自分の考えの整理も兼ねて。
できればアドバイスください。
投稿者は国立理系大の大学院生で、学部時代はレポートと期末試験に明け暮れていました。農繊名電レベルで、入学当初落ちこぼれ成績だったのが最終的に平均以上くらいになったので人並みに勉強はしてきたと思います。また家庭が裕福でないため、奨学金を借り入れています。そのため、無内定卒業は借金1000万無職とイコール。そういう意識から絶対に就活を成功させなければならないという考えがありました。
推薦枠もあるし、教授のコネもある。そうでなくても、選ばなければ引く手あまただろう。でも早めに終わらせて安心したい。そのあと研究に専念しよう。という思いから就活を早めにスタートしました。
と、いうのが当初の考え。
これが間違いでした。
現実はそう甘くなかったです。
はじめは学歴のプライドだかで知名度が高く選考が早い大手、中小を10社ほど受け始めました。自分の研究と一致しており、活かせる技術もあるので卒なくこなせば通るだろう、と考えていたのです。
でもまあ、人事の方の目も節穴ではない。そういった甘い考えを見透かされていたんだと思います。
学歴だけで受かると思ってるのか。意味不明に自信持ちやがって。
結局、どこも全滅しました。正直、内定に漕ぎ着けなくとも一つくらいは一次面接くらい通るだろうと思っていたのです。…まあそれが間違いなんですけど。はい。思い出すと懺悔の念しかないです。貴重な時間を割いていただいてる面接官の方にも申し訳ない。
次は、知名度とかを抜きに自分がやりたいことをやろうと考えて業界を変えました。自分は中学生よりギターをやっていた関係で、たくさん曲も聞きましたし弾きましたので、これをもう生涯の生業にしてやろうと思い楽器メーカーとか音響メーカーを受けました。ESは本当にもうスルスルと書けたし、面接でも熱意をアピールできたと思ってました。
「なんでそんな学歴でウチに?」と思われたんでしょうか。
面接の受け答えが悪かったのか。
もっと優秀な人がいたのか。
自信がないように取られたのか。
結局全滅しました。
自分が社会に必要とされていない人間であると暗に示されているように感じてきます。
もともと知らない人と会話するのが楽しいというキャラクターでなかったのも相まって、精神的にしんどくなってきました。
卑屈な傾向があるという自覚はあったんですが、得意分野である研究と音楽に関しては自信があったんですね。でも、そこをへし折られた。となると、卑屈だけが残ります。
ポジティブに変えようと努力しても、なかなか変わらないです。むしろそれが新たな卑屈の種を産んでしまう。
結局、自分が全部悪い。
社会に適合できていないのが悪い。
変わらないことが悪い。
変わろうとしても実現できてないのが悪い。
これが現状に対してだけならまだいいんですが、過去まで波及していきます。
裕福でないのに大学進学などしたのが悪い。
ってか生まれてきたことが悪い。
こうなるともう手がつけられません。鬱のスパイラルです。
就活していなかった頃は、趣味や友人との遊びに興じることで楽しいことを考えられたのですが、今は楽しかったことが楽しくなくなる段階まできてしまいました。
成功させているビジョンが全くイメージできなくなってしまいました。
友人が大手メーカー1社のみ受けて、就活を始めてから5日で内定ゲットしたという報告を聞いたのが3日前のことです。このときいろいろと崩壊しました。
何が悪いのかを自分で探して見つけなさい。という言はよくありますが、限界まで来ています。自分が全部悪いんだと結論づけてしまい、このままだと折れそうです。
自分が自信を持っているところを全部否定され、自分の悪いところを増幅してしまう。
視野狭窄だと自覚はしていますが、視野を広げる余裕がないのも事実です。
ではどうすれば自分は余裕を持てるのか。内定を得られれば余裕が持てます。きっと鬱も改善します。
これも視野狭窄だという自覚はあります。ありますが、他にどうできるのかわからないです。
折れたらきっと、奨学金の負担を親にかけたくない!という思いを実行することになるでしょう。ネットを探せば、就活できなくてもフリーターからやればいい。という意見が多くありますが…そういった方は、卒業時に1000万円の借金を背負っていなかったんじゃないかと思います。
助けてください。
一応社会人をやっている人間なんだけど、大物になる(なりそうな)人間って、声がデカいんですわ。 同じことを話すにしても自信なげに話していると、その人自身が小粒に見えてせっ...
ちらちら見え隠れする高学歴だという自負を改めた方がいい 農繊名電だとスタートラインに立てて、学生時代にそれなりに教育されたんだなっていう程度だから特別突出もしていないで...
女が悪いだけ