「あるがままの自分で」「あるがままの心で」みたいな歌詞が良くあるけど、あるがままの人間ってかなり凶暴で醜くて、差別や攻撃性やマウントや利己的行動に終始する怪物であるかもしれないけどいいの?と思ってしまう
こういう受動態の表現を使うことで、自分自身が判断したんじゃなくて
なにか公的な・客観的な判断によるものってニュアンスを刷り込もうとするひとやたらいるけど、純粋に卑怯だよね。
他の人が問題ないと判断して世に出てきているっていう事実を無視して、自分の判断が正しいという前提をねじ込んでるだけの論法。
本当のこといったら傷つくからやめるんだ
うーん、普通救命を知っているなら救急車呼ぶことの意味くらい理解していると思うんだがな
https://fukuoka.kon119.or.jp/seikatu/kyukyu/1sec.html
5. 心マ等の実施
その際に「あなた、救急車呼んでください」と名指しするように責任を感じさせることが寛容
なんでそんなマニュアルがあるかというと、素人集団に脳死とか救急車間に合わないとか一切判断つかないからだ
せいぜい、意識・呼吸・脈拍程度しかわからない前提で普通救命はできている
つまり「救急車はとりあえず呼ぶもの」であり、救命処置として正しい
それに身内や知り合いかは普通救命において一切考慮されていない
なので上の増田における普通救命の認識は相当間違っていると思うよ
ド素人による緊急時の救命を想定したのが普通救命で、救急車が間に合うかどうかとかは全然違う話になる
AEDも使ってよいかを機械に判断させるという意味で使うことには大きな意味がある
だからとりあえず持ってきてとりあえず使おうと習っているよね?心臓が正常なら機械が判断して知らせてくれるし
全てにおいて、わからないけどやってみたほうが助かる率があがることを想定している
なんで身内の発見とかが出てくるのかを例にするのか全くか理解できないんだよな〜
あと、俺の論説が少し歪んているのはその通りだね