わかる。私は書き手やってるけど、最初の動機は突き詰めると友達が欲しいからだったと思う。ROMだと友達が出来ないから書き始めたって感じ。
だからROMのまま友達作るのはどうしたら…っていうのに自分の身としての回答は出来ないんだけど(ごめん)、
でも私には割とROMの友達がいる。別にリア友とかではなく、ジャンルの話をするだけのネッ友。出会い方は、繋がりたいタグとか、感想投げてくれたこととか、だったと思う。
繋がりたいタグ覗いてみるとROMだけどお友達欲しいです!っていう人結構いるし、感想投げてくれた人とは解釈合うってことだから割と友達になりたい書き手もいるんじゃないかな、と思う。
腸閉塞待ったなし!
純水生成器のマユツバかと思ったら、分量の話だったのね。
参考になります。
💩じゃあするな!
言葉の意味にこだわるのなら、元増田が指しているのは「義務」と「強制」、その違いはなんだ?という指摘と捉えられる。
義務は、「人がしなければならないこと、従うべきとされること」、どちらかというと社会的ルールに(自ずと)従う、というニュアンスが強いだろうか。論理的思考を養う数学も、「義務」教育となっている。
強制は、「力ずくでさせる、無理強い」、義務よりも強く、権力や暴力も想像させる言葉だ。これは本人の意志とは関係なく、拒否権もないニュアンスがある。
では、学校へ行って言葉や思考方法を習うことは強制的ではなかっただろうか?義務ではあった。だから当然親は子を学校に通わせたし、自分は言葉や計算を身につけた。おかげでこれを書いている。でも、望んだからこうなったか?社会の強い要請、当然そうなるべきという方向づけが無かったか?(これを悪いこととは捉えていない。必要性があると捉えている。)
社会の必要性によって、ある種の強制、義務と強制の間の力によって、考え方や行動がインストールされているのかもしれない。という根本的疑問は持っていていいと思う。