恋愛が混じる話になるとそれが成就するかどうかでハッピーかバッドエンドか考える人がいるのが大半だけど、ララランドは夢が叶ってるけど月がきれいは諦めてて、そっちのほうがよっぽどバッドエンドに感じた
ぼくにとってあそこはキラキラし過ぎていた。
同じ高校の同級生のプリクラ。交際相手とのツーショット写真。クリスマス楽しかったねと呟かなくてもいいようなゴミツイート。
みんな、冬休みを謳歌することが正義だと言わんばかりにリア充ビームを発射している。ぼくはそれらに打ちのめされる。
twitterのアカウントなんて作るべきじゃなかったんだ。ぼくもあちら側に行けるのかななんて思うのはよしたほうがよかったんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Y3xehyYXbJw
https://www.youtube.com/watch?v=sOfieyM0SrA
ごめんちょっとそれは伏せる
遅レスだけど、元増田に「なぜ、私服OKの職場で、ジーンズだけが許されないのでしょうか。」という疑問が明々白々に書かれているでしょ
何なの?やっぱ馬鹿ってちゃんと読めないんだな。
あんた、スゴい。
ただ、俺もよくわかんないのよ。口先の自己嫌悪とかスゴいんだけど、心の奥底では自己否定しきれないのよね。変に自分に甘いんだよ。
あと、変化の方が正しい表現だね。かっこつけの悪い部分が出てるわ、コレ。
これを読んでというわけないじゃないが、最近(でもないが)ハッピーエンドとかバッドエンドとかがわからなくなった。
例えば、『秒速5センチメートル』とか、私はハッピーエンドだね~と思ったけれど、世の中では胸糞らしいし、『かぐや姫の物語』も私はすごい上級のハッピーエンドじゃん……!と感動していたら、ツイッターでものすごいバッドエンドって言っている人がいて驚いた。
というか、見る側にとっての、ハッピーエンドになるための目標スコアが高まりすぎていて、なんでもバッドエンド扱いにしすぎじゃないのか?という。
で、結局、思ったのは、私の思う"ハッピーエンド"ってハッピーどうこうよりただの私の"好きエンド"なんじゃないかってことだ。
物騒な言い方だが、私は人の死ぬ話が好きだ(スプラッタものとかではなく)。報われない話が好きだ。結ばれない恋の話が好きだ。
で、そういう要素があると、私的には"ハッピーエンド"になるのである。
逆に、たぶん世間的にハッピーエンドなんだろうなあと思っても、個人的に好きではない話とかももちろんある。そりゃ誰でもそうだろって話ではあるが。
例えば、『ゆりかごを揺らす手』とかは、ベビーシッターの金髪美人の思うままになって終わったらそれはそれで好きかもと思うし、『耳をすませば』も『秒速~』みたいにウダウダして何もないまま終わってたらもっと好きだった気がする。
ただの、アンチハッピーエンドなのかもしれないが、とにかく、個人個人でハッピーとかバッドとか変わる基準ではなく、これからは「私が好きなエンド」基準で生きていこうと思った。
←これ ←これムカツクわー
カッチカチやぞ!