のジプニーが通ってる。キアポのマーケットの東側にあるジプニー集結地が分かれば「オートバス!」とか言えば目的のとこで降ろしてくれるでしょう。ターミナルの目の前にミニストップがあって(マニラはミニストップが多くて驚いた)目印になる。
バナウエ行きは夜10時発。早く行ってもすることがない、かといって直前に初めて行くのも大変&危険なので、昼のうちにマニラのダウンタウン散策がてら一度行って予約しておきましょう。
メインは海だったのに、ここまでの情報だけで長くなってしった。続きは別で。
ジプニーはこんな乗り物です
http://www.flickr.com/photos/omsel/2316950732/
バナウエはこんなところです
台北に行ってきたので思ったことを書くよ。
自家工場を持っている店でお茶を買ったよ。結構いい値段だけど実にうまい。烏龍茶を見直した。
台湾の食事の店でテーブルにビールが載っているのは日本人の席と言われているのだそうだ。
ビールに対する税率が低いらしく、日本産ビールは日本で買うより安い。
スーパーでもコンビニでも酒の扱いは小さいので、家でも多分飲んでいない。
でも宴席では飲むらしいよ。
日がさすと暑い。が地元民はダウンジャケットである。全員が着ているわけではないけど。
そんなに厚着で無い人もいて、服飾の振れ幅が大きい。が、半袖はまずいない。
というか過ごさざるを得ない。薄着でビール好きではそこらのアホ外人のようではないか。
しかしながら、まさにアホ外人なのである。
白人も薄着じゃないのが腹立たしい。馴化してる。
ダウンジャケットを着る人がいても冷房。鉄道は冷房の有無で運賃が違うからか有無を言わさず冷房。
地下鉄も冷房。博物館も冷房(これは所蔵品保護かな)。台北駅も冷房。ホテルも冷房。
デパートは冷房してなかった。ホテルは安いところだと個室ごとに冷房を切れないらしい。
十分で刺された。台北駅にもいた。デング熱を媒介するので虫除け必須。
母が行きたいといっていた国だった。
英語の通じない国だった。むろん、母は英語などわからないのだけれど、
はじめての異国の街でも、ガイドブックを見ながらであれば、
地下鉄にも乗れるし、店で買い物もできる。おつりが間違っていたら、
抗議をすることもできる。
そういう世代であり、そういう性格なのだと思う。
母は異国の言葉にかなりとまどっていたけれど、
自分でも、あこがれの街で、
ちょっとした体験がしてみたかったんだろう。
買い物がしてみたい、と言い出し、
私からその国のお金を受け取って、少し先にあった店に、飲み物を買いにいった。
あっさり、ひとけた多くお金を取られた。お釣りをもらえなかったのだ。
私はそのことについて、母を必要以上になじってしまった。
文句を言うなら、外国人の店員に言えばよかったのに。
母はしょんぼりとして、ごめんなさい。ごめんなさい、と小声で繰り返した。
そして、もう何も買わないから、とも言った。
ことばどおり、母は何の土産も買わないまま、
旅行を終えた。
何度すすめても、何も買おうとしない母を、
何かのあてつけのように感じていた。
けれど今思えば、私のひとことで、ほんとうに気をくじいてしまったのだと思う。
あわてた様子で、なんどもなんども座席のまわりを探し回る。
機材が日本に着陸し、ほとんどの乗客が降りた後も、母はまだ時計をさがしていた。
予約したリムジンバスの時間もあったので、私はだんだんとイライラしてきた。
私は聞いた。その時計、いくらなのか。と。
3,000円くらいだ、と答えがかえってきた。
母はなんでも捨てないで、大事に取っておく癖がある。
そんな安物の時計、また買えばいいのに。私はそう思った。
思っただけじゃなく、くちに出して言っていた。
母は時計を探す手を止めて、わかった、と答えた。
だいぶあとになってから、その腕時計が
亡くなった祖父がずっと愛用していたものだと知った。
母の行きたかった国は、祖父の行きたかった国でもあった。
母は祖父の遺品を身につけていくことで、
祖父をその国に連れていけると、心を弾ませていたのだった。
私はほんとうにバカである。
以上、反省文でした。