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2018-09-09

因果応報という宗教感覚

日本無宗教ではなくて多神教である、ちまたにあふれる宗教イベントを見よ・・・と思っていた。

最近もう一つ気になる事があって仏教の影響だ。

因果応報という仏教思想は意外と日本人に根付いているのではないか?思うことがある。

いじめっ子の子どもが他の子に虐められるのが因果応報というようなコメントを見てのことである。(日帝の子孫には何をしても構わないという反日の人を笑えない)

因果応報辞書で見てみよう。

https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E5%BF%9C%E5%A0%B1/m0u/

いんが-おうほう【因果応報】の意味・使い方

出典:新明解四字熟語辞典三省堂

人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。

よく見ると「もと仏教語」と書かれている。

元だろうと現だろうと、行為善悪に応じて、その報いがあるという目に見えない法則というのは宗教的に感じる。

宗教的な感覚を抜きにしたら、あるべき姿や善悪に関わらず起きることは起きるという当たり前の思想になるのではないか

例えば逮捕されなかった殺し屋未来幸せ人生か不幸な人生かは分からない。それを、人を殺したら後で自分自身が苦しむという法則で見なすの因果応報という事だろうか。

これはやはり宗教的な考えではないだろうか。

因果応報という考えが嫌いとか嫌いではないとかそういう話をしたいわけではない。

日本信仰自由が認められているのであって、因果応報共通認識である保証はどこにもない。

だいたい、諺のような類いは正しいのかどうかさっぱり分からないようなものがいくつかあるのだから

2015-09-15

言論の自由大事だが、一方では人の口を悪くするばかりだ

世界から見ても、日本人Twitter好きは極めて異常らしい。熱心な情報発信家が多いのか、構ってもらいたい子ちゃんが多いのか、はたまた常に何かに怒ってらっしゃる方が多いのか、いずれにせよソーシャルメディアは盛況である

ただ、よく思うのが、「ここまで言って委員会?」的な発言が多く見られるってことだね。ネトウヨにせよブサヨにせよ、未だに続くデザイン盗用疑惑の件にせよ、「そこまで言う必要があるのかね?」と思えるような書き込みばかりが目立つこの頃だ。

なるほど、意見など目立ってなんぼのこの世の中。「こんなご時世だ、つぶやくぐらいなら罪にはなるまい」と考えるのは当然至極か。

だが、それが正論であれただの誹謗中傷であれ、読む者の心象を著しく害するような発言は、必ずその文章を書いている者の心をも蝕んでいる。

「人を呪わば穴二つ」とはよく言ったもので、天を仰いで唾を吐けばその唾液は己の顔目がけて落下する。気分を害するのは、巡り巡って己自身となるわけだ。

不満を垂れ流す人は誰も幸せにはしない。そんな不満の源流にいる人をも侵食する。水面に広がる波紋は、打って返しては再び集まる。これこそ因果応報を絵に描いたようなもんだな。

そして、さらに悪いことには、悪辣な私見が拡散される度に同調する人が増える。これが同期というやつで、結果的には共倒れになる。

いつも粗探しに余年のない政治家、怒りばかりを口にするデモ隊、小言の絶えない奥様連中、この人達共通点と言えば、どこから見ても幸せそうには見えないことだ。(口角下がって眉間には深いシワ、おおよそ幸福の人相ではあるまい)

そりゃそうです。因果応報はただの仏教語ではなく、この宇宙自然法則なのだから

良いと思ってやったことでも、そうではないことは多くある。知らぬ間に蓄積しては、気付いたときには猛毒になっている。くわばら、くわばらだ。

毒舌がもてはやされる昨今ではあるが、幸福はその先にはないよ。自分他人幸せにしたいなら、言葉は選んで使うことだね。

2014-01-17

「ごちそうさま」は卑しいのか

飲食店での「ごちそうさま」は誤用

私はブログを見てからtwitterの反応を見たので件のブログの著者に感想が偏っていることを前置きした上で

  • 「ごちそうさま」の由来が仏教用語だったのを初めて知った
  • 「ごちそうさま」はいやしいのか
  • 件の記事の著者に「飲食店で使う言葉としておかしい」という前提があったように感じない

「ごちそうさま」の由来が仏教用語だったのを初めて知った

へぇーそうなんだと、ネットで調べられる範囲で確認してみると、確かに仏教用語漢字で書く「馳走」の意味合いが含まれる事がわかった。

ただ、増田のいう「無償で」という意味合いは必ずしも強く含まれているようには感じなかった。

もちろん、「馳走する」「もてなす」「振る舞うニュアンスに「無償で」の意味が含まれなくもない感じはあるけど、それでも由来が「馳走」であってここでいう「ごちそうさま」という言葉に「無償で」というのは強くは含まれないような感じをうける

これについては増田

もちろん、現在ではこうした意味合いは薄れ、提供された食事に対する汎用性の高い感謝言葉として通用していることは承知している。

と、あるので重箱の隅をつつくようでもうしわけないが揚げ足をとるつもりはない。

「ごちそうさま」はいやしいのか

結構、驚いたのが増田のこの感覚

しかに、世代によっては「無償で」という意味合いが含まれるものに関して「下卑た」イメージがつきまとう節はあると思う。

ただ、それこそ元の由来を踏まえるな「腐心して馳走」してくれたものにそのイメージは持たないだろうと思う。

件の記事の著者に「飲食店で使う言葉としておかしい」という前提があったように感じない

増田

記事の筆者はどうも「本来的には、飲食店でこの言葉を使うのはおかしい」という前提を崩していないように思えた。

とあるが、私はそうは感じなかった。

どちらかというと

どんな時でもごちそうさまという食事への感謝を表す言葉を著者がイメージするマナー教養を持ちあわせいるであろう、そこそこの所得があるであろう人たちよりも、著者やがイメージするマナー教養を持っていなさそうな低所得者層に見える人たちの口から発せられているのに著者の今までの先入観を崩され『悪くない風景だ』

という風に読めた。

日本語の作文技術」で書かれていた要素に分解した書き方をすると

この時の「ごちそうさま」という言葉にはたぶん、増田のいう「無償」「下卑た」という意味合いは含まれいないと思う。

このあたりは増田も書く通り、

実際のところは筆者の胸の中のことなので、わからない。

ので、私の憶測なのだが元のブログの著者が最後に書いていたように増田のような取り方の人もいれば私のような取り方の人もいるのだろうと思う。

 
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