はてなキーワード: 謙譲語とは
面白い話だな。
キレたのもキレられたのも経験あり。
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自分は36だけど
その話聞いててそれくらいでキレる?って思った。
まあ表情とか日頃の関係とかで変わるとは思うけどね。
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個人的には先輩後輩とか、あと年で目上目下って縦社会原理主義って好きじゃねーんだよな。
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終身雇用制もなくなって年上が後輩年下が先輩とかもあるわけじゃん?
あと年上だから結果を出せるとも限らんし、結果を出した人間が次も結果を出せるとも限らない。
あ、念の為に言っておくと年下だから結果を出せるとは言ってないよ。経験がモノを言うこともあるしね。
そういう身分的なものを作っちゃうと、図に乗るし、図に乗って下の意見は聞かない、もしくは意見を言うなどけしからん、とかその組織にとっても害悪なんだよな。
昔ならターゲットも現代みたいに複雑じゃなかったし終身雇用っていう信頼できる背景があった。しかし今はないし違う。
合ってないんだよ。
どっちが上下っていうのが仕事上必要なら年齢じゃなくて役職で決めればいい。
それでも奴隷じゃないんだから上なら何言ってもいい下なら何言ってもいいなんてのはナシ。もちろん年齢の上下でも。
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だから敬語に関しても「丁寧語」だけ残って、尊敬語謙譲語はなくなっていいと思う。
言いたい人は言えばいいけど、強制や押し付けはやめろと思う。
「丁寧語」を残した方がいいと思うのは、初対面では丁寧語を使うのがいいと思うから。
でも「丁寧語」ですら100年200年って経てばいらなくなるかもしれない。
すごくわかる。共感する。
私は十代前半で英語圏の国に移住して、その後ずっとその国に住んでいる。
英語は第二言語で基礎から学んだので文法も大抵は説明できる(と思う)し、問題なく働いている。
日本語はもちろん忘れていないし、読み書きもできるしおそらく普通に問題なく働くぐらいの日本語能力はあるんだけど、敬語や尊敬語や謙譲語やらは、「不自然かどうか」以外の判断ができない。そして、英語で学んだこと(大学の専攻で学んだ専門的な事など)は日本語でなんと言うのかわからないことがよくある。
英語も日本語もなまじ発音がそれなりにできるもんだから、人にはわかってもらえない。
時々「通訳してくれ」と頼まれることがあるけど、この欠点があるから、極力断るようにしている。
言語に関係なく、言葉を正確に(もしくは表現豊かに)話す能力と、どの言語を話すかは、全く別の問題だよね。日本語を話す人全てが川端康成並みの文章を書けるわけではないし、同様に、英語を話す人全てがシェイクスピア並みの文を書けるわけでもない。
いや、ごめん。横からだけど。
文字通り ファミレスで十分 な関係だったんだろ。
普通に連れて行く場所は選ぶ程度の脳みそは持っているが、それでも、普通にファミレスは嫌だとか、言われたらドンびくよ。
立場の問題。謙遜語とか、謙譲語とかあるけど、自分でそれを言ったら終わり、というのを言えるから驚くんだろ。
普通に、そういうところでも悪くはないと思うけど、おしゃれなところだと嬉しい。といえば、波風が立たないし、連れて行きやすいのに、
ファミレスに連れていくってなんなの?って言い方をするから波風が立つ。
で、波風が立つ言い方をする女って何なの?って事。(この場合の女は女全体のことではなく、そういう言い方をする女性の中の一部の集団ってこと)
外国語はほとんど知らないけど日本語の一人称が豊富というのは定説。
というかもともと中国語の一人称を表す漢字を借りて日本語の豊富な一人称を表現できているから、
「僕」はもともと「やつがれ」と訓じていて「下僕」「臣下」をあらわす謙譲語だったのを、幕末から志士が音読みして使ったのが起源。
「俺」は中国でも山東方言で現在も男女双方に使われる。日本語でいえば「おいら」「あちき」「わい」みたいな語感。
「本人」は現代中国語ではもっぱら書面語で使われる。「当方」みたいな語感。
「吾」「妾」も古語にあるし、「朕」「余」は昔中国で皇帝が使用していた一人称。
謙遜語がある文化が少ないんじゃない? 自分を下にするってなかなか無い文化だと思うよ。
相手を上に上げるための文化はいろいろな国にあるとしても (Mr Sir みたいな。)
自分を下に置くための言葉がある文化は少ないんじゃない。 外国語だと名詞が変化したり接頭語がついたり 変化の風習自体は色いろあると思うけど
ちょろっと見てきたけど、正式な(古典的な)一人称は 手前 かな。
あとは、方言や 謙譲語 その他の言い方からの転用の慣習化のような気がする。 私 は私物 公共物などの ム の文字を使ってるけど どちらも 役務財産などの概念から来ていて
そこから、自分自身という意味に転じているっぽい。 私事ではございますが > 私のことでございますが みたいな 流れだと思われる。
あえて 英語なら I think というか My Idea was というか 言い回しはあると思われる。
http://www.yomiuri.co.jp/keitai/komachi.htm
フィルタリングサービスをご利用のお客様はサイトをご利用いただけません。
お客様は「ご利用になる」のです。「いただく」という謙譲語を使ってはいけません!
同じページに、こんなことも書いてある。
読売新聞が自らの意思で対応するなら「順次対応いたします」と書けば潔いのに。
朝日新聞 : http://anond.hatelabo.jp/20100517152439
ヤマト運輸 : http://anond.hatelabo.jp/20100505212836
http://anond.hatelabo.jp/20100505212836
「お/ご~になる」は動詞の尊敬語をつくる形式のひとつで、「ご利用になる」は「利用する」の尊敬語です。
利用する → ご利用になる
飲む → お飲みになる
嘆く → お嘆きになる
一方「ご利用いただく」における「いただく」は、「もらう」の謙譲語です。したがって、どちらも行為者に対する敬意を表すという点では共通していますが、用いられる場面に違いが見られます。 「ご利用いただく」の「いただく」は、上述のごとく「もらう」の謙譲語ですから、「ご利用いただく」という表現を用いた場合には、行為の受け手に視点がおかれることになります。このため、話し手が行為の受け手であり、行為者が「利用する」ことによって何らかの利益を得る立場になければなりません。下記の二つ目の文が不自然に感じられるのは、「一緒に乗車した人」が聞き手の「利用する」という行為から利益を得るとは考えにくいためです。
(車内放送で)
(一緒に乗車した人が)
いつもこの電車をご利用いただいているのですか。
話し手が利益の授受に関与しない場合には、「ご利用になる」を用いることになります(ただし、「利用する」には「利益になるよう物を用いる」という意味がありますので、敬意を払うべき相手には用いにくく、「お使いになる」を用いる方が婉曲的であるといえます)。
打ち消し(否定)の場合も同様に考えることができます(「ご利用できません」については、「ご+(名詞)」が尊敬語であるのに対して後に続く「できません」が丁寧語であるため、やや座りが悪いように思われます)。
「いただく」は、自分を主語にして、相手にしてもらうときに使う謙譲語。
正しい使い方:(私は)先生に説明してもらった → (私は)先生にご説明いただいた
誤った使い方: カードをご利用いただけます → (私は)カードを利用してもらえます
※この場合は「ご利用になれます」が正しい。
なんかオカシイと思ったあなたは、日本語のセンスをお持ちです。では、どうしておかしいか分析してみましょう。
謙譲語「いただく」を、「もらう」に戻すと・・・
「は」が連続しているので、整形。
はい、変ですね。
まず「利用する」→「ご利用になる」という正しい敬語を使うと・・・
それから、この「利用」とは「店頭受取サービス」についてなので、具体的に「受け取る」にする。
それから、カッコ書きはなるべく使わないようにするのが原則なので、カッコを使わない書き方にする。
それから、わざわざ尊敬語・謙譲語を使わなくても、丁寧語で十分。
あるいは「ことができません」という長い言い回しをやめて・・・
これでも十分。
「いただく」は、自分を主語にして、相手にしてもらうときに使う謙譲語。
正しい使い方:(私は)先生に説明してもらった → (私は)先生にご説明いただいた
誤った使い方: カードをご利用いただけます → (私は)カードを利用してもらえます
※この場合は「ご利用になれます」が正しい。
アイロボット社。
http://www.irobot-jp.com/press/pdf/20100426.pdf
謙譲語「いただく」を「もらう」に戻して、書き直してみる。
はい、変ですね。もとの文の「いただく」の使い方を間違っているからです。
↓主語「私」を付けて書き直してみる。
↓謙譲語「いただく」を「もらう」に戻して、書き直してみる。
↓「は」が連続してしまったので、読みやすくするため、少し改変。
はい、変ですね。もとの文の「いただく」の使い方を間違っているからです。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368
なぜかというと、このままで行けば、ありとあらゆる面で日本は中国に負けることはまちがいない。あちらのほうが人口多いし、それは仕方ないんだけど、そのあと「成熟国」としてこの先どうまともに生きて、1億もいるぜいたくに慣れた人口(この先減るにしても)を養っていくかと考えると、やっぱり「ブランド維持」が必要。
それに同じ言語を話す人が一億以下だと養えなくなるならドイツもイタリアも北欧諸国やベネルクス諸国も養えなくなってるはずだろうに。これらの国がまともに生きれてないとか思ってるんだろうか?というかブランド維持→簡素化というのはおかしい。誰でも話せるように一般化したらブランドじゃなくなるだろうに。
そのためにすべきことはいろいろあるんだけど、「対中国語」という言語コンペティター戦略で考えると、日本語は「かな」を持っているだけで大幅に有利だから、「日本語できる非日本人」を増やすことが、中国語よりもやりやすいという点が生かせないか、と考えるわけだ。
この人は漢字廃止して表音文字だけの韓国語が外国にほとんど広まってない事はどう思ってるんだろうかね。そもそも知らないとか?
そもそもカタカナや謙譲語を知らない外国人を増やしたら、どういう風に日本の経済成長につながるのかさっぱりわからん。それまでの文書を簡易日本語に置き換えたり新言語を強制するコストのほうが大きいんじゃないかと思う。