「ユートピア」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ユートピアとは

2010-10-22

水道水500mlに100円も出すとかバカだろ」

みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。

********************

http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html

未来がハッタリによって支配される5つの理由

理想未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分ゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想未来を。エネルギークリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?

でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。

とりあえず説明しようか。

#5.

スタートレック風のユートピアは既に実現してる……っぽい

まず最初ポルノと死んだ赤ちゃんの話をしよう。

もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像エロ動画を持ってくる?

多分答えは「全部」じゃないだろうか。

これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルク赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。

企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。

みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会ルールはひっくり返されようとしている。

未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノ空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類宇宙燃え尽きるまでエネルギーおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。

さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルネットブックと月額20ドルネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。

マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。

俺たちネット住民はゲームデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。

違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。

#4.

ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。

というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!

いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?

ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。

そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分パソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。

なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。

図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:

A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?

B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?

C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?

D. ちょっと待てよ。印刷製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?

E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?

ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫本屋図書館印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。

これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。

みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。

みんなソニーマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいたボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。

#3.

曖昧製品制限が未来の姿

娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。

凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。

俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。

俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代ペプシ社とコカコーラ社がペプシコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。

水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。

俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7インストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。

パソコンを新調する事になったら、今インテルテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。

連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?

#2.

未来世界では俺達全員がラーズ・ウルリッヒとなる

さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。

Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。

その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。

で、その問題を何とかするのが、知的財産権侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルプライバシー侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。

何でこんな事をするのか?大企業レコード会社アクティビジョン利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターサルオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!

でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。

ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。

どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機ゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジバイトセルフレジ仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない

ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットアウトソーシングされてる。

技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。

ACTAやMPAARIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。

#1.

文明を救うのは「ハッタリ」

こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突ゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。

「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPal募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。

自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。

別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。

という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。

ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。

文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。

そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。

「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……

少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。

2010-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20100907204805

そんなの当たり前じゃん。「何でもこれをやれば解決する」なんてありはしないんだもん。

1-1.英語勉強しろ

1-2.海外(特にアジア)に行け

1-3.プロマネプログラミング金融などの能力を身につけろ

これらは一見正しいように見えます。

しかしながら、これらには重大な嘘が隠されているのです。

これ、

1-1.マルクス勉強しろ

1-2.海外(特にアジア東欧)に行け

1-3.批判的思考・アジテーションディベートなどの能力を身につけろ

とかそんな風に書き直せば一昔前の全共闘世代が言ってたことと同じだよね。要するに、「ここではないどこか(いつか)」にユートピアがあり、そこに行きつきさえすれば全てが解決するという思想。そんなのが子供たわごとであることは連合赤軍とかオウムが十分証明してるよね。

問題は、言っている本人がこういう類のアジテーションを半ば本気で信じている節が見受けられるところだけれど、まあそれはいわゆる「進歩知識人」と同じ精神性ですよ。「愚民共は○○という一番重要なことがわかっておらん、だから問答無用ダメなんだ!」(○○には英語でも金融でもプログラミングでもあるいはマルクス経済学でも好きなものを入れるといい)とか思ってる人はだいたい自分が「愚民」なわけで。大抵の場合その人たちはその肝心な「○○」についても半可通だったりするしね。実際、何であってもその道のことをそれなりにわかっている人なら、それで全てが解決するなんていう思い上がりはとっくに克服してるもんだしね。

まあ、団塊の世代の高校の社会の教師とかに一人か二人はいたパターンですよ。そう思えばもうだいたいどう対処すればいいかはわかるでしょ。敬して遠ざける、これですよ。

2010-09-05

日本人英語は見るに堪えない、聞くに堪えない

それも、発音や文法だけじゃなくて「内容」がだ。Lang-8みたいな語学サイトとか、ブログtwitter英語記事なんか、読んでいるこっちが赤面したくなるぐらい白痴じみたことを書いていて「頼むからやめてくれ」と言いたくなることがある。

例えば今日見た例だと(さらし者にするのが本意ではないので出典は伏せるが)、ある日本人twitterで"*** is a very good software"とか何度も何度も書いていた。ところが状況的に、それを読んでいるのは***というソフト関係者ばかりだったのだ(ハッシュタグまで使っていた)。これがどれだけ奇妙なことかわからなければ、例えばラブプラス日本語コミュに現れた外人が5分おきに「ラブプラススバラシイネ」と発言している状況を考えてみればよい。日本人はどう反応していいか困るのではないか(別にラブプラスでなくてもなんでもいい。俺はアニメとかエロゲとかよくわからんので知ってる名前を出しただけ)。

はっきり言って、ああいうの見てると日本人英語マンセー外国マンセーになったり、debito.orgやJapanToday当たりに集う在日英米人が日本侮蔑する理由がわかるよ。英語で話したがる日本人の中には、英米人を捕まえては "My name is ***. I can't speak English very well, but I want to be native speaker of English. Where are you from? What Japanese food do you like? Can you use chopsticks?" みたいな愚にもつかんことを言ってる連中が実に多いからね(native speaker云々は揶揄で書いたんじゃなくて、本当にそういう奴が何人もいるからな!Lang-8smart.fmあたりで自己紹介検索してみるといい)。文法以前に内容の問題だとわかるはず。関西人の俺は今まで「納豆食える?」とか「マクドナルドのことはみんな『マクド』って言ってるの?」とか百回以上聞かれてうんざりしてるが、それをさらに百倍ぐらい劣化させた質問を会う人ごとにされればそりゃ「日本人馬鹿だ」と思うようにもなるだろうさ。

いや、勿論「ジャップは劣等民族」なんて言ってるわけじゃない。その反対だ。例えば上のtwitterの人なんて、日本語では非常に的確なことを簡潔に言っていた。それだけに、英文をみてげんなりしてたんだよ。その人の子供がいたずらで書いたんじゃないかと思ったほど。

なんでそんなことになるのか?理由は簡単だ。

なぜ和洋折衷原稿をはじめに書いたかというと、悲しいことに、英語では

深く考察することができないからです。じっくり思考するためには、日本語

考えて、日本語で書かなければならないのです、私の場合

英語だと、ほんとうに表面をサラッとなぜでる程度の、つまり中学生程度の

ことしか考えられないのです。大部分は、語彙の問題なのでしょうね。

http://bryologist.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-54d6.html

当たり前のことだが、プログラミング言語で言えば、語彙はライブラリだ。ライブラリトンチンカンでは、どれだけ構文の優れた言語でもまともなものは作れない。そして英語というのは困ったことに昔は未開人の言語であり(日本語もそうだが)、外来語だらけで語彙体系がぐちゃぐちゃなのである。フランス語ドイツ語をやったことがある人ならわかると思うが、英語というのはちょっと日常会話を超えた程度のことを言うためにも覚えなきゃいけない単語数がめちゃくちゃ多い(日本語もそうだが)。日本語言語学的な類縁関係がないことを置いておいても、決して易しい言語とは言えないのだ。

そのため、英語での情報収集は「脳味噌ハンディキャップつけた状態で戦う」ことになる。しかし、こちらがハンディ付きで戦って歯が立たないと感じた相手が実際に本当の強敵かということは疑問のはず。ところがそのことに無頓着な人が多すぎて、英語圏情報は全て高級で高尚であるように思っている人が余りにも多いように感じる。そのためか、英語圏社会全体が色々過大評価されすぎのように思う。マスコミ一つ取っても、高級メディアの定評高いNYTやBBC朝日TBSと同程度には「マスゴミ」だし、iPodだのiPhoneだのiPadだのは「技術的には二番煎じなのに商売のうまさだけでコバンザメ的に利益を取っていってる、こんな猿真似野郎が市場を支配するなんて許せない」という、一昔前にSony松下あたりが浴びた批判がそのまま当てはまる。勿論向こうに優れた文化や見習うべきところはいろいろあるが、所詮は同じ人間が住んでいるということを忘れていやしないか。向こうにも色々悪いことはあって、一から十まで見習うべきユートピアなどでは決してないのに。

ちょっと習い覚えた英語を使って「グローバルごっこ」して喜んでいるだけならそれこそ猿でもできる。そこでとどまらずに、自分がやっていることがどういうことなのかをもうちょっと考えて、客観的に物事を見ようという姿勢の人が少ないのは本当に情けない限りだ。

2010-08-26

[]新・福沢諭吉

雇用の流動化が必要だというと、「人々の不安が増す」とか「モチベーションが下がって生産性が落ちる」いった批判がよくある。たしかに会社という繭にくるんで、すべての人をやさしく守ることができれば理想だろう。戦後の一時期には、それが実現したと錯覚された時代もあった。しかし残念ながら、もはやそういうユートピアは失われたのだ。

今われわれが直面しているのは、福沢諭吉以来の「個の自立」という問題である。『福翁自伝』などを読むと、100年以上前の本なのに不思議単純明快でわかりやすい。本書は、その「新しさ」をハイエクなどオーストリア学派リバタリアンに重ねて解釈したものだ(絶版)。

ハイエクは福沢の死んだ年に生まれたので、福沢が影響を受けるはずはないが、両者には共通点がある。それは若いとき、ヒュームミルなどの古典自由主義の影響を強く受けたことだ。そしてハイエクにとって社会主義との闘いが個人の自由への信頼を生んだように、福沢の場合も「門閥制度は親の敵」という儒教的秩序との闘いが生涯のテーマだった。

福沢以来、丸山眞男大塚久雄に至るまで、個の自立は日本知識人見果てぬ夢だった。しかし今われわれの見ているのは、福沢が生涯をかけて闘った封建的秩序が自壊し、ゾンビ化した状態である。そこに出てきたのは自立した個人ではなく、帰属する集団を失って自殺する失業者と、家族にも見捨てられた「消えた老人」だ。雇用が流動化すると、こうしたストレスはさらに増えるだろう。

本書も指摘するように、福沢のいう「情愛」を排除して論理のみによって人々が結びつく社会は、彼のような強靱な知性の持ち主でなければ耐えられない。テイラーのような北米の人々が近代に築き上げた人工的コミュニティが崩壊して個人主義が強まることを危惧するのとは逆に、日本では近代以前から継承してきた「強い中間集団」が有効性を失う一方、人々は北米型の「強い個人」にはなれないのだ。

しかし福沢以外の道はあるのだろうか。北一輝個人主義を超克する国家社会主義提唱し、日本浪漫派は近代自我を否定して「近代の超克」の道をさぐったが、それは破滅への道だった。戦後日本的コーポラティズムの意外な成功は、欧米的な個人主義を経なくても繁栄できる「東アジアモデル」を示したように見えたが、それも幻想だった。

いま日本の陥っている袋小路を脱却する道は、おそらく福沢のいう「独立自尊」しかないだろう。われわれは市場経済によって得た富を捨てることができないからだ。そして組織を守ることによって個人を守るのではなく、古い組織を淘汰して社会によって個人を守るシステムに変えるしかない。福沢は、今なお新しいのである。

2010-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20100809014914

それならそれでもいいけど(かなりリスクは高いと思うが)。

ヨーロッパ様を連呼してる女子達は、ユートピアがそこにあるとでも思ってるかのような口ぶりだからなw

そもそもお前ら英語喋れんのかよとw黄色い猿とか言われたらどうするつもりなんだとw

文化的背景が全く違うという辺りとか、考慮してるとはあまり思えないんだよね。

2010-06-14

避難警報

なんだなんだ?

急に投稿が増えたと思ったら、どこかの負け犬トチ狂った中二病ユートピア論をぶちまけているようだな。

2010-03-09

ベーシック・インカム論議の謎

ポエムみたいになった。が、まあいいや。

ベーシック・インカムの論議がなされているけれど、共通の目的は「この世から貧困による不幸をなくそう」って認識なんだよね。

それであってるよね?

その方法として、全国民に月々、まあたとえば五万円を支給する。

これがベーシックインカム(めんどくせーから以下BIって書く)だ、と。

 

なんかおかしくないか?

 

だってさ。

実現方法がいろいろ言われているけれど、相続税を取り上げるだの、政府通貨を発行するだの。それって一回こっきりじゃないの?

たとえば来年、BIが導入されました。

わーいうれしいな。月々五万円も増収だ。

金持ち涙目だねぇ。相続はチャラになるわ、政府通貨のせいで資産が目減りするわ。

でもそんなの関係ないよね。

次の年も月々五万円が支給された。

偉いね、なんとか続いているんだね。

その次の年も。

わぁい。

……。

あれ?

今月、五万円支給されたけど、うまい棒一本しか買えなかったよ?

 

そういう未来想像しないわけ?

 

そこが謎なんだよ。

毎月毎月、一定額が支給される。確かにそれは良い話だ。一年か二年、この国から飢えで苦しむ人をなくすことはできるだろう。

が、その後はどうなの?

十年二十年たった後も、この国はユートピアでいられるわけ?

 

貧困を撲滅しようとしているのにもかかわらず、

 どうして持続可能な案じゃないの?」

 

貧困をなくすための案のはずなのに、

 どうしてすぐに終わっちゃいそうな案なの?」

 

俺に言わせりゃ、ムセキニンなんだよ。あんたら。東。小飼。誰か知らんけどその他取り巻き

みんな、短期的な案は語る。一年や二年は、そりゃあ、支給できるだろう。民主党子供手当とおんなじだ。

でもその後はどうなの?

俺だってそりゃあ、みんな食うために働かなくてもいい社会理想だよ。

安心して、あくせく働くことに価値を見いださなくても、人生そのものの喜びにひたりたいよ。

でもその基盤は、あくまでしっかりとした、「安定」した物じゃなきゃダメなんだよ。

そして事実、俺は信頼できるものは自分脳みそしかない、身体しかないと思っている。

そのために働いている。

勉強している。

だからなおのこと、BIみたいな不安定なものに身体をゆだねるわけにゃいかないんだよ。

BIに身体を任せて、自分脳みそを二番目以下においやることはできないんだ。

そっちのほうがよほどリスクテイクなんだから。

わかるか?

俺は政府を信用してないし、ましてやアルファブロガー思想家社会学者(くっ……ぷぷぷっw)なんてものを信用できるわけがない。

信用できないものに、人生の基盤=最低限所得保障を任せるわけにはいかないんだよ。

 

まあしかし、実現可能性については議論すること自体の意味がないだろう。

それは旗振り役の無責任さを指摘するだけで十分だ。

思うに。

彼らは結局のところ、貧困を撲滅しようなんてことは考えちゃいないのだ。

東、小飼、えっと誰だっけ。ホリエモンか。

みんな成功者だ。

成功したから、はっきり言えば、この先食って行くことに心配していない。

それは収入的な意味じゃなくて、自分の脳から生み出される富、つまり生活基盤の安定を確信しているからだ。

必要なときに稼げばいいと思っている。

そして彼らは事実それができる。

自由に働き、

自由に生き、

自由を謳歌している。

それと同じ喜びを、みんなに味わわせてあげたい!

ああ。

そうだね。

実に博愛的じゃないか。まったく。

ちくしょう

政府なんてもんは、他人なんてもんは、あんたらの、自分脳みそなんかよりも、全然信用しちゃならねぇんだよ。

自由な生き方ができるって言ってフリーターを煽ったのは誰だ。

自由な生き方ができるって言ってBIを煽ったのは誰だ。

この世には無能があふれているんだよ。

そいつらをちゃんと、

おれたちをちゃんと、

永続的に救えるのか。

BIは。

 

貧困をなくしたいなら、BIの論議はもっと現実的であってください。

百年や二百年の先を語ってください。

一年や二年の話なんかいらない。

百年先のビジョンが欲しい。

しかしそのためには、実現可能な案をつぎつぎ実現することが大事だ。

孫正義が偉かったのは、ビジョンを語り、それを実行したからだ。

孫正義荒唐無稽な夢想家じゃなかったのは、自らの夢を実現したからだ。

実行が出来ないのは、端的に、思想家の無能だ。

何の思想もないくせに、目先の話をお遊びでしているだけという証明だ。

歴史を作る資格も、覚悟もない証拠だ。

俺の人生は、

あんたらのお遊びじゃない。

あんたらの議論の道具じゃない。

あんたらが夜な夜な笑いながら議論ごっこをして本を出して印税儲けてアフィリエイトで稼いで講演料をもらって出演料をもらって仕事という名のわけのわからんシンポジウムを開いて悦に浸ってTwitterでぐちゃぐちゃと訳のわからん議論遊びに使って、肩書きを、収入源を、いくつもいくつも増やすための、道具じゃないんだよ。

そういうことなんだよ。

お遊びで、

社会を分析(笑)してブログやら本を書くネタにするためにやっているんなら、

今すぐこの日本から出て行ってくれ。

頼むから。

2010-03-08

ディストピア ユートピア

そういう作品に出てくる主人公は、管理社会とかそれを統べるオーバーロード的な存在を倒し、

自由とか自分達で選択する権利みたいなのを掴み取ろうとしたりするけど、

それに何となく共感できない。

状況や設定にもよるけど、住民達が結構幸せそうに暮らしてる社会を打破して、

混乱を呼び寄せてどうするんじゃいっていつも思う。

主人公側は大体こんな事を言う。

自分の頭で考えろ」

正否や禍福を問わず、自分で考えて、自分を信じて行動した結果に得られるものが大事なんだと。

そういう自分の頭で考えられる社会が素晴らしいものだと。

一方的に思考や言動が管理される社会は悪だと。

本当にそうか? なんか違うんじゃないか?

対してオーバーロード的な連中はこんな事を言う。

大衆馬鹿だから管理しなきゃならない」

こっちの方が納得できる訳ですよ。

いや、そこに極端に酷い政治洗脳が行われてるのなら革命しようぜって気持ちも分かるけど、

結構まともに住民達が暮らしていけるなら別にいいんじゃないのかなぁと。

仮に自分の頭で考える事なんかが全く無くったって、それに何の不都合があるのか?

社会依存しすぎると、その社会が消滅した時に、何にも出来なくなるから・・・みたいな感じなんだろうか?

わかんねー。

と、そんな浅くてゆるーい事を某SF小説を読みながら考えてた。ちなみに「幼年期の終わり」じゃないよ。

2010-01-29

政治鳩山首相「母からの贈与は知らなかった。『有り得ない』と言われても現実真実だからあり得てるんです!」(動画あり)

ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1264433454/

1 名前出世ウホφ ★[] 投稿日:2010/01/26(火) 00:30:54 ID:???0

首相の偽装献金事件】

政治とカネの問題は大変重要だから予算委員会で正直、誠実に答えている。

政倫審(開催)の必要性を感じていない。こういうところで議論してほしい。

母からの贈与はまったく知らなかった。「有り得ない」と言われても現実真実だから有り得る。

少なくとも近年は、政治資金収支報告書を見ていない。ずさんだといわれれば、その通りだ。

秘書を全面的に信頼していたから安心して任せてしまった。十数年、見ていなかった。

資産報告書や所得報告書も)十分に見ていなかった。

産経新聞 衆院予算委における鳩山首相の答弁詳報 記事の一部抜粋

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100125/plc1001252246019-n1.htm

キャプ画像

ttp://img.5pb.org/s/10mai382723.jpg

動画

ttp://www.youtube.com/watch?v=51AcGhpOq48





619 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/26(火) 02:40:22 ID:Ks7rjMvL0

町村信孝

脱税をしたわけではない”、“私腹を肥やしたわけではない”、しかし事実上脱税なんです。

脱税をして、納めるべき税金を納めないということは、すなわち私腹を肥やしたことになるんです。

もしこれが表に出なければ、とうとうあなたは税金を納めないですんだわけですから。

すなわち数億円の私腹を肥やしたことになるじゃありませんか。

それをあなたが“私腹を肥やしてない”と強弁されることがおかしいのですが、

そのことについてご意見がおありかと思いますが、もうひとつ

政治資金収支報告書は誰の名前で出されているか、当然ご存知ですね?


鳩山由紀夫

いま、まさに、私の母からの贈与の話をされました。ここでも盛んに議論がございました。

私もこの件に関して、国民の皆さんに、なかなかご理解を頂けないことも、あえて理解をしながら、

しかし、事実ひとつしかないという思いで申し上げております。

すなわち、母からの贈与に関して、まったく私が知らなかったものでありますだけに、

(※ヤジ:ありえないよ!)、これはみなさんがどう考えても、

ありえないありえないと盛んにおっしゃっても、現実にそれが真実であるものですから、ありえてるんです! 

ですから、私は、まったく、脱税を、している、などという、意識が、起こるはずも、なかったわけです。

しかし、現実にこれは捜査の中で、そのような贈与があるということが判明をしたわけであります。

したがいまして、その贈与というものに対しては、当然、贈与税、税が発生するわけでありますから、

申告を申し上げ、それに対して納税を行なったわけでございまして、私は自分の知らなかった状況の中で、

知ったという現実がございましただけに、そのことに基づいて正確に申告をし、

納税を申し上げたわけでございまして、脱税ということは当たらないと、そうご理解を願いたい。

(町村:報告書の提出者は?)

 政治、資金の収支報告者、書の、当然、わたし自身であろうかと思います。


628 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/26(火) 02:45:58 ID:Ks7rjMvL0

■町村

あのね。ま、何度も何度も本当に知らなかったとおっしゃるが、

その説明を誰も信用していないということも、民主党の人以外は誰も信用していないということも、

総理まず認識をしていただきたい。

いずれにしても何らかのかたちで、その発言がウソであったとわかればバッジを外すと、

この間おっしゃったからいいでしょう。それはおいおい、いずれ明らかになってまいります。

そして政治資金収支報告書は、鳩山総理名前選管等々に出ていきます。

しかし、あなたは当選この方もう20年以上経っておられるんでしょうが、

一度も政治資金収支報告書を見たことがないんですか? 

あなたの名前で出ていきながら。これは不思議でならないんです。

一度もご覧になってないんですね?


鳩山

あるいは最初のころあったかどうかということも、必ずしも覚えてはおりませんが、

少なくとも近年においては、収支報告書を見ておりませんでした。

そのことが杜撰だと言われればその通りだと思います。

亀井静香:見ている議員なんかいないよ!)


■町村

近年っていうのはいつごろですか?

亀井:見てる議員なんかいるわけねえじゃん。俺だって見てない)


鳩山

近年、近年という、私が申し上げる意味は、十数年であります。

亀井:そらそうだ。俺だって見たことない!)


643 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/26(火) 02:52:09 ID:Ks7rjMvL0

■町村

委員長、あのー再三申し上げているんですが、理事としてね、閣僚席からこれだけの不規則発言が出る。

私は今まで見たことがない。どうぞ委員長、ご注意をするようにお願いいたします。

さて、またつまらないヤジが飛んでおりましてね。私が(収支報告書を)見ているかと。

もちろん見ております。私は少なくとも政治資金収支報告書を出すとき3回! 

1回はまず秘書が原案を作るとき、途中の段階で、そして最終的にこれが仕上がりですと、

少なくとも3回は見る。これは当たり前のことであって、1度も見ていない亀井大臣

さっきから盛んにヤジっておられるが、見るはずがないと、

こういうことを公言してはばからない大臣がいるという。

それは~、まあ総理が見てないんだからねえ。

見てなくともそれはしょうがないのかもしれないけれども。

しかし十数年にわたってご自分名前で、これだけ政治とカネの問題が、

これだけいろんなかたちで議論になっていたときに、一度も見たことがない総理大臣

そのこと自体、私は総理大臣資質というものを問われることなんだということをですね。

本当に一度も見たことないですか。もう1回、十数年にわたって。


鳩山

大変そのことは申し訳なく思っておりますが、少なくとも私は、会計・経理を担当しております秘書を、

全面的に信頼しておったものですから、安心して任せておったというのが実態でございます。

したがいまして、私は十数年見ておりませんでした。


666 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/01/26(火) 02:59:57 ID:Ks7rjMvL0

■町村

中選挙区時代に、もう亡くなられましたけども、

選挙区におられました高橋辰夫先生、あるいは渡辺省一先生がよく言っておられた。

“町村さん、鳩山さんと同じ選挙区にいるのは辛いんだ”と。

“何がですか?”って言うと、

“もう室蘭とか苫小牧とか、あちこちに鳩山ボトルというのが置いてあって、みんな飲み放題だ”と。

鳩山さんのパーティーに行くと、ものすごいお土産が出てくる”と。

秘書が30人も40人もいてね、もうとてもではないけれどもね、あの金権・物量には敵わないんだ”と、

あのお二人がずいぶんよく言っておられましたが、(亀井:言わなかったよ俺には!) 

それにはやっぱり自らの足元を見ておられないから、

平気でユートピアみたいなものを言えたんだなあということが、

実はよくわかってきたわけでございます。

2010-01-03

正月休みということで、家族全員で出掛けることとなった。

しかし、俺は23歳だし、恥ずかしいので行かなかった。

親父とお袋と妹とばあちゃんが外食カラオケに出掛けた。

もう一人、東京一人暮らししている妹がいるが、あいつも来てない。

まあ、奴も21歳だし、恥ずかしいだろうな。

俺はzoneに行った。帰ったら、父親から電話がありカラオケが盛り上がっている

ので、19時過ぎに帰ると言った。


一人になった開放感から、歌などを歌ってみた。そんでテンションが上がって

自分の部屋で全裸になって、踊ったりした。某ユートピアの真似事をした。

松浦亜弥プリッツCMの真似をした。全裸で腰を振りながら。

更にテンションは上がり、フルチンで家中を駆け回った。俺の部屋は2階。

1階に麦茶を飲みに行った。

セックスセックス!○○○とセックスしてーよー」

まんこまんこ!ちんこ!!」「精子精子精子ぃぃ」とか奇声を挙げてると

上京してた妹と彼氏が居間にいた。 何でだあああ、休みだから帰ってきたのか・・・

そう言えば親に彼氏紹介しにくるかもって言ってたような。

全てが終わった。一部始終を見られた。

人生終わった。助けて・・・

2009-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20091004184136

気にしている/していない、とか成功/失敗とかじゃないんだよ。

元から書いてるけど「自己肯定感」の問題なんだ。日常的に内面を覆う「気分の問題」と言い換えてもいい。

それ以上でもそれ以下でもない。成功失敗とかいよいよ全く持って無関係。

「自信がある」という状態を「気にしている」とは言わないでしょ?

自信がある⇔普通⇔自信がない(これは「気にしている」と置き換えることもできるかも。ただし体育そのものではなく、「そのときの他者の視線(侮蔑)を」だけど)という話。レベル1⇔レベル2⇔レベル3としたとき、レベル1に「気にしている」を当てはめようとするからズレが出る。レベル1に当てはめるのは「その時の他者の視線(賞賛)に後押しされている」と言ったところか。

どんなに成功しようが、何兆円稼ごうが、自己肯定感が欠如してる人間は欠如してるんだよ。どんなに(大人になってから)他人から賞賛されようが、どんなにモテモテになろうが。

逆にどんなに失敗しようが底辺だろうが自信がある奴はある。道路工事とか行けばわかる(わかりにくいかな。この表現。そういうところで働いてるような奴ってことなんだけど)。

ていうか本当にここまで書いても1ミリ共感もないのかなあ?

本当に手取り足取りレベルで細かーく書いてるよ。本来なら書くまでもなく一瞬で共有されるようなことを。

逆にふしぎだわ。同じ時代を生きてるととても信じられない。いい意味で。

もしかしてこの世のどこかにあなたみたいな健康精神を育むユートピアがあるんだろうか?マジで思う。皮肉でもなんでもなく羨望として。

2009-09-07

ユートピア

移民をご希望の方ですね。ようこそ、ユートピア移民管理センターへ!ここユートピアはトマス・モア生誕600年に建国された世界で唯一の真の自由国家でございます。

センターは完全無人となっておりますが、オンラインで国の中心地と直結しており、審査やお手続きにかかる煩わしさやお時間をとらせず、迅速かつ丁寧なご対応をさせていただきます

これよりこの音声案内により、移民に際しての数点の質問と説明をいたしますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

さて、あなた方はどちらの国からいらっしゃったのですか?・・・そうですか、ご苦労をされたのですね。でもご安心ください。ここユートピアには貧富の差権力の集中も無く、すべての国民が等しく富と自由と権利とを所有しております。

今回、お二人がご夫婦移民希望された動機はなんでしょうか?・・・なるほど、ご主人が71歳に奥さまが69歳で、今までお住まいの国では老後に不安があると・・・いえいえまだまだお若いですよ。移民を決意されるのに遅すぎるなんてことは少しもありません。お見受けしたところ足腰もしっかりされてらっしゃいますし、お歳よりもずっとお若く見えます。

・・・ええ、みなさんそう仰います。最近はどこも不景気ですからね、大抵の国家では福祉にまわす予算なんて無いのでしょう。その点もどうぞご安心ください、ユートピア世界でもっとも福祉に力を入れている国家であると自負しております。国民は高度な医療を無償で受けることができますし、流行ファッションも、美味しい料理も、素敵なマンションも、お子様には高度な教育も、すべて無償で国家より提供されます。

我が国は他国との経済的な交流がございませんので世界的な不況とも全く無縁ですし、全国民の権利として恒久的な手厚い福祉を生涯にわたって受けることができます。

ユートピアに王や奴隷はいるのか、ですって?あなた、大変失礼ではございますがトマス・モアの読みすぎではありませんか?王だの奴隷だのというナンセンスな旧時代の骨董品のような階級など、我が国のような先進的な国家には建国以来一切存在しておりません。ユートピアでは全ての国民がまったく同じ権力を有しておりまして、どんなに些細な事柄でも全てオンラインで行われる国民投票で決められます。先人たちが建国時にこのシステムを導入したことにより、常にスムースかつ適切な行政が行われるのです。

ただひとつだけご理解頂きたい点が、ユートピア国民となられた後の出国については一定の制限がなされる、と言うことです。これは福祉を優先させた結果限られた軍事予算国防を行わなければならないため、防衛戦略上どうしてもやむを得ない処置なのです。

ですがこのおかげで、ユートピアの夢のような手厚い福祉が、全ての国民に等しく平等に行き渡るのです。

- * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - * - *

ユートピアへの移民をご決断きありがとうございます。あなたのこの素晴らしい選択を、心よりお慶び申し上げます。それでは、目の前のタッチパネルを使用して必要事項をご入力ください・・・

おめでとうございます!以上で移民のお手続きは全て終了です。これであなたも立派なユートピア国民です。改めまして、ユートピアへようこそ!

え、私ですか?いや、これは申し遅れました、私は2160週目の胎児です。名前はまだございません。ここでは私たち胎児人権も等しく認められており、選挙権はもちろん、親を選ぶ権利、生まれ出ない権利も有しております。保育カプセルから出られない事と、栄養補給はへその緒から行う事になっているほかは、至って快適な生活なんですよ。

私事ですが先日初孫ができまして、同じ週齢の友人たちの中でも一番早いのが自慢なんです。おかげさまで妻も娘夫婦も孫も、みな生まれ出ない権利を行使して保育カプセルの中で元気に育っております。

近年では私たちのように生まれることを選択しない胎児国民の8割を超え、慢性的労働力不足が一種の社会問題となっておりますが、最近提出された『胎児出生選択法』の改正案も国民の圧倒的多数によって否決されたばかりで問題の解決には至っておりません。ははは、もちろん私たち一家も反対票を投じましたよ。

ですから我が国ではあなたのような方を貴重な肉体労働者として、常に心から歓迎しているのです。あなた方も入国された後は、すぐに工事現場鉱山での労働義務が割り当てられるはずです。

それでは、どうぞユートピアでの素晴らしい暮らしをお楽しみください!

2009-08-14

言葉】これだけ「構造改革規制緩和=悪」という刷り込みが為されると、方向展開するにも時間がかかります。

経営者たちの頭の中には、「イケイケの高度成長のハッピーユートピア」などないし、そんな時代に戻れるなんて思っていないのに、企業経営をしたことのない永田町霞が関の方々は、規制さえすれば、「イケイケの高度成長のハッピーユートピア」に戻れると思っています。そのズレが不幸な形でこれから出てくるでしょう。

これだけ「構造改革規制緩和=悪」という刷り込みが為されると、方向展開するにも時間がかかります。

http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-214a.html

2009-08-12

紙反故 反復について

 同じことを繰り返す。やり直しではなく、現在を作り出すために。生きる、ということの経験は、同じものとの再会に満ちている。すべてに思い出がまとわりつく。鏡でないものがあるだろうか。彼岸花水道、ドアの開閉、沓脱ぎ、階段、見るということは似たものを同じものと見なすこと、知覚は感受を名前によってくくる。くくられた以上、感受はかつて出会ったものの異なる再来となる。そうなってはじめて、世界への知識が可能になり、予測と後悔が切り開かれる。それに慣れすぎて、異なるところにしか気がつかない。異なるという意識を可能にする同じであるという知覚には気づけない。

 花だと思うから、異なる花だと思うことができる。繰り返し、繰り返す。けれど、同類であることと同じであることは違うのでは? 彼女彼女の状態のクラスではなく、彼女という個体のはずで、そこにはやはり何か違いがあるはず。たとえ、彼女細胞が一定の時間ですべて入れ替わるのだとしても。絶対的に分割不可能な単体であるということ、それはきっと不可能な形而上学だが、それなしでは人間的な関係性は成り立たない。わたしがあなたを個体ではなくカテゴリークラスだと考えたとき、ひとは現象に出会うことができるのか。であれば花が再来することと、この花が再来することはどのように違うのか。

 後悔は理想に通じ、そこから、夢が涌く。存在の再来を回想であると理想主義者は信じている。誰もが予め知っている、あのユートピアを、世界の不完全さを通じて思い出す。トラウマのようなフラッシュバック。思い出す。ぼくらは知っている。あの美しい世界を。あの美しい花を。それがイデアという追想のイデオロギー。逃れられない、繰り返し。まるで、先生にやり直しを命じられているかのよう。追憶への繰り返しは後ろ向きの反復、すなわち、やり直し! 正解はあるし、それはみんなあの夜のまどろみの中で知っている、憶えている。ああ、懐かしい、追憶の、日々よ。

 だが、それでは繰り返したことにはならない。(歯車は、繰り返し回転することで、機械を作動させる。それは、仕事をする。だから、回帰は、元の木阿弥ではない)繰り返す。こぼれ落ちたものは失敗だったのか。失敗シークエンスでは、何も起きてはいないのか。起きないのか。何かが起きる。というか、何かは起きる。繰り返しは、どのようにして、同じことではないのか。内容が違う、というのは、結果であって原因ではない。繰り返す。記憶喪失だとしよう。世界は五分前に創造された。わたしが、歌を、それを繰り返しであると信じて歌ったとき、それは繰り返しなのか。本当は世界で初めての行為でも。然り、といおう。それは繰り返しだ。だが、と、そこで、疑問がわく。「誰にとって?、そして何に対しての?」

 右と左は、端的に違う。内容的には違うとかではない。同じように、内容が全く同じ繰り返しの1度目と2度目は、端的に違うのであって、こことかそことかが違うのではない。だが、と悪魔はいう。世界の外から観測する悪魔にとっては違う。なぜなら、悪魔は憶えているから。では、繰り返すということ、それは意識の、記憶属性で、事柄の属性ではない? 奇妙な話だ。歴史世界属性か、観測の属性なのか。

 いや、もちろん、悪魔などいない、と宣言して片をつけることは可能だ。それが常識的な線でもある。結局、まったく同じ繰り返しなどないのだし、世界に痕跡を残さない行為もない。だから、繰り返しは、必然的に、内容的にも一度目とは異ならざるを得ない、と言い切ることもできる。時間歴史世界の側の属性だ、と。

 だが、ひとは忘れる。もう、たいていのことを忘れている。

 しかし、繰り返さない、ということはどういうことか、と考えてみる。それは、きっと、不可能だ。少なくとも、ひとが意識的に何かをするということは、何かという名前で知っていることを、再来させようと企むことだから、定義上、それは未聞のことではありえない。バンジージャンプをしようと思うということは、わたしがバンジージャンプを飛んだことがなくても、飛んだ人がいることが前提で、それは、繰り返しを意図することのはずだから。(死ぬことですらそうだ、ともいえるし、そうでもない、ともいえる。自殺は、必然的に失敗するから)

 だから、意識的にするのでなければ、たしかに、ひとは、繰り返さないことができる、かのようでもある。しかし、今度は、意識的ではない行為は、たいしたことを成し遂げない、という現実が現れる。たいしたことではない以上、たいしたバリエーションはない。そのかぎりで、それは似たようなことの繰り返しだ。けれど、それは、繰り返すという行為とは、わけて考える必要がある繰り返しだろう。それは重力自然法則の支配権であり、反復というよりも、永遠というべきだ。日常永遠によって捕らえられている。悪い意味で。

 だから繰り返す。そうすると、完全には繰り返せない。それが、繰り返しの成果だ。この認識自体は割と普通だ。だから、考えを始めるのは、ここからだ。繰り返すと、何かが蓄積し、わりと逸脱して、新しいことが生まれる。そうやって、歴史が存在できたし、してるし、進行中。

2009-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20090722011541

結局そういう負け組犯罪を犯して勝ち組に被害が及ぶんだから、

こういうのはとめないと勝ち組さえも負け組になってしまうよ。

勝ち組のだれかが負け組ユートピアに連れて行ってあげてください。

よろしくおねがいします。

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2009-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20090515104657

つーか、一昔前が「何も努力しなくても女が配給される時代」だったっていうのは、非モテ妄想だよね。

昔のほうがよっぽど甲斐性無しの男は白い目で見られた。

でも今では専業主夫になる道がある。

昔は金持ちの男が妾や愛人を囲うことは、今よりもずっと寛容だった。

ということは、建前は一夫一妻制でも、実質金持ち一夫多妻制だった。

一夫多妻制というのがどういう社会かというと、まさしく一部のモテが女を独占して、非モテに女が回ってこない社会

 

非モテにはよく、女に権利を与えない男尊女卑社会ユートピアだと思っているヤツがいるけど、女から婚姻の自由を取り上げたら、次に待ってるのは男同士による女の取り合いなんだよ。

つまり、力のある男が「女たくさん欲しいんだけど」って言い出すようになるわけ。

娘の父親だって、自分の娘が貧乏人の妻になるより、金持ちの妾になったほうが有益だよね。

結果、今よりもずっと男があぶれた状態になって、ますます非モテに女が回ってこなくなるわけ。

女から婚姻の自由を取り上げたら、自分のところに女が回ってくると思ったら大間違いですよ。

2009-04-24

戦後世代に過去戦争の罪は無い。しかし未来平和には誰もが責任

戦争に何の関係もしてない生まれてさえなかった僕に戦争責任存在するか?

あるわけない・・・よね

http://anond.hatelabo.jp/20090424102933

 

違う。

戦後世代に過去戦争の「罪」はない。

罪はあくまでも行為者のものだから。

しかし、未来平和に対する「責任」はすべての人にある。

 

未来世界平和世界にするか、

それとも戦争に満ちた世界にするか。

どういう未来を選ぶかはいま生きている世代の自由であり、

その自由によって今の世代が、

(それを自覚しているか否かに関わらず)未来を作っている以上、

今の世代は未来世界に生きる人々に対して責任を負っている。

 

誰もが過去相続しているし、

過去戦争への反省なき未来平和はありえない。

 

だから、未来への平和責任として、過去戦争責任を問い、

未来平和をつくる責任戦後世代には存在する。

未来平和への責任として、

戦後世代は、戦争を未然に防ぐ努力をしなければならない。

 

誤解する人がいるので繰り返し書く。

戦後世代に「戦争の罪」があると言っているのではない。

平和責任」があり「過去戦争を問わない未来平和はあり得ない」と言っている。

 

そういう意味では、「戦争に何の関係もない人間」は一人も存在しない。

どうしても「関係ない」「存在しない」という言葉を使いたいなら、「過去戦争行為の結果責任とは関係ない」「罪は存在しない」という具合に、言葉を限定すべきだ。

 

 

民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的でほなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

今日人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してほいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

ドイツ人あるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

《略》

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は卒直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

 

R.ヴァイツゼッカー「荒れ野の四〇年」1985年5月8日ドイツ連邦議会演説

所収:R.ヴァイツゼッカー(1995)『ヴァイツゼッカー大統領演説集』(永井清彦編訳)岩波書店

http://www.asyura.com/07/holocaust4/msg/398.html

2009-04-20

最近はてなハイクの一幕

などとタイトルをつけてはいますが、どんなことが起こっているのかを説明するつもりはさらさらありません。あしからず。以下のお題に投稿するには余りに長くなったので、勝手ですがこちらを借りました。

漢字はいらない!でひとこと - はてなハイク

http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81

上のようなお題がハイク内で立てられ、ちょっと盛り上がったので、以下、全力で釣られてみます。

漢字使用によるデメリット

既にいくつか指摘のあるとおり、表意文字としての漢字日本語から引き算して表音文字としてのひらがな/カタカナへ統一することは、朝鮮半島でのハングル使用が少なくない同音異義語を産出し混乱を招いている現況と同様の事態を引き起こすだろうマイナスの側面がある。

弱者とは誰のことなのか

漢字使用によって抑圧される弱者として日本語母語としない外国人を想定するのなら、その弱者の補助ツールとして各種翻訳サービスを挙げることができようが、ひらがな/カタカナのみで表記された文章の翻訳は、日本語において多量に存在する、しかし漢字による表記で区別可能な同音異義語を、前後の文脈から判断して行わなければならなくなる事態を引き起こす。現在の提供されている無償の翻訳サービスですらまともなものではないのに、余計に使えないものになるだろう。

弱者として視覚障害者を想定するのであれば、視覚障害者と晴眼者の差異、視覚障害者能力が障害と見做される由縁は、「読む」ことと「聞く」ことにおける「読む」ことの利便性に他ならない。ここで、書記言語から口語言語の優位性を説くのであれば、文字を拒否するという極端な姿勢もあり得ようが、一方では、漢字使用をやめたところで、「読む」ことと「聞く」ことの差異が縮まるというものではないことも容易にわかる。漢字の不使用に「わかちがき」の使用を追加したところで事態は変わらない。ところで、書記言語から口語言語の優位性が説かれるときに、今度は聴覚障害者や構音障害者が抑圧されているかのようにみえるのは、一体どういうことだろうか。

あるいは、単に漢字の読みがわからない、また付随して意味がわからない者を弱者として想定するならば、キッズgooなどの検索先ページへの仮名振り機能は強力なツールとして既に存在しているし、オンライン辞書ツールなどの使用による「学習啓蒙」がなされて穏当、かつ然るべきではないか。

また、補助ツールを用いずに弱者への配慮をhtml/xml記述されたページ内で完結させることを考えるならば(大体、html/xml記述されたページがメディア媒介なのだが)、例えばhtml/xmlruby関連タグを備えているが、投稿においてタグ使用できないはてなハイク仕様が抑圧的だという見方もあり得よう。しかしながら、これは視点を変えれば、タグ使用することができない弱者への配慮でもあることは付記しておくべきだろう。

それどころか、ruby関連タグxml1.1でようやく認められるに至ったのであり、この点でいえば現状のhtml/xmlが抑圧的であるという判断すらあり得よう。引き算の態度を貫徹するのであれば、漢字を拒否する前に、はてなハイクでの、いや、ネット上の書き込みを拒否する態度というのも、ひとつ考えられよう。あるいは、html/xmlにおける扱いについて問題の多い日本語使用をやめて、問題の少ないラテン系言語使用に踏み切るという態度もあり得よう。

弱者とまた別の弱者

話は変わるが、歩道に敷かれている視覚障害者用の点字ブロックがいかに妥協の産物であるか、病院等の公共施設採用されるユニバーサルデザインがいかに試行錯誤の、過渡の形象であるか、ということに目をやるのが良い。そこに横たわる根幹的問題のひとつは、弱者とまた別の弱者の利害不一致である。漢字の排除が同音異義語の混乱を招くという形式は、弱者とまた別の弱者の差異を捨象するという形式と相同的なのである。これは、弱者とまた別の弱者の双方に潜在する、共通する性質を汲み取り問題解決へ向かわんとする繊細な作業――それは、不十分とは言え、点字ブロックユニバーサルデザインを産み出す過程で行われている作業である――とは全く相反した暴力的行為に他ならない。ユニバーサルデザインが足し算の思考であるとは、確かに足し算の部分も引き算の部分もあるだろう。しかし、足し算と引き算しかできない小学一年生であれば、最小公倍数と最大公約数の思考の部分についてわからないのも無理はない。

見え隠れする幼稚なユートピア幻想

さらに、より根本的には、スピヴァク古典サバルタンは語ることができるか』で指摘したのは、サティー寡婦殉死)の実行者を被抑圧者としてカテゴライズすることだったが、スピヴァクはそれを決して否定したり退けたりなどしていない。外部の視点を持ちこんで、ある彼/彼女を被抑圧者として規定すること、これこそが抑圧以外の何物でもないが、しかしこの規定によって被抑圧者を被抑圧者と認識し、被抑圧者たる彼/彼女に語りかけることが、彼/彼女の身になって考えることができる。抑圧なしのユートピアなど幻想である。抑圧なしのユートピアがお好みならば、まずもって「私」という拭い切れない自己同一性を捨て去ってみればよい。想像はできる。「お前」と同定されることのない、「私」を「私」と呼ぶことのできない、抑圧なしのユートピアがそこに拡がっているだろう。まさに、「サバルタンは語ることができない」。かつてフーコーが打ち出した『魂は身体の牢獄である』という、一見したところトリッキーテーゼに込められていたかもしれない苛立たしさには、同意するに吝かではない。この種の原初的抑圧の暴力性には敏感であるべきだし、しかし、しばし躊躇いながらも、この暴力から笑いを産み出す昇華の方法を探るべきなのである。この昇華幻想ではない。理不尽に突き付けられた、尽きることのない、終わりのない、仕事だからだ。

終わりに

僕が何を言いたいのかというと、お題ができたら全力で釣られて、あーでもないこーでもないと盛り上がり、次第に飽きては、パロディ化して派生した別のお題で盛り上がり――そんな楽しいところがはてなハイクです。

――落ち込むこともあるけれど、私は元気です――

2009-04-15

計画たてるのが怖い

先の見通したてるとか、計画を立てるとかが怖い。

優先順位をつけるとか、時間見積もるとか、そういうのが怖い。

何故かって言うと抽象的に言えば、死に近づいてるように感じるから。先が見えちゃう感が嫌。嫌つーか怖い。

それをやると、どうしても認識せざるを得ないことが出てくる。「意外と寿命は短い」こととか、「やれることは驚くほど少ない」とか。それがもう認識したくなくてたまらない。正直言ってそんな過酷な事実からは逃げたい。(むしろなんで皆立ち向かえるんだよ)

正直、逃げ続けて、知らぬままなんとなく死にたい。もう、これ、多分ニーチェとか聞いたら爆笑モンの弱さだけど。立ち向かえよwww死、直面しろよwwwみたいに笑われるだろうけど。

計画を立てる、要するに「時間を数量のように意識する」こと、それが多分嫌だ。感覚意識していたい。数量で意識するとどうしたって「足りない」とかそういう概念が出てきちゃうわけだろ、それが嫌だ。それを意識すると「死ぬまでに○冊しか本が読めない」とか、大体自分の行く先がなんとなくイメージできちゃって(嫌な方向に)それがとてつもなく嫌だ。

覚悟が足りないんだと思う。「時間制限のある生」に立ち向かう覚悟的なものが。

いままで「時間制限がある」ことに気がつかなかった。小学生のころは本当に気付いてなかったし(ばくぜんと遠い未来に死ぬんだろうなと思っていた、誰しもそうだと思うが)中学高校あたりは、多分本当は薄々気付いていたけど「考え始めたら凄く恐ろしいことになりそうだから、とりあえず今を生きよう」的な感じで、後回しにしていた。でも大学はいって、仕事の事とか、そういうの考えようってなるといやがおうにも直面するわけで、「時間制限のある生」に。

刹那的に生きる若者っているけどその気持ちが分かる。多分時間制限を意識したくない。だからとりあえず今を生きて、それらについては後回しにしよう、できれば永遠に逃げたままでいようって腹。

やたら10代後半で死のモチーフに惹かれる奴が多数なのは、逆にそれらを過剰に意識することによって本当の、80くらいになっての死を遠ざけているんじゃねーかって思う、ていうか俺がそうだったから。19で死ぬ、とか思うことで逆に遠ざけてる。色々なことから。仕事とか引退したあとどうやって暮らすとか仕事しながらあと何冊本が読めるのかとかそういう生々しい難しいことを思考停止しちゃって「今からもう2年くらいで精神的に気持ちいことばっかやって死ぬからヨロシク」みたいなユートピアに逃げる。でも実際死なないけど、絶対。

優先順位とか計画とか、そういうの考えると最終的にどうしても「時間制限のある生」という事実に繋がってしまう。それからまだ目をそむけていたくて、そむけていたいあまりに計画を立てたくなくなる。

本当人生短すぎて怖い。その短さを自覚して直面して尚進む……とかできねーよ怖い

2009-03-18

好みタイプは頭の良い女性」と言うとドン引きされる理由。

実際に言ったことはないけれど、聞いたこともないし、言ったらきっと「うわー」て思われそう。

かわいいとか、料理上手とかはOKで、頭がいいのがNG。

性格が良い、というのは何となく許されそうな感じなのがまた不思議

考えられる理由として評価が難しい、というのがあると思うんだけど。

何をもって「頭がいい」のか?学歴なんて言ったら本末転倒だし。

かわいい、料理上手はある程度の評価基準が定まってるので、わかりやすい。

ある人にとっては「頭のいい人」が、別な人にとっては「わからず屋」だったりする。

で、男の場合、自分の面子を立ててくれる人が良い訳で、自分理論武装を論破されてしまうと嫌なわけで。

そう考えていくと、自分の言っている「頭のよさ」というのが男子的考え(実際、男子だし)による頭のよさであって、女子の視点からはまた違ってくるのかねーと思ったり。

そもそも男と女が分かり合えること自体、ユートピアなのかもね。などと考えてみたり。

でも自分は頭の良い女性が好き。

なんだけど、それも結局「男性価値観」における頭のよさであって、女子から言わせたらんなもん女子に求めんな童貞、見たいなもんなのかしら。

2009-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20090226112746

うん。だから「手を引いてやれよ」っての。

ぶっちゃけ「恐がらなくていい」って「追い込まれた思い込み」(主に上)、

デスマーチが進んでいくんだからさ。

そういえば

北に喧嘩訴訟があれば

つまらないからやめろといい

ここもユートピアだったわ。

「つまらない」じゃないってば。

なんか、現場の匂いがしない…

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん