中学の頃、私が誰を好きか、多くの人が知っている状況だったので、ときにその相手の名前を騙った偽ラブレターが私に届けられることがあった。騙られた本人に「これは偽物だよね?」と聞いたら「私のことが好きなら、そんなの筆跡で見抜けよ」と言われて「たしかになぁ」と思ったのであった。
私のことが好きなら私が嫌いな相手と仲良く出来ないはずだ
目標が低すぎるだろ
ワイは逆に資産2000万溶かしたやで
理解不能だよ。
殺すところまでは良いが死んじゃったらまったくの無駄だもの。もっとパワハラ野郎のいなくなった世界を楽しまなきゃ。
人を殺すくらいの覚悟が決まってるなら、ぶち殺して捕まって、万が一出所できたら他のパワハラ野郎をぶち殺しに行くぞくらいのこと言って死刑まで楽しく過ごしたほうが良い。
そりゃ場所によって表彰対象は変わるが普通に成績で評価するところもあるって話だろ面倒くさいな
そもそも学部生に研究業績もクソもないやろアホか(おままごとがすぐ論文になってうらやましいね)っていう学部もそこそこあるし、いくらでもいろんな種類の表彰とかがあるのに、ここに限らずすぐ揚げ足とろうと意味わからん決めつけで粘着してくるキチガイがいっぱいいて意味がわからんわ
そのくせ
とか自分はいくらでも難癖付けられそうなアホなことを平然と書いてくるし、アホはアホだから自分がどれくらいガバガバな物言いで難癖付けてるかわからんのやろうな
「金を出させるな」という女性に会った。
彼氏が僅かなお金を「たまには私が出すよ」と言ったら「ありがとう」と言って出させた。ということがかなりショックだったと言う。
じゃあ出すよと言うなよ、は置いといて、
好意の測り方っていうの?
私のことが好きなら、の基準は本当に人それぞれであるなァと思うと同時に、以前ツイッターのオフ会で会った初対面の人に
「増田さん、俺のこと嫌いでしょう」と言われて「え、全然嫌いじゃないですよ。まあまあ(まあまあ)好きですよ。」と言ったら「あんまり俺のツイートにいいねしてくれないじゃないですか」と言われた事を思い出した。
「私、あんまりしませんよ、誰のも」「あっそう?」「ハイ…」で無事に(無事に?)終わったけど、「俺のことが、私のことが、好きなら」というのは往々にしてなんか間違ってるよなァ、と思う。
「私のことが好きなら、お金を全て出してくれるはずだ」
そして私の、「私のことが好きなら」の後に続く言葉は、
続編はおもしろいけど連載止まってるよ