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「ぼくらはジャパリパークに堕ちるでしょうかね」
カバンちゃんは言った。カバンを持っていて、見たことのないけものであるカバンちゃん。だから、目の前の地獄を放置することに関して、カバンちゃんがこれまでどのように折り合いをつけているのかわたしには想像もつかない。サンドスターから発生したその日に、信頼できるけものにじゃパリマンでももらったのだろうか。
「わたしはけものだようー。ジャパリパークでんでんについて気の利いたことは言えそうにないなあ」
カバンちゃんはそう言って、悲しそうに微笑んだ。
「そうだな、ここはすでにジャパリパークだ」
ジャガーが笑う。ここがジャパリパークだとしたら、わたしたちのバスは地獄めぐりしていることになる。ペンギンたちもびっくりだ。
しかしカバンちゃんはそうじゃないと言って自分の頭を指差した。
「ジャパリパークはここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。全十二話+一話のパターンに。目の前の風景はジャパリパークなんかじゃない。逃れられますからね。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらはテレビを切って普通の生活に戻る。だけど、ジャパリパークからは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにある地獄ですから」
コツメカワウソが笑って訊く。聞いた話だとコツメカワウソは毎日すべり台であそんでいるらしいが、それは昔からそうだったんだね、すごーい。きみは習慣以上のことはやらないけものなんだね。すべり台ですべっているけもののどれだけがコツメカワウソみたいにねっしんな信仰? を持っているのかな? ほんとうのところって誰にもわからないからな〜〜?
「わからないよ」カバンちゃんはコツメカワウソにそう答え、「ジャパリパークがぼくのなかにあるのは知っている。だって、見たことがあるからね。けれど、図書館はまだ見たことがない。図書館は人間の世界だから、フレンズの退化した脳におさまるようなものじゃないかもしれないね。あるいは、しんざきおにいさんに訊かないとわからないのかも」
「さて、諸君」スナネコが会話を割り、「考察はそこまでにしようや。そろそろ放映が始まる時刻だ」
どこからか音楽が流れてくる。どうぶつビスケッツの「ようこそジャパリパークへ」。視聴者の脳みそが溶けてアマゾンのランキングを紅く照らし出す地獄のようなアニメには、皮肉としか言いようのない美しいオープニング・ソングだ。わたしたちは音源の方向へと這い進む。わたしの後ろには十四匹のフレンズたちが付き従っている。三十分後にはどれだけのけものがのけものにされずにすんでいるだろうか。
映画の内容どうこうっていうか、主人公の名前が「勝俣慎吾」っていうんだよ。演じてるのは、「佐藤隆太」なんだけどさ。
俺は、この映画を見る前から、この俳優さんを「勝俣慎吾」だと思ってたんだよ。「お笑い芸人の勝俣さんが主演の映画なんだ」って思った。
勝俣慎吾っていう俳優さんがいて、「あれ?お笑いじゃないんだな今回は」って思った。
見ている内に、どうやら、この登場人物も、「勝俣慎吾」らしいんだよ。
「へ~、登場人物に俳優さんの本名使ってるんだw」くらいに思った。
見ている内に、「ふ~ん、俺が子供のころからいる芸人さんだけど、今で言えばこういう風な人がモテるんだよなあ。(俺は28歳)」と思った。
子供のころからテレビに出てる人は、なんとなーく、普通に思ってたけど、やっぱテレビに出るだけあって、結構頑張ってる見た目なんだよなと。
で、見終わってから、エンドソング流れるけど、「主演:佐藤隆太」。
え?
佐藤隆太って聞いたことあるけど、出てきてたか?佐藤隆太ってどういう顔だっけ?
勝俣州和ってお笑いの人はいるし、確かに俺もこの人は知ってるが、この人じゃない。
え?最初から「佐藤隆太」って名前だった???違うでしょ、君、「勝俣慎吾」って名前の人だったでしょ?
「佐藤隆太」って確かイケメン俳優で、ダルビッシュみたいな顔してた人じゃなかったっけ?「佐藤隆太」については全然知らないけど、確かダルビッシュみたいな顔だったような、、、。
いや、絶対この人は、「しんごちゃん」って昔から呼ばれてたよ。
おかしい。
デジャブとかじゃない。
デジャブなら、「気がする」だけど、俺はこの人が芸人として芸をしたのを絶対に何回も見ている。
目を内側によせて、「慎吾ちゃーん」って言いながら、ホホに両手をあてる、そういうギャグを絶対やっていた。
なんか、三枚目がイケメンセリフ吐くみたいな、そういうギャグやってた。西部警察のパロディみたいなのもやってた。
ブラックビスケッツとか、ホワイトビスケッツがやってた番組、『うりなり』にレギュラーだったと思うし、社交ダンス部で踊っていたはず。
本当に怖い。どうなってんだ。
世界線が変わったってやつか????異世界に飛んだ系のオカルト話みたいでマジで怖いんだが。
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どうやら、
俺が見ていたのは、柳沢慎吾。
メッチャよかった。
いい師匠と出会うことは難しい。そもそも弟子の段階で誰がいい師匠か分かるなら、そもそも結構実力がある人である。
ハンターハンターや幽々白書なんかはいい師匠に恵まれている漫画の典型である。弟子の限界点をある程度分かっていて、限界ギリギリもしくは少し上くらいを目指して成長を促す。また、師匠といってもほどよくレベルが上の師匠がよい。ハンター試験受けてたころのゴンがビスケが出会っても、弟子としての条件も満たしてなくて弟子になれなかったはずである。だから、いい師匠に出会うというのは「いい師匠に出会う」だけでなくて「いい師匠に見合うだけの弟子となった状態で出会う」必要がある。全くのド素人を構ってくれる師匠もいるだろうけれども、そういう師匠は逆にいえば、必ずしも弟子の成長につながるわけではない。それは弟子次第、というわけだ。
また、「いい」師匠という言葉も難しい。有名な先生だって、自分と性格が合うかどうかなんてわからない。何が「いい」のか。成長を促してくれる師匠が「いい」というのであれば、そんなこと誰がわかるのだろうか。今思えばいい師匠だった、今思えば優秀な人だったけど成長にはつながらなかった、つまり結果論でしかない。
弟子の姿勢というものももちろん重要だ。いい師匠というのは単に優しい師匠ではないことは何となくわかる。優しいだけでない面に出会っても、耐えて成長につながっていく姿勢が弟子には大事だ。師匠の視点から見ると、そういった弟子を見抜くのも上記の例と同様に大変なはずである。弟子をとりたい、という師匠は基本的には自分の引き継ぎ手を探しているはずだ。そんないい弟子と出会おうとする師匠にとってもいい師匠に出会おうとする弟子と同様に大変なのである。
だから、そういうことを考えているとこんな考えが浮かんでくる。いい師匠、いい弟子、という括りではなく、それはもはや人と人の巡り合わせなのだろうと。人が人と出会うというのは運、というか運命に近いところが作用してくるところだ。その運命の中でいい師匠といい弟子が巡り合うのではないかと思う。もちろんいい師匠に出会おうとすることすらしない人はいい師匠と巡り合わせる可能性は下がるだろう。しかし、それは可能性の話である。芸能人の過去の成功話を聞くと、とくに何もやる気はなかったけど、たまたまプロデューサーの目にとまった、そういう人もいる。可能性を上げる努力はもちろん大事で、後から考えるとそれが成長につながったということは多々あると思う。でも、やっぱり可能性の問題でしかない。
人はだれかに何らかの形で仕えることが多い。サラリーマンなら職場の先輩や上司に仕える。師匠なんて言葉はもちろん使わないけれども、影響は多かれ少なかれ受けるはずだ。いい影響を受けて、今後の成長につながったとしたら、それはいい師匠だったということになる。師匠を選べるという人ならいいけど、あまり選べない人も多いはずだ。だから、いい師匠と出会うというのはえいやと飛び込む気持ちで選ばなければならないということだ。やっぱり、結局のところえいやと飛び込んでもいい師匠であるかはわからない。