はてなキーワード: ダイトとは
機械が我々の雇用を奪うとして、ラッダイトらは機械打ち壊し運動を始めた。
ときに、雇用を作り出すことが是、雇用を奪うことが非と思われることがあるが、これは大きな間違い。
より少ない人数で同じ量の物を生産できるようになると、我々は豊かになる。
今現在、我々の周りに溢れている物のほとんどは機械で作られている。
機械がなければ、こんなにたくさんの物にかこまれて暮らせるなんてことは決してなかった。
それゆえ、機械に雇用を奪われるので、機械を使ってはいけないという指摘は、的外れなものである。
同様にTPPにより失業が増えるという指摘も的外れで、TPPで失業が増えても、我々は豊かになるのである。
……このへんまでは、ものすごく入門的な経済学のおはなしとして、聞いたことがあるのだけど。
さてはて。産業革命から100年だか200年だか経った現在、我々がその恩恵を受けているのは言うまでもない。
それでは、ちょうどその時代に生きていた、機械が導入されて失業した人たちは、機械がないまんまの生活よりもよくなったのだろうか?
いやはや。これがまた、入門書には載ってないんだ。
つまりは、国同士が、都道府県みたいな関係になることだと理解している。
もちろん、地理的に離れていたり、言語の壁はあったりするが、モノの流れがスムーズになり、まるで都道府県を行き来するくらいの感覚でそれができるようになる。
誰が、野菜を東京で作るべきだ、東京の農家を守らなければならない、なんて言うだろうか。
コメは新潟やら秋田やらに作ってもらって、東京では東京でしかできないことをやればいい。そう思わないか?
自分の県の産業を守るために、東京から入ってくるものに税金をつける? そんな馬鹿げたこと、誰がやるんだ。
わざわざ国産にこだわって狭い日本で農作物作るより、外国の広大な土地で作った方が効率いいに決まってるじゃないか。
なんで東京産にこだわらない人が、日本産にこだわるのか。一体、その意味不明なこだわりのために、いくら損していると思ってるんだ。
そんなことしたら、日本の農家やら、さまざまな産業の人が、職を失って路頭に迷ってしまう。そう言うかもしれない。
結論から言うと、確かに、今の職をやめざるを得ない人はたくさん出てくるかもしれない。
けれど、それは全く問題ではない。自分の土地でできる他の仕事を探すなり、外国に出て働くなりすればいい。
田舎の人だって、地元でできる仕事をするか、さもなくば上京しているだろう。それと同じことだ。
つまり、それだと貧しくなって、日本の生活レベルが落ちるということか? いや、むしろ上がる。
今の、都道府県を自由に行き来でき、モノを関税なしで取引できるシステムが、どれほど社会発展に貢献したかを理解すべきだ。
人間は、職を失うと聞くと、すぐに生活レベルの低下に直結させて考える。産業革命後のラッダイト運動のときからそうだ。
あのときは、機械が我々の仕事を奪い、我々の生活レベルは低下する、と感じた人々が、機械を破壊する運動を行った。
機械は確かに、我々の仕事の多くを奪ったが、多くの製品が溢れかえり、我々の生活レベルは格段に向上した。
自由貿易には心理的な障壁はあるが、確実に今よりもよい生活ができるようになる。
……だいたいこんな感じ。かな。
狙いは悪くないと思うがまだ少し偏ってるな。補足したい。
普通の人は、大義名分が無いのに嫌韓だけで大声を上げられるほど、恥知らずではありません。普通の人は、マスコミのゴリ押しだけで大声を上げられるほど、正義感は強くありません。普通の人は、両方がそろった時に、恥知らずな正義漢に変身するのです。
恥知らずというのは偏った見方だろう。かつてジャパンバッシングで国旗を焼いたアメリカ人たちとそう違わない。ある種の保守主義の形ではある。はてサにだって口を開けばラッダイト運動だとかで勇ましい奴がいるけど、せいぜい同じレベルだろう。もちろん、今更保護貿易主義は流行らないとは思うが。
不偏だなんて無理だってば。いつでも多数派の真ん中人生なんてあり得ないんだから、自分が少数派の偏向さんになることもあると心得ましょう。
たとえ実際には空疎な神話だとしても、放送法というものがあるから。フジテレビは(その他のテレビ局も)その法律によって、国家から電波の使用権を得ている。常に批判はされうる。もっとも俺は、この際だから放送法のほうを解体してしまってもいいと思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20110816014625 を書いた増田だよ。
昔は書いたような会社にいたけど、今はまともなところにいる。
ブラックの時は、タイムカードを定時でおしてから残業があたりまえだった。そしてひたすら効率化されない仕事、無駄な仕事している古い社員、何をやるにもガタガタになった残骸との後方互換性。枯れた安定したものをやってるなら全然いいんだけど、そうじゃなくて、長年のスパゲッティが降り積もった突付いたら倒れるような残骸の山を引き摺ってるから。だからなおさら新しいことをやるリスクが高く改善できないという悪循環だったな。
今まともなところにいて満足してるけど、ここが広い意味でベンチャーに近い会社で、会社に入れる人間をバイトのスタッフ含めてかなり慎重に選んでいるというのはあると思う。誰かがネックになってやり方を変えられないということが殆ど無い。まるで別世界だ。
そりゃだれだって万能ではないから、誰かの言うことを僕が理解できなかったり、僕のいうアイデアを誰かが理解できないこともあるけど、「それでもとりあえずそれをやってみよう、やれば良さがわかるかもしれない」という雰囲気が会社にあって、多少のリスクは折り込めるフットワークの軽さがある。皆得意なことは違うし、だれが何を得意なのかわかっていて、自分のできない事を他人ができるのを嫉妬するような人もいない。
とまあ僕の現状はさておき、色々ブコメを読んで最後に思い浮かんだのは "世の中の仕事の絶対量に対して人が多すぎるのか" という疑問だ。
既存の仕事を水増しするような "仕事を増やす仕事" は労働力の単価を下げるしかなくなる。縦割りの中で、その悪循環の一部分しか見えていないと、限定された範囲では利益を伴った仕事が増えているように見える。でも全体では労働力の単価が下がっているだけなんだよね。
今の会社で「こういう新しいアイデアがあってマネタイズもできそうなんだけどちょっと人足りなくね?」ということはあるけど、既存の仕事を水増しする "仕事を増やす仕事" とは全く別のものだ。水増しではなく利益と需要が伴った仕事が新たに生まれる、そういうのがもっと増えていかないと "世の中の仕事の絶対量に対して人が多すぎる" 状態はいつまでたっても改善されないのだろう。
んー、僕は経済についてはうといし、いい意味でも悪い意味でも技術者畑の人間だから、見当違いのことを言っているかもしれない。
それでもなんとなく、"利益と需要が伴った仕事を生み出せる" 会社がホワイトで、"既存の仕事を水増しするしかない" 会社がブラックだというのはわかる。生み出せない限り、技術によって既存の仕事は減って行き、人はあぶれ労働力のダンピングをするしかなくなる。
ブコメに "ラッダイト" という言葉があって色々調べてみた。ネオ・ラッダイト運動か。今の社会全体がゆるやかにそういう過程にいるのかもしれないね。そこからあぶれる人たちをどうするかだよな。
労働のコモディティ化は特に派遣産業で顕著だ。派遣される労働者は一定の記述に合致しているからそれに対応する仕事が与えられる。逆に言えば一定の記述に合致しているなら誰でもよい。
これからの労働関係の対立というのは、介護や派遣に限らず、規格化によりコモディティとなってしまった労働者とそうでない労働者・経営者(その区別も意味を失っていくだろうが)との間に起きるだろう。
世界中で学校教育が広がり、言われた仕事がきちんとこなせるというのが貴重な能力だった時代は終わった。派遣業規制の盛り上がりなどは、自分で仕事を見つけられず言われた仕事しかできない人のラッダイト運動ではないだろうか。