はてなキーワード: ウェブとは
社外の講習会に出席して、そのまま直帰した日。
いつもは乗らない地下鉄の線に乗って帰った。
車両はあんまり混んでいなくて、座席はだいたい埋まってるけど立ってる人はほとんどいないという状況。自分はあんまり体力ないので、空いている席に座らせてもらった。
で、僕の座ったところの左隣には、若干汚らしい服装で日に焼けた肌の老人がいて、体を斜めに傾けてだらしない座り方をしていた。
ちなみに右隣に座っていたのは髪を染めた若者だった。
電車内でただ座っているのも時間がもったいないと感じるので、自分はいつも通りiPhoneを取り出してウェブを見始めた。と言っても地下鉄で通信が効かないのでキャッシュを読んでいた。
それで何分かiPhoneを眺めていると、本当はそのちょっと前からなんとなく視線は感じてはいたのだけれど、急に老人が話しかけてきた。
「おう」と突然言われたのでちょっとびっくりして反応できずにいると、「おめえちょっとは考えれや」と続けられた。
えーちょっと待ってちょっと待って急にそんなこと言われても何を考えればいいのか全然わかりません……と思って、ここで何も考えずに言い返しても事を荒立てるよな……と視線を動かさずにちょっと様子を窺っていると、またすぐ老人が口を開く。
え? そうですか? 周り見てもみんな使ってますけど?(?_?)
学校? 今日スーツ着てるんですけど学生服に見えるのかな?(?_?)
「おい学校はどうした?」
こうやって聞かれると、無視するのもどうかと思われたので、老人の方を向いて「××大学を出ましたよ」と答えた。
すると老人は恥ずかしがるような馬鹿にするような顔で「へへっ」と小さく笑い、「そういうこと聞いてんじゃねえよ。おめえ学校で何教えてもらってたんだって」と言った。
こういう書き方をしていると、もしかするとこの老人がなんかちょっと普通に恐ろしい威嚇的な雰囲気の人に見えるかもしれない。でも実際はそうではなくて、悪い言い方だが、道端にいる浮浪者のような風体で、始終にやにやしているちょっと変わった人だった。今思い返すと、まるで酩酊していたかのようだと感じる。本当に酒を飲んでいたのかもしれない。それはわからない。
その彼の表情というのも、表現が難しいのだがばつが悪そうな感じのもので、『カイジ』で限定ジャンケンに早々に負けて退場する人々の表情が自分には思い出された。
「おめえ電車で携帯使ったら迷惑だって学校で習わなかったんか?」と老人は言う。
僕は正直困ってしまって、じっとその老人の目を見ていた。僕は苦笑いをしていたはずだ。
老人の方もその反応に困ってしまったようで次第にどもりはじめて、「へっ、おめ、おめえ口だけじゃねえか」というようなことを言った。僕もこれにはさすがに「何も言ってませんよ」と優しい口調を心がけて応えた。老人は変わらず例のにやにや顔で「そういうことじゃねえよ」と返した。
とここで、急に僕の右隣、老人とは反対の側から、「おっさんうっせーよ。黙れ」と怒り気味の声が上がった。髪を染めた若者だ。僕はちょっとびっくりした。
でまあここから先は特に重要でもないので簡潔に書くと、自分を挟んで左と右で老人と若者の言い合いが始まり、なんだかんだでそのまま収束し、全員無言になって、僕はiPhoneの使用を再開し、結局老人は自分の降りる駅に着いて、降り際に若者の方をくるっと振り返って「ぼけなす! ぼけなすー!」と罵って去っていった。若者は「んだコラかかってこいや!」と言ったがそれまでだった。
で、この経験を通じて感じたことを書くというのがこの文章の本題なのだけれど、これに関連してそのとき思い出した別の出来事があったので、そちらについてもちょっと書く。
それはこの電車でiPhone使ってたら老人に怒られた件より一年くらい前の話で、東京で友人たちと一緒に電車に乗っていたときのことだ。また電車なのだ。
そのときの僕らは四人組で、車両の中で立ったまま話をしていた。友人たちと四人で電車に乗っていて黙って立ったままでいるということはあまりない。何かくだらない話をしていたはずだ。ゲームの話とか。
でそこへ急に学生服の少年が歩いてきて、不思議な手振りをしながら「ンーッ!」と言った。本当に急なことで、正直我々は面食らった。
少年はそのまま続けてまた奇妙なジェスチャーをしつつ「ジェッ! ンーッ!」と言った。言ってから何か得意げな表情を浮かべていた。
僕らは本当に面食らっていてなにがなんだかよくわからなかったのだが、たぶん電車内で喋っているのを注意されているのだなということはわかった。ので、「ごめんね、静かにするよ。ありがとう」とひとりが答えた。
でそうしたら少年は気を良くしたのか、なぜか満足げな表情で腕を組みながら僕らの輪に入ってきて、まるで我々にとって人気者のリーダーみたいな感じでコミュニケーションを取り始めた。肩をぽんぽんと叩いてうんうんと頷いたり、ひとりを指さしてみんなに嘲笑の同意を求めたり、親指を立てて何かをアピールしたりした。また、耳打ちをするような仕草で「ウニョウニョウニウニ」というような不思議な音を発した。
しばらくそうしていたのだが、少年は延々コミュニケーションのようなものを続けるばかりで、僕らはやはり困ってしまった。向こうの行っていることは全く分からないし、こちらの言葉も通じないようだったので、ひとりが携帯の画面で「向こう行ってね」と文字を見せてみたのだが、それも意味がないようだった。
結局僕らは、いったん電車を降りる振りをして別の車両に移動した。少年は車両間の窓の向こうからこちらを見つけてまるで旧友を発見したかのように大喜びで近づいてきたが、もう一回同じ手で移動してみたらそれ以降は追ってこなかった。
で、本題。
これら二つは恥ずかしいことに両方とも僕が怒られ注意された話なんだけれど、僕が感じた共通点はそこではなく、どちらも誤った模倣がなされているということだ。
老人は、iPhoneを使っている僕に注意を行った。電車内で通話していて迷惑がられる話はよくある。でも僕はiPhoneを手に持って画面を眺めていただけだ(これって実は悪いことなんでしょうか?)。彼は「電車内での通話はよくない」という意識を誤って模倣したのではないか。
少年は、意味をなさない音の塊で僕らに話しかけていた。実際にはそれでコミュニケーションは成立していないが、彼は自分のしたことに満足していた。彼は会話という行為を誤って模倣していたのではないか。
いずれの場合も、誤った模倣によって行為の意味は失われている。携帯電話の画面を見るのをやめさせることに何の得があり、会話のような体裁で奇妙な音を発するのになんの効果があるだろうか。
この模倣が行われるのは、彼らが形式だけを見てそれらを学んでいるからで、本来の目的の存在を考えていないからだろう。母親のやることをそのまま受け入れ模倣する子供のように、彼らは一般の行為をその形式だけを見て模倣しているのだ。と思う。実際にそれは何の意味もなさない。しかし彼らにとってそれはよいことで、正しいことなのだ。
もちろん我々だって、ときには図らずときには仕方なく、形骸化した模倣をしている。
Growl良さそうだねー!
これでwin対応して、初音ミクスキンがあれば、かなりイイ感じなんじゃ
種別 ソフトウェア名
メールクライアント Gmail、Thunderbird、Apple Mail
ウェブブラウザー Camino、Firefox、Flock、iCab、Opera、Safari
Twitterクライアント Buzzbird、NatsuLion、TwitterPod、Twitterrific
コミュニケーション Adium、Fire、Gizmo5、Skype
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/101102/trl1011020259000-n1.htm
>判決を軽々には批判できないにせよ、一方で「やはり死刑判決を避けたのでは」
>という意見もあり得るのではないか。
本心としては「死刑判決を出せないなんて、このヘタレ裁判員め、それでも日本人か!」と
叱咤したいのが産経の「本心」なんだろうが、面と向かっての裁判員批判もできないので、
このような「歯切れの悪い社説」になってるようだ。
で、この裁判員制度、ウェブ上では産経ホームページが、一番「充実」している。
「法廷ライブ」と銘打って、遺族の処罰感情を「ライブ中継」している。
なぜここまで産経が裁判員制度にご執心なのか・・・と訝しがっていたが、
今回の死刑回避判決への産経の批判(?)で、なんとなく、判った気がした。
要は、産経は、「国の強制によって、一般市民が他人の生命を奪う」という
裁判員=国の強制によって一般市民が他人(犯罪者)の生命を奪う判断を行わせる
徴兵制=国の強制によって一般市民が他人(敵国兵士)の生命を奪う判断を行わせる
日本を「戦争ができる普通の国」にしたくてたまらない産経にとっては、
「一般市民が他人の生命を奪わなければいけない徴兵制」を導入させる
「露払い」として、
こんな感じ。
問題を起こした二つのブログはアクセス数も相当なもののようで、信じてしまった人も相当多いと思われる。
ただこの件、騒いでる人達がちょっとアレというか。
たとえばここ。はてブでも上位に来てるんで目にした人も多いと思うが。
http://360kanshi.blog25.fc2.com/blog-entry-36.html
ネガキャンで真実であるかのように広め、ゲーム業界の害悪となる二人を私は許しません。 この二つのブログにより、ゲームタイトルや製品に対してのステルスマーケティングが行われ、 もっと売れるはずであったタイトル、小売への損害、人を騙す行為、許される事ではありません。
え、これってステルスマーケティングの一環なの?
管理人/renbin | URL | AZ.i3sDs Re: 大手ブログ「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報」IGNのキネクトに関するジョーク記事を使い、捏造を広める >>4 ゲートキーパーに関して現在で4名のアクセスを確認しました。 詳細を見るとご丁寧にも「ソニー株式会社」って書いてあるなんて驚き。 さすがにゲートキーパー問題までは手に負えませんので、 こちらのスクショはご自由にどうぞ。 http://blog-imgs-46.fc2.com/3/6/0/360kanshi/20101025162539653.jpg http://blog-imgs-46.fc2.com/3/6/0/360kanshi/20101025163308161.jpg
何故そこでソニーが出てくるんだろう…。予告無くアクセスログをいきなり晒すとか倫理的にどうなのって気もする。
あとゲートキーパー2名出現、gatekeeper54.sony.co.jpってこれ間違いないよね? #360sougou renbin360 2010-10-25 11:43:49
火に油注ぐけど燃料投下。コメ欄にゲートキーパーのスクショ載せました。ご自由にどうぞ(゚ω゚) http://bit.ly/ddHFKF #360sougou renbin360 2010-10-25 16:39:32
更にゲートキーパー増えたけど、これはもうどうでもいいや。憶測で色々言われてるけど、興味がない(・ω・`) renbin360 2010-10-25 17:11:05
言っちゃあなんだけど、不利益な出来事を陰謀論に結びつけるのは端から見てるとかなり痛いよ。
ステルスマーケティング?ソニーにとってXBOX360はそんなコストを投入してでも足を引っ張りたい存在なの?
確かに両陣営は世界規模で見れば熾烈なシェア争いをしてる間柄ではあるけど、日本に限って言えば完全に決着してるでしょ。何かやってる事がしょぼくない?
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
********************
http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
なんか今日のツイッターのTLをチラ見してたらFacebookがやたらHOTになってたので一言。
なんでかって?
ミクシィ()笑があるから。
GREE()があるから。
なんでかって?
一部のネットジャンキーや情報強者様達は新しく生まれてくるウェブサービスやトレンドに敏感で、
それらに飛びついては居心地が良いところを探し、一定以上定着すると次を探し求めて行く。
一方で情報弱者な日本の一般ユーザは、マスメディアで取り上げられて、話題の的にされたものじゃないとまず使わない。
ツイッターも最近になりようやくマスメディアに取り上げられることも増えたけど、それでも日本でのアクティブユーザが
爆発的に増えたかというとそうでもない。そしてコア利用者層と違い、それらの人々はクライアントを使わない(クライアントの存在を知らない)
ツイッターはクライアントがあって初めて使いやすいウェブサービスとなる。正直ウェブや携帯ウェブからは使いにくい。
けれど、最近のメディアの流行に乗せられて始めたような人はウェブや携帯ウェブから利用している程度である。
日本の一般ユーザはそれを「使いづらい」ままだと認識し、しばらくすると彼らはそのまま去っていくだろう。
クレームを入れる人もいるかもしれないが、サポート画面やサポート問い合わせ先が英語となるとそこで躊躇して
送るのをやめるものもいるだろう。
先ほどのmixiやGREE、モバゲーはマスコミの力を利用しつつ、さらに日本の一般ユーザがよく利用するシーンに合わせて、それらから
より最適に使いやすいように最適化したものをサービスインタフェースとして提供している。
さらに、日本企業が経営しているので、サポートももちろん日本語、クレームも言いやすいのでバンバンクレームを入れる。
日本人の一般ユーザにまだまだIEユーザが多いように、日本人はデフォルトのまま、慣れたものを利用しようとする。
その中でさらに使いやすいものを取捨選択していくので、海外のサービスは日本の一般ユーザまでになかなか浸透しづらい。
そうすると、Facebookが日本でも流行るという流れは、ごく一部については一時的に流行るだろうが、そこまでにとどまり、
広く一般には広まらずに沈下していくのではないかなと言うのが今の考え。
電磁的記録は公然陳列の対象になりえるか?
電磁記録を人間が鑑賞するには、それを人間の知覚できる形式に、人間が主体的に行動して変換しなければならない。電磁記録とは、電子的方式、磁気的方式その他、"人の知覚によっては認識することができない方式"で作られる記録だからである。
このようなデータに対して、公然陳列が成立するという主張が、今回、警視庁少年育成課と練馬署によって主張されている。
閲覧者が閲覧の意思を示し、機器を操作しなければ閲覧できないものは、公然と陳列しているとは言えないのではなかろうか。もし、閲覧者の意思表示や行動が無くても公然陳列が成立するとなれば、道を歩いている女性も男性も、股間に猥褻なモノを持っている以上、公然陳列を行っていると解釈されなければならなくなる。閲覧者の意思や行動は無関係で、そこにあることが公然陳列罪を構成するという主張は、こういうことである。
再頒布という行為においても、データにつけられたタイトルとデータの内容とが一致しているとは限らない事が多く、タイトルと内容の一致を証明する何らかの保証が、別の手法、たとえばウェブページにおいて、タイトルとその内容を示すサンプル写真やサンプル動画とファイルの取得方法が記述されていて、そのウェブページの作成者が、実際にデータの提供を行っていて、購入者や取得者が証人として存在しているといった状況が無ければ、単純所持でない事を証明する事はできない。そもそも、そのデータの製作者に比べればその罪は低く、また、ソフトウェアの仕組み上、所有者の意図していないデータがキャッシュされるのは、サーチエンジンやウェブブラウザのキャッシュと同様に避けられず、単純所持ではない事を証明するには、本人の自白のほかに、販売行為を証明する帳簿や購入者からの反証が無ければ、公判を維持することは難しい。
そして、何よりも恐ろしい事は、児童買春・児童ポルノ禁止法違反という罪状と住所・本名が、公然と報道されてしまう事である。最長3週間の拘留期間の間に、自白させてしまうという捜査の横暴に屈すると、一生、この烙印がついて回る事になる。この容疑者は、前科者として、生活保護を申請して暮らすしかなくなるであろう。
また、調書に対して一切署名をせず、公判で争うとなった時に、おそらく、この状況では公判を維持できないから、起訴猶予処分になるであろうが、容疑と住所・氏名が公開されたことについては、一切、更正の手続きが取られない。嫌疑無し不起訴の処分がでないかぎり、無罪認定はされない。さらに、無罪認定された場合、警察のメンツを潰したとして、執拗に狙われる事になる。警視庁・練馬署の管轄では生きてはいけない。何の縁故も無い地方に都落ちするしかなく、その先で就職など、余計に難しいとなる。この場合でも、やはり、生活保護で暮らすしかなくなるのである。
取り締まるべきは、子供に売春させて金を取っている母親であり、児童ポルノを撮影した買春者である。ネット上に放流されたデータの所有者を取りしまる前に、やるべき事がある筈なのに、貴重な税金を使って、何をやっているのであろうか。やるべき事をやらず、仕事をしている振りに汲々とするのは、政治家だけで十分である。
それにしても、最近の警察は、法の解釈・適用能力においても、民主党並にまで劣化してきているのではなかろうか。インターネット関係についての調査能力が無い事はわかっていたが、その能力以前に、法を司る者としての能力まで劣化してきているのは、どういうことであろうか。無駄飯食いに高給を出す余裕は、日本の財政状況には無い。能力に見合ったレベルにまで、権限と給与待遇を落とすべきであろう。
はてブ(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.aspire-tech.net/)で話題のIT業者について。
販売業者 | 株式会社コスモウェブ |
---|---|
販売責任者 | 代表取締役 市村宣成 |
所在地 | 東京都港区六本木4-8-7 六本木三河ビル7F |
東京都港区六本木4-8-7 三河台ビル7F 〒106-0032 株式会社 ライズインターナショナ...
おそらく住所だけのネットビジネスでしょう。もしこの会社が遠ければ宝くじでも買ったつもりでネット購入していたかもしれませんね。^^;
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425095069
港区のレンタルオフィス一覧
六本木駅から徒歩30秒。最前線のビジネスが集まる六本木で起業する。
EC事業やウェブ/モバイルコンテンツの制作事業など、活気あるIT系企業が集まるのは、ビジネス振興エリアの六本木ならでは。
その原因は紛れもなくネット。ウェブ。得にはてなブックマークとかが原因。
だいたいさぁ、ブックマーク数が結構ついてるエントリーとか見つけると気になって仕方なくなるんだよ。
なにか自分がまだ認識していない大切なことがわかったり、自身の思想とか価値観とか人生観とか世界観とかを劇的に変えたりとか
それらについて考えさせられる考えるべき何かとか、要するに
「自身が価値があると感じられる、未だに認識してない、認識するべき何らかの情報が広大なネットや本に存在しているのではないか?」っていう疑念。
いや存在しているのだろう、それは無数に。 こういった無限に膨張し続ける情報に取り巻かれている今
粛々と受験勉強なんてしてて良いのか? っていう思いが募りだして2年ぐらい経つ。
ある一つのエントリー、ページとか一冊の本とかで何かが変わったり、東大合格と健康維持という目的(目標)ぐらいしかない俺が
他の何か、素晴らしい夢とか目標とかやりたいことを獲得するかもしれない、、、
今年で一浪目だが、合格できるかどうかわからん;; それほどまでに俺は心を奪われてしまっているんだよ、目の前のこれに。
最近どうしようもなく怖いんだ。
いつか東大を諦めてしまうようなことになるのが。
このことが原因でただ情報を漁って逡巡することに膨大な時間費やして
大して行動せず何も為さないままだらだら生きていくことになるのが。
現役で東大に合格した受験生と俺、何が違う?彼らは情報をいかに処理したのか?
なんで俺とかはいつまでも足踏みしてんだ?
もうどうすればいいんだ… もう完全に俺の問題解決能力では手におえない。助けて欲しい。
とにかく東大に入りたい。なんで入りたいかはこの際どうでもいいはず。各位、自身の抱く目標に置き換えて
それを阻む要因として俺のこの疑念がそれなら一緒に解決しよう。解決してください。お願いしましたよ。
>元々勉強できるやつだったら別にゲームしてようが何してようが東大でも何でも受かるし
勉強が手につかないのに受かるわけないだろ!
自分がどういうタイプだろうが俺はどうしても東大にいきたいんだよ!
ほりえもんって受験のとき、起きてから寝るまでの間、食事、風呂、トイレ以外、勉強しかしなかったらしいけど
今の俺にはそういうストイックさが必要なんだ。
なぜ他の何かに現を抜かす俺のようなどうしようもない人間と
おおよそどんな目標でも達成してしまいそうな ほりえもんや孫正義のような人間がいるんだろう 同じ人間なのにどこが違うんだろう
2010-06-28 社長に「声はいい」と言われた。ちょっと照れた
2010年6月28日に見た就活関連サイトCommentsAdd Star
就活, 今日見たサイト | 2010年6月28日に見た就活関連サイト - 2010年大学卒の就職活動日記(インターンシップ中) を含むブックマーク
新卒時就職活動の失敗は挽回可能か?:日経ビジネスオンライン
3年といやあ、公明党がマニュフェストにしているのは、卒業3年以内は新卒にするとかだったような。ある意味妥当な数字なのかもしれない。
まあとにかく、3年以内に就職することができたら挽回可能らしい。自分もなんとか3年以内に就職したいところです。
就活を意識するのは大学はいることからしたほうがいいとは言いますけどね。
日本初の求職者課金型求人サイト【ビズリーチ】 サービス開始14ヵ月半で会員数が3万人を突破:IT&ウェブ業界の転職をサポートする「CAREERzine」(キャリアジン)
こんな求人サイトがあるのか・・・。これはうまいビジネスな気もする。
新卒で海外就職 in Europe!: 海外求人の見つけ方と、海外求人サイト
【インフォランス】就活アワードインターン募集 - 週刊てるゆき - 社長ブランディング&ソーシャルメディアマーケティング
パソコンの性能が限定されすぎていたがゆえに、無限の可能性を持っているように喧伝されていた時代だから――まあ大昔と言ってかまわないだろう。
俺はまるでチョコレート・バーを待ちわびるガキんちょのようにワクワクしていた。つまり、チョコレート・バーを齧る以外の道楽を知らなかったんだな。
「本名だけは伏せておけ。頭にwwwのつくキチガイ世界では住所と名前と性別と所属とクレカ番号は命と同等の価値を持つ。というか、それらはほとんどイコールで結ばれているといってもいい。だから、ガキども、何があっても自分を殺せ。生き延びたくば、な。ガチョウども」
教官が教練所で俺らを横一列に並べて、まず浴びせたセリフがこれだった。
正直なところ、そん時はまだ匿名でいることの重要性を俺たちはこれっぽっちも了解していなかったのだと思う。むしろ、教練所が『フルメタル・ジャケット』よりよっぽどお上品な事実のほうが驚くに値したし、記憶に残った。
匿名であることの重要性を心から理解しようがしまいが、俺たちはとにかく教官の命令に従った。第一に死にたくなかったし、第二に多少の危険をおかしてでもも俺たちはウェブの世界に居座りたがったからだ。初めてネットにつないで三日後には、もうチョコ・バーは俺にとって必須栄養素ではなくなっていた
ミッチェルが死んだのは、訓練も半ばに差し掛かったころだった。死因は炎上死。イナゴ共に本名を暴かれ住所を暴かれ姉を犯され両親を殺され家を焼かれ、ミッチェルはその中で灰になった。彼は自分から本名をイナゴどもに教えたりなどはしなかった。ただ、うっかり漏らした周辺情報からあらゆるプライバシーを同定されてしまったのだ。
教官はミッチェルの通夜で追悼の辞を述べた。ただ一言、「彼は運が悪かったんだ」と。そのとおりだ、とその場にいた俺たち全員は思った。ミッチェルは彼の「運」を己の力量で上げ下げする術を知らなかっただけだ。
訓練の終盤になると、もう一人残らず真理に到達していた。
「匿名であることが大事なのじゃない。俺たちが本名で活動するにはあまりに未熟だから、バカやってしまうからその自衛策が必要なだけだ」と。日本は未成年のありがちな若気の至りを笑って許してくれるほど、器の大きい社会じゃない。
それはそれでいい。社会ごと変革しようとしなくてもいい。まあ、たしかにいつか頭のイカれた改革者が出てくるかもしれない。だからソレは俺たちの役目じゃない。俺たちにとって重要なのは、そんな美しくも狭量な世界でどのように生き延びていくか、ということだ。
本当は、実名で活動してもいいのだ。住所や銀行口座を晒してもいいのだ。自分が守れるならば。失敗しないなら。仮に何かをやらかして攻撃をうけても、誰の助けも借りずになんとかできるなら。あるいは頼れる誰かがいるならば。逃げ切れるならば。
だが実際問題、俺たちの誰しもがそんな逃げ足がはやいわけでもないし、そもそもミスをおかさないわけでもない。一片のミスをおかさなかったとして、それでも食ってかかってくるキチガイはやはり一定数存在する。
ガキの未熟さの本質はミスの犯しやすさにあるのではない。打たれ弱いところにある。精神的に、あるいは社会における地位的に。そして、イナゴ共が大好物なのはまさにそういう、「やわらかい部分」なのだ。
教官についてある噂を耳にしたことがある。彼の息子はある有名私立大学に通う前途有望な文学青年だったらしいのだが、ふとした気の緩みでテストでカンニングまがいの行為をしたことをウェブで漏らしてしまい、運の悪いことにそれが当人の教授に捕捉されてしまった。
教官の息子はそれでその学期の単位を全部取り消され、自身は恥ずかしさとショックのあまり、大学を中退してしまったらしい。ひきこもりとなった彼が自室で首をくくったのは、それから半年後のことだ。息子の死がきっかけで、教官は若者たちにネットサバイバル術を教え込もうと決意したという。
今でもtwitterのTLを眺めるたびに、教練所を卒業した日のことを思い出す。
「貴様らはこの肥溜めを今日で卒業する! これからも匿名でいくか、それとも本名で生きるか、それは貴様らの自由だ! だが忘れるな! どちらの道を歩むにせよ……不運にあったときのためのリスクヘッジだけはやっておけ。死ぬな。生き延びろ。どんなことがあっても、だ」
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
------------------------------------------------------------
http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
正論をか細く訴える実直な人よりも
多少荒削りでも声の大きい人のほうが
ウェブでは生き残りやすい、というか、耳目を集めやすいってのは、残念ながらあるよね。
はてなが広く受け入れられることを考えるなら、
サイレントな大多数にとって居心地の良いサービスってのは何か、ってのを追求するのが近道なんじゃないかと思えた真夏の夜。
これまで何度も体験してきたことですが、やっぱり今でも体験することがあります。そして「ああまだまだだなあ」と実感して首をうなだれ、そして「もっともっとがんばらなくちゃあ」と気合いをいれることがあります。
それは知り合った人との会話で「はてな」という名前を出しても「?」とまさに「はてな」な顔をされて、「はてなってまだまだ無名なんだ」と思い知らされること。
http://anond.hatelabo.jp/20100802203203
一部のはてなユーザには怨みを買っていた
id:jituzonがブックマークもダイアリーもプライベートにしましたね。
「斉藤のり子=dropdb=webkitがうざいのではてブもプライベートモードにしました。
言っておくと先に絡んできて粘着し、中傷スターを大量につけてきたのはdropdbです。
正直神経を疑います。」
http://d.hatena.ne.jp/jituzon/
正直、ここのところやりすぎ感があったので
心あるユーザに通報されて運営が強制的にプライベートにするのでは?とは思ってヲチしていたのですが。
字面通り読むと、この記事が引き金になった模様。
http://d.hatena.ne.jp/webkit/20100823/1282527216
今度ばかりは粘着した相手が悪かったんですかねえ。
いや、騙し合いが日常なウェブ界隈のこと、運営に強制的にプライベート化されて強がっている可能性も否定できませんが(笑)。
id:jituzonには、危なかっしさだけでなく
Inspired by これ→ http://d.hatena.ne.jp/DocSeri/20100807/1281152204 ね。
ホメオが根拠無いだとかナンセンスだとか、科学の力で否定するのができるとかできないとかは、まぁどうでもいい。
オレ自身は信じちゃいないが、上のリンク先にあるような話を真に受けて信じちゃってるオツムの不自由な人々が日本だけでも数十万とか、グローバルに世界展開したら、たぶん数億人レベルで存在するに違いない。そこにカネモウケの匂いがするから、とりあえずビジネスにしてみようぜ、みたいな。
なんたって、そのレメディとやらは、物質的に有効成分が一分子も入ってなくても、なにやら記憶というかパターンというか波動というか、得体は知れないけどなんらかの「情報」が転写されてれば「効果がある」そうじゃないか!
しかも、その情報はネットの回線を経由して転送できることが証明されてるそうだし。
すなわち、音楽ビジネスと同じなのだよ。ビニールやポリカーボネートの円盤を買ってこなくても、ネット配信で入手すればOKだし、ちょっと法的にアレなことに目をつむれば、タダで共有することも可能ってわけだ。
イマドキ流行のクラウドでバーチャルなウェブのサービスで、モバイルでユビキタスに対応するフリーミアムなビジネスモデルを構築すれば、受けること間違い無し!
では、どうやってマネタイズするか。
ニコニコ動画と同様に「プレミアム会員」には毎月500円くらい払ってもらう。すると、あなたの生年月日や血液型や星座や十干十二支や生理周期や姓名の画数や手の平のシワの具合や鼻や耳やヘソの形や、あるいは生まれたときの水星と冥王星の角度とかまでモロモロの要素を計算して盛り込んだ「あなただけにピッタリのオーダーメードなレメディ(の情報)」を生成してダウンロードできるようになるのさ。
だれか、はまちちゃんだか、えがいひとだか、どこぞのおもしろ法人だか、スーパーハカーなひとがやってくんねーかなー?彼らなら、とりあえず無料部分までなら2〜3日もありゃ構築できるんじゃねーのか。
そんでもって、そういうWebサービスを始めちゃったら、元祖本家のホメオな人たちがどういう文句を付けてくるのか、楽しみで仕方がないなぁ...
音楽だったら著作権法違反がどーたら〜で取り締まれるけどさ、レメディの情報ってヤツらが主張する「客観的な(?)物質の波動だかなんだかをそのまま写したもの」だと思うんで、著作物には当たらないよなー。マトモな科学的根拠も無いわけなので特許権も登録できないだろうし、商標登録になってるようなら、そこだけ少し配慮しとけば、法的にはアレなことって無さそうに思えるんだけど。
ヤツらが「そんな画像で情報が転写できるなんてインチキだ。根拠がない!」とか言ってきても、そこはもうhogeでfugaでpiyoな方法はオレらが開発した独自の計算式で量子力学に基づく超弦理論の波動関数で明らかに証明できてるから間違いないってあくまで言い張ればいいし。