名前を隠して楽しく日記。
手遅れにならんうちに引き返したほうがいいぞ
XのことをTwitterと呼び続けるおじさん
理解の及ばん他分野のことは自己流で下手に理解したつもりになったりするな
理解したつもりにならず、無知を卑下するかわりに、ざっくりとしたリスペクトを保ち続けろ
これが賢い人間ってやつだ
しゃーない、ワイの顔を売るとええで
新潮文庫の芥川龍之介『地獄変・偸盗』を読んで表題のようなことを思ったのでちょっと書いてみる
どうやら偉い学者のようだが、「何言ってんだこいつ」と思えるところがある
この人によると収録されている『六の宮の姫君』は出典元の今昔物語集と筋はほぼ同じで、あとは若干の創作が付け加えられているだけだそうだ
芥川龍之介が話の筋を重要視してないのは素人の自分でも知っている
この人は「わずかに潤色をほどこしているにすぎない」と芥川の創作部分を評価してないようだが、
出典元と読み比べてみると、むしろ筋以外はほとんどが芥川の創作で、描写される景色や人物の言葉は今昔物語集には存在しない
芥川が生み出したところに目を向けず、筋だけを取り上げて大したことない作品に貶めるとは、こういうのが文学研究なのかと、いったい何をしているのかと思う
『六の宮の姫君』は芥川が自殺する5年前に書かれた作品だが、自分には作中の死にゆく姫君の言葉は将来の芥川の自死を予感させるもののように読めた
こんな素人ぽい分かりやすい読みを超えた、専門家らしいもっと深く鋭い解説を読みたかったが、それともこれこそが専門家らしい読み方なのだろうか
細々した カイロ系のやつかな? ひとつずつ残して, あと細かく出品して\180のヤツデ送れば, スッキリするかな?
かなり手間かかるので, ちょっとタイ費用効果との兼ね合いが強いけど. どうするかな?
なんというか, 割と大きくて, 出品して売れると, かなり 印象的にスッキリ印象得られる 商品
っていうか 物 って無いかな?
こっそり、強い人間原理を信じている。
生命が生まれる確率が低すぎて、地球の生まれてからの年月じゃありえない、とか、馬鹿らしい。
無限回繰り返せば1には必ずなる。
5分前仮説は否定できない。
いまあるすごいモノは、偶然発見したのではなくて、世界が生まれて、物理法則、定数が定まった瞬間に、そういうモノが存在しえるという可能性が生まれた。あとは生命と同じく、無限の時間があればいつか実現される。
要するに、定められていた。
世界が生まれた瞬間に、そのモノがあって、認識している主体(自分)がいつかあるということが定められた。
何によって?
そこがわからない。他のことはほんとうに瑣末なこと。
わたしがない時間はわたしには認識できないから、要するに今生まれた。そのすごいモノを見た瞬間にその体験が産まれた。
そのモノが存在しているということ、その存在が存在しえるという法則が今産まれた。
人と話して、他人の実在を感じて、家に帰ってきて1人になって、やっぱりおかしいよなあ、と思う。
なんでみんなそれが不思議じゃないんだろう?
なんでみんなそれが大事な疑問じゃないんだろう?
と思う。
俺がアホなんじゃないか?と思う。
でも、どうアホなのかわからない。
客観的に見たら、意味のないことで悩む、病んだサルということになるのかもしれない。
死ぬことだけが最後の神秘だ。そのあとに答え合わせがあるのかも知れない。
肉欲を満たして、気持ちよかったらなんなんだ?
体が健康で、精神が健康で、いきいきと100歳まで生きて大往生したからなんなんだ?
すごいことを成し遂げて、褒められたからなんなんだ?
子供を育てて、愛に満ちた人生をすごして満足して死んだからなんなんだ?
目をつむったら1人だ。死ぬ時は1人だ。誰も着いてきてはくれない。
めちゃめちゃ功徳を積んだら、守護霊がガイドしてくれる?そんなもの、なんの根拠がある?
どうやって信じる?疑問に蓋をして、盲目になるしかないだろう。
神がいたとしてなんなんだ?
神が生まれたってことは、神を生んだ何かがあるってことだ。
自然に発生したってことは、それが生まれうる法則があったってことだ。
法則があるってことは、、、、
こっそり、強い人間原理を信じている。
生命が生まれる確率が低すぎて、地球の生まれてからの年月じゃありえない、とか、馬鹿らしい。
無限回繰り返せば1には必ずなる。
5分前仮説は否定できない。
いまあるすごいモノは、偶然発見したのではなくて、世界が生まれて、物理法則、定数が定まった瞬間に、そういうモノが存在しえるという可能性が生まれた。あとは生命と同じく、無限の時間があればいつか実現される。
要するに、定められていた。
世界が生まれた瞬間に、そのモノがあって、認識している主体(自分)がいつかあるということが定められた。
何によって?
そこがわからない。他のことはほんとうに瑣末なこと。
わたしがない時間はわたしには認識できないから、要するに今生まれた。そのすごいモノを見た瞬間にその体験が産まれた。
そのモノが存在しているということ、その存在が存在しえるという法則が今産まれた。
人と話して、他人の実在を感じて、家に帰ってきて1人になって、やっぱりおかしいよなあ、と思う。
なんでみんなそれが不思議じゃないんだろう?
なんでみんなそれが大事な疑問じゃないんだろう?
と思う。
俺がアホなんじゃないか?と思う。
でも、どうアホなのかわからない。
客観的に見たら、意味のないことで悩む、病んだサルということになるのかもしれない。
死ぬことだけが最後の神秘だ。そのあとに答え合わせがあるのかも知れない。
肉欲を満たして、気持ちよかったらなんなんだ?
体が健康で、精神が健康で、いきいきと100歳まで生きて大往生したからなんなんだ?
すごいことを成し遂げて、褒められたからなんなんだ?
子供を育てて、愛に満ちた人生をすごして満足して死んだからなんなんだ?
目をつむったら1人だ。死ぬ時は1人だ。誰も着いてきてはくれない。
めちゃめちゃ功徳を積んだら、守護霊がガイドしてくれる?そんなもの、なんの根拠がある?
どうやって信じる?疑問に蓋をして、盲目になるしかないだろう。
神がいたとしてなんなんだ?
神が生まれたってことは、神を生んだ何かがあるってことだ。
自然に発生したってことは、それが生まれうる法則があったってことだ。
法則があるってことは、、、、
お前熊なんじゃね?