はてなキーワード: 精神論とは
どうやったらお前みたいな文章が書けるのか、どうやったらお前みたいな思考になるのか、
あんまり驚いたんで長文。
自分の読解力の無さを棚上げして「まったくもって意味不明」とか恥ずかしいなお前。
空気読めとかいう問題じゃない。思い込みを捨ててまず元の文章を正しく読め。
「酒井順子本を論拠に」ってあるだろ。
「酒井順子本」の中には、
そしてアメリカの医師は、「激痛分娩は妊婦に多大な精神ダメージを与えるので、可能であれば無痛分娩をすることを医学的に勧めている」
って書いてあるわけだ。
元増田はその記述をもとに、「日本でも、無痛分娩の方が奨励されるべきでは?」って思って書いてるわけ。それくらい読みとれ。
だから最後に、「無痛分娩の方が科学的に有リスクなら、教えてくれ」って書いてる。
何故だか分かるか?
元増田は、
「もし、無痛分娩は科学的にリスクが高いならば、科学的にリスクの低い激痛分娩の方を奨励すべきだ(たとえ妊婦の精神にダメージはあっても)。」
と考えているわけだろ。
元増田にとって、科学的にリスクの低い手段を選ぶ方が当然のことなわけ。
かつ、元増田は、「これは誰にとっても当然だろう」と思ったんだろ。だから、わざわざ書かないわけ。
で、ふつう、元増田の文章だけで、何が当然のこととされているかとか、読み取れるわけ。
お前は、読み取れてないわけ。それを棚に上げて、「意味不明」って言ってるわけ。恥ずかしいだろ?
お前は元増田を正確に読めてない上に、さらに、お前の文章は意味不明だ。一番不明なのがここ。
無痛分娩で科学的リスクがいくら上がっても、精神論否定が結果的に無痛分娩数増加に繋がり、精神論の温存が(無痛分娩数)減少に繋がりさえすれば酒井論は肯定される。
これ、不足を補い整理すると、
--
たとえ無痛分娩で科学的リスクが上がっても、精神論が否定されるならば無痛分娩数は増加し、かつ、
たとえ無痛分娩で科学的リスクが上がっても、精神論が温存されるならば無痛分娩数は減少するならば、酒井論は肯定される。
--
になる。
で、まず前提として。
日本では激痛分娩を経てこそ母親になれるという訳わからない精神論があると、酒井は言っている。
が、日本に、そうした精神論があるのかどうかまず証明は難しいだろ。どんだけアンケート取るのか。
かつ、精神論があったとして、精神論があることが原因で日本では激痛分娩がなされているのかどうかの証明は難しいだろ。これは酒井の思い込みレベルの話なんだよ。
だから、精神論があることを前提に、「精神論否定」とか「精神論温存」ってお前は言ってるけど、まずそれが成り立たない。
たとえ精神論があると証明され、精神論によって激痛分娩がなされているとされ、
その上で、激痛分娩を経てこそ母親になれるという精神論が否定されれば、確かに無痛分娩数は増加するだろう。
だけど、そもそも、現状で精神論があるとして、その精神論を否定していく根拠、理由になるものって何だよ。
日本人が、人間が今まさにもってるとする精神論が、いつのまにか勝手に否定されたりするわけないだろ。
もし精神論が否定されていくなら、そこには必ず、それなりの根拠なり理由なり必要だろ。
日本人が、今、激痛分娩を経てこそ母親になれると考えているんだよね?
それを日本人がこれから、「いやそんなことない」って否定するんだよね?
どうしたら、「激痛分娩を経てこそ母親になれるとか、そんなことはない」って否定しはじめるのか?
いや、とにかく何かの理由で「そんなの迷信だ、思い込みだ」っていきなり否定しはじめるんだとして、
その可能性てどんだけなんだよ。
何の理由もなく、いきなり否定されはじめることなんて、ないだろ。アホか。
現実的にありえない仮定をもとにしてるから、この仮定は全く意味が無い。
後半も意味が通らない。
激痛分娩を経てこそ母親になれるという精神論が温存されそのままなら、無痛分娩数の減少には繋がらないだろ。
ここまでをまとめると、精神論はなんかしらんけど勝手に否定されたりしないし、だから無痛分娩数の増加に繋がるわけはないし、
精神論が温存されたとしても、無痛分娩数は減少に繋がらず「そのまま」なわけ。
まず、こうした意味の無い仮定に基づいている以上、
"日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、先進国唯一の激痛分娩国になっている"
という酒井の論はどうやっても肯定されないわけ。
さらに、「無痛分娩で科学的リスクがいくら上がっても、」の部分と絡めるとさらに意味不明。
現状で、無痛分娩がなされているわけで、そのリスクがこれから上がったりすることはない。
ここだけでもうおかしいんだが、とりあえずリスクが高い、と読み替えることにする。
すると「無痛分娩の科学的リスクが高くても、精神論が否定されるなら、無痛分娩数増加に繋がる」になるんだが。
「激痛分娩を経てこそ母親になれるという精神論」が否定されるということは、
「激痛分娩することにより母親になれるとかなれないとか関係ない、激痛でも無痛でも、同じ」だ。
激痛分娩の否定じゃないんだぞ。
それを否定しても、「無痛分娩によって母親になれる」にはならないぞ。
激痛でも無痛でも「同じ」になるだけだ。
で、母親になれるとかなれないとかは関係なく同じならば、
単純に「子を産む」に際して、なんでわざわざリスクが高いほうが選ばれるのか意味が不明。
母親になれるとかなれないとか関係なく同じならば、
自分や子どもの安全ために、痛いけど我慢してリスクの低い激痛分娩を選びましょう、ってなるだろ。
まあ、リスク高いけど痛いのはイヤだわという理由で、無痛分娩を選ぶ人もいるにせよ。
それにしても、一方的に、リスクの高い無痛分娩の方が増加するとは言えない。
さて、後半、「無痛分娩の科学的リスクが高くても、精神論の温存が無痛分娩数の減少に繋がる」。
精神論がそのままなら無痛分娩の数はそのままなのは先に書いた。
で、無痛分娩のリスクが高く、精神論がそのままならば、やっぱり「そのまま」だ。
いま、激痛分娩がなされてるんだからな。
以上まとめると、そもそも仮定の条件がおかしいことに目をつぶっても、
どうやってもお前の立てた仮定では、酒井の論は肯定されないんだよ。
おまえの書いてる麻酔科医のクダリも、それでググっただけで産科における麻酔科医の数が不足しているのかどうかは判明しないし、精神論があろうとなかろうと~って、精神論があって麻酔科医の数の少なければ現実を越えるまでも無くやっぱり精神論で激痛分娩の数は多いだろうから「あろうと」は余計だとか、いろいろメチャクチャなんだが、疲れたからコレくらいにしとく。
ちなみに、これから無痛分娩が広まったとき、初めて、
「激痛分娩を経てこそ母親になれるとか、それはない、関係ない」って否定されだすんだぞ。
無痛分娩したけど、ちゃんと(良い)母親ですよっていうのが自分の評価でも他人から見ても広まれば、
分娩における痛みの強さは、母親になる条件ではないなーっていう認識が広まるだろ。
まあ、麻酔科医の不足が原因かもしれないけどな。それはまた別の話だ。
元職場で経産婦の方が山ほどいたが、「以下に苦労・痛みに耐えて出産したか」
「これから出産するのには少々の痛みを耐えねば」
「痛みに耐えてこそ母となれる」
という精神論を聞かされた結果、私は自分が出産する時はぜっっっっっったい麻酔でやると決意した。
だってなー、産んだあとだって痛いらしいよ。なんでも会陰を切開して糸で縫うのでトイレのたびにしみる、とか、
その糸を自分で引っこ抜いた、だの、
産んだあとでもそんな鳥肌レベルの痛い話聞かされたら、どう考えても無痛にしたくなるよ絶対。
痛みは極力少なくしたいというのは普通のことだと思う。
当方、酒井順子本を論拠に論を組み立てているので、無痛分娩の方が科学的に有リスク、となると、
論拠が一気に崩れるので。
まったくもって意味不明。
酒井の論が"日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、先進国唯一の激痛分娩国になっている"だから、論拠は「精神論が無痛分娩数増加に繋がったか否かのデータ」しかありえない。
無痛分娩で科学的リスクがいくら上がっても、精神論否定が結果的に無痛分娩数増加に繋がり、精神論の温存が減少に繋がりさえすれば酒井論は肯定される。
で、問題は精神論でしか説明不能なのか。
多分一番の理由は「常勤麻酔科がいる産婦人科が少ないから」です。
日本ではまだ設備の整った産婦人科と大病院で、希望する人と疼痛に耐えられない心疾患などの患者のためにしか無痛分娩されておりません。
「麻酔科医 数」で検索すれば、麻酔科医が足りていないらしいことは容易にわかる。さて、その足りない麻酔科医を、医療側はどう使おうと考えるか。
つまり、激痛だろうと何だろうとひとまず産むことはできる妊婦と、麻酔科医なしでは実行不能の救急や手術、どちらに使うかだ。
前者にリソースをジャブジャブ使おうとするバカは多くはないだろう。
その中で、
これが少子化の最大要因じゃないか」と看破していた。
で、アメリカでは無痛分娩が当たり前で、激痛分娩は
「医療費をロクに払えない貧乏人か、極度のナチュラリストだけ」とのこと。
「激痛分娩は妊婦に多大な精神ダメージを与えるので、可能であれば
無痛分娩をすることを医学的に勧めている」とある。
しかし、日本では「激痛分娩を経てこそ、母親になれる」という訳わからない精神論が横行し、
先進国唯一の激痛分娩国になっている、と書かれている。
・・・この件を読んで、今の日本のホメオパシー論議を思い出してしまった。
要は、アメリカで、金があるのに激痛分娩を選択するのは、
「現代医学を意図的に遠ざけようとするナチュラリスト」ということであり、
これって今日本で騒がれているホメオパスと相通じるものがあるのではないのか。
(アメリカで激痛分娩を選択する妊婦のうち、相当比率がホメオパスではないか、と
予想される)
逆に言えば、
「出産は激痛分娩でなきゃダメ!」と医学的に不合理な選択を妊婦に強要する日本社会は、
ある種の「ダブルスタンダード」じゃないのか?
今回、朝日新聞の尽力で「非合理なホメオパシー」を日本社会から排除できる可能性が高まっているが、
今度は、「医学的に非合理なのに、母性神話で妊婦に強要している激痛分娩」についても
キチンと合理的判断を下すべきでは?
※「無痛分娩は医学的に問題」というのであればご指摘下さい。
当方、酒井順子本を論拠に論を組み立てているので、無痛分娩の方が科学的に有リスク、となると、
論拠が一気に崩れるので。
単に似てるな、ってだけの印象論。
こっちの方が分かりやすいんでないかと、ふと思った。
北(軍閥的な印象)と南(気性的な印象)をミックスして都合のいいところだけを取り出しただけ、と先に謝っとく。
起源は常に「俺」。
技術力は、ない。
なぜか売り上げがあったりする場合も、その実、内容は粗悪品。
だけど、エエカッコしたがる。
エエカッコした挙句、問題を作って返ってくる。
だからどうなるかといえば人海戦術。
勝てば良いと思ってる。
勝つために引く、とかはしない。
もれなく逆ギレが返ってくる。
とりあえず叫んどけ。とりあえず叩いとけ。
気圧す、追い込むとか大好き。
むやみやたらに隠したがる。
というか、隠さないとボロが出る。
洗脳的。
都合の悪いことは決して教えず、国民に必要以上の知識は与えない。
逃亡を防ぐのに効率的。
マンセー言ってりゃなんでもいい。
慢性的な停滞感の中で、
何も知らない・頭の弱い子を集めてそんなことしたら、
そうならない人はもれなく泡吹くか、精神を病むか、脱北。
ブラックの8割は嘘偽りで出来ています。
アイデンティティとか大好き。
お前のものは俺のもの。
竹島だって俺のもの。
とりあえず他者(他社)が悪い。
失敗の責任は内側でなく、外側が払うもの。
そして他者(他社)を必要以上に貶め、
自己の優秀性を過剰にアピールする。
困ったときはミサイル撃って、支援を取り付ける。
もう、人の弱みに付け込み、人を脅すとか大好き。
決して「辞めろ」とは言わない。決して「残業しろ」とは言わない。
だけども、「俺の言うこと聞かないと分かるよな…?」「この界隈で商売できないようにしてやろうか!」。
意に反するものはすべて危険思想。
そんなヤツを見つけたら、とっ捕まえて更に過酷な強制労働。
労組なんて作らせません。
外貨を稼ぐものは、主に法外(かもしくはグレー品)な商品。
キムチは、アレです。
金があってもなくても、国民には回ってきません。
長々と書いてきたが、なんと言っても将軍様。
この国は将軍様の国なんです。
我々は将軍様に養ってもらってるんです。
将軍様の声は絶対です。
将軍様は神なんです。
精神論に頼るのはよくないけどさ。
でもやっぱりクリエイティブなものづくりってのは精神力がものを言うんだよ…魂削ってこそ売れる作品が出てくる。
つぎ込んで売れるとは限らないが、つぎ込まなきゃ売れるものは作れない。
意地のある総作監さんの仕事は、ほんとすげえぞ。カネだけじゃあんなことやってらんない。
問題は、その人の意地とか精神力とかに頼って負担を増やしていくのがよくない。
その総作監さんの負担を、作監や原画マンはサポートしていくんだ。(持ちつ持たれつなので、その逆もしかり。)
だから上手い人が増えればそれだけ負担を減らす事ができる。
結局は人材育成が一番必要なんだってことに行き着く。
ほんと、人材育成するシステムをどうにか作らないと、色々な意味でまずいぞ。
…まぁ…ムサシみたいな例外はあるけどさ…あんなの、一つあれば十分でしょ?
今だって戦争してる。殺し合いの戦争じゃなくて、製品開発の戦争もある。競争とか言い換えても同じ。
問題は人間なんて結局ちっぽけな生き物にすぎないにも関わらず、人権という概念を作ってしまったことだろう。
動物だって日々たくさん殺されてる。それぞれに家族がいて、生の歴史がある。それを忘れて人間の尊厳人間の尊厳って言うからなんかなー。
銃殺なんて、剣や斧で殺されるのと比べたら全然痛くないでしょ。銃なら一発の衝撃で死ねるけど、剣で切られたらのたうちまわりながら死ぬことになる。テクノロジーの発展のおかげで楽に殺せるようになった。これがいまだに剣で戦ってたら悲惨なことになってたと思うけどね。
日本じゃ戦争の話をするとかならず反戦の話になって全く無意味で無駄な精神論が延々と続いてしまうけど、アメリカなんかでは戦争の利点をちゃんと指摘出来てる。
インターネットはアメリカが戦争に備えた結果生まれたもの。ここかなり重要なのに、いつもさらっと紹介されて終わってしまう。戦争の悲劇なんてわかりきったことはどうでもいいんだよ。なぜ戦争が起きるのか、なぜ戦うのか、戦争によって人類の歴史がどう変わってきたのか、とかそういうのをちゃんとやるべきだよね。
もちろん、俺だって死ぬのはいやだ。銃で殺されるのもいやだし、爆撃や原爆で死ぬのもいやだ。
人間が殺されて悲惨でした、っていうなら、今度は人間を使わなきゃいい。アメリカは実際そうしてる。それが正しい方向なんだよね。争う、または対立することが発展のカギなんだから。
なのに、日本では「なぜそこまでして戦争をしなきゃならないんでしょうねぇ」とか言い始める。サッカーも野球もオリンピックも全部戦争だっつーの。気付けよ。
人間を使わず、代理戦争をすれば人間が死ぬこともない。ただ、それは技術が等しく行き渡ることが前提で、今みたいに勝ち組側=ロボット、負け組側=生身ってことになると駄目だ。戦争じゃなくて虐殺になっちゃうじゃないか。アメリカはそこら辺が問題だな。ただし、軍事技術を転用して世界に役立つものを提供してくれる点は評価できる。
最終的には戦争はなくなっていくだろうが、そこまでいくには世界から格差が消えなければならない。
格差を消すには資本主義をぶっ壊すことが重要だ。ぶっ壊すには、テクノロジーが究極的なところまで発展し、いろいろな「不足」が解消されなければならない。まずはエネルギーの格差、食糧不足をテクノロジーで解決しなければ。テクノロジーが発展するためのエネルギーは戦争への情熱。なら、この先もしばらく人類は戦争を経験しなければならないだろう。
禁煙一週間のものです。
一週間前迄は全く元ますだと同意見でありました。
元には近親者からの圧力等は伺う事はなかったけど、
家族から責められると、意固地になり、
けっきょく嫁を説得し、たばこはヤク中であるので、
しないでくれ。あとiphone4買って。
で、今服薬しながら一週間、かいちょうです。
気が向いたらつづけよう。
現役生,浪人生の諸君!そろそろ受験勉強がだれ始める頃だろう.欝って死に場所をググりはじめる頃だろう.
しがない商業高校生が一浪を経てトンペー大学に入学した軌跡……を書くのはやめて,精神がやばくなったときにモチベーションを上げる目的で見ていた受験関係のウェブサイトを紹介しよう.
国公立大学2次科目偏差値分布表http://www.yozemi.ac.jp/bunpu/niji/kokkoritsu/index.html
大学受験ガイドhttp://daigakujk.cocolog-nifty.com/blog/
受験参考書書店http://hikyakusyoten.blog70.fc2.com/
一流大学への道http://www.geocities.jp/grand_father_21/main.htm
大学受験パスナビhttp://passnavi.evidus.com/goukaku/
解法網羅系参考書http://www003.upp.so-net.ne.jp/chief/referencebook.htm
入試難易予想ランキング表http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/index.html
社会不適合者が行くhttp://bbblog0008.blog98.fc2.com/
再受験日記http://resuscitation.blog61.fc2.com/
浪人もアリかなと思い始めたhttp://alfalfalfa.com/archives/11403.html
ろーろぐ.http://ro2n.blog46.fc2.com/
【生活】留年、浪人経験者の生活http://tenkomo.blog46.fc2.com/blog-entry-1623.html
大学受験の辛かった体験をつづっていけhttp://news23vip.blog109.fc2.com/blog-entry-1939.html
テストというゲームで高得点を取る方法http://blog.riywo.com/2008/09/22/225951
後輩たちのためにちょっとだけアドバイスしとこう.有用かは自分で判断してね.
例えば受験勉強の正しいやり方みたいなんがあるけど,あんなんマジで個人差が大きい.ほんと人による.
予備校の予習復習だけを頑張って受かるやつもいれば自習室にこもって参考書がりがりやって受かるやつも居る.
難解な箇所を粘り抜いて自前の脳みそで考えたほうが身につきやすいやつもいれば2時間も3時間も考えて結局曖昧な理解のまま終わるより講師の洗練された分かりやすい説明で10分で片をつけてどんどん次の学習へ移るやつも居る.
多分これが正しいみたいなもんはない.復讐のやり方はあーだこーだとこだわるよりとにかくがむしゃら机に向かったほうがいい.勉強法の議論なんてクソみたいな血液型占いと変わんない.
あと欝って現実逃避するのもいいけど,戻ってこれる確信がなけりゃいろいろと終わる.
自分の場合は映画館とゲーセンだけど貯金の10万が尽きたとこで我に帰った.ガチで危なかった.
ネトゲーとかだと際限ないからね!!
それに夏,秋初め,冬,センター後くらに欝の波がくるけどここは踏ん張りどころ.気合のみ.精神論の世界.
横だけど。
悲観している態度が正解、ってのに俺も賛成。
そのおかげで、それが是正されて、他の国給料は徐々に向上し、日本の給料は徐々に低下している。貧富の差が広がったのではなくて、貧富の差が無くなってるだけじゃん。日本人は富裕層だからねw世界的に見れば。
「これまで先進国だった日本のような国は、賃金水準は落ち、雇用は減り、全体として生活水準が落ちていく」
ということだろ。グローバル化が止められない以上避けようがないし、誰が悪いわけでもないが、日本のマーケットが縮むのは避けようが無い、っていう悲観が正解じゃないかと。
「現実をちゃんと認めたら、対策の打ちようが無いことが判った」というのは別にいいけど、「対策の打ちようが無い」ことと「だからそこで満足する」のは別問題だよね・・・
悪化していくのに満足しろ、っていうのは無茶な精神論にしか聞こえない。
http://anond.hatelabo.jp/20100707221911
ブコメを見ていると発達障害ではないかという意見が目立つ。自分も大学院卒でADHDなのだが、状況が似ているということもあり、真面目に分析してみることにする。
まず最初に、ADHDのことを理解するのに重要なこと提示しておく。ただしこれは当事者としての分析だ。医学的な証明がされているわけではないのでご了承を。
人間は言葉を理解するときに、一時的に言葉そのものを脳の一時作業領域に記憶して、前後の言葉の関係を組み合わせながら意味として理解し吸収する。
定型とADHD患者の違いはおそらく"一時作業領域"の性能だ。いわゆるワーキングメモリというやつだ。ADHD患者はワーキングメモリが少なく、言葉の意味を吸収する前に言葉の情報をワーキングメモリに詰め込まれると、吸収前の言葉の情報を追い出さざるおえなくなる。よって、話が右から左に流れていくのと同じ事になる。作業スペースの極端に少ないベルトコンベアというようなイメージかもしれない。
これを踏まえて、以下のことについて。
わたしの問いかけにも、黙ってうなづき続けるだけだった。ふとわたしは思うことがあり、話すのをふいにやめてみた。彼女はそれでも表情を変えず、一定の間隔で二、三度うなづいた。それから、はっとしたように、うなづくのをやめた。ああ、この子は、ほんっとうに誰の話も聞いてなかったんだな、と改めて思った。
これを読んで思うことは、多分途中から頑張って聞くのを諦めてるか、本気で聞こうとしてて理解できていない可能性があるんじゃないかと。だっておかしいと思わないか。聞いてる本人も時間を割いてるのに聞かないとミスをするのに、わざわざ聞いてるような仕草だけして聞かないなんて普通考えられない。向上心がなかったとしても自分の身を危うくするようなことは少なくともしないはず。
院卒の女性はもしかすると、相手の話を理解できないことも、相手に自分の症状について理解してもらえないことも理解しており、とりあえず頷いて理解したように見せその場を回避し、断片的に覚えている言葉を参考にあとで何らかの方法で勉強しようとしているのかもしれない。しかし、その方法では限界があるので結局ミスをしている可能性がある。
院卒の子は、人当たりはすごくいい。あいさつもはきはきできるし、個人的に話すぶんにはトークも面白い。口は達者だ。
この「雑談のような話は普通に理解して聞いているのに、仕事のことになると理解していない」というギャップがADHDの症状に似ている。普通の雑談なら全然問題なくても、ちょっと考えながら聞くような話だったり一方通行の話だったりすると吸収が追いつけなくなる。会話だと自分のペースで話しやすいし、言葉がとぎれとぎれになるから、ベルトコンベアを止めてゆっくり作業が出来るのと同じ事になって吸収が追いつくようになる。
もうひとつ、仕事はちゃんとやらないのに、関係ない会話は意欲的だということ。これも似ていると思う。先で書いたようにあまり複雑な話だとついていけないというのもあるし、ADHDにありがちな刺激があることを好むというのがある気がする。それを本人も分かっているか無意識に理解していて、刺激がある楽しい話を積極的にしている可能性がある。
人当たりがいいというのは、能力の違いを理解してるというのから来ている可能性があるもある。おそらく他人にすごい優しいはず。無理に厳しいことをあまり言わない。そんなことして自分にブーメランがきたときに困るから。
他にも思うことは色々あるけど、ADHDの症状と似ている主なところを話すとこんな感じかと。
ADHDって厄介で、周囲から見るとやる気がないとかサボってるとか人としての基本を問われるような理屈の筋が通ってしまいやすい。今回のもそうだけど、向上心というのも「そうかもしれない」と思わせるくらいの説得力はある。
自分の場合もそうなんだが、普段はできるだけ平気な顔するようにしている。真剣に話を聞こうとしていて、それこそ額に手をあてて眉間にシワをよせて聞いて、それでもどうしても聞き逃しが発生する。重要な話を聞いてる最中は不安で仕方ない。というのも、過去にも同じようなことを何度も繰り返してきていて、もう既に度胸みたいのもある。話を聞くたびに落ち込んでいるのは無理があるため、それをなんとかしようと自分なりに考えた結果がそれ。
ちなみに、自分がイメージしてるADHDと違うと考える人もいるかもしれないが、多動とか衝動とは確かに違う。不注意優勢に見られがちな、遅刻も多分ない。自分もそうだけど、その辺りは個人差があるのでなんとも言えない。でもどんな症状であってもワーキングメモリに影響するところはあると思う。ただここでその説明をすると長くなるので今回は書かない。
そういう部下がいる場合、腹が立つのも分かるし、どうしたらいいのか分からなくなるのも分かる。しかし、それをこの場に来て愚痴だけ言って終りにするのはあまりにつまらない話じゃないか。せっかくだから、もう少し困っていることを詳しく書いて解決策の提示をお願いしてみるくらいの方がいいと思う。
向上心がどうという話をしているけど、立場が指導者で部下がいるのであれば、部下を育てるのも仕事のはず。ここにきて愚痴だけ言って帰ったら改善する気があるのかと逆に指導者としての向上心を疑われかねない。
でも、全くその気がないと思っているわけではないので、改善策を書いてみる。よければ参考にして欲しい。
・伝えたいことをはっきりさせて短く話す
長い話を聞いてるとどうしても無理という可能性があるので、要点をまとめて短く話してみるのもいいと思う。一つ一つの理解が簡単であれば話についていけるようになるはず。
・反復して確認させる
前でも書いたように、理解速度が遅いという可能性がある。そういう場合は話していることをどこまで理解しているか確認しながらやるのはどうだろう。
・メモを取らせる
反復して確認させても、完全に理解できてるとは限らないし、しばらくしたらスッパリ忘れてしまう場合もあるかもしれない。そういう場合はメモを取らせる。そしてその時間を取る。なぜかというと、話を聞きながらメモをとるのはすごく苦手だったりするから。同時に複数のことをこなすというのはADHDだとしたら苦手なはず。
・精神論を言わない
精神論は多分言っても無駄。大学院に行ってる時点でかなり努力をしているはず。それでも追い打ちをかけるように努力だの言ってしまうと、モチベーションが下がってパフォーマンスがさらに落ちることになりかねない。
あと、これは注意して欲しいところなんだけど、社内で「ADHD」という単語を使ってはいけない。ADHDは障害として認知されてはいるけど、障害者手帳も発行されないし障害者として生きることは現時点ではほぼ不可能。それに、理解の難しい障害だし誰に伝えてもちゃんと調べてももらえない。自分の場合、親に伝えてもあまり調べてもらえていない。そのくらい関心の薄い障害ということ。本人が自分で気付かない限り知らない方が幸せだと思う。障害者だなんて言われるのはそもそも嫌なことだと思うし。難しいところではあるけど。
多分見てないんだろうけど、一個だけ言いたいことがある。それは聞いているフリをしてるように見られていること。微妙なところではあるんだけど、これは賛同できない。理解力があってもなくても、理解出来ているか出来ていないかは自分でも分かるはずなので、理解で来ていないことはできるだけ確認し直したほうがいい。そうすれば、一応聞こうとしていることは分かってもらえるはず。努力しても理解できないというように思わせることが出来る。聞いている途中でバカにされたり、教えるのを諦められたりするかもしれないけど、どちらかと言えばマシだと思う。
以上、あやふやな話で申し訳ない。
長文失礼しました。
近頃日本脱出だの英語がどうの、という話題が一部はてなーで持て囃されている。
その背景には日本文化の軋轢に嫌気が差したり、日本の将来は墜落しかないと早々と諦観したりと、思惑は様々である。
今の日本社会は確かに、努力したからって報われるとは限らない、いや、努力して現状維持がせいぜい、向上など厳しすぎるものだ。
帰宅してからは価値があるかはともかく評価されるかも分からない資格取得や、休日には内緒での副業、娯楽を捨て、費用を切り詰め、その一方消費をしろと外野に言われ、個人レベルでの「生の充実」はどこかに行ってしまったようだ(こういう人ほど仕事を趣味に、仕事が生きがいに、それを他人にも強制する思考に陥りやすい)
日本社会は、やはり一度再構築されるべきだろう。平生の営みですら甘えと断ずる風潮は、廃されねばならない。
そして、そういうことに注目し、発言しているネットユーザーは案外多い。
しかし、一部のそれのベクトルには首を傾げるほかない。
日本社会は正しく修理を必要としているが、それは「誰もが満足する社会」の創造ではない。
やればやっただけ、しっかりリターンの得られる社会を目指すべきだ。
「努力しなくても生きていける社会」は幻想でしかない。生きたいなら、努力するのは当然だ。努力しなくても生きていけるのは世界に1%もいないだろう。
いつの時代だって、努力は不可欠な要素だ。それは根性論とか精神論とかの類とは無縁で、向上するには打ち込むしかない。その成果が大して現れないからこそ根性論と揶揄されるのであって、努力をしなくてもいい時代というのは、存在しないのだ。
ことごとく他人の意見を否定する人、いますよね。
論理派と言えるのではないでしょうか。
論理よりも感情でコミュニケーションを取る感情派が多かったように思います。
それは、人情論や精神論は聞こえがよく、論理的な言葉よりも人々に浸透したからだと思います。
結果、論理派は自分を変えたり、人と接点を持たないようにしたりなど、身を潜めるように生きていたのではないでしょうか。
しかしここ最近はインターネットの台頭により勢力は変わりつつあります。
ネットでのコミュニケーションは感情よりも論理に重きが置かれます。
それは、ネットでコミュニケーションを取っている人達は論理派が多い為だからと思います。
一昔前のように身を潜めることなく、リアルコミュニケーションでも論理的な会話を広げてきます。
論理的な会話が普通なのだと判断し、リアルコでミュニケーションを取ってきます。
論理派と感情派ではうまくコミュニケーションが取れないのではないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが、
これからの時代、今回あなたがイラッとしたような人とは、これからもどんどん出会うことになるでしょう。
話が通じる可能性は低いので自分の意見はあまり言わず傾聴に徹し、
こういった考えもあるのか、と知識が広がるきっかけになったと捉えるとよいかもしれません。
また、他の方々も言われている通りそういった人なのだと割切るのもよいと思います。
この人は論理派だから話が合わない。
などなど。
が人気になってたけど、まじでこれがあんなブクマつけられるとか社会人レベル低すぎだろう。
内容は簡単に言うと
1・・・言い方(自分で考える癖をつけよう)
2・・・言い方(やわらかく言おう)
3・・・精神論(認められることばかりじゃないことを覚悟しよう)
5・・・迷ったら社会にとっていい方を選べ
ですよ。
抽象的な解決方法と、具体的な解決方法が入り混じっていて行動の指針として分かりづらいことこのうえなし!
しかもまとめの文が、
この習慣を身につけからといって必ずしも昇進したり給料がアップするものではありません。
でも、周りにいる人は、あなたと一緒に仕事をしやすいと感じたり、
あなたを頼もしい存在だと思ってくれるはずです。
その人たちで構成される組織は、きっとあなたを認めてくれるはずです。
おまーふざけんなよ。気の引いたタイトルでくっだらねぇこと書いてんじゃねーよ。
この記事で一番役に立ったのは、この手のタイトルをつけるとたくさんブクマされるということが分かったことでした。
ってコメントしようと思ったらnanapiのアカとかもってなかった。
書いた人は日常をよくしようと思って善の気持ちで書いてるんだろうし、こういう人は嫌いじゃないけど・・・
でもやっぱりこんな文章がたくさんブクマされていることに違和感とか気持ち悪さを感じるのは私だけだろうか。
もっとおもしろい、または役に立つ記事はたくさんあるのに。
とりあえずタイトルは「組織でwww認められるwwww社員になるwww5つの習慣wwwwww」
にすべきだと思う。
彼女が性体験を語るのを聞くのが嫌なら、それを正直に伝えればいいのではないだろうか?
「過去の男との性体験を聞かされるととても嫌な気持ちになるし心が痛くなるからいわないでほしい」
だからね、そのスタンスだと
前提として「聞かされる→苦しみを植えつけられる」を通っちゃうじゃん
そうなってから「いわないでほしい」「わかった」って合意してももう遅いじゃん
・継続的にやることで害が生じることがら
・一度でもやったらあとはほっといても永続的に害が生じることがら
ってあるでしょ
「いつも食事のとき散らかす」みたいなのはその場限り一回ごとの害だから
「やめて」「わかった」でいいよね、継続してちらかさなければ新しい害は起きないんだから
でも本当に傷つくようなことを一回言われたらそのあとずーっと苦しめられることあるよね
わかるでしょ?この例え
だから、知ってしまった後のことは彼女がどうこうの問題から離れてあなたの心のあり方の問題となる。
そこなんだよ言ってるのは
彼女から離れて、言われた方の男の、知らされた方の男の問題として、ずっと問題が続くの
彼女は責任取れないしどういう問題が続いてるか、どんな風に膨らんでるか、関知も出来ないでしょ?
なんでそういうことわからないの?
いやむしろ無理してわからないふりをしてるように見える、こういう話をする時の最近の人達
女の子が処女か非処女かにこだわるのは、その子に対してとても可哀想なことをしているように思える。
なんで処女性の有無だけ特別に見逃せという話になるかわからない
男であれ女であれ、恋愛以外の場であれ、
「変えられない過去」と「その上に打ち立てられた今」を評価されてるものだよね
ルックスも収入も人格もギャグセンスも趣味も個性も学歴も前科も、
「変えられない過去」って言うならそんなの全部そうじゃない?
別に気分いい話じゃないけど
学歴という過去のせいで女性に選ばれたり選ばれなかったりするよね?
交通事故という過去で負ったハンディキャップも人との出会いや評価に影響あるよね?
嫌な例えが続いて申し訳ないけど、事故で顔がグチャグチャになった人相手に
そこで「愛が足りない」「クズ」「最低」って押さえつけて、意味がある?
だから、相手を本当に好きで思いやっているのならば、そこは気にするべきではない。
そういう無意味で精神論的なマッチョ強制をするべきではない、といいたいのよ
その問題でどうしようもなく傷つく、悲しくなる人間がそれなりに多くいるのに
女はその問題を知るな・ないように振舞えだの、傷つく男はカス野郎だの、変なモットー生んで強制しても意味無くない?
そういうモットーのせいでそういうことを粗末に扱ったり、
彼氏に無神経な発言して深く傷付けてから気付いて驚いたりする人が現れてるだけじゃん
コレが嫌な暗い話なのはわかってるよ
でもだから全員で無視しろっていうのは意味があるのかな
そもそも元増田が直面してるのが
そう言われて「気にしないマッチョな男」の振りした男が結局あとで苦しむ事例、って話なのに
よく否定論で「そんなの気にするのは自信がない男」「比べられるのが怖い」っていう精神論出てくるけどこれは嘘
過去の男を比べられるのは基本的に勝ちようがないからこそ問題
例えば過去の彼氏に実際に会って、自分より全面的にショボい男だと確認しても敗北感は消えないの
「でもあいつは彼女のこと全部知ってる」「あいつのほうが先だった」っていうのが重要なとこだから
むしろ前彼がショボい奴だったり軽蔑すべき奴だった方が苦しむし嫌悪感が湧くわけ
そういうことをよくわからない&仮にわかっても無視したい女性が
「非処女でも関係ない!」
「そんなの気にするのはダメな男だけ!」
って喚く
また、そういう場面で自分を度量大きく見せたい男性が同調して見せることもあるけど
そういう男性の話をよく読むと大抵異常なヤリチン思考・遊び志向なのには気づくと思う
彼らは非処女に対する嫌悪感を「自分も狂ったように遊ぶし!」っていう毒で相殺中和することにした人達
だから非処女であることを苦しめとかいいたいんじゃない
でも「結婚を考えるぐらい大好きな彼女が非処女だと苦しい」っていう苦しみや悲しみや抵抗感は真面目で現実的な話だと言いたい
それを精神論的に否定する声ははっきり言って、嘘だよ
あれに下手に反論すると「自分に自信の無いキモオタ、非処女に石投げたりする」みたいな扱いになるから
そういう脅しの抑圧に負けて迎合する男も多いけど
なかなか就職出来ない学生を取り上げたり、エントリーシートの書き方や面接の訓練をしてくれる塾の存在を紹介したりしていたが、基本的なテンションは「就職難の時代である」と言うもの。
ゲストの一人である大宅映子は、就職出来ない学生についてその理由を「職を選ぶからだ」「自分に合う仕事を、と甘えているからだ」などと評していた。「食うための切実感が足りない」なども言っていた。
あまりに前近代的な考えかたである。いくら老人といえども、そのひどさに笑った。
大宅映子は評論家を称しているわりには、評論すべき対象のことをあまりよく知らないようだ。
この時期に就職が決まっていない人間は、すでに「選ぶ余地のない」人間がほとんどである。
大手に落ち、中小に落ち、ブラックに落ち、それでも職を欲しがって求職活動をしている人間が、この時期に就職が決まっていない学生なのだ。
彼らが就職出来ない理由はただ一つで、求人の総数が少ないというそれだけである。
少ないパイを大勢の人間で分け合っているのだから、そりゃあ分け前がいかない人間だっている。
「甘えるな、取りに行け」と言ったところで、ないものを拾えはしないのだ。
もし評論家を称する大宅映子に存在価値があるとしたら、それは新しいパイの創造に他ならないのだろうけれど、彼女の老人的な頭ではそれはままならないだろう。
そうすると、単純かつ皮肉なことに大宅映子がそのすでに必要とされていない存在を消し、席を一つ譲るということが最善策に思えてくる。
若くて食えない評論家なんて一杯いるし、そういう人間に可能性を与えたら良い。
第一、テキトーな精神論しか言えない評論家に何らかの価値があるのか??
同じ論理で、企業にいる老人臭の酷い、古い価値観しか持たない人間も、さっさと辞めるべきだ。
「食えなくなるから」「他に何も出来ないから」という理由で企業にしがみついている人間ほど、大宅映子の云うところの「甘え」だろうに。
若者に席を譲ってもなお自分が食っていけるシステムを創造し、あっさりを身を引くような老人は、しかし、残念ながら多くはいない。
システムを作れないのなら、システムを作る側に依頼したら良い。もうちょっと真面目に選挙で投票しろ、と言いたくなる。(まぁそれは選挙に行かない若い人間にも同じことが言えるのだけれど)
個人も組織も、市民も政治家も、言いたいことばかり言うけれど切実感が出ていませんねぇ。
甘えてんじゃねえぞ、大宅映子!!(と、同じような人間たち)