資本主義は確実に崩壊することが判明:http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-2045.html
わかってた。なのでちょっと乗って以前はてダに投下した文章をこっちにも投下。
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まぁネタってタグをつけましたけど、私は本気でそう思ってます。理由はたったひとつ、実際の富と市場に流れているお金が釣り合っていないから。
いや、今までだってそういう局面があっただろうしそれは戦争やらなんやらで解消されてきたんでしょうが、もう同じ手は通用しないでしょう。今は情報の伝達が非常に高速になされるようになりました。それは相場の急激な乱高下が非常に起きやすくなったということです。仮に何らかの方法で今の市場の安定を取り戻したとしても、次はもっと短い期間で不安定な状態に戻ってしまうでしょう。そんな危ない方法で富を管理するのはもうやめようという話になると思います。
大事なのはお金そのものに価値があるのではないということ。本当に価値があるものは富です。わかりにくかったら富≒現物と思っていいと思います。お金は富を交換するのに便利だから使われてただけで、他の方法で富の流通が円滑に進むならそれで間に合ってしまうと思います。
お金の最大の弱点は利子という仕組みです。借金の約束をする時には利子の約束も同時にします。これは今はまだ存在しない富に予約票を貼っておくものです。で、この予約票そのものにも価値があるなんていう誤解が蔓延しすぎたと言うか、みんなが未来を信じすぎたと言うか、とにかくそれが一番のガンです。
返済期日までに利子分の富が用意できる保証はないのに用意しろって言っちゃう。用意しますって言っちゃう。世界中でそんなことが行われて、返済用の富を用意できなくなった人が、やっぱり利子の約束をして他からお金を借りて返済に当てて、自転車操業が始まっちゃう。そうするともっとどんどん利子の約束が増えていく。そんなことが今世界中で個人から国家までありとあらゆる所で起きている。
でも世界の生産能力って限界があるわけで。その限界を越えて利子が増え続けたら、極端な話最終的には世界中の土地を売ったとしても返済できない額になってしまうでしょう。実際にはもっと手前でブレーキが掛かると思いますけど。
要約すると、お金は富を交換するためのツールでしか無いのに、まだ富のないところにお金があるとみんなが約束してしまったのがマズイってことです。
最近オカ板のまとめブログで、ばあちゃんの予言とか予知夢見る人の話とか未来人のカキコとか読んでみると、今まで価値がなくなるとは思わなかったモノの価値がなくなるとかあったりして、そうだよね、もうお金っていうシステムは長続きしないよね、なんてひとり合点してたりしてね。
[ネタ][爆笑][有村儲うるせえ] ここはひとつ、id:y_arim x id:Marnierの/.を描くしか!wwww > id:mimipann, id:KOH5611, id:search-light
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Marnier/20090823/p1
携帯電話が一般的になり約30年。
国民1人に携帯電話1台以上となった現在、生活に欠かせないものとなった携帯電話ですが、累積通話時間が15年になると電波障害という病気を発症する事がわかりました。
電波障害とは携帯電話を使用しなくても、大気中の電波を受信する事が出来るようになり、常に電波が聞こえる状態になってしまうことです(病気ではなく新たな進化かも)。
治療は、ヘルメット型の電波ジャマーを装着し、電波受信をキャンセルする事でなんとかできます。
第7世代の携帯電話では電波障害が発生しないようになり、無料で交換が行われています。
携帯電話が事業化された当初は通話時間が15年を超過するなんてとわからなかったのですが、この場合、悪いのは誰?
RPGはゲームの中の役になりきって遊ぶというのがその本来の定義である。数あるRPGの中でもドラゴンクエストシリーズはこの原義に則り、主人公=プレーヤー、という構図が忠実に守られているゲームの一つである。
ゲーム内での仲間というのは、さながら友達のようである。しかし、ゲーム内の家族となると、それは微妙な位置にあることになる。自分の家族ではないのにゲーム内で家族として振る舞うキャラクター。下手に扱うとプレーヤーにどうしようもない違和感を与え、主人公とプレーヤーを乖離させかねないこの『家族』、特に『親』を、ドラクエシリーズではどのようにあつかっているのか、簡単に考えてみた。
この記事はシリーズのネタバレしまくりなので、どうかご注意いただきたい。
主人公自身の出自が明確ではなく、親は陰も形も出てこないので問題無し。
主人公の父がシリーズ初登場。だが、特に父親らしい振る舞いをする訳でもないので、その存在に違和感を感じるようなことはあまりない。
主人公の母はいつも主人公の帰りを待っていてくれていることから、プレーヤーはこの『母親』からある程度親しみをじることができる。「お友達も泊まって行ってくださいね」という台詞も個人的にポイント高い。そして最初の王への謁見イベント以外では特に親であることを強調したイベントはないので、その存在にそう違和感を感じることはない。
主人公の父にはすぐに会うことはできないが、ことあるごとに人々からその偉大さについて聞かされ、興味や関心が湧く。そしてエンディング間近のオルテガの死のイベントで、やっと会えたのに…、と残念に思った人は多いだろう。こうした衝撃的なイベントであっても、それまでの伏線の張り方の秀逸さのおかげで主人公とプレーヤーの心情が大きくかけ離れることはない。
余談ではあるが、エンディングでギアガの大穴が閉じてしまったとき、私は真っ先にアリアハンで一人家を守っている『母』のことを考えてしまった。考えてみると、これは相当すごいことだと思う。
この作品では主人公に両親は居ないということになっている。もしかしたら、という人は居るが、それは本当に匂わせるだけのことであり特にイベントが用意されている訳ではない。
しかし下手にイベントにしてしまうと、主人公とプレーヤーに突然の『親』の登場による違和感を感じさせたり、あまつさえ主人公が妙に親になつく様な流れになったとしたらプレーヤーが置いてけぼりになる可能性が大きかったと思う。この程度の描写で想像の余地を残すにとどめたのは正解だったと思う。
ドラクエシリーズの中で一番家族の陰が濃いのは間違いなくこの作品だろう。幼い主人公を最後まで守ってくれた父、自分が妻に選んだ女性、いつの間にか大きくなってしまっていた子供たち、父と自分とでずっと探し続けていた母、全員に思い入れが出来るように巧妙にイベントが配置されている。
例外と言えるのが突然成長した姿で現れる子供たちかもしれないが、しかしここでプレーヤーが子供の存在に違和感を抱いたとしても、ストーリー上主人公もまた自分を父と呼ぶ子供たちに似たような違和感を感じたはずである。
また、妻を選べるのも大きなポイントである。もし話の流れ上強制的にビアンカと結婚することになっていたら、主人公とプレーヤーの心情はかけ離れてしまうことになっただろう。選択肢は二択だったとしても、自分で選んだ、という点が重要なのだ。
ゲーム内の『親』に対する違和感をある意味一番上手くみせているのはこの作品だと思う。この作品では3や5のように『親』に対して思い入れを作るようなイベントは用意されていないが、主人公の両親、特に母は主人公の親らしく振る舞うことになる。この突然の『親』っぷりに違和感を感じたプレーヤーは多いと思うが、しかしそれは完全に家族の記憶を取り戻すことが出来なかった主人公もまた同様に感じた違和感なのであり、切なさを非常に上手く演出していると思う。
フィッシュベルに住む主人公の両親は、基本的に3の主人公の母的な存在である。父親はたまに漁に出ているものの、帰れば二人とも家に居て、主人公を普通に迎えてくれる。そして特に大きくイベントに関わったり主人公に干渉してくるようなことはない。特に親子関係を強調してくることもないがそれゆえ大きな違和感も感じない、そういうタイプの親である。
そして7の場合、主人公の両親と思われる人々がもう一組居る。しかし彼らに関してはドラクエ4的な方式がとられている。あくまでも関係を匂わせるだけにとどめ、やはり親子関係を強調したイベントはない。こうすることでプレーヤーに違和感を抱かせることなく親を描写している。
この作品中に登場する主人公の家族は祖父のみである。両親は既に亡く、彼らについての話は祖父やその他の人々から聞けるのみである。両親のことを全く知らない主人公と、同じく『両親』のことを全く知らないプレーヤー。この両者がこれらの話を聞いて抱いた感想はやはりそう大きく離れたものにはならないだろう。
そして主人公の祖父の登場の仕方であるが、結構細かい伏線が張ってあり、また要所要所で彼に親しみを感じるようなイベントも用意されている。それらがあった上での満を持しての登場であるから、本当に上手く出来ている。
しかし今回こうしてまとめてみて、ドラクエシリーズは本当に丁寧な世界観を作っているものなのだな、思った。それは別に壮大な世界観ではなく、そこに居る、と感じられる世界観である。特に全世界を回ることが出来る様なRPGの場合でそうした世界観を表現するにあたって、主人公が天涯孤独でない限り家族の描写に関する問題は避けられない。が、その扱いは上手くやらないと主人公とプレーヤーの意識を乖離させかねない。しかしここに述べたように、ドラクエシリーズはその点本当に上手いと思う。
オフに行けないので、気分を味わってます。
本当の告知を見たい人へ
本来の告知エントリはここみたい
ちゃんと読めばネタなのは確定なのに混乱してしまう所が面白かった。
あの楽しそうな人たちが妬ましく憎らしい。
スケッチブックもって行って、自分を幹事だと思って話しかけてきた人をべつの場所に招待するか・・・。
次の人を迎えに行ってきますから、ここで動かずにまっていてください。って言って帰る。
ネタにしては陰湿だなぁ…思いつく人は居るけど、書いたらドン引きされる類。
連絡用に捨てメアドがあるといいのかな。
gmailから携帯に転送されるようになってるなら、主催者さんの前でメール送って着信したら本物とか。
荒らしている人、ほんとうにやめてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20070408191228
↑この最初に書いたのが正解です。
場所が変更されたのを受けて、更に場所の変更告知をする混乱ネタ
大階段が埋まってしまうらしくて変更した様子。
「(仮)」がいつまでも取れてないのが判別ポイント
待ち合わせ場所は雨風が防げないのと、スケッチブックがぬれてしまうので、雨天の場合は中止します。
雨ネタ。
外で絵書くわけじゃないんだから、雨天中止の意図が読めない。と言うのが判別ポイント。
でも、雨ならぬれないように対策して行ったほうがいいってのは確かかも。
ほとんどの情報をホンモノと同一にして、一個だけ肝心なところを偽情報にすればいいのに。
そして全部の情報を偽で騙るいたずらを自作自演で書き込んで、そいつと真っ向バトルするの。「いたずらはやめてください」とか。
これまた陰湿系。
どんな話題でも、なぜか真面目に分析されてしまうはてならしさが出てる。
本物の幹事なんて居なくて、全部いたずらなんじゃないの?
陰謀論。
幹事が居ない(幹事として接触しない)と言う事で、参加者確認ができず、壮絶な誤爆が発生しそう。
(以下続きます)
流行にのって、
田んぼ。とにかく田んぼが広がっています。筑後川沿いはクリークですね。これは結構すごいです。
干潟。最近すごい干潟を売りにしている。シツメンソウの里は、諫早湾がつぶれて今では全国一渡り鳥がわたってくる場所だし、鹿島市七浦はラムサール条約?だか、シギチドリネットワークだかに登録されていて、干潟でガタリンピックが有名。
あと、なにかあるかなぁ温泉。嬉野とか佐賀だよな。東の住人にとっちゃ長崎ですが。あと、佐賀神社のクマゼミがすごい。
そんな感じ・・・干潟ももうちょっと案内人とかがいるといいんだけど・・・佐賀にいらっしゃい。
http://www.geocities.com/disney_wetland/urayasu_city_folk_museum.html
愚痴を言う流れになりました。