はてなキーワード: 原子爆弾とは
第九条の発案者であり時の総理大臣・幣原喜重郎のことを知らない日本人があまりにも多すぎる
彼がどのような考えで第九条を思いつくに至ったのか、それを議論せずにして憲法の議論なんかできるはずがない
なぜ政治家も、評論家も、社会学者も、そして我々国民も、九条を作った当人の言葉を話題に挙げないのか
彼の考えのどこが悪くて、どこに不満があって、現代社会に通用するのかしないのか、なぜ誰も語らない?
少しでも多くの人に、我々と同じ日本人が考案した第九条を、この埋もれてしまった歴史的憲法の成り立ちについて知ってほしい
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ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら ー
最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。
しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。
非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。
日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。
国を守るために戦った人を!みたいなこと言ってるやつらいたけど、いや無様に負けたよね?
最終的に飛行機に爆弾括り付けて突撃するとか言うバカでもしないような作戦とってしかもことごとく外しまくったあげく当時最新の原子爆弾を落とされて白旗上げさせられたわけだけど、当時の軍人は何を守ったの?
真珠湾攻撃してなければこんなことにならなかったよね?
彼らもある意味で被害者なのだ的な意見はまだわかるけど、別に大して国守れてないよね?むしろこいつらのせいでジャップが大量に死んだよね?
特攻で無駄死にしたバカ共よりも俺の方がより多く税金払ってんだから俺の方が日本という国を守ってんだわ。税金も払わずむしろ払ってもらったあげく飛行機で誰もいない海に突撃したアホとかどこが英霊なの?アホじゃん。靖国で会おう(笑)
なんかネトウヨどもは戦時中の軍人たちを悲劇的な運命を背負わされたヒーローみたいにファンタジーとして消費してるだけなんだろうけど、こういう頭パーみたいなのが硫黄島で土下座してた安倍のパフォーマンスに共感して虫みたいに自民党に投票するから日本はダメになったよね。虫に選挙権を与えるなよ。
一人当たりGDP韓国兄さんに抜かされてるのとかネトウヨってどう思ってるんだろう。単純に疑問。まあ自民、アベノミクスは失敗だったなんて虫には考え付かないだろうね。