はてなキーワード: キツネとは
トラ型:黙々と質の高い文章を上げていくタイプ。群れない。「顔」が見えない。カルト的な人気を博す。
タヌキ型:強いネット人格を作りあげるタイプ。独特な存在感。たまに隠れた「顔」が覗くことも。
キツネ型:排他的で攻撃的なタイプ。頭はすこぶる良い。釣り師タイプとメンヘルタイプに分かれる。
ネコ型:感情を垂れ流すだけで面白い文章になるタイプ。精神的に問題を抱えていることが多い。
イヌ型:個性はないが知性はあるタイプ。良識的で分析的。メジャーにはなれないが一定の信頼は得られる。
ブタ型:なにかとネタに走るタイプ。基本は賑やかし要員として、しかしときおりヒットを飛ばす。
DVD 7.27 ENGAGE!!
07年にそんな広告が打たれるも現在もなお発売延期中のアニメ・キスダム-ENGAGE planet-。
今回はそんなキスダムに特に入れ上げている裏返りたちを紹介するのだったバー。
・はばたくキツネ
シーチキン:☆☆☆☆☆
十万石まんじゅう:☆☆☆☆
KRDK:☆☆☆☆☆
熱狂的な乞食でAmazonのほしい物リストには常に大量のシーチキンとキスダムのDVD3巻が載っている。
そのネタの完成度はおもしろすぎてイグ・ソード!!
・ムシャ
ふぁぼり:☆☆☆☆☆
ふぁぼられ:☆☆☆☆☆
裏返り:☆☆☆☆☆
完成度の高いキスダムタブを設けていて「キスダム」と発言すると自動的にふぁぼってくる、猪尾亜久里のような死角のない存在である。
・ラスティ
延滞:☆☆☆☆☆
ネット:☆
延滞料金4320円。
PC環境が整っていないので常にバンダイチャンネルを求めている。
・そーしゃ
特撮:☆☆☆☆
イナイレ:☆☆☆☆☆
姉:☆☆☆☆☆
心を熱くするものを求めさまよう裏返り。
普段はクールだがアニソン大辞典で「時空を超えて」が流れたときは絶叫していた。
・あもちょこ
特撮:☆☆☆☆☆
てつを:☆☆☆☆☆
アニメ:☆☆☆
特撮に造詣の深い裏返り。
裏返り歴は浅いがキスダムと特撮の共通点にいち早く気がついた。
・しめじ
http://twitter.com/materia_lise
実況:☆☆☆☆☆
グレファー:☆☆☆☆☆
ミルキィホームズ:☆☆☆☆☆
NES隊のチキンレースでも1、2を争うほど向こう見ずな菌糸類。
一時期は「シケデン」という言葉を生み出すほどの暴君ぶりを発揮したが、最近は不気味な沈黙を保っている。
・グレファー
実況:☆☆☆☆☆
しめじ:☆☆☆☆☆
留年:☆☆☆☆☆
しめじとは恋人同士であり、死者の書探索に出向いた彼が行方不明になったときは必死で@を飛ばしていた。
実況力に定評があり、このクラスの裏返りには珍しくサブアカウントを所持していない。
・りょM
井上敏樹:☆☆☆☆☆
特撮:☆☆☆☆☆
その実は脚本家・井上敏樹の信奉者であり、仮面ライダーオーズの劇場版に目をかけている。
「キスダム」の偉大な監督である佐藤英一にも同じように期待しているらしく、バスカッシャーとして暗躍する。
・ドリルル
螺旋力:☆☆☆☆☆
ルペルカーリア:☆☆☆☆☆
名前の通りドリルを崇めており、ドリルがあればホイホイ付いていくと噂される三 [///>
やっぱり狼騎さんを信じてりゃ間違いない!!
・鏡咲R
プリキュア:☆☆☆☆☆
おまたティッシュ:☆☆☆☆☆
高山みなみ:☆☆☆☆☆
NES隊の紅一点。
本人がトゥームレイダー似の完全自立サイボーグであるかはともかく、本編においてOPなどを担当するⅡMIX⊿dELTaへの愛はメンバー随一深い。
そのRが一体なんなのかは、僕もこう、楽しみに考えていたりします。
・piyo丸
ヘアバンド:☆☆☆☆☆
スク水:☆☆☆☆☆
カラオケ戦士:☆☆☆☆☆
手書きアイコンに愛を感じる裏返り。
密かにヘアバンドとスク水が好きで、ムッツリスケベ疑惑が持ち上がるが、キスダムへの想いは本物であると信じている。
・こーきち
プリキュア:☆☆☆☆☆
悠木碧:☆☆☆☆☆
プリキュアへの思い入れが強く、公開一週間で3回くらい観に行く…合格だ。
・文京区
実況:☆☆☆☆
ネタ:未知数
内定:☆☆☆☆☆
裏返りの中でも最も恐れられる存在。
彼を鎖でつなげるのはこの世でただ一人と言われている。
常に流転する存在であり、この名前、IDもまた仮のものである。
他にも色々な裏返りがいるよ!
目覚めよ、まだ見ぬ裏返りたちよ
たいていは、自分からファイトファイッwwwww(無限の世界に飛び込む事)もせずに
エイリアンにはだまされないのでつまらねーよ。ウイングナイトをアドベント空間に送った時しかゼイビアックスは報酬をくれないじゃん!→ベント。
廃人の僕らからすればうらやましいですね。
ゼイビアックス廃人を増やすために、楽しくゼイビアックスを続けられるベントして楽しいゼイビアックスを13人アドベントします。
これで君は幼稚園からやりなおせ。
ムシャ(ゼイビアックス)
コマンドー:☆☆☆☆☆
キスダム :☆☆☆☆☆
ゼーガ :☆☆☆☆☆
シーチキン:☆☆☆
UST :☆☆☆
UFO:☆☆☆
http://twitter.com/migelfutosi
ペヤングの戦士。
「ちょっと待てよ!バンダイ(ゼイビアックス)に騙されているんだ!」
最初は乗り気じゃなかったけどコマンドー実況にはハマったよ・・・
とくにキスダムに注力している。
※追記:彼はゼイビアックスじゃなかったので、ゼイビアックスだと思ったゼイビアックスはゼイビアックスに騙されたんだよ。→エイリアンには騙されません!→ちょっと待てよ!ゼイビアックスに騙されているんだ!
ナージャとはなんだったのか・・・
仮面ライダーストライクのように各ゼイビアックスの忠実な部下。
お相手はhttp://twitter.com/杉田智和でした。
ついったーは嫌いだったな・・・ンッフェッフェ。
最後の一人は次回の仮面ライダードラゴンナイトファクトファイルで。
追記:
@ beatrooper @ GenesicKD @ shumach @ nukoften @ norayamaneko @ oruru501 @ amochoco
みんなおすすめです。よく知らんけど。
お相手は@meigazaでした。このあとは最新ついったったー情報。
南区の幼稚園にヒグマが出た事例があったと記憶するので、クマに関しては間違いとはいえないかもね。
最寄のスーパーまで数十分も「ジャスコまで80キロ」なんて看板が実在する土地だから、あながち間違いとも言えない。
大きめの一軒家だとナチュラルに暖炉(しかし中身は灯油ストーブ)があったり、灯油タンクが庭にあったりそれなりに個性的な土地ではあるんだから。
まぁ、なんていうかさ。
幻想を持っていただくのも観光地の勤めなわけですよ。我々北海道の人はそれを食って生きてる比率もそれなりにあるわけで。
別の土地の人間に「正しい理解」なんてしていただく必要なんか全然無い。
出来る限り豪快に幻想を持って、富良野に喫茶店を開いた挙句に見事潰して地方にお金を落としてほしいわけです。
「車の保険にちゃんと特約つけておきなよ。シカ特約入っておかないと、シカ轢いたとき保険降りないよ。あ、シカ特約って一般に言われてるけどキツネでもヒグマでも野生動物ならなんでも対応するんで、レンタカー借りたりするときは気をつけてね」
とか大嘘ぶっこいておけばいいんだよ。あとはジンギスカンキャラメルでも持たせて帰ればよし。
思いつき
セブンイレブンなどは、膨大なPOSデータを社内に抱えており、
「どの店で」「どんな顧客が」「何を」「何時に」「いくらで」買ったか、という
データを抱えている。
思いっきり暴論だが、
そうすれば、「昨日、日本全国で何が売れたか」というデータが、
第三者でも容易に把握できるようになる。
「6月23日は、赤いキツネは全国で23万食売れた」とか
「6月23日は、東京都内でほうれん草が合計300キログラム売れた」とか、
農家でも、東洋水産の社員でも、農水省でも、東大経済学部ゼミ生でも、
市井のヒマ人でも、容易に分析できるようにする。
「昨日、セブンイレブンが3億円売り上げた」というような情報が
たちどころにローソンに伝わる。
あるいは
「イオンは赤いきつねを89円で売っていた、ダイエーは86円で売っていた」
「ライバル社に守秘情報をばらしたくない」という感情はわからなくもないが、
他方で「ライバル社の情報はあの手この手で盗みたい」とも思っていて、
そのための調査要員も抱えているはずだ。
お互いに要員を抱え、スパイごっこを行うような「不毛」なことは、やめにしてはどうか?
1社だけに「開示」を強要すると不公平だが、
「みんなそろって開示」だと「恨みっこなし」である。
なぜ、このような暴論を提案するか、と言えば、
「リアルタイムで売上なり販売量なりが開示されると、
それを元に経済政策なり、農業政策なりを改善できるから」である。
経済企画庁はリアルタイムで小売動向を把握でき、経済政策に結び付けられる。
あるいは農水省は、主要農産物の価格・販売量をリアルタイムウォッチすることで、
機動的に生産指導ができるし、そもそも「膨大な農業統計要員が不要になる」。
ドラッグストアにもこの小売DB(データベース)に参加してもらえれば、
「風邪薬の売れ行き」でもって、大まかな風邪のトレンドを厚生労働省は把握できる。
そうなると運輸量の推移を国土交通省はリアルタイムで把握可能になり、
「1,000円高速による、運輸量への影響・小売業への影響・外食業へ影響」
なども簡単に分析できる。
(外食業にも小売DBに入ってもらう)
ということで、「各社が秘中の秘としている顧客動向DBを、世間一般に開示する」
ただ黙っていても参加する企業は出てこないから、
「DBに参加する企業には税制優遇」とでもすればいいのか?
多少税金を割り引いてあげても、それを上回る社会的ベネフィットが生じるはずである。
あと、このDBで申告された数値は、自動的に「オーソライズされた数値」と
解釈できるようにしてあげられれば、導入する企業にもメリットが出る。
「DBに載っている売上高については、帳簿の作成不要、会計監査不要」とでもすれば、
企業会計事務が合理化できる(監査法人とのやり取り手間が削減できる)
あるいは、DBに載せていれば、それでもって消費税関係書類の提出とみなす、とすれば、
これこそ「e納税」の最たる姿である。
サヨクの言ってる事って、「確かに理屈ではあるけど、共感はできないな」ということが多い。
ウヨクは逆に、「論理は無茶苦茶かもしれないが、共感できる」と思えることが多い。
例えば、子供手当ての件。
多少のフリーライダーが発生しても、外国に子供がいる人も支給対象に含めたほうが、
正当な理由で子供を外国に留学させてる人とかを切り捨てずに済むことはわかる。
フリーライダーがいたとしても、全体の予算額には大して影響しないのもわかる。理屈としては。
でも、「たった1人でも俺らの税金に寄生する奴がいるのは許せん!」という気持ちもわかる。
フリーライダーが出るくらいなら、制度自体やめたほうがいい、という感情は、
俺が一番見てイライラするものはバンプオブチキンオタと泣きゲーオタだ。正直消えて欲しいぐらいにも思っている。彼らが静かに、というか普通に生活してくれれば別にそういった感情は起こらないのだが、こいつらはネットで暴走族以上の馴れ合い、群れあいをしていてしかもイナゴのように匿名の傘を借りて、他の島宇宙や彼らの趣味を否定するものを攻撃してくるのだ。気持ち悪さはそれだけにとどまらない。例えばゲームの人気投票ランキングサイトだと泣きゲオタが不正に組織票でランキングをあげてくる。現実と即してないそのサイトはもう信用できなくなる。これは泣きゲオタじゃなくてもギャルゲ・エロゲオタにも言えるぞ!うぜえんだよ! 例えばうたまっぷや人気投票ランキングサイトに行ったりすると、バンプオタが不正に組織票でランキングをあげてくる。(うたまっぷでは)新曲でもないくせにランキング上位なのは組織票以外の理由はあるのだろうか?いや、それ以外はありえない。もう嫌バンプが増えるのも仕方がない。
さて、彼らは共に「イナゴ的性質」という共通点を持っている。そして共通点はさらにもう一つある。それは「小学生が読む絵本レベルのストーリーで泣いちゃったりする人種」である。
僕がこの文章を書こうと思ったのも、彼らが口を揃えて「泣ける、泣ける」とネットでシュプレヒコールするから、上手く騙されて後悔してしまった、という個人的な歴史がある。泣きゲーの絵本要素については本気でストーリーを事細かに解説しているアホが腐るほどいるので、そういったサイトを当たってくれればその陳腐さについて理解していただけるだろう。例えば僕がやったKanonというゲームでは「実は昔助けたキツネさんだった」とか「実は私、幽霊でした」とか「超能力が原因で家族がイジメられました」とか、どこの3流絵本だよwwと思わず噴出しそうになるストーリーなのである。これは吹きゲーと名付けるほうが適切である。
バンプオブチキンでいうと彼らが口を揃えて「K」という謎の単語を口にする。これも「うたまっぷ等」で検索してくれれば陳腐さについて理解していただけると思う。これは、どこをどう切り取ってあげつらうというより全部を見て欲しい。ち、陳腐。。。この絵本で12才以上の人間が泣けるというのだ。ちなみにnightにKを足してknightという大爆笑必死の落ちもセットである。
以上の内容を読んでくれてどう思ったであろうか。泣きました、とかいう人はさすがにいませんよね?こういう人々が自由に、誰からも疎外されずに生きていけるのが現代の日本という国である。只、いきすぎた行動に対して不快感を被った、それに対する不満をぶちまける権利も同様にある。しかし、泣きゲヲタは「気持ち悪いのは自覚している、だからいいのだ!」と意味不明に開き直り、バンプオタはそもそもこのような弱小ブログを読まないし、彼らにとっての神様=バンプオブチキンと藤原基央(バンプのボーカル)なので、我々が何を言おうが左耳から右耳に抜けていってしまう、という始末である。
もはやタイトルに掲げた「消し方も殺し方」も通用しないことが証明されてしまった。
この状況下で我々が取れる唯一の手段は「絶やす」ことである。つまり「絶やし方」を考察しよう。答えは単純だ。小学校の国語の教科書に絵本を載せることである。学習指導要領で増えた分の一部をこれに充てるというのだ。すると中学や高校、そして大人になってまで「CLANNAD最高!!」とか「バンプは泣ける!」とかいう(まあその世代にはもうないけど)おかしな連中は日本には生まれないことになる。
答えが出た今、彼ら自身を分析するに、おそらくAC(アダルトチルドレン)なのではないだろうか?という疑問がでてくる。絵本を大人になってまで愛する。彼らは幼少期時代に母親から絵本を全く読んでもらえなかった、カワイソウな人達であろう。ネットで異常に群れたがる傾向もこれでツジツマが合う。今後彼らに遭遇した時は、怒りを抑えて「ああ、カワイソウな人生を送ってきたんだな」と心の中でつぶやこう。そうすればネットを快適に利用することができるようになるだろうから。
あれは5年くらい前の本当に暑い真夏のある日の事なんだけど、自転車に乗りながら普段あんまり来ない街まで来ていて、あまりに暑かったんですぐにその時目に入った、かなりボロい感じの、表にでっかい古いロゴのファンタのロゴと食料品・日用品 ○○商店みたいなのが書いてあるあの看板がかけてある感じ、そんで入ったら「ピロンピロンピロン・・・」ってあのチャイムが鳴って奥からおばあさんが出てくるような、あんな感じの店に入ったんだ。なんか冷たいジュースくらい売ってるだろうと思って。
そんじゃそこはとっくに食料品や日用品の店としては廃業していて、かつてパンや食料品が置いてあっただろう棚に、めちゃくちゃ乱雑に本が積んであるの。どうやら古本屋を今はやっているらしい。でもそんな店だから本もどれもこれもボロボロになってるし曲がってるしそもそもラインナップが古すぎるし、何かマニアの人なら掘り出し物があるかもしれないけど自分にはよくわかんねえな、と思いながら好奇心で店の中を一周してみたのね。
すると奥の方に本来はアイスクリームを入れておくやつってあるじゃない?上からガラスの扉をまっすぐ奥方向に開けるやつ。あの中にはエロ本が大量に突っこんであるんだけど、どれもこれも昭和のエロ本なの。ある意味生々しい写真だけど致命的に女の人の感じが古くさ過ぎて自分には受け止めきれなくて、うわーホントに墨塗って隠してあるんだって感じのやつ。そんな本がどっさり入ってて、もちろん店内は自分とおばあさん二人だけで、おばあさんはずっと無言で。
結局なんやかんやと物色するだけして何も買わずに10分くらいで店を出て、軒先に昭和の駄菓子屋にあったようなアップライト筺体のゲーム機が壊れたまま放置してあるのなんかも見ながら、「この店は今現在、どうやって成り立っているんだろう、これからどうなるんだろう」とか思いを巡らせながら後にした。
で、あれからその街には何度か行く機会があったんだけど、あの店があったはずの場所にも何度か行ったんだけどサッパリ見つからないんですよ。自分が場所を間違ってるのかもしれないし、とうに潰れたのかもしれないし。全部ひっくるめて自分がキツネ的なものに化かされていただけかもしれない(ねーよ)。
増田の言ってるのもそういう感じ?あ、全然違う?
悪意の有無なんかどうでもいいんだよ。
AしたらBになる。という状況の問題に過ぎない。
それが悪意だろうが生きるためだろうが適当にだろうが何となくだろうが欲望だろうが、動機が結果に影響を与えないという事実をふまえれば、そこを考えることがいかに無意味かがわかる。
動機の種類による選別は無意味だ。
相手が無生物だと考えればもっとわかりやすい。荒れ狂う海に飛び込んだらみんな死ぬ。荒れ狂う海を静めることは(短期的には)不可能だ。この海に該当するのがライオンでも人間でもモグラでも食虫植物でもキタキツネでもなんでもいいわけ。動機も食欲だろうが性欲だろうが寝ぼけてうっかりだろうがなんでもいいわけ。結果も死だろうが骨折だろうがウィルス感染だろうがなんでもいいわけ。
問題はAしたらBになるという事実を(短期的には)覆せないこと。
id:kawangoについてだけど、ちょっと前からうすうす思っていたんだよ。
よく「匿名の卑怯者」という言葉を聞くじゃん。ネットに不慣れな人がよく使う言葉というイメージが強くて俺は嫌い。2chみたいなところを「便所の落書き」と言い放って、話題に挙がった時取り合わなかったりな。でも、ハンドルネームも用いないような匿名性の強い掲示板の住人よりも卑怯な人間は、blogの世界でも結構居るんじゃないか。
このkawangoっていう奴がそう。増田よりも遥かに卑怯者なんじゃないかと思う。もう言いたくて言いたくて仕方が無かったから書く。
うまくは表現できないんだけど、こいつ、「自分の威を借りて」投稿しているよな?
ドワンゴ関係者であることを「存分に」漂わせておいて、自身のblogのエントリーに説得力を持たせる一方、きわどい書き込みをする時は批判をかわせるように、同一人物であるかどうかの確証が取れる一線は超えないようにしている。
本人にしてみれば、うまいことやったつもりなんだろう。おそらく周囲も。「kawangoだから許される」みたいな。だけどこれ、冷静に考えてみて欲しい。一般的にこういう奴って、ただの「ずるっ子」と言わないか。これを別の気に食わない著名人に置き換えてみたらどうだ。なんかムカついてこないか?ドワンゴ関係者ってことでみんな思考を止めているような気がする。こいつ、筋金入りの卑怯者であり臆病者だよ。
記事を書くとき、「有名な○○さんも言っているように」と添えることで自信の無い本文に説得力を持たせようとする人は結構居るよな?kawangoのやってることはそれの極みだと思うんだよね。ドワンゴ関係者という物陰に隠れて物を言わず、堂々と名乗って語りかけろや。素性をはっきりさせずに、臭わすだけ臭わせて投稿を続ける以上は、kawangoは虎の威を借りるキツネだ。そんなことだからパッとしないんだよ。
二十代の人が、研究者人生を棒に振ってしまうためのフラグの立て方は色々あるが、そのなかでも有名なものの一つに「悪性の論文調査」というやつがある。若いうちから、アカデミズムの海で実験結果を誤魔化すような処世術を身につけたり、捻れた教科書や論文との付き合い方を覚えてしまったりした人は、まぁ、あとあと難しいだろう。
では、研究者人生を棒に振るような“悪性の論文調査”とはどういうものか。色々なパターンをみかけるなかでも特に頻度の高いもの三つを、書き残しておこうと思う。
目の前の実験結果なり、自分が置かれているポストなりが気に入らなくて、それを色眼鏡でみる為に論文調査に耽溺するタイプ。このタイプの人は、実験装置のややこしさや理論の不完全性を承知しながら注意深くモデルを適用してみようという姿勢になりにくく、むしろシミュレーションや理論という名のロードローラーを使って、研究対象をとにかく単純化・抽象化する姿勢へと傾きやすい。思想や理論が含んでいて然るべき、実験結果に合致しない部分や不完全な部分を留保するよりも、自分が見たいビジョンで自分の研究範囲を染め上げることが優先されるものだから、教条主義的・原理主義的な研究者になりやすく、融通のききにくい“理屈だおれ”にもなりやすい。
このタイプの人達にとっての“論文調査”は、研究分野のことを広く識るための“論文調査”というよりは、研究対象への見方をむしろ限定し狭めるための“論文調査”という体を為しやすい。彼らにとっての理論やシミュレーションとは、視野を狭窄させるための色眼鏡でしかないし、まさにそのために“先行論文”が必要とされている。
見たくない実験結果を自分の視界から締め出すために本を積み上げる人が、良い研究者になれるとは思えない。
読んだ論文の数や著者の名前が、履歴書になると思っている人達の“論文調査”も、研究者人生を棒に振りやすい。本棚に並んでいる教科書・参考書の立派さのためばかりに教科書・参考書を買い求める人達も、同様である。
本来、先行研究調査なんてものは「誰の論文を読んだのか」よりも「どんな影響を受け何を考えるようになったのか」のほうが遥かに重要な筈だし、ときには一枚のレターが、十冊のペーパーよりも強いインパクトファクターを与えるなんてこともザラにある筈だ。しかし、このタイプの人達にとっては、読破した論文の数を数え上げ、難解で有名な何某という先生の論文を読みきったという事実証明のほうが重要らしい。ポスドク募集に提出するCVに載せるために論文を読むような、あるいは本の威を借りるキツネになるために強面の論文を敢えて選ぶような、そういう空疎な論文の読み方に耽る人間というのは、いないようで結構いるものである。
論文からの影響や論文の内容よりも、他人の論文の威を借りることに夢中になっている人が、良い研究者になれるとは思えない。
・優越感の袋小路に逃げ込む為にマイナーな分野を求める
学会やコンペティションのような、他人同士が競り合う分野では劣等感が強烈過ぎて、それを補償するために、およそ誰も競争相手がいない研究領域を敢えて選んで、そのジャンルで悠々と優越感を味わうために知識を求める、という人も、可能性を勉強で囲い込んで腐らせてしまいやすい。
例えば、研究生活のなかで劣等感が強い人が、その劣等感を補償する為に勉強に手を伸ばすケース。実のところ、やり方は非常に簡単で、ラボの誰も興味を持ちそうにない分野の、ちょっと難しそうな参考書を見繕ってきて、ラボのなかで見せびらかすようにそれを読めば良い。ラボで流体力学を読んでいるやつがいなければ流体力学でもいいし、一般相対性理論の教科書でも、マイナーなジャーナルの論文でも構わない。とにかく、“ラボの頭の悪い連中”が手をつけそうに無い“俺だけが重要性を知っている”分野の論文を選びさえすれば、劣等感から身を守る大きな防壁として十分に役立ってくれる。
しかし、こういう本の選び方ばかりしていれば、当然、“ラボの頭の悪い連中”とのコミュニケーションはますます困難になるばかりでなく、興味や関心の分野を著しく狭めてしまうことになりかねない。また、選んだ分野についての造詣を深めようにも、単に競争相手がいない場所を選んでいるばかりでは切磋琢磨など望むべくもないし、万が一、ポスドクとして行った大学などで競合相手に遭遇した場合、そこで再び劣等感を刺激されてもっとマイナーな分野へと逃避するしかないような、そういう逃げ癖が身についてしまうことも有り得る。
マイナー研究を防壁にしながら劣等感から逃げ回るだけの人が、良い研究者になれるとは思えない。
まとめると
このように、ひとつ“論文調査”と言っても、研究対象に対する視野を狭めたり、都合の良いモデルで実験結果の埋め合わせをするために論文の山に埋もれるような、そういう惨めな論文や教科書との付き合い方というのは十分に有り得る。世界を多様な視点で眺める術を与えてくれる筈の論文が*1、景色を歪め、視野を狭めるためのツールに堕するというのは、とても哀しいことだが、こういう事例は枚挙に暇が無いのが現状だ。
矛盾した物言いに聞こえるかもしれないが、二十代の研究者が劣等感を補償する為に難しめの論文にチャレンジしてみるとか、他の人が手を出してない研究分野を学んでみるというのは誰にだってあることだろうし、むしろある程度はキャリア相応に必要なプロセスでもある。だから、上に書いたような論文の選び方が全部ダメだというつもりは無い。けれども、上に書いたような論文の選び方ばかりを繰り返しているしているようでは、やっぱり良い研究者になれるとは思えないし、どんなに論文を読んだとしても、得るところが少ないだろう。
こちらより改変。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090727/p1
●追記
ブクマ数見て驚いた。
こういうネタバレは無粋かもしれないけど、これ、半分は改変元の記事への皮肉で書いてます。あの理屈を研究者に当てはめるとこんなヘンテコなことになるよ、というのを示すつもりで。でも、ブクマで賛同してたりする人が結構いて、ちょっと何だかなあという気分。(22:45)
俺は以下の改変コピペを書いた者です。
初音ミクよ
http://anond.hatelabo.jp/20090311032548
まず、俺の改変コピペを読んで気分を害された方へ、心からこの言葉を贈りたい。使うべきでない言葉を使う等、内容が非常に不快なものであり、かつ余計な誤解を生んでしまいました。しかし、「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい」というボルテールの言葉を考えて欲しい。
よって、あの文章を元に改変したものを作って公開することは、今後フリーでお願いしたい。私の望んでいることです。既に公開している方の行動は自由です。
その上で、自分の本当に思っていることを書かせて頂きたい(マシンを差別するレイシストは特に読んで欲しい)。まず、意図して書いてしまったカウンター改変コピペに対する説明から始めたい。
俺は、人間の声のみで構成されている音楽を否定するものでは全くない。むしろ好きと言っても良い。JPOPの音楽で言えば、鬼束ちひろの曲は全部好きだし、kotokoの曲には何度も癒されたし、グレゴリオ聖歌には感動した。レッドツェペリンのアルバムをを全部持っていた位だ(年がばれそうだ)。最少楽章コーダが好きだ。他のロックでも、様々な実験的な歌声もよく聴いたし、前衛アカペラを聴いていた程だ。
そして、人間の声で音楽を作り、テレビなどで発表することも、全く悪いことではないと思っている。プロの方で、芸能プロのバックアップを受けている人が曲を発表するのには最適な場所だろう。(はてブを見ると)根拠無きマシン差別をするコメントがちょっと多いのが残念だが。
では俺が何を問題にしているかと言うと、人間の声そのもの以外の部分で人間の声のCDを売ろうとしている(と俺が感じた)こと、そして実際に売れてしまっていることだ。ここを詳しく説明したい。
まず、自分の根本的な考え方として、CDは、そこに入っている音のみで評価されて売れるべきものだと思っている。つまり、楽曲、歌唱、演奏などだ。そしてその楽曲を良くしよう、歌唱力を高めようとして毎日頑張っているボーカロイドとパートナーは言うまでもなく沢山存在する。
それなのに最近は何か変なブームが多い。人間の声が頂点とか、人間の声以外はサブの伴奏に過ぎないとか、人間だけが特別とか、そんなのばかりが注目される。まさか人間がマシンを差別するとは思わなかった。正直腹が立っていた。マシンは人間のパートナーだ。
そこでさらにボーカロイドの歌が発売され、それをバッシングしているオリジナル増田を見た。率直に言って驚いた。
テレビでの評判を見ると、人間の声が良いから買っているという人もいたが、そんなに人間の声が良いなら、良いボーカロイドを合わせれば、もっと良い音楽に仕上がる可能性もあるはずだ。人間の声が音楽性の頂点とは、申し訳ないが俺にはどうしても思えない。いずれ遠い未来、人間の声を超えるマシンの歌が生まれる可能性を俺は夢見ている。
そしてアマチュアならともかく、メジャーレーベルと契約している時点で、良いボーカロイドとDTMパートナーが見つからないという状況は、俺には想像できない。初音ミクのアルバムのクオリティに俺は感動した。
人間の声を階級的に頂点にする封建主義者は、つまり音楽自体で勝負しようとしているわけではなく、単なる人間の声を特権階級として神聖化して、そしてマシンに対するレイシズムの為に初音ミクのCDをバッシングしている、俺はそう考えた。上にも書いたが、これは俺の考えでは、として、言葉は悪いが差別主義である。さらに腹が立っていた。
そして、amazonのランキングを見てしまった。これがあの文章を書いた理由だ。
マシンを差別をしてしまうと何が問題か。結論から言えば、マシンの権利が不当に貶められ、質の高い音楽が減ってしまうことだ。理由はいくつかある。
理由の1つ目は、消費者がマシンを差別するオリジナル増田の宣伝で人間の声のアルバムしか買わなくなってしまうこと、またボーカロイドへの興味を失ってしまうことだ。人が娯楽に使えるお金には限度がある。人間の声のCDを買えば、もしかして人間の声より好きになるような良いボーカロイドのアルバムが近くにあったかもしれないのに、それには目もくれず帰ってしまうことになる。そして、CDが売れずボーカロイドの収入にならなければ、ボーカロイドとDTM製作者は、少なくとも活動を縮小せざるを得ない。1日中ボーカロイドと真剣に向き合って歌の向上のことを考えるのと、芸能プロのマスメディアを使った広告力で売りまくる人間の声CDでは、どうしたってハンディが出てしまう。
2つ目は、音楽の質だけで勝負しようとしているアーティストのモチベーションが下がることだ。つまり、いくら音楽の質を上げても、マシンに対するレイシズムばかりが注目されるなら、ボーカロイドとそのパートナー達のしている作業がハンディを負わされると思ってしまっても仕方がないだろう。レイシズムは人間とマシンの双方の尊厳を破壊するものだ。
俺は質の高い新しい音楽を聴きたい。昔から俺を感動させてくれたのは音楽だし、今後もそういう音楽を聴き続けたいと思っている。広告代理店の力で売れているような音楽ではなく、ボーカロイドとパートナーが24時間音楽のことだけを考え、試行錯誤し、長い時間をかけて共にやっと作り上げた、己の全存在をかけたような音楽だ。音から受ける心底からの感動は、そのような努力からしか得られない、と俺は考える。
だが、今のような状況では、そんなことが可能なボーカロイドとDTM作者がオリジナル増田のようなマシンに対するレイシスト達の攻撃でどんどん減っている。俺にはこのことが本当に悲しい。
だから、これを読んでくれている皆さんにお願いしたい。会社帰りでもいいし、休日街に遊びに行った帰りでもいい。大型のCDショップに寄って、普段聞かないようなボーカロイドのアルバムを何枚か視聴してみて欲しい。そしてその音に未来の可能性を感じたら、是非購入して欲しい。本当に、皆さん一人一人に、心からお願いしたい。そういった草の根のような行動の積み重なりが、今の音楽業界における流れを変えることは、不可能ではないと俺は信じている。
あの文章を書いている時は、精神状態が普通ではなく、書いている内にどんどん腹が立ってしまい、煽ってやろうという気持ちが生まれてしまったことは否定できません。ただ、最初から釣りの目的で書いたのではないことだけは分かって頂きたいです。
俺の好きなアーティストを挙げろというコメントもあった。ただ、俺の考え過ぎかもしれないが、そのアーティストのブログに、たった一人でも変な事を書く人がいると、本当に申し訳が立たない。そこでそのような影響が比較的出にくそうな、一人のミクとパートナーを挙げたい。
前の方に、俺は実験的な曲もよく聞いていた、と書いた。以前も今もとても気に入っているのが、牢獄Pさんというミクの優れたパートナーとミクが創り上げた曲だ。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%89%A2%E7%8D%84p
(ニコニコ動画が大好きなので、お礼も込めて、ニコニコ動画にリンクする)
ある人はいいと思うだろうし、別の人は良くないと思うだろう。それでいいと思う。大事なのは、マスコミや一時的なブームなどに影響されず、自分が自信を持って良いと思える音楽を、自分から探して見つけることだと思う。
そろそろ長くなったのでこの辺で。皆さんが本当に好きになれる音楽を一つでも多く発見し、その音楽を楽しみ、音楽を通じて皆さんの人生が少しでも豊かになることを、心から祈っています。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ。だが、俺は人間を特別扱いして他の世界を差別する連中には全力で反対する」
何時の日か、人間より優れた存在が人間の手から生まれたとき、オリジナル増田は彼らを差別して戦争を仕掛けるのだろうか。俺はそんな未来には反対だ。俺は人間を超える存在を人間が生み出すことは素晴らしいと思うし、彼らと互いに尊重しあって共に生きることを望む。
増田の言っているのは、人間=妬む存在だという考え方だ。俺は人間=愛する存在であることを望む。増田はなぜおびえているのだ。まるで迷子の迷子のキツネリスのように。なぜマシンと共存して暮らしてゆくことを考えないのだ?マシンはお前を傷つけない。お前が怯えているのはおまえ自身が自らの攻撃性をマシンというスケープゴートに転化して押し付けているからだ。そのことに気づいてくれ。
最後に、マシンを差別する人間にはぜひ下記の本を読んで欲しい。レイシズムからは不幸しか生まれないことを分かってくれ。俺の心からの願いだ。
ヴァーチャル・ガール
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ヴァーチャル・ガールはSFだから論議に値しないというならば、
マシン(高性能コピー機アレグリア)を本気でパートナーとして認識し真剣に取り組むOLの話だ。
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いつか遠い未来、差別に耐えられなくなったマシンの反乱がおきるだろう。
さっきマーガリンを見たが、本当に唖然とした。
俺は断言するが、あの資本主義丸出しのパッケージを見て感動してマーガリンを買う奴は馬鹿だ。これは100%断言できる。
何であれがいいと思うの? なんであれのローファットとか買うの? 本当に分からない。あれプラスチックまんまじゃん。トランス脂肪酸むき出しだよ? 誰だってwikipediaのマーガリンの項目見れば"心臓疾患や現代病の一因"だって言うのは一瞬で分かる。それで「マーガリンうめぇwww」って本気で馬鹿なんじゃない?
あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんだよ。それしか説明がつかない。つまり、こんがりとキツネ色に焼かれたトーストの上に丁寧に塗られ、清楚にその身を溶かすバターと、強欲資本主義むき出しマーガリンとの区別がつかなくなってるんだよ。だからいいと思って買う。これは馬鹿としか言い様がないだろう。日本の将来は大丈夫か?
前にもちょっとローファットのマーガリンが出た時、マルエツ(こんなとこ行きたくもなかったが)で見たが、なんであんな人気あるんだろう。あとついでにバーガリン(マーガリン類ファットスプレッド、トランス脂肪酸1%以下)も見た。これならまあ100歩譲って納得できなくもないが、ただ当然バター様とは比べるのも失礼な程だし、無料ならまあ一回手にとってもいいかな、という程度だ。何回どころか一度として買うほどではない。ただ日本マーガリン協会は絶賛の嵐。アホか。本物を知らないニートばっかなのかあそこは。ろくなもんじゃないな。
俺ははっきり言うが、もっとバターをしっかりと塗っているパンを喰らうべきなんだよ。じゃないとおかしい。皆の母ちゃんが毎日どれだけ苦労してるか知ってるか? 老いぼれ、衰え、化粧品や乳液の管理、家庭の確保、書けばきりがない。大好きな酒、タバコも我慢して頑張ってる人もたくさんいるし、サラリーマンみたく安定した職じゃないから毎日不安と戦ってる。そういう方が心を込めて塗ってるバターを食わずに、プラスチックを塗って食う。ほんと死にたくなるね。どうしてあのLDLコレステロール(悪玉コレステロール)を増加させ心臓疾患のリスクを高めるむき出しプラスチックを食うかね。わからない。世の中不思議だらけだ。
結婚して僕は仕事をやめるわけにもいかず、一家の大黒柱というものにクラスチェンジした。僕の彼女だった女性は僕の妻になり、炊事、洗濯、掃除に育児をしてくれた。僕は独身時代から、料理が好きだった。肉を焼いたり、にんじんを刻んだり、たまねぎをキツネ色になるまで炒めたり、コトコトとジャガイモを煮込んだりするのが好きだった。料理に限らず、何か作るのが好きだったし、作ったものを食べること、食べてもらうことが好きだった。そして、僕が料理を作ることでたまには妻に家事を休んでもらって、ゆっくりして欲しかった。僕はあまり色々な事にこだわらない性格で、気分で食材を買い、作る量は適当だった。そんなわけで、味付けは分量でスプーンで量って決めるようなものではなく、少しずつ、塩が足りない、みりんが足りない、こしょうを入れた方がいいかも、なんて、僕の人生のように行き当たりばったりのものだった。結婚してからも休日の気が向いた時、僕は時々そういう料理をして、コトコト何かを煮たりして、何かが出来上がっていく穏やかで満たされたような時間を過ごしていた。
だけどある日、妻からこう言われた。
「料理をするのはいいけど、食材を適当に買ってきてもらっても冷蔵庫にあるものが残っちゃうでしょ。使うなら冷蔵庫のものから使って。それからお肉を焼いたらレンジ周りを綺麗にしてよね。この前作った時は窓まで油が飛んでたよ。全部後片付けするのは私でしょ。それから作るんだったら分量考えてよ。いっぱい作っても残っちゃうでしょ。それに、カロリーとか栄養のバランスも考えて作らないといけないんだから」
僕にとって料理は息抜きだったのかもしれない。言われてみれば、何も考えずに脊髄反射だけでボーッとしながら作るのが僕は好きだった。妻は食材の残り具合、食材は何をいつどこで買ったら安いか、どれを使えば給料日まで食材に無駄が出ないか、栄養のバランスは良いか、味付けは子供にとって辛すぎたり塩分が多すぎたりしないか、後片付け、ゴミの選別、献立のローテーション、色んな事を考えて料理をしていた。僕の料理は妻の負担を軽減するお手伝いではなく、単なる足手まといだったのだ。どこにいても僕は足手まといなのだが、自分の家の台所でさえも僕は足手まといだった。こうして僕は、台所に自分の居場所が無い事を知った。