はてなキーワード: 修羅の国とは
いらっしゃい修羅の国。
『あの日の成人式は確かに「派手」ではあったけれど、決して荒れてはいなかった』
テレビカメラが来るから成人式は「一生に一度の見せ場」とばかりに派手になるんだよね
子どもの頃から地元があまり好きではなくて、大学進学で上京してからはずっと東京に住んでいる。
9年前、毎年テレビで見ていたあのお祭りのような成人式(成人祭)には普通の振り袖を着て参加した。
会場で会った高校の同級生たちはみんな普通の格好だったけど、小中学校の同級生にはやっぱり派手な格好をしている子たちもいた。
小学生の時に片想いしていた男の子が30センチくらいのリーゼントに金ピカの袴を着ている姿を見たときは、少しだけ胸がぎゅっと切なくなったのを覚えている。
東京に戻ってからは、友人たちに会場で撮った写真を見せながら「修羅の国の成人式」を紹介して笑い話にした。
地元が北九州であることは変えられないのだから、自虐のつもりで、せめて笑い話にしようと思っていた。
あれから何年も経った今、自分の出身地が「修羅の国」呼ばわりされているのを見るのがつらくなっていることに気づいた。あの頃、自分もそう呼んでいたのに。
思えば、あの日の成人式は確かに「派手」ではあったけれど、決して荒れてはいなかった。
「修羅の国」は発砲事件や手榴弾などが見つかっていた当時の治安を指して言われ始めたことなのだろうけど、だとしても、あの街の治安と成人式の派手さは関係がないのではと思うようになったので、「修羅の国の成人式」という紹介にモヤモヤするようになった。
思えば、あれは一種のコスプレイベントのようなもので、オタクが年に2度コミケで思い切ったコスプレをするのと趣旨は同じで、方向性が違うだけなのだろう。
なんなら、コロナ前の渋谷のハロウィンの方がずっと荒れていたと思うけれど、渋ハロは別に「修羅の国」なんて呼ばれない。東京だもんね。
社会の存続のために子供が必要、これはある程度同意出来るのではないだろうか
そんなのどうでもいいと言う人もいるだろう、個人の生き方としてはそれでよいが、社会の制度設計としては存続を前提にあるべきだろう
福祉も治安もへったくれもない修羅の国にしたいなら、喧嘩強くなって王様にでもなってくれ
さて、子どもを産まない理由は色々あるが、第一に金銭面での負担はかなりかかるんじゃないか
現状、子育てが2500万円かかるとしたら、税金が500万円くらいの補助だろうか。そんなあるかは知らないが、これでも個人が8割負担である
これを、高齢者の健康保健を見習い、1割負担、9割税金補助というのはどうだろうか
3割も考えたが、子育ては金以外に労力もかかる、1割がいいと思う
みんなはどう思う?