名前を隠して楽しく日記。
二度と来ないでいただきたい
https://anond.hatelabo.jp/20240506154707
本人たちはプライドが高いから自分でも認めないしわかってないけど、弱者男性(と呼ばれるもの)は話し相手がほしいだけなのでぶっちゃけヤレなくてもいいと思う。
彼らが馬鹿なのは結婚するためのツールとして結婚相談所とかマッチングアプリを使っちゃってること。あの世界に行くからみんな病んだり女を憎むようになっちゃうだけで。
最近は以前ほど流行らなくなった感もあるが、こういったツールを用いて全てを一箇所に記録、蓄積して知的生産に役立てようというのは自分の中でも大きなテーマになっている。
メモツールの類にドキュメントを片っ端から放り込んで全文検索するのが基本的な使い方だ。
近頃はペンダント等のウェアラブルデバイスで常時録音録画して、音声や画像から文字起こしでテキストを抽出し記録して検索の対象とするサービスが出てきた。
極端な話、もし出生した時からこうしたデバイスを常時着用し、見聞きしたあらゆる事をデータ化できれば、その人生のすべてが検索可能になるだろう。
今後、脳と機械がBMIで接続できるようになれば、脳内の記憶あるいは思考すら外部にデータとして蓄積可能になるかも知れない。
そうなれば、ある意味、自分の分身がデジタルの世界に創り出されるとも言える。生きているうちに自分をデジタル化するのが今の願望だ。
ストーカーはどうかと思う
特別なきっかけがあった訳ではないが、妻はもとより性欲が強い方ではなく、
自分はセックス前のシャワーで興奮が醒めるので、段取りが面倒で誘わなくなった。
何度か妻に誘ってないけど大丈夫?と聞いたが、特に妻も不満は持っていなかたので、
基本的には一人処理で問題ないのだが、数ヶ月に一度強い劣情を催すことがある。
そういう時は、あの最中の全身が心臓になったような興奮をもう一度味わいたいなあと思うのである。
ただ、彼女は自分のことをもう"家族"として見ており、「家族の頼みなら」という気持ちが強かろう。
そうなるとこの行為は「自分の性欲処理を妻にお願いしている」という意味合いが強くなり、申し訳なさが勝つ。
単純な性欲処理であれば、性風俗を利用するのも手かも知れない。
妻も面と向かって告げなければ、好きにすればと思うだろう。
ただ、仮にどこかで知らない誰かのお世話になったとして、
その後も妻とセックスレスのままならば、自分の人生最後のセックスは妻でなくなる。
それがとてもさみしい。
ただの感傷でしかないのだが、こんなにも好きな妻だから、人生最後のセックスは妻がいい。
ではやはり妻をセックスに誘うか。ムーディーに、ロマンティックに。
そこまでしてセックスをしたいのか俺は?
そんなことを考えながら昨日は妻とキスをしてお互いの寝室に分かれた後、
そっと一人で処理をした。
先生苦しい助けておばさん
先生苦しい助けておばさん
Why drag?
違う。
ドラァグクイーンの精神を、自分はきっと受け継ぐことはできないし、
そもそも受け継ぐ気がない。
自己表現をする方法がいくらでもある中で、ドラァグをするのは自己表現をするためだ、は理由になっていない。
ドラァグの世界で、メイクを工夫したり、衣装を工夫したり、リップシンクをしたり、ダンスをしたり。
過去のドラァグクイーンを知っていることが、ドラァグクイーンとしての資格なのだろうか?
…
そこに戦いはない。んだろうか。
もしかしたら、何もないんじゃないだろうか。
文化が形骸化しているのかもしれない。手段が目的化しているのかもしれない。
…
自分は初めから、ジェンダーの壁をかき乱すことなんて、目指していないんじゃないのか。
Why drag?
ーーわからない。
これは、学問が、実用性を持つ必要があるのかと似ているような気がする。
答えの一つとして、量子力学をよく挙げる。
最初は役に立つかなんてわからなかったけれど、現代社会には欠かせないものになっている。
でもそれは、相手の土俵に乗っている。その答えに自分は、やはり劣等感を抱いている。
なぜならきっと、「人類の知恵を広げることそのものに意味があるのだ」という答えに、
ある部分では賛成しているけど、ある部分では反対しているからだと思う。
自分にとっての、ドラァグを使った表現の主人公は、誰なんだろう。
遠くに行く。根を張る。
植物は、根を張る。
しかし、それだけではない。種子を飛ばして、種の最前線を広げる。
きっと、目的という考え方と、表現という行為には、ある程度相性の悪さがあるんだろうなぁ。
…
つまんない。つまんないよ、そのくよくよして表現しようとするスタイルが。
表現ってなんだ。
結局自分が思う自分の精神を表現する言葉は、「表現者」、「アーティスト」なのか。
一度、ドラァグクイーンという考え方から離れて、アーティストという考え方を意識しよう。
責任の取り方に正解なんてないけど、自分の考える形でいいから、責任を持つ。
大事なことは、ここに、「くよくよする」ことや、「遊ばない」という意味は、全く含まないということ。
迷子になった。