はてなキーワード: ヒットラーとは
http://anond.hatelabo.jp/20080503222033
なぜそんなことがわからないのかが理解できない。
えーと、まず「生物学的にゴミ」の定義を述べてください。そんな概念は生物学には存在しません。生物学に限らず科学とは「事実」を語るものであって「価値判断」をするものではないからです。
つまりあなたの行ってることはあからさまなトンデモですね。なぜそんなことがわからないのかが理解できない。
それからもう一つ、「種の発展」の定義がわからないですが、子供を産んだら「種の発展」に必ず貢献するのですかね?例えばヒットラーの親は「種の発展」に貢献したんでしょうかね?仮にそれを認めるなら、ユダヤ人虐殺というのが「種の発展」に貢献したということになってしまうわけですが。なぜそんなことがわからないのかが理解できない。
身体の問題で生めないとかは別ね。
なんで別なんでしょうかねえ。身体の問題であろうがあるまいが、子供を産もうとしないということは「種の発展に貢献しようとしない奴」ではないのでしょうか。思いつきで付け足して、かえって馬脚が見えているのがわからないのでしょうか。なぜそんなことがわからないのかが理解できない。
馬鹿が馬鹿である所以は、自分が馬鹿であるという自覚が微塵もないことだということだな。
おれはちゃんとその辺の理由を書いたんだが。
どこが「理由」だ。どこのどういう構造がどう一致していて、その一致がどう本質的であるのか、貴様は何一つ触れていない。例えば「貴様は人間だ。ヒットラーは人間だ。よって貴様とヒットラーは本質的に同一だ」とか、そんな論法が理由になっていると思うのか?馬鹿じゃないの。高校生でももう少しましな答案書くぞ。
もう論では対抗できないから「ひどいこといった!ひどいこといった!」と被害者として泣き喚く最後の戦法をとったわけだ。なんつーか…無様だな…ちょっとカワイソウになってきたよ。
自己紹介乙!
その多数派世論を構築するのは新聞、今で言うところのマスコミではないかと考えた。
現代のメディアの台頭と民主主義政治との密接な関わり合いをいち早く予想していたのである。
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く
かくの如き新聞にわざわいあれ 2005・09・27 - 市居嗣治の「今日のお気に入り」
日米は戦ってはならぬと、アメリカの軍事力生産力士気以下あらゆる情報を原稿にして本社に送ったという。
けれどもそれらはすべて没書になった。
ヒットラー・ユーゲントの眼は澄んでいたというような記事に満ちていた。
「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。
すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」
この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、
米国でメディアの系列化に待った…米最高裁決定 - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄
米国・FCCのメディア系列化緩和策採択のその後〜さすがに表現の自由を尊重する国だけのことはある - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄
平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントをトラックで突破するときでした。
それまで何度も止められましたが、そのたびに時計や万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。
それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。
若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、
結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。
そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。
みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。
そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。
(中略)
さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、
「ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、
本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。
戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。
第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Joongang Ilbo | 中央日報
「謝らせてもらえませんでした」って言い方は傲慢か!? - caprinのヲタ更正日記
ここを読んでぼんやりと思い出した。知らない人はこのコピペを一読してから読むことを薦める。
802 :おさかなくわえた名無しさん :06/03/10(金) 17:32:24 ID:s2RHsW2o
上にコレクションについての話がありましたけど
私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした
鉄道模型でしたけど
かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい
かえって私が苦しくなってしまいました
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう
わたしが小学校一年生のとき、わたしは大阪に住んでいて、世間様は1994年だった。今と変わらず本馬鹿で、本しか好きなものがなくて、友達がいなくて、でもよく笑う子だった。友達の居ない子供のする遊びはどこの世界でも似たようなもので、わたしはずーっと文房具を集めていた。実家は小遣い制だったし、遊びで金は減らないし、本は無限に親が買ってくれた。金の使い道がなかった。だから、文房具を集めていた。かわいくて小さいやつ。きらきら光るラメのペンや、かわいいメモ帳やレターセット、キャラクタの形をした消しゴムや、持ち運べる鉛筆削りなんかを、これまた自腹で買ったお道具箱に入れて、大事に保管していた。
で、年の変わってから二週間ほどのある日、また新しい文房具を、ちょっと遠めの文房具屋まで歩いて行って、帰ってきて、自分の机の引き出しを開けると、お道具箱があるべき場所に、空白があった。
ものすごく慌てたことだけ覚えている。
部屋中を探し回ったことも覚えている。
泣いていたかどうかは覚えていない。
母が帰ってきたとき、お道具箱のことを知らないかと尋ねると、彼女はこういった。
「なんで怒るの? あんた、地震の被害者がかわいそうじゃないの?」
彼女の一番大切な、結婚前に父からもらったネックレスはそのままだったし、一年に一度、今調べればネットに「超高級旅館」と紹介されているような旅館に泊まれたりもした。要するに金はあった。なんで私の文房具だったのかわからなかった。
母に対する感情は、なんというか、たぶん、普通の人がヒットラーのユダヤ人殺しまくっていた人にむける感情に近い。「こいつ人間じゃなかったんだ」という驚きが一番大きい。なんだろうな、うまくいえないけれど、信用できないというか、死んでしまえというか、そういう分かりやすい黒い感情じゃない。違うな、やっぱり一番適切なわたしの心の中身は驚愕だったし、母はわたしの理解できる人間ではないということだった。
そしてこの人と一緒に住むには、わたしは好きなことをやめなくてはならないということがよくわかった。
何年か、彼女の好きなように生きてみた。嘘笑いと言ってる自分でもつまんないジョークで中学まで生きてみた。つまんなかった。そのとき「神様、24歳まで自分が心底命をささげられるものが見つからなかったら、そのときは25歳の誕生日に自殺します」と思った。そのぐらい生きてることはどうでもよかった。中二病だと笑えればいいんだけれど、わたしは今もって当時のわたしを笑えない。
今、わたしはマンガ本や同人誌をこれでもかというほど集めている。何冊あるかは分からない。数えられないし数えたくもない。全部自分のバイトしたお金で買っていたし、バイト代から生活費だって出していた。
先日、高校進学や中学進学を機に離れていた親から連絡があった。
「また一緒に住もう」と。
そして彼らは、また、こう言った。「でもあなたの本は邪魔だから、全部捨ててきてね」。
物より人間関係は確かに大事だろう。親子の情は大事だし、親は尊敬するべきなのだろう。でも何かがわたしに言うのだ、「あなたの大事なものが大事だと理解できない人は、あなたもを大事にしない人だよ」と。わたしの友達や恋人は、わたしのオタクでどーしよーもなくウザい面や、頭の悪い面を知ってて放置している。それが嬉しい。矯正しようとしない。どうでもいい存在だからなのかもしれない。でもその距離が嬉しい。
育ててもらった恩もある、大事だと信用しなければならないと頭では思っている。でも、まったく信用できないわたしが確かに居て、その存在は無視できないぐらいしっかり育ってしまっている。そしてその存在を親に告げるときは、彼らと離れるときだ。
早く、他人になりたい。
(すみません、踏ん切りがついたら自分のブログに載せますので、しばらくここに置いてください。あとちょこちょこ訂正しました。)
故に、ニュースだけから何かを判断することは出来ない。現代のニュースは知るためのきっかけにしかならず、それ自身知識として誇れるようなものでは断じてないどころか、それのみを知ることは場合によっては害悪にさえなりかねない。しかし、それをしない、出来ない(する時間がない)人間はあまりにも多く、故に判断をニュースに委ねる。委ねているうちに、次第にマスコミの判断を自己の判断と思いこむようになる。更には、初期の意見形成はその後の見解に大きくかかわるものであり、意見を変更することはより稀となる。従ってマスメディアは単純な宣伝のみならず、世論形成において絶大な権力を有するに至る。
何十万というドイツの処女たちが あのガニマタのユダヤ人たちに
毎日誘惑されているかと思うと 気が狂いそうです
差別心というのは普通誰にでもあると思う(俺にも当然ある)。それを持つことは特に責められるべきことではない。ただし、差別心を元に誰かを(社会的に)差別する、あるいは差別的な言辞を直接投げつけたりするのは、明らかに問題であり、批判されるべきである。
何故なら、差別心を持つ人がそれを胸に秘めている限りは、とりあえず「あの人は差別されている」という「事実」は表面化されることはなく、またその当人が気付くこともないわけだが、それが表明された時点で、まず「あの人が差別されている」というコンセンサスが社会の側に出来、またその当人が「自分が差別されている」ことに気付くからである。
これは、当人にとっては「あの人が差別されている」というコンセンサスが社会の構成員によって特に批判されなかった場合、自らが(差別によって)いかなる不当な扱いをも受け得るということを意味し、また直接他人から差別されることで人としての誇りをも傷つけられるわけだから、二重の意味で大変な不利益を蒙るのだ。
(誰にでもある)「差別心」というものが、ほぼ全て個人の好みや偏見で成り立っている以上、そのようなものを理由に上記のような著しい不利益を他人に負わせる権利は、少なくとも民主主義の社会においては誰にも無いはずで、勿論国家についても同じことが言えるだろう。
ナチス時代のドイツ人は、誰もが差別心を表に出すことを憚らない差別主義者であったからあのようなことを行ったわけではなく、独裁者の叫ぶ「ユダヤ人は悪だ!」という叫びに(自らの内なる差別心をもって)同意してしまったからあのようなことを行ったのである。
差別心を表明することによって立ち現れる「社会的な差別」は、いかなる意味においても有害であるし、端的にいって民主主義社会の敵である。
アレクサンダー帝王がギリシアからインドの前まで,広大な帝国を築いた.チンギス・ハンなんてもっと巨大な領土を支配下に治めた.ちょっと前で は,ヒットラー.もっとも最近では,ていうか今は,アメリカだ.
現代までに,腐るほどの戦争が行われてきたんだよね.現代に近付くにつれて,ひとたび戦争が終わると,そのたびにもう戦争はしない思うように なったんだよね.ウエストファリア条約なんてその典型だと思う.
ちょっと前にさ.小中学生の自殺が多発したよね.いろんな地域で.でも,これってさ,昔から繰り返し起こってない? その度に,あちこちで議論 になってると思う.結局,ぐだぐだになって終わるんだけど.
ちょっとスケールを落とすと,こういう現象ってさ,人間,一人一人にも見れるよね.たとえばさ,学生だったころってさ.同じような問題でいっ つも間違えたりするよね.何回も見たことがあるはずの英単語がわかんなかったり,同じようなタイプの数学の問題がいっつも解けなかったり.人 間関係でもさ,同じようなことで失敗するよね.俺もいっつも同じような理由で振られるんだよね.同じようなことを言われるんだよね.バカそうっ て.
少し,話がそれるんだけど,
他人がさ,自分自身に投げかける言葉って驚く程,似通っているよね.俺なんか,何人の人に「バカそう」って言われたか.ホントは超の上にバカ がつくほど,まじめなんだよ俺.バカとまじめは両立できるけど.
まあいいや
本題はさ,どうやって知識を蓄えていくかって言うことなんだよね.しかも,苦手な分野で.数学とかみるとさ,人間って得意な分野(方法論が確 立されている分野)ではさ.比較的うまくため込んでいってると思うんだ.建築からコンピューターまで,自分の周りにあるものを見渡せば,「ああ 確かに」ってわかると思う.数学の内側を覗き込んでみると,再帰はその典型的な性質を保持しているよね.反復と蓄積の.
でも,苦手な分野じゃからっきしだよね.文系とか.例えば,東大の安富教授なんかは「企業は情報をため込むことはできない」なんてテーゼを立 ててるし,「今まで,文系と言われている学問は何も解決していない,これからは文系の時代だ」なんて言った教授もいるよね(俺この発言好きな んだよね).もちろん政教分離とか内政不干渉とか,きちんとため込んでいるモノもあるけど.
言いたいことはこう言うことなんだけど,
帰納的に考えるとさ,時代は繰り返すよね.
前の世代が築いたモノを何らかの形で,受け継いでいかないと.そうしないと,戦争は減らないよね.
たぶん減らなかったら,世界が終わるだろ.
自殺も減らないと思うんだよね.
俺も振られ続けると思うんだよね.
俺の直観なんだけどさ(まあこの文章自体,論理なんて入るすき間もないんだけど),正直,苦手なことに真っ正面から立ち向かって,一つ一つ克 服していけば,何かを成し遂げることができると思う.
だから,どうしたら苦手なことを克服できるんですか?