まあそもそも、「行き過ぎたジェンダー論のせいで表現の自由が脅かされている」というよりも、
https://www.twitter.com/ogi_fuji_npo/status/1456864014043025409
「セクシュアリティの多様性」を勝手に「対人性愛の多様性」にすり替えたり、「ジェンダー表現の多様性」を勝手に「物理身体に紐づいたジェンダー表現の多様性」にすり替えたりといった態度こそが、まさに直球の偏見であり差別なんじゃないですかねぇ。
という側面の方が大きいというか。ジェンダー・セクシュアリティ論を中途半端にしか理解していない人々が「僕の考えたジェンダー平等とセクシュアリティの多様性」を錦の御旗に掲げてるのが「ジェンダー論」が批判される所以だよね。
ジェンダー論が正しく行き過ぎれば、フィクションの「ちょっとエッチな表現」如きに目くじら立てる人はいなくなるよ。
例えば、古いフェミニズムでは「男に守られるオンナは卒業しよう!一人で生きていこう!」という言説ばかりが持て囃されていた。確かにそれは力強くてかっこよかったけれども、最近は「そうは言っても、自分はイケメンとの恋愛もセックスも好きだし」というフェミニストも現れて、「バッドフェミニズム」という新しいフェミニズムの形も発見されてきた。それはフェミニズムの退化ではなく進歩なわけでしょ。
これは性的自己決定権云々のような表面的な話ではなくて、もっと根源的な、われわれの言語的文化的諸活動に織り込まれた女の立場、つねに対象化され比喩として画題として語られる側にあった「女」の概念を、女性自らの手に取り戻そうとする、そういうムーブメントがフェミニズムなのだ。
多くの時代・地域で文化のメインストリームを規定していたのは男性的なものだったわけで、だから、われわれが使う言葉、世界を分節化し構造化する仕組みそのものの中に、女を対象というかあちら側にあるものとして扱う目線が埋め込まれている。
多くのフェミニストが心の底で感じ取っている「敵」はこいつだ。
かつてのジェンダー論は女性の性の開放を謳ったが、近年ではそれが一転して性表現を弾圧している、みたいな意見を見たけれど、上記のような視点から考えれば、別に何も変わってないんだ。
「女」を彼岸の存在として見る向きと闘っている、という意味では。
ただし、当の女性たちが、(もちろん男性も)この側面を十分認識していないように見える。
普段はつっこまないようにしてたけどこういうふざけられない真面目な話でそういうこと言われると分断処理でプライドを保つ意識自体が猛烈にだせーーー!となる、少なくとも私は
アホ「からかわれたように感じたの?ごめんね。アホにアホって言ったら傷付くよね」
おこで寝れない人に言われても
からかわれたように感じたの?ごめんね。アホにアホって言ったら傷付くよね
自分で何も考えてないのは、お前だ