はてなキーワード: ピーキーとは
・ピーキーでない者の欠落?は、同じくピーキーでない者によって埋められるのでは?(仮に5項目が5段階で(5,1,1,4,2)な人間を(1,5,5,2,4)が埋められるんなら、(3,3,3,3,3)は(3,3,3,3,3)で補完できるはず)
貴方、話の立脚点がずれてるぜ
というのも、貴方のこの意見においては前提として『イケメン(美女)』の定義を『平均的であることによって』ではなく、『完全的であることによって』為しているじゃないか
この時点で、『平均的な人間同士によって欠落を埋め得るか~』という議論は価値を失っているよ
違うんだよなあ
貴方がこれらの画像をイケメン(美女)だと思わないとしたら、それは単にこれらの画像が十分に平均的でないということなんだよ
もっと平均的な顔画像が有り得るということを理解しなきゃ
イケメン(美女)って何かっていうと、平均的な顔の持ち主のことなんだよね
つまり、平均的であるということは、遺伝子的に安定しているということでもあり、
人間の本能的に、そのような人間とセックスすれば子孫の遺伝子が安定すると思われるからこそ、イケメンはモテるのだ。
また、イケメンが何故モテるか、ということを簡単に説明すると、平均的な存在であるからこそ、誰からも必要とされるというワケだ。
つまり、誰しもにとっての需要を、平均的に満たすことができるからこそ、イケメンはモテるのだ。
恐らく、精神的なイケメン(美女)にも同じことが言えると思う。
しかし問題なことが一つある。
(精神的)イケメンは平均的だからこそ、無論欠落も備えている。
というのも、平均的であるということは、ピーキー(いわゆる(精神的)ブサメン・醜女)ではないということだからだ。
であるからして、(精神的)イケメンの欠落は、ピーキーな人間にしか埋めることができないのである。
また、ピーキーな人間は絶対的に少ないので、(精神的)イケメンが満たされるということは殆ど無いのである。
このことこそが、イケメンをして哀れと謂われしめるところの、大きな問題なのだ。
また、(精神的)イケメンの定義を『平均的である』ということによってではなく『完全的である』ということによって為したとしても、やはり(精神的)イケメンは哀れであろう。
というのも、彼はきっと恋愛をすることができないからだ。(笑)
つまるところ、恋愛という行為は、不完全な人間の特権だからねw
また、そのような完全な(精神的)イケメンが恋をするとすれば、完全に不完全な(?)ピーキー人間を恋の対象にするしかないだろう。
やはり色々と救われない、哀れなことであるなあ。
北朝鮮の女子高生を集団で殺害したことへの復讐劇…日本人を皆殺し 第40回ロッテルダム国際映画祭
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110203-00000002-flix-movi
同作品は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の拉致被害者5名が帰国した2002年が舞台。
北朝鮮バッシングが渦巻く中、チマチョゴリを着た女子高生が不良に絡まれて、
白昼に大勢の目の前で殺害される事件が起きる。
井上は「この映画は2003年に書いた僕の脚本が先にありました。
当時は、9・11が米国のアフガニスタン戦略に繋がり、日本では拉致問題が過剰な北朝鮮バッシングとなり、
ある種の思想が無い人間には
読んでるだけでくらくらしてくるあらすじ&脚本家コメントである。
・北朝鮮による拉致への非難の声に「腹が立った」ので日本人を攻撃しよう。
・攻撃って言うか、ぶっちゃけた話、ぶっ殺してやろう。
・それも無差別に、さらには糜爛性毒ガスでむごたらしく殺してやるのだ。
・ガスの出所を日本軍にしとけば色々とその、いい感じ。ガス撒くのは俺達だけど。
・でもやっぱ「悪いのは日本人」だってことにしとくべきだから、朝鮮人子女1名を日本人にリンチ殺させよう。
・さあ正義の復讐だ!ンギモッヂイイ!
・あ、言っとくけど我々は被害者サイドですので怒るのとか反撃とか禁止な。
やり場のない怒りと悲しみを世間にぶつける少女役の韓の熱演もあって、
そこまで彼女を追い詰めてしまったわれわれ日本人はこの物語をどう受け止めるべきか?
を深く考えさせられる内容だ。
「俺達はヘイト垂れ流しのフィクションの中で日本人大量虐殺して楽しむから
お前等日本人はフィクションの中で犯したリンチ殺人について深く受け止め反省しなさい。リアルに。」
ソッチ系の思想の人々が狭いスクラムを組んで強烈に擁護してきた為に
過保護のガキみたいにピーキー&隙だらけの阿呆になってしまった。
どうすんのこれ。
結局最後まで、あのキャラクターになじめなかった。老ヲタの限界を見たというか。
昔のアニメなら、ナウシカとラピュタの台詞を全部暗唱できる程度には、自分にはアニヲタだった既往があって、昔はビデオがなかったものだから、中学生のヲタなら誰でも、テレビの音を録音して、絵コンテ片手に画面を回想する訓練を積んでいたものだった。
プアなメディアは老ヲタを鍛えて、旧ガンダムはもちろん映画館で見て、ゼータちょっと見て、ずいぶん離れてGガンダムをなぜか見て、そのへんまでは、アニメはきちんと楽しめた。
で、そのあとずいぶん長い中断があって、ローゼンメイデンのアニメをネットで見て、これは楽しめて、ハルヒはほとんど見ていないんだけれど、それでも部分部分を youtube で見る機会があって、見ると決めたら、本編はちゃんと楽しめた。
で、らきすた のアニメは良くできていて、あれは近所の本屋さんが環境ビデオ代わりにずっと流していて、チラ見して面白そうで、あとからニコ動であれを見て、十分に楽しめた。最終回はたしか、ネット越しに誰かと感想を喋ってた記憶が。
で、最近の「けいおん」と、「ストライクウィッチーズ」とは、あれは両方とも面白かったし、老ヲタでも楽しめた。「けいおん」のゆるい流れは、ぼーっと見ている分には全然苦にならなかったし、ストパンの裏側には呆れるほどの情報が詰め込まれていて、ああいうのこそ、古参のミリヲタは解説に燃えたのだろうし。
そんなこんなでこの1年ぐらい、ヲタ系のアニメにはつかず離れずのつき合いがあって、その流れで評判になっていた2本を見て、全くついて行けなかった。
「俺の妹」は、こう、好き嫌いとかじゃなくて、始まってものの5分ぐらいで、もう駄目だった。
主人公の動きかただとか、会話がどうしてそういうつながり方をするのか、自分には全く理解できなくて、見るのが苦痛になった。原作はちゃんと読んでるし、ラノベの絵だって万人向けの、ある意味ありふれた萌え絵であったし、アニメにはきちんとお金と手とがかかっているのに、あれはどうしてだか、自分には全く受け付けなかった。
元ネタのエロゲの話題とか、プレイこそしたことないけれど、その界隈の話題ぐらいは全部分かる程度には、自分はヲタであったはずなのに、どうして見るのがこうも辛いのか、不思議だった。
「イカ娘」も、ネットでは評判がよかったのに、駄目だった。同じくゆるい時間が流れるアニメにしても、らきすたの緩さには同調できて、イカの緩さはなぜかそれが苦痛になってしまって、楽しめなかった。
同じように「駄目だこりゃ」になってしまったのが「とらドラ」のアニメであって、あれは原作を全部読んで、十分にそれが楽しめたのに、アニメで動くと、原作での、キャラクターの痛い振るまいが、笑うべき場所がもういたたまれないぐらいに痛々しく見えて、見るのが辛くて、無理だった。
芋とイカにあって、ストパンとけいおんにはない何か、若い人たちはそれを楽しめて、「ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ」なんて、老ヲタを絶望させる、濃さだとか、緩さだとか、あるいは作画の品質だとか、そういうものとはまた違う何かが断絶を作り出していて、自分には、それが何なのかすらよく分からない。
年をとるってこういうことなのかもしれない。
全く同意だな。プログラミング能力ってのは過大評価されすぎてるよ。ある程度の抽象的思考力があれば、どんなプログラミング言語でも必要最低限の能力はいつでも身に付けることができる。
芸術的なコードを高速に量産できるギークってのは多少はいてもいいが、その能力が要求される状況ってのも限られてるだろ。誰もが「芸術家」として生きられると思うのがそもそもの間違いなんだよな。
なんか、IT屋の議論ってエンジニアとして凄く違和感を感じたのは
技術的にたくさんのセンスと努力とひらめきの塊だよ
判例でも良い
精緻で調和した文章だ
それなのにIT屋に限って「芸術的なコード」なんて言っちゃえるのは
エンジニアとは呼べない素人のやっつけ仕事がいかに多いかって事なんだよ
それから、いくらでもプログラムに関する議論がネットでできるところ
同業者がいないから
自分の信じたピーキーな技術の道を一人で歩くしかないんだ
ひょっとしたら競合他社でわかり合える奴がいるかも知れない
でもそいつは敵
IT土方より悪かったりするんだけどなw