「怒られても注意されても何も感じない」からだ。
でも、もうそういうの信じられないんだよな。
信じるというか、感情を凍らせて何も感じない技術が出来上がっている。
そりゃ悔しいとか辛いとか思うけど、そういうのを感じるのは、なんかの事件が起こってから数時間後とか一人で家にいるときなんだわ。
辛いこととかは、やるにはやるけど気持ちとかを入れなくなる。
そして、世の中ってのはいじめられっこにとって、「だめな奴はダメだ」という淘汰圧の世界だから。
ドンドン世界がいやなことばっかりになって、何も感じられなくなって、現実感がドンドン消えていく。
そんで、じゃあ自分にとってのいやじゃなくリアルなところはどこ?ってなると。
それが、ネットとか。
成長できないし、適応もできない。ただ目の前のいやなことにあわせているだけ。
できない仕事をできると言い張って困らせないで
生活や世間的なあれこれとは関係なく一緒にいたいというところで納得してほしいよ
ただいっしょにいたい相手というのは別物なんだ
他の家庭に比べると自分の家族はハングリー精神が無いというかよっぽど甘かったんだなと思う
身近な例で言えば父が痩せたいと言う割にブクブク太るのは意志が弱くて間食しまくるからだし
帰るとそういった空気や善意という名の有難迷惑を受けなければならないのが苦痛
早く一人の部屋に帰りたい
秋葉原でメイドしてるんだけど昼、店長に気をつけるように言われた。
9時頃帰るとき店長に気をつけるように言われた内容そのままの声かけをしてくる男がなんと4人。
流行ってるのかこれが成功率高いのか知らないけど、店舗間で注意を促されるレベルだからね。
1人はずっとついて来てもう完全に変質者だったわ。
長くて絶望的な一日がようやく終わった。
24時間の約半分以上の時間と身を削って一体何をしていると言うのだ。
コレでは、生きるために働くのではなく、働くために生きているようなものだ。
椅子と尻がまるで磁石のようにくっ付いているかのような感覚さえある。
そのうちにベッドからくっ付いて離れられなくなる
偽物を見分けるために、サービス提供者のどこをみるべきかというのは、過去の経歴で何をして来たか?というところだと思う。
お金と権力があれば、一夜にして全く同じサービスを市場に先に提供できる。つまり、お金があれば揃えられるものよりも揃えられないもの方が重要。
過去の研究期間や試行錯誤などのプロセスを知っているという根っこの部分は、お金ではかえない。
根っこを持っているところを成長させれば、多くの実を社会に生み出すけれど、
根っこのない所に食いついてしまうと、もともと盗んだ実の部分しか社会に産み出せない。
実を多く社会に産み出して欲しいなら、
ちゃんと、根を持っているところに返さなくてはならない。
俺が古参だからかも知れないけど、リリースが新しいもののほうが「使ってない」感強い。
一番生き残ってるのが一番古いサービスってどうなんだろうな。
2014以降にリリースされた大承認・Quyo・大チェッカーなんかは、久々の新サービスって謳われた割に使ってる人がまわりにいない。
それどころかたまに遊ぶはてなユーザーの友人に聞いても「何それ」なんて返ってくる。