2010-09-03

 ウェブ世界に初めて触れた当時のことはよく覚えている。

 パソコンの性能が限定されすぎていたがゆえに、無限の可能性を持っているように喧伝されていた時代だから――まあ大昔と言ってかまわないだろう。

 俺はまるでチョコレート・バーを待ちわびるガキんちょのようにワクワクしていた。つまり、チョコレート・バーを齧る以外の道楽を知らなかったんだな。

本名だけは伏せておけ。頭にwwwのつくキチガイ世界では住所と名前と性別と所属とクレカ番号は命と同等の価値を持つ。というか、それらはほとんどイコールで結ばれているといってもいい。だから、ガキども、何があっても自分を殺せ。生き延びたくば、な。ガチョウども」

 教官が教練所で俺らを横一列に並べて、まず浴びせたセリフがこれだった。

 正直なところ、そん時はまだ匿名でいることの重要性を俺たちはこれっぽっちも了解していなかったのだと思う。むしろ、教練所が『フルメタル・ジャケット』よりよっぽどお上品な事実のほうが驚くに値したし、記憶に残った。

 匿名であることの重要性を心から理解しようがしまいが、俺たちはとにかく教官の命令に従った。第一に死にたくなかったし、第二に多少の危険をおかしてでもも俺たちはウェブ世界に居座りたがったからだ。初めてネットにつないで三日後には、もうチョコ・バーは俺にとって必須栄養素ではなくなっていた

 ミッチェルが死んだのは、訓練も半ばに差し掛かったころだった。死因は炎上死。イナゴ共に本名を暴かれ住所を暴かれ姉を犯され両親を殺され家を焼かれ、ミッチェルはその中で灰になった。彼は自分から本名イナゴどもに教えたりなどはしなかった。ただ、うっかり漏らした周辺情報からあらゆるプライバシーを同定されてしまったのだ。

 教官ミッチェル通夜で追悼の辞を述べた。ただ一言、「彼は運が悪かったんだ」と。そのとおりだ、とその場にいた俺たち全員は思った。ミッチェルは彼の「運」を己の力量で上げ下げする術を知らなかっただけだ。

 訓練の終盤になると、もう一人残らず真理に到達していた。

匿名であることが大事なのじゃない。俺たちが本名で活動するにはあまりに未熟だから、バカやってしまうからその自衛策が必要なだけだ」と。日本未成年ありがちな若気の至りを笑って許してくれるほど、器の大きい社会じゃない。

 それはそれでいい。社会ごと変革しようとしなくてもいい。まあ、たしかにいつか頭のイカれた改革者が出てくるかもしれない。だからソレは俺たちの役目じゃない。俺たちにとって重要なのは、そんな美しくも狭量な世界でどのように生き延びていくか、ということだ。

 本当は、実名で活動してもいいのだ。住所や銀行口座を晒してもいいのだ。自分が守れるならば。失敗しないなら。仮に何かをやらかして攻撃をうけても、誰の助けも借りずになんとかできるなら。あるいは頼れる誰かがいるならば。逃げ切れるならば。

 だが実際問題、俺たちの誰しもがそんな逃げ足がはやいわけでもないし、そもそもミスをおかさないわけでもない。一片のミスをおかさなかったとして、それでも食ってかかってくるキチガイはやはり一定数存在する。

 ガキの未熟さの本質ミスの犯しやすさにあるのではない。打たれ弱いところにある。精神的に、あるいは社会における地位的に。そして、イナゴ共が大好物なのはまさにそういう、「やわらかい部分」なのだ。

 教官についてある噂を耳にしたことがある。彼の息子はある有名私立大学に通う前途有望な文学青年だったらしいのだが、ふとした気の緩みでテストカンニングまがいの行為をしたことをウェブで漏らしてしまい、運の悪いことにそれが当人の教授に捕捉されてしまった。

 教官の息子はそれでその学期の単位を全部取り消され、自身は恥ずかしさとショックのあまり、大学中退してしまったらしい。ひきこもりとなった彼が自室で首をくくったのは、それから半年後のことだ。息子の死がきっかけで、教官若者たちにネットサバイバル術を教え込もうと決意したという。

 今でもtwitterのTLを眺めるたびに、教練所を卒業した日のことを思い出す。

貴様らはこの肥溜めを今日卒業する! これからも匿名でいくか、それとも本名で生きるか、それは貴様らの自由だ! だが忘れるな! どちらの道を歩むにせよ……不運にあったときのためのリスクヘッジだけはやっておけ。死ぬな。生き延びろ。どんなことがあっても、だ」

  • 俺はカンニング見つかって単位取れなくて最終的に中退したけど、今回の件は教授の意見が正しいと思うけどな。 カンニングしたって何の役にも立たないぞ そんな嘘だらけの人生ならや...

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