はてなキーワード: 精神論とは
そうでもないだろ。
ノブレス・オブリージュ にはいろんな側面があって、画一的ではないけれど
単純な経済原理から言っても 焼畑農業をやるよりは計画農業をやったほうが実入りが多いというのは単純な結論だ。
周囲から吸い上げ続けて自分が太るよりも、吸い上げた分を周囲に戻して産業自体を活性化させたほうが、結論として自分の実入りも大きくなる。
政治的な面から行っても、儲けすぎていると狙われる。だから、慈善事業を少しやって反感をそらしていく。というのも実に合理的だ。
もちろん、精神面とか、レゾテントールとか、いろいろな側面はあるけれども、
焼畑農業というのは本気で強欲になってやらないと中途半端は危険なビジネス。すると当然 計画農業になって、周囲への還元 慈善事業って話になっていく。
要するに、ノブレス・オブリージュってのは、合理性のを持った考え方であって、単なる宗教論でも精神論でもない。
言い方を変えれば、自分たちの世代だけが儲かって、若い世代との格差ができて、反感をかっているのに・・・慈善事業をするわけでもなく、若者対策をするわけでもなく
一方的に、格差が広がって反感を買い続けている団塊の世代の人たちは、ガクがないというか・・・反感をそらすということばを知らんのか?という言い方もできる。
なにもしないんだから、若い世代に反感を買って、なんとか、団塊の世代を落とせないか!と言われたり、そらそだよなぁと。
団塊の世代には自分たちが狙われている獲物なんだという自覚は無いんだろうねぇ・・・エジプトのように暴動起きるその日までは・・・
才能無い人は才能無い方面でいくら行動してもダメ
「批判を受け入れないから成長できない」?
違う気がする
才能無い人はどんなすごい人のアドバイスを聞いてもピンとこない
結局そういうの聞けるのは才能ある人だけなんだと思う
つまんないのにアウトプットしまくる人達は精神論や姿勢論の信奉者だと思う
「ダメなものでも前のめりにアウトプットしまくる姿勢が大事!」みたいな
「失敗作を百個作れば傑作が出来るんだ!」みたいな
もしくはそれ以前に、自分のアウトプットがゴミの山であると気付けてないか目を逸らしてる
クリエイター志望なら首を括るか前のめりにドブに突っ込むしかないけど
もしお金や名声を目当てに頑張ってるつもりならば
自分達のつまんなさと向き合った上で自分で作ろうとするのをやめて
面白い人を雇う、お世話をする、みたいなポジションやシステムを探求したほうが建設的だと思う
「センスが無い奴は面白い人を見分けて雇うのも一苦労だろ!」というツッコミはあろうけども
センスが無い人が面白い人の良き世話役になると言う幸運の方が
まだその辺に転がってることが多いと思うよ
政策金融公庫から新規開業資金で手持ちの3倍まで引っ張れるよ。利子3%だっけか。つーか忘れてたけど、国庫はもう無いな。
これは結構審査ユル目だから「飲食店やるー」とかでも普通に引っ張れる。
サラリーマン上がりにとっては起業すること自体が金に換算出来ない大ダメージってこともあったり。
あと、個人事業主の十年生存率は10%を切ってるので「儲からないけれど食っていける状態で続ける人が多い」なんてのは
全く現状に即してないんじゃないかと。半分が一年以内で退場だしね。
儲かる道がそう多くないことは確かだけど、頑張ればなんとかなるっていう精神論には説得力が感じられないなぁ。退出率を見ると。
元増田だけど。
ツリーが長過ぎて自分も今どういう話になってるかわからんけど、
自分の議論はここで完結してます。
http://anond.hatelabo.jp/20101007113723
まぁ、ある意味では昔の坂本龍一のインタビューがすべて語ってくれてます。
こういう種類の葛藤。
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY200812180219.html
まとめると、
・ネットがプロもアマもなくしちゃってみんな平等に。誰でも配信、流通が可能に。
・金とか肩書きとか名声とか?
・今の時代にそういうものを求めて音楽やってる奴ってもうつまんないやつばかりなんじゃないの?
・「それは精神論だ!万人向けに作る作品がメジャーだ!」みたいな反論。
・で、その万人の答えが今のヒットチャートなり、業界の状況なんじゃないの?
っていうことです。
こっちは元増田だけど、
そうだね。だけど、今これからのやつらってそういう欲望ってネットである程度満たせるんじゃないの?
ネットで賞賛されて、そのつながりがある程度リアルでも満たされれば、その先(メジャー)に行きたいって思うのは
「金」とか、「肩書き」しか理由にならないよね。「世界を変えたい」とか思ってるのならともかく。
個人的にはそうなってしまうと「つまらない」と感じてしまう。
だけど、アーティストにそれを求める人って世の中はそんなに少なくないと思うけど、どうかなぁ。
少なくとも、
アーティストの中身や、考えなんて、正直どうでもいいんだよ。作品の質には関係ない。
こうは思わないけど。どんなものでも、その人が作ってるんだから。
けど古今東西、バンド始めた(=楽器に触った)理由の筆頭って”女の子にモテたかったから”じゃん。
そういう不埒な理由じゃ良い音楽作れない!ってのは本末転倒だよ。
アーティストの中身や、考えなんて、正直どうでもいいんだよ。作品の質には関係ない。
お金の為に音楽やってますが何か、って人よりも”良い物”を作れるなんて言うのは
所詮精神論・根性論で”良い物”を選り分けているだけで全然良い物でもなんでもない。
無償でのネット配信が、メジャー化や金儲けを目的としたアーティスト以外の作品を
受け手に対して楽に配信するようになるのは喜ばしいし、
そうした作品のレベルが本当に高いのなら、プロもプロなりの質を求められていくだろ。
そもそも、ネット主体の活動で儲けよう!儲けれる!って考えが、現実を見ているのかすらあやしいんだけどな。
そうした儲けれる人たちと、メジャーデビューしている”目立ちたがり””お金儲けたい”人とどう違いがあるっての?
プロデュースもセールスも自分自身でプロ同様に、それ以上にできるってんなら、
君の論理で言うと、最も良い音楽なんざ作れないつまんない輩なんじゃないのか?
そして、ニコ厨なんて、そうした輩の代表じゃないのか?
上記のインタビューからは、
とは読み取る事が出来ませんでしたし、
と笑っておられるように、皮肉として使われているものでしょうから、それを無痛分娩の対として使われるのはいかがと。
吉村医院では自然分娩に拘っているとは受け取れますが、「激痛だから価値がある」と受け取るのは行き過ぎかと。
出産前からのケアですとか、充実した医療スタッフ、水中出産施設の整備もあるなど、自然分娩に関しては素晴らしい施設だと思いますし、実績としての帝王切開率の低さではないかと。
倒錯した価値観で運営されている医院であれば、ここまで充実した設備・スタッフにはならないのではないかと思いますが。
無痛分娩も帝王切開も、施術です。
http://anond.hatelabo.jp/20100909210333
トピ主です。
http://blog.livedoor.jp/sunclinic/archives/340480.html
>吉村正先生にお話しをうかがい、今、多くなっている『無痛分娩』についてお尋ねすると、
>いのちを産み出すのに、痛みもなしに産もうなんて間違っとる!」
>と喝!!
>「激痛だけど、産んだ後は、みんないい顔しとるよ」
>「自然に産むということは、その子のすべてを受け容れるということ
>と本当に女性に対して深い愛情をもっておられる素敵な先生です
「激痛分娩」というワードは、別に酒井順子が言い出したワードでなく
小生が今回のスレ立てた際の造語であるが、実は小生よりも前に「大家」吉村正センセが
使っておられるのであった。
造語主の吉村センセは「激痛だから価値がある」という倒錯した価値観をお持ちのようで。
だからあえて「激痛」と表現したのだろう。
小生そして酒井順子も唾棄している「訳判らない精神論」でないか?
>無痛分娩の対義語は、自然分娩なんだけどな
やれやれ。部分的には首肯してかまわないとこもあるが、こんだけ長く書いてひとを「読解力がない」といってる割にはねえ。
元増田のどこに、「酒井の論を論拠に」なんて書いてある?「酒井順子本を論拠に」ってあるだろ。「酒井順子本」の中には、
そしてアメリカの医師は、「激痛分娩は妊婦に多大な精神ダメージを与えるので、可能であれば無痛分娩をすることを医学的に勧めている」
って書いてあるわけだ。
まずここで読みきれてない。元エントリを読もう。
(酒井本では、無痛分娩は当然あっていい選択なのに)しかし、日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、先進国唯一の激痛分娩国になっている、と書かれている。
だから、これを論拠にして、元エントリでは
「ホメオパシーは医学的に非合理」と判断する一方で、「出産は激痛分娩でなきゃダメ!」と医学的に不合理な選択を妊婦に強要する日本社会は、ある種の「ダブルスタンダード」じゃないのか?
と書いている。タイトルに「激痛分娩を妊婦に強いる日本社会が」ともあるように、精神論があるから妊婦は激痛分娩を「強要さ」れてるんだ、と言ってる。
つまり"無痛分娩という当然の選択"VS"激痛分娩を強要する精神論"の話を元エントリではしてたはずだ。にも拘らず、最後にいきなり分娩方法のリスク量によっては論拠が崩れる、と言い出してる。上記の対立構造とリスクの話はまるで別物で、今までの論拠とは関係ないのに。
お前は元増田を正確に読めてない上に、さらに、お前の文章は意味不明だ。一番不明なのがここ。
無痛分娩で科学的リスクがいくら上がっても、精神論否定が結果的に無痛分娩数増加に繋がり、精神論の温存が(無痛分娩数)減少に繋がりさえすれば酒井論は肯定される。
ここからだらだらだらだらと、俺の論が「現実にありえない」とか言ってるんだが、これは単純に「酒井論が肯定されるには何が必要か」の話をしてるにすぎない。なのに、
日本人が、人間が今まさにもってるとする精神論が、いつのまにか勝手に否定されたりするわけないだろ。(略)何の理由もなく、いきなり否定されはじめることなんて、ないだろ。アホか。現実的にありえない仮定をもとにしてるから、この仮定は全く意味が無い。
とか言い出す。アホか。理由なんて妊婦の経験談でも何でもいいだろ。「一人目は病気のせいで無痛で産んで、二人目は痛く産んだけど、産んだ後の気持ちは変わんなかった」みたいな話がすごく有名になるとかな。ありえない仮定でもないし、問題は「酒井論を論理的に成立させる条件」なんだから、意味がないわけがない。
ま、このへんは確かに「温存」じゃないほうがいいな。「大流行りしたとしても」とかに変えようか。別にいいよ。
すると「無痛分娩の科学的リスクが高くても、精神論が否定されるなら、無痛分娩数増加に繋がる」になるんだが。(略)で、母親になれるとかなれないとかは関係なく同じならば、単純に「子を産む」に際して、なんでわざわざリスクが高いほうが選ばれるのか意味が不明。論理的に破綻してる。
そりゃ「高いリスク」が周知されてりゃね。激痛分娩では痛みのせいで出産が滞り母子を危険に陥らせるリスクがあるらしいが、そのリスクは周知されていないだろうから、その理由で無痛分娩を選択する人間は少ない。母親のなるならないも2人して死んじゃあはなから意味ないのに、精神論以前なのに、だよ。現実がどうでも、知らないことは考慮なんかしないで「わざわざリスクが高いほうが選ばれる」わけだ。実際に「論理的に破綻してる」んだな。
で、その上で「精神論が否定されるなら、無痛分娩数増加に繋がる」んであれば、酒井論も肯定するしかなくなりうる、というわけ。なぜなら酒井論を成立させるにはその条件が要るわけだから。俺、おかしいこと言ってるか?
"日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、先進国唯一の激痛分娩国になっている"という酒井の論はどうやっても肯定されないわけ。
どうやってもお前の立てた仮定では、酒井の論は肯定されないんだよ。
と言ったって、酒井論を肯定しようとしたら上で言うようなアプローチしかないだろ? "論拠は「精神論が無痛分娩数増加に繋がったか否かのデータ」しかありえない"んだから。
ちなみに、これから無痛分娩が広まったとき、初めて、「激痛分娩を経てこそ母親になれるとか、それはない、関係ない」って否定されだすんだぞ。
無痛分娩したけど、ちゃんと(良い)母親ですよっていうのが自分の評価でも他人から見ても広まれば、分娩における痛みの強さは、母親になる条件ではないなーっていう認識が広まるだろ。
これはそうなるといいねえ、としか言えんな。無痛分娩者の評価がきちんと広まるかどうかについておれはそこまで楽観視できない。少年犯罪も凶悪犯罪も児童虐待も、善男善女のおおかたは現実の件数とは別に、マスコミ報道を根拠にして「増えている」と思い込んでるんだろうから。事実がちゃんと世間に浸透する保障はない。
俺はべつに酒井論が肯定されようとされまいとどうでもいいし、無痛分娩がどれほど増えようと問題はない。
ただ、酒井論の根拠がなにかも知らないうちに酒井論を根拠にした話に頷いても仕方ないし、酒井論の正否とリスクの話を混ぜても意味がわからんし、麻酔医の不足はそんな与太話よりももっと考えるべきことじゃねえのか、とは思うがな。
他人のカネの使い方に文句をつける奴がいる。
ちょっと前に、麻生首相がホテルのバーで飲んでたら「庶民感覚がない」とか叩かれたけど、
金持ちが貧乏人みたいな生活してたら、社会に金が回らんだろう。
金持ちの預金残高が増えて、貧乏人が失業して余計貧乏になるだけだ。
むしろ、金持ちが豪勢なカネの使い方をするのは、社会に対する責務だろう。
たくさん稼いだらたくさん使って社会に還元する方が、貧乏人にとっては余程ありがたいことだ。
そういうのは結局、「俺が貧相な生活で我慢してるんだから、お前も我慢しろ」という、
貧乏人のひがみ、ねたみ、そねみであって、それが回りまわって貧乏人の首を締めてるんだから馬鹿な話だ。
それに対して、金持ちが「どうやって大金を稼いだか」は、あまり問題にならない。
他人を騙したり、不幸にしたりしてカネを稼いでる奴がいっぱいいるのに、
被害者が大勢出てきて社会問題にならないと、滅多に断罪されることはない。
社員や取引業者を恫喝したり、使い捨てにしたり、過労死させたりしている会社はたくさんあるが、
そういう会社が(違法に利益を得て)業績を伸ばすと、断罪されるどころか賞賛される。
社長がテレ東のドキュメンタリーに出演して、愚にもつかない精神論を垂れ流す。
それを見た中小企業のオヤジが、「ウチもあれくらいやらないとダメだ!」とか言い出す。不幸の連鎖。
どうしてこう、日本人は不幸自慢が大好きなんだろうか。
しかし、日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、
先進国唯一の激痛分娩国になっている、と書かれている。
そもそも、無痛分娩の対義語は、自然分娩なんだけどな。
わざわざ、激痛分娩という用語を創造して批判する輩の本はどうかと思うよ。
「激痛分娩は妊婦に多大な精神ダメージを与えるので、可能であれば
無痛分娩をすることを医学的に勧めている」とある。
※「無痛分娩は医学的に問題」というのであればご指摘下さい。
医者側に特にリスクが高く、その結果、母体側のリスクも高くなる。
一般的な無痛分娩と呼ばれるもので行われる硬膜外麻酔は、4mmぐらいしかマージンがなく、ミスると硬膜に孔が開いたり、他の神経に麻酔が入る。
そうすると。この国ではお約束のように訴訟されるもんだから、わざわざ難しい硬膜外麻酔やりたがる病院が出てこない。
麻酔医は絶賛減少中。
麻酔医の総数少ないと、全体的な麻酔のスキルも伸びないので、硬膜外麻酔は他の国よりリスクが高いと思う。
どうやったらお前みたいな文章が書けるのか、どうやったらお前みたいな思考になるのか、
あんまり驚いたんで長文。
自分の読解力の無さを棚上げして「まったくもって意味不明」とか恥ずかしいなお前。
空気読めとかいう問題じゃない。思い込みを捨ててまず元の文章を正しく読め。
「酒井順子本を論拠に」ってあるだろ。
「酒井順子本」の中には、
そしてアメリカの医師は、「激痛分娩は妊婦に多大な精神ダメージを与えるので、可能であれば無痛分娩をすることを医学的に勧めている」
って書いてあるわけだ。
元増田はその記述をもとに、「日本でも、無痛分娩の方が奨励されるべきでは?」って思って書いてるわけ。それくらい読みとれ。
だから最後に、「無痛分娩の方が科学的に有リスクなら、教えてくれ」って書いてる。
何故だか分かるか?
元増田は、
「もし、無痛分娩は科学的にリスクが高いならば、科学的にリスクの低い激痛分娩の方を奨励すべきだ(たとえ妊婦の精神にダメージはあっても)。」
と考えているわけだろ。
元増田にとって、科学的にリスクの低い手段を選ぶ方が当然のことなわけ。
かつ、元増田は、「これは誰にとっても当然だろう」と思ったんだろ。だから、わざわざ書かないわけ。
で、ふつう、元増田の文章だけで、何が当然のこととされているかとか、読み取れるわけ。
お前は、読み取れてないわけ。それを棚に上げて、「意味不明」って言ってるわけ。恥ずかしいだろ?
お前は元増田を正確に読めてない上に、さらに、お前の文章は意味不明だ。一番不明なのがここ。
無痛分娩で科学的リスクがいくら上がっても、精神論否定が結果的に無痛分娩数増加に繋がり、精神論の温存が(無痛分娩数)減少に繋がりさえすれば酒井論は肯定される。
これ、不足を補い整理すると、
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たとえ無痛分娩で科学的リスクが上がっても、精神論が否定されるならば無痛分娩数は増加し、かつ、
たとえ無痛分娩で科学的リスクが上がっても、精神論が温存されるならば無痛分娩数は減少するならば、酒井論は肯定される。
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になる。
で、まず前提として。
日本では激痛分娩を経てこそ母親になれるという訳わからない精神論があると、酒井は言っている。
が、日本に、そうした精神論があるのかどうかまず証明は難しいだろ。どんだけアンケート取るのか。
かつ、精神論があったとして、精神論があることが原因で日本では激痛分娩がなされているのかどうかの証明は難しいだろ。これは酒井の思い込みレベルの話なんだよ。
だから、精神論があることを前提に、「精神論否定」とか「精神論温存」ってお前は言ってるけど、まずそれが成り立たない。
たとえ精神論があると証明され、精神論によって激痛分娩がなされているとされ、
その上で、激痛分娩を経てこそ母親になれるという精神論が否定されれば、確かに無痛分娩数は増加するだろう。
だけど、そもそも、現状で精神論があるとして、その精神論を否定していく根拠、理由になるものって何だよ。
日本人が、人間が今まさにもってるとする精神論が、いつのまにか勝手に否定されたりするわけないだろ。
もし精神論が否定されていくなら、そこには必ず、それなりの根拠なり理由なり必要だろ。
日本人が、今、激痛分娩を経てこそ母親になれると考えているんだよね?
それを日本人がこれから、「いやそんなことない」って否定するんだよね?
どうしたら、「激痛分娩を経てこそ母親になれるとか、そんなことはない」って否定しはじめるのか?
いや、とにかく何かの理由で「そんなの迷信だ、思い込みだ」っていきなり否定しはじめるんだとして、
その可能性てどんだけなんだよ。
何の理由もなく、いきなり否定されはじめることなんて、ないだろ。アホか。
現実的にありえない仮定をもとにしてるから、この仮定は全く意味が無い。
後半も意味が通らない。
激痛分娩を経てこそ母親になれるという精神論が温存されそのままなら、無痛分娩数の減少には繋がらないだろ。
ここまでをまとめると、精神論はなんかしらんけど勝手に否定されたりしないし、だから無痛分娩数の増加に繋がるわけはないし、
精神論が温存されたとしても、無痛分娩数は減少に繋がらず「そのまま」なわけ。
まず、こうした意味の無い仮定に基づいている以上、
"日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、先進国唯一の激痛分娩国になっている"
という酒井の論はどうやっても肯定されないわけ。
さらに、「無痛分娩で科学的リスクがいくら上がっても、」の部分と絡めるとさらに意味不明。
現状で、無痛分娩がなされているわけで、そのリスクがこれから上がったりすることはない。
ここだけでもうおかしいんだが、とりあえずリスクが高い、と読み替えることにする。
すると「無痛分娩の科学的リスクが高くても、精神論が否定されるなら、無痛分娩数増加に繋がる」になるんだが。
「激痛分娩を経てこそ母親になれるという精神論」が否定されるということは、
「激痛分娩することにより母親になれるとかなれないとか関係ない、激痛でも無痛でも、同じ」だ。
激痛分娩の否定じゃないんだぞ。
それを否定しても、「無痛分娩によって母親になれる」にはならないぞ。
激痛でも無痛でも「同じ」になるだけだ。
で、母親になれるとかなれないとかは関係なく同じならば、
単純に「子を産む」に際して、なんでわざわざリスクが高いほうが選ばれるのか意味が不明。
母親になれるとかなれないとか関係なく同じならば、
自分や子どもの安全ために、痛いけど我慢してリスクの低い激痛分娩を選びましょう、ってなるだろ。
まあ、リスク高いけど痛いのはイヤだわという理由で、無痛分娩を選ぶ人もいるにせよ。
それにしても、一方的に、リスクの高い無痛分娩の方が増加するとは言えない。
さて、後半、「無痛分娩の科学的リスクが高くても、精神論の温存が無痛分娩数の減少に繋がる」。
精神論がそのままなら無痛分娩の数はそのままなのは先に書いた。
で、無痛分娩のリスクが高く、精神論がそのままならば、やっぱり「そのまま」だ。
いま、激痛分娩がなされてるんだからな。
以上まとめると、そもそも仮定の条件がおかしいことに目をつぶっても、
どうやってもお前の立てた仮定では、酒井の論は肯定されないんだよ。
おまえの書いてる麻酔科医のクダリも、それでググっただけで産科における麻酔科医の数が不足しているのかどうかは判明しないし、精神論があろうとなかろうと~って、精神論があって麻酔科医の数の少なければ現実を越えるまでも無くやっぱり精神論で激痛分娩の数は多いだろうから「あろうと」は余計だとか、いろいろメチャクチャなんだが、疲れたからコレくらいにしとく。
ちなみに、これから無痛分娩が広まったとき、初めて、
「激痛分娩を経てこそ母親になれるとか、それはない、関係ない」って否定されだすんだぞ。
無痛分娩したけど、ちゃんと(良い)母親ですよっていうのが自分の評価でも他人から見ても広まれば、
分娩における痛みの強さは、母親になる条件ではないなーっていう認識が広まるだろ。
まあ、麻酔科医の不足が原因かもしれないけどな。それはまた別の話だ。