はてなキーワード: 辛党とは
全く同じ人間はこの世にいないように、全ての人に通用する理屈はない
ということを努々忘れず、常々覚えておいて欲しい
どうかこれだけは忘れないでほしい
・A→BでCを行うと喜ばれた
というケースがあるとして
BがCされるのが好きなことで成り立つ話を
・A→DでCした場合は嫌がられる
これはどちらもまるで別の話であって同じにすることはできないし
それは仮定にしかすぎない上に、その行為を非難する理由にならない
人間は1人1人別人格を持っているという事実をポリコレは決して見つめようとしない
竹山もマエケンもマエケンのお父さんも葬儀に同席した人たちもそれぞれ一人として同じ人はいない別人格だ
だからこの話で笑えなかったという意見を持つことに間違いはないし、
笑ったという意見も決して間違いではない
本当に間違いというのは個々人の振る舞いを、別人格として尊重せずに何かに統一しなければ気が済まないという歪んだ正義感の、それである
僕らは1人として同じ人間がいないということをもっと強く自覚するべきだと思うし、
そこに誇りをもって生きるべきだと思う
正解が一つしかないのだとしたらそれはそれぞれ違いがあり、決して同じものなど存在しない
皆が同じになれないし同じ物を見れないのは歴史上の偉人たちが証明してくれた
僕らは別々の者としてしか生きれないしそれこそが僕らの本当の姿だ
そうやって生きてきた総ての人間に敬意を払い僕らは違う者として生きるべきだ
どうかそのことを忘れないでほしい
そんなことできるわけねーだろ
どんだけ辛党のフリしても甘党なら辛いもの食って美味いとは思わねーから
それはフラットな状態になれる俺っていうただのカッコつけ行為です
本や漫画や映画なんかの作品は人生を豊かにするためにあるものだ
エンターテイメントなら楽しむことで豊かになる
でもその積み重ねを否定しにかかるフラット(なつもりになった俺カッコいい)を強要しないと
楽しめない作品って、それは最初からあなたにとって豊かにならない作品だから
今までの積み重ねを否定するなら今その見ている作品も豊かな結果には返ってきません
「喜んでいるらしいが、何で喜んでいるのかわからない」状態なわけだ。
「設定」の確認なんだけどさ。
食感の悪い物、味の無い物・変な物、取り合わせの悪い食材。
そういう物を「好んで・拘りをもって作る」わけじゃないんだよね?
甘党、辛党みたいに、対立構造にあるのでなく、どうでもいいんなら、相手の好みに合わせるけどね。
どうでもいいんだから。
ここで、辛みに鈍感で、辛いと言うのがどういう感覚か理解できなくても、関係ないよね。
先日飲みに行ったら上にも置かない扱いをされたので、事実をそのまま食べログに書いた。すると反映されないという。
ぐぐってみると、食べログに悪評書いたら差し戻されるらしい。知らなかった。
http://d.hatena.ne.jp/tittea/20091123/1258882640
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ありがとう 西千葉店
夜の点数:1.5(料理・味 4.0 | サービス 1.0 | 雰囲気 3.0 | CP 2.0 | 酒・ドリンク 3.0)
学生仲間と飲みに行きました。
料理がおいしいです。値段控えめ量控えめで、がっつり食べるよりいろんな料理を楽しみたい人に向いています。
なかでも、富士山を模した辛いお鍋は独特。辛さを5段階から選べます。
辛党の友人は鍋のスープを飲み干していました。目も舌も楽しませてくれます。辛いものが好きな人は是非。
しかし、問題は接客です。
サラダにペーパーナプキンが混入しており、友人が咀嚼させられてしまいます。
「これは…あの一言で終わりなの??」と、困惑した空気が流れます。
更に注文の取り違えが発生するに至り、さすがに河岸を変えて飲み直すこととなってしまいました。
既に時間が経過しており、最初の御座なりな対応の悪印象を拭いきれるものではありませんでした。
# ちなみに、隣のテーブルでもトラブルが発生していた模様で…
人間の作業にミスはつきものです。ミスをするなとは言いません。
苦情をお伝えしてすぐの応対がきちんとしていれば、店を変えるほどのことにはならなかったと思います。
(転載すた→http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20081214)
「処女にこだわる」「処女でなければ耐えられない」と発言することについて、なんか、横で進行している話題に目がひっぱられてしまったのでメモ的にフォローしとく
■1.別にそれでいいんじゃない?何に耐えられて、何に耐えられなくても。:基本的に自由
発言した当人が、「自分の恋愛の相手が処女でなければ耐えられない」というのは当人の問題として別にぜんぜんアリだろう。
ある任意の人物が恋愛にいかなる形で関わりたいかということは自由であってよい。恋愛の関わり方への選択には、さまざまなオプションがありうる。
「彼はチョコが好きだ」「そして、わたしはガムが好きだ」というお菓子の選択と問題の構成は同じ。
好きなほうを選べばよいし、それは他人に強制するものではないし、強制されるべきものでもない。
ちなみに、わたしはこれから暴君ハバネロを食べるつもりだけれども、これは別にあなたに暴君ハバネロを食べろと言っているわけでもないし、誰かに強制されたわけでもない。あるいは、もし私が超辛党で、甘いものが食べられないような体の持ち主だったとしても、それは他人から責められる筋合いはないし、他人に強制する気もない
■2.でも、それで万事解決かどうかは謎よね:相手との調整問題はある。
しかし、わたしが暴君ハバネロを食う、という選択と恋愛行為に関わる選択をすることはまったく同じではない。
恋愛行為には、相手がいる。片方の欲求が、達成されなかったとき、それは調整される必要がある。
欲求を相手に負担を強いて、どうしても達成するか。あるいは妥協するか。あるいはすっぱりとあきらめるか。
お菓子の例で言えばこういうことだ。
2人でお菓子を買うときに、ひとつのものしか選べない場合には、双方の欲求や、選択、資源配分を調整する必要が生じる。わたしがハバネロを食べたいといって、相手が都こんぶを食べたいと言ったとき、相手と私の欲求を調整する必要が生じる。しかも、恋愛はお菓子を選ぶことよりもずっと重要で、ずっと重たい問題である。よって、この資源配分/資源調整の問題は、片方が我慢し、片方が欲求を通せば済む、という簡単な問題ではなくなる。
おそらく、「処女でないとがまんできない」という感性を持ってしまった人間は、苦労する。自分の欲求が達成されにくいから。
■3.ありがちな誤解を誘うことと、の問題:一般論なのかどうか
ということで、「処女でないとがまんできない」と発言した人へのわたしの感想は
「そうですか。それは大変ですね」
という一言で、基本的には終わる。終わっていいはずである。
しかし、発言してしまうことが誘いかけた問題はおそらく別にある。
「一般的に言って処女は許されるか、許されないか」
という問題がある。
どちらかというと、この問題は脇道、というかどうでもいい、とおもう。
発言者は、おそらく「処女性にこだわるなんて、無意味」というような一般的な恋愛言説を意識している。
そして、「処女性にこだわってしまう自分」が間違いなのかどうかを問うているように思える。
それは別に間違いではないし、そういう人はいる。その存在自体が否定されるべきではない。
「処女性にこだわってしまう感覚」は、様々な性愛の感覚の中の一つとしてあってもいい。
しかし、往々にして、「わたしはXだ」という発言と「わたしはXだと思う」という発言は区別がつきにくい。
前者は、単に存在主張であり、討論の対象ではない。
後者は、一般論としてどうか、という議論であり討論の対象となる。
一般論として、「処女は許されるか」と問うならば、それは「許される」。未婚者であっても、それは日本社会では、一般的に許される。
しかし、わたしにとって処女が恋愛対象とならない可能性もあれば、Xさんにとって処女しか恋愛対象とならない可能性もある。それは単にそういうことだ。
「私は相手が処女でなければ耐えられない」と言う人間がいる、という事実に対して、
もうすでに処女でなくなってしまった人が、それをショックに受け止めるかもしれない可能性、はあるだろう。
そんなことが、境界線になるのか、というのはあるだろう。
でも、別に、そういう人はいるよね、という話以上の意味がこの話にはあるのだろうか?
もちろん、そのような意味を読み込むこともできるだろう。
「付き合う女性は処女の人間のほうがいい」という男性ばかりの社会では、
「みんな、処女以外は許してはいけない」という発言という意味でなされるのであれば
それは女性の側に、非処女である自由を抑圧する発言に他ならない。
そういう意図なのであれば、その発言は責められてしかるべきだ。
だが、この発言はそういうものではない。
それは、ありがちが誤解が読み込まれているにすぎない、とわたしは思う。
■5.「私は本質的に処女でなければダメである」かどうかが不明であるという問題
ただ、さらに少しフォローをするのであれば
「私は処女でなければダメだ」と宣言する人間が、本当に「処女でなければダメ」なのかどうかは、
実際に処女でない相手とつきあってみるまで、その問題が本当にどうにも覆しがたい問題なのかどうかは謎である。
童貞なら特に。
それは、自分自身が自分をそういう人間だと思い込んでしまっているからだ、という可能性はある。
人間は思ったよりも、意外と変われる。意外と環境にすんなりとなじむ。大変な場合もあるけれども可能だ。
ただ、「変わる」ために、あるいは「妥協する」ためにどのぐらい努力を要するのか、
どのぐらい難しいものなのか、ということには個人差がある。
どうしても無理な人は、いる。
これをいないことにしてしまうのは横暴だと言ってよい。
たとえば、同性愛で考えてみよう。
わたしは同性愛者ではないので、同性の人間とセックスをしろ、と言われたら大変である。だいぶ厳しい。
でも、最初はいやかもしれないけれども、強引にやられてしまったら、そのうち慣れてくるかもしれない。
いや、それどころか、意外と1,2回でさっくりといけてしまうかもしれない可能性だってあると思う。
でも、試してみる気はないし、試してみる必要性もいまのところない。
いまのところ、わたしは同性愛者ではないと、わたしは思っているし、
同性からセックスをせまられたら「ごめん。むり」と言う発言が尊ばれてしかるべきだと思っている。
「意外といけると思うよ?」と言われるかもしれないけど。「でも、ごめん、むり」と言うと思う。
「むり」だと思っているわたしは、後になってみれば愚かだったと言われる可能性はある。
でも、それが愚かであるかどうか本当にわからないうちは、
自分自身が「自分が同性愛者ではないと思っている」という意志の問題は尊重してほしいと思う。
だから、「意外と大丈夫だと思うよ?」という発言まではOKだけれども
「そんなもん、ぐだぐだと言ってないで、やっちまえばわかるって」という発言はセクハラでありNGだと思う。
わたしは同性と、やりたくない。
処女でなければ耐えられない、と述べる人が、自らの性愛感を主張し、相手に求めることは
尊重されるべき事柄だとわたしは思う。
事後的に観察すれば、それは「厨」かもしれないけれども、そうでない可能性もある。
どうしても無理ならば、それは無理なのだろう。
でも、無理だと思っているのが、単なる思い込みの可能性もある。
自分で「思い込みかもしれない」と思えたのならば、ほんとに思い込みかどうかを試してみればよい。
試した後には、「わたしには無理だ」という言葉の説得力は、一回り違っているだろう。
試してみる価値はあるかもしれない。
(もちろん、繰り返すが、
試していない人間の、「わたしには無理」という発言は思い込みである可能性もある。
けれども、それを、「絶対思い込みだって」と他人が断定してしまうのは横暴である。
「思い込みの可能性もあるよね」とまで、可能性を示すのは、横暴ではないと思う。)
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もう誰も読んでないと思うけれども、補足。
非処女の人が「ああ、私は対象外なのね」という形で疎外感を受ける、のと同時に
処女が、非処女になることを想像するときに「私はそれをすると、対象外の存在になってしまうということなのね」という抑圧も受けますよね、というご指摘があり、そのご指摘はまったくそのとおりだとおもいました。
こんにちは、元辛党です。今日の昼ね、後輩といっしょに会社から少し離れたカレー屋に行ったんですよ。かなり辛いけどウマイってことで、けっこう有名らしくて。
もうね、激辛好きとしてはね、カレー好きとしてはね、一度行っておかないといけない。こちとら中学生の頃にレトルトの200倍激辛赤カリーを常食していた男ですよ。ビビる後輩にそんな辛党武勇伝を聞かせながら店に入ったわけです。さっそく注文すると店員が「辛いけどよろしいですか」なんて聞いてくる。バカかお前。俺が苦手とする辛い食べ物は黄色いうんこ、別名からしだけだ。ハバネロだろうが青唐辛子だろうがもってこいやァアアアアア!!
なんてこと口に出さなくて良かったです、本当に。違うの、次元が。まるで火薬を口に運んでいるよう。一口食べるごとにね、辛みの向こう側が見えてくるんです。汗はぼたぼた、目はグルグル。後輩は1/3食べてギブアップしてましたよ。でもね、俺はダメなの。さっき語っちゃったもん、武勇伝。「けっこ、辛イね」ってカタコトで話しながらなんとか食べきりました。
食べてしばらく経つと胃が焼けるように熱くなってくるの。もう仕事どころじゃない。腹の中で誰か祭り開いてんじゃね?ってくらい激しいの。そろそろお開きにしませんか?って聞いても「まだまだこれからよ!」ってガチムチのオッサン達がふんどし姿で神輿かついでんの。そーっすよねー、今入ってきたとこっすもんねー。胃から腸、肛門へと向かって神輿ご一行様はねり歩かないといけない。まだまだ祭りは続きます。だが待ってろよ、貴様らが肛門を経て最終的に行き着くのは便所という名の地獄だ!肛門を叩く音が鳴るまで、じっと耐え抜きました。
数時間後に「それ」は来た。俺はスマートに席を立ち、審判のステージへと向かった。ようやくこいつらともお別れ。便座に腰を落ち着ける。祭り男たちよ、和式でなくてすまない。
ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!
「門が開くぞー!」
ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!
「神輿をかつげー!」
ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!
おかしい。手応えが薄い。でてきたのは、こんなに少しだけ?
そう思うと同時にアナルに激痛が走る。あの野郎ども、俺のかわいいアナルちゃんに一体何をしたんだ!まさか、これは、燃えて……?いかん!消防隊を呼べ!!すぐに火を消し止めろーーッ!!消防隊のホースが俺のアナルを適確に捉える。がッ!この馬鹿ウォシュレット!なぜ温水なんだ!!?あまりにも刺激的すぎるのですぐに放水を止めさせた。
じくじく痛むアナルをやさしくパンツで包みながら、便器で沈んでいく「ヤツら」を確認する。やはり少ない。ーーーまさか。「祭りはまだ終わっちゃいないぜ?」便器の中の真っ赤なソイツは、そんな風に言いたげな顔をした。祭り男達はまだ俺の腹の中にいる。こんなことを、あと何度繰り返せばいい?一体、どうすればいいんだ。誰か教えてくれ。俺のアナルを守ってくれ……。