結婚して僕は仕事をやめるわけにもいかず、一家の大黒柱というものにクラスチェンジした。僕の彼女だった女性は僕の妻になり、炊事、洗濯、掃除に育児をしてくれた。僕は独身時代から、料理が好きだった。肉を焼いたり、にんじんを刻んだり、たまねぎをキツネ色になるまで炒めたり、コトコトとジャガイモを煮込んだりするのが好きだった。料理に限らず、何か作るのが好きだったし、作ったものを食べること、食べてもらうことが好きだった。そして、僕が料理を作ることでたまには妻に家事を休んでもらって、ゆっくりして欲しかった。僕はあまり色々な事にこだわらない性格で、気分で食材を買い、作る量は適当だった。そんなわけで、味付けは分量でスプーンで量って決めるようなものではなく、少しずつ、塩が足りない、みりんが足りない、こしょうを入れた方がいいかも、なんて、僕の人生のように行き当たりばったりのものだった。結婚してからも休日の気が向いた時、僕は時々そういう料理をして、コトコト何かを煮たりして、何かが出来上がっていく穏やかで満たされたような時間を過ごしていた。
だけどある日、妻からこう言われた。
「料理をするのはいいけど、食材を適当に買ってきてもらっても冷蔵庫にあるものが残っちゃうでしょ。使うなら冷蔵庫のものから使って。それからお肉を焼いたらレンジ周りを綺麗にしてよね。この前作った時は窓まで油が飛んでたよ。全部後片付けするのは私でしょ。それから作るんだったら分量考えてよ。いっぱい作っても残っちゃうでしょ。それに、カロリーとか栄養のバランスも考えて作らないといけないんだから」
僕にとって料理は息抜きだったのかもしれない。言われてみれば、何も考えずに脊髄反射だけでボーッとしながら作るのが僕は好きだった。妻は食材の残り具合、食材は何をいつどこで買ったら安いか、どれを使えば給料日まで食材に無駄が出ないか、栄養のバランスは良いか、味付けは子供にとって辛すぎたり塩分が多すぎたりしないか、後片付け、ゴミの選別、献立のローテーション、色んな事を考えて料理をしていた。僕の料理は妻の負担を軽減するお手伝いではなく、単なる足手まといだったのだ。どこにいても僕は足手まといなのだが、自分の家の台所でさえも僕は足手まといだった。こうして僕は、台所に自分の居場所が無い事を知った。
http://anond.hatelabo.jp/20090130175544 村上春樹の文章みたい
料理は食べてもらうことを目的にしないといけん。 そうでなければオナニーと一緒
奥さんが言っているように、冷蔵庫の中のものを優先的に使って、汚したものはきちんと片付けて、分量もあまらないように家族分だけ作って、カロリーも考えて料理すれば「居場所が...
後片付けまでちゃんとできない人は料理好きって言っちゃダメだと思うんだよね。
別に「料理好き」は言っていいんじゃないの? 「家事できる」って言ったら語弊があるってだけで、「男の料理」って言葉もあるんだし。
意味的にはそうだけどね…。 作られる側にしてみたら,料理は美味しくてもこちらの仕事が増える!って思うから 結局,「歓迎されない」料理好きになってしまうと思うよ。
「男の料理」に「後片付けが出来ない」なんて意味無いと思うけど…
小説的なもんだろうから、「解決策を提示する」のは野暮かもしれないけど、たとえば土日だけ、酒のつまみになるようなこじゃれた料理を少量作って、奥さんと晩酌するのを新しい楽...