はてなキーワード: 米語とは
http://anond.hatelabo.jp/20130504222901
太田さんに関する限り、水嶋ヒロ騒動の発言からも分かる通り、彼は批判することを目的として批判するようなことはないと思う。ラジオでは彼も話題作を読んでいる途中だと言っていたから、しっかりと作品に接した上で分からないと言っているのだと思う。確か、太田さんは村上春樹作品のような小難しいものが、なぜ一般に受けいられるのか不思議だというようなことを言っていたと思う。
僕はそれに対して、村上春樹作品は分かったような気になる、何か得られたような気になるような絶妙なバランスが先天的に携わっているのだと認識している。彼が米語を日本語化して作り上げた文体がその特性のかなりの部分を占めているのだが、太田さんは文学たるもの作者の伝えたいこと、作品のテーマのようなものが不可欠だと真面目に思っているので、昨今の村上作品を受け入れられないんじゃないだろうか。初期作品は思春期の男のどうしようもなさや、社会へコミットできないジレンマのようなものが比較的伝わってきたが、作者の汗の匂いがだんだん薄まっているように僕にも感じられる。もちろんテーマのようなものを持って書いているとは思うが、村上さん自身が「作品は読者のものになって初めて物語が相対化される」みたいなことを言っているせいか、そのような種明かしを全くしないのも作品の神格化に一役買っている。
ちょっとエラそうになってしまったが、要は太田さんは純粋に村上作品を理解できないだけなのではないかなと思っただけの話です。
失礼しました。
2000年頃、2ちゃんねるにはヒップホップ板がまだなかったころ。
サグ(thug)とは、米語でチンピラとかそういう意味(2pacのお腹にはthug lifeという彫物があった)。
当時の2ちゃんねるも今から比べれば相当殺伐としていたように思うが、「サグ板」もまったく素人を寄せ付けない雰囲気の、とてつもなく殺伐とした掲示板だった。
「あ?KENSEIのこのTAPEのどこがすげーんだ」
「そもそもこの録音技術の知識がないやつはすっこんでろ」
「なにもかも知らなければ批判はできないとでもいうのか」
「じゃあ、おまえの好きな曲を言ってみろよ」
「俺の好きな曲? お前の好きな曲以外だよ糞野郎!」
・・・みたいな。
古いHDDを整理していたら特に記憶に残ってる書き込みを見つけたので放流。
HIPHOPに興味を持ち始めたすべての歌謡曲リスナーに告ぐ
01 : 名前なんて関係ない: 2000/09/30(Sat) 16:02
おい、HEYHEYHEYを毎週チェックしてるような糞歌謡曲ファン共
気安く俺らのシマに入ってくんじゃねーよ
少なくともHipHopを語りたいのならキャブキャロウェイのボースティングまで遡れ
貴様らミーハー蝿共は、数々の土着の島の土を土足で踏みにじっては
もしHipHopと関わり合いたいんなら
もしそれが無理なら
http://anond.hatelabo.jp/20120803173843
中学校1年のときの英語教師が、増田の言うような授業スタイルで、一切日本語を喋ってくれなかった。
私のころは当然公立の小学校では英語教育などなく(ローマ字は教えられたから、アルファベットだけは書けたが)、
塾に通っていて英語を習っている子も、1年生の最初も最初"This is a pen."レベルだから、まだ少なかった。
授業方法は、まったく文法などを解説せず、教師にバシバシ訂正されながら教科書を音読させられたり、
テンプレートのやり取りを隣同士で行なったり、というのが主だった。
私たちはまったく文章が構成されるルールを知らないまま例文を暗記するだけでテストを受けていたが、平均点は高かった。
扱われている教材のテキストレベルはおそらく指導要領からは外れていなかったと思う。何せ中1だ。
それにしたって、あの1年間はなんだったのだろう。
翌年、英語担当教師が変わり、塾に通っていなかった、英語の勉強方法はそういうものだと思っていた愚かな私たちは、
一般的なスタイルの授業の前に撃沈した。
なにせ「be動詞」というものが何を指すかすら知らなかった(is、are、などは知っていたが、それらをbe動詞と呼ぶとは知らなかった)。
もちろん、それらがどういった条件で変化するのかもあやふやだった。
今考えると、恐ろしい。
こういう勉強法はせめて高校卒業時…いや、中学卒業時レベルでもいい、
とにかく、基本的な文型やifや関係代名詞やそういうの知ってからすべきだったのに。
あるいは日本語も話せないような幼児教育としてやるべきだったのに。
その後、塾に通い、学年相応の英語力はついたし、折りしもハリポタブーム()で初めて洋書を買って、
英語と米語の違いや各地方の訛り、綴り、韻、ジョークなど、「娯楽的英語」の楽しさから英語好きになって、
進路を決め、1年だけだが留学も出来た。
仕事は英語関係ないけど、洋ドラや映画やアメコミやナショジオは大好きだ。
遅れは取り戻せたが、あの1年がなければ、私にとっとと塾に駆け込むべきだと考える判断力があれば、
まあ、それはともかく、基本的な英語を覚えてなくても習ったことがある人が、
再学習として自習で英語を勉強するなら、英語は英語、という考え方をしたほうが良いとは思う。
日本語話者同士の日本語でのやり取りでさえ、齟齬が起きたり、気持ちが伝わらなかったりするのに、
1.今回の暗黙の前提となっているのはネイティブ<>非ネイティブ対立構造軸。
英語教育問題になると非ネイティブ間での共通言語の問題と議論の途中で混同されるがそれをするのはすくなくとも
対ネイティブへの利用を前提とした議論の中で用いるのは不適。
2.日本における言語教育では米語でもなく英語でもなく豪語でもなく日本における教育に適した日本英語を創作している。
非ネイティブ間での利用を前提とするならこれでいいがもし対ネイティブ(特に英国?)を考えるなら
http://anond.hatelabo.jp/20100621020930
このあたりの噂も含め英語を教えるべきか?(結局これは日本における英語教育をどのようにするかという根本議論になる)
3.自分は現状では現在の日本語教育に不満を持っていない。理由としては主として英語を利用する機会が読み書きのみだからである。
4.ただし大学の専門課程以上では今後英語による教育に移行すべきかもしれない。というのも専門課程を日本語で教育されると
さらに後、研究室配属以降の段階で再度その用語の該当英単語を学習しなおす必要があるからである。
5.英語が共通語になったのってホントに無敵艦隊が敗れたことが理由か?少なくとも明治の開国前後の日本人は英語以外の言語を主として学習してたって話を聞いたことある気がするが。
6.この議論の流れどこかで読んだなと思ったらhttp://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php
だった。