はてなキーワード: 日本の歴史とは
横ですが。
今回の日本の不況、衰退、デフレ何でも良いんですが、その原因には、少子高齢化や(冷戦構造崩壊によるグローバル化を起源を発する)戦後民主主義の賞味期限、デジタルネットワーク革命など、いろいろな要因が絡んでいると思うですよ。要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。だから既得権益批判をやるという話ではなくて、今は産みの苦しみの時代だと思っています。今必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。というか、内田先生の日本辺境論ではないですけど、日本の環境適応能力や吸収力、学びの力は異常だと思います。フランスの留学生(でしたっけ?)のブログで話題になっていましたが、日本の風景の変化速度は異常です。でも、それでも追いついていないのが現状だと思います。適応のために時間が必要なのだと思います。なんとなく思っているのは、アナログ世代が退場した後、デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、社会の意志決定のシステムも大きく変わるでしょう(もうその兆候は見られています)し、人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います(現在は主導権を握っているアナログ世代が適応障害を起こしているので、どうにもならない訳ですが)し、アナログ世代のリーダーがストップをかけていた製品企画にも足かせの取れたデジタル世代のリーダーが出てくれば面白い製品にゴー!をかけるのではないでしょうか?その根拠として、YouTubeを見ていて思うCGMによって作成された日本製娯楽コンテンツの異常なレベルの高さです。日本人のクリエイティブ性は”今でも”凄いと思います。これほど、職人がいる国はないのではないでしょうか。また、経済を歴史から見ると、経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?インターネットの構造と同じように、情報的・経済的ハブとなる地域はあるが、中心地のない時代になっているのではないでしょうか?つまり、全世界の「辺境化」です。そして、辺境の地としての日本の歴史には一日の長があります。日本が有利なんです。だから、職人は本能のままに「一千万人の職人の創作活動で世界を萌やし尽くしてやる」と突っ走ればいいのではないでしょうか。と、たまには明るい未来を語ってみました。
追記:
増田で議論する気はないけど、たまには反応するかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100226173402
もうちょっと論点を整理して語れないもんか? 要するに「きっとなんとかなる!大丈夫!」の一言でまとめられる気がするけど。
論拠なしでも「きっとなんとかなる!大丈夫!」でおk?神様にお祈りでもするか。
http://anond.hatelabo.jp/20100226173632
さかなをたべよう!
あたまあたまあたま~あたまがよくなる~
http://anond.hatelabo.jp/20100226180143
更に横増田です。
たぶんこの辺の認識が元とは違うと思います。
元が問題だと思っているのは景気サイクルの波ではなく、国の規模が衰退傾向にあるということに目を背けていることが問題なのでは?
>要するに変化が激しすぎて、適応が追いついていない、という面が多いと思います。
>旧来の安定したインフラやシステムが逆に既得権益としての壁になってしまっているような気がします。
既得権益が新興国の低賃金に関与しますでしょうか?この国は豊かになってしまい簡易な労働でも非常に大きなコストがかかってしまうという事を認識すべきなのでは?
>必要なのは時間であり、ある期間を乗り越えたら、急激に日本はまた復活すると思います。
時間が経つと何が変わり、何が復活するんでしょうか?
>デジタル世代が主導権を握る時代になれば、マスコミが主導する世論形成システムも自動的に崩壊し、
マスコミがこの国の政策の策定及び執行にどの程度影響を及ぼしますか?
>人口が少なくなっても、デジタル世代はITによってうまく生産性を向上させると思います
その他、コンテンツの質の高さ等がありますが、そのコンテンツが将来どのぐらいの価値を生み出すでしょうか?
>経済の中心地(オランダ→イギリス→アメリカみたいな流れ)があって、その中心地が世界経済全体のエンジンになっていたという考え方があるそうです。
>しかしながら、グローバル化し、デジタルネットワーク革命が起こった現在に、中心地は存在しないのではないでしょうか?
各国に分散していく事に対してこの国が寄与できる部分はありますか?
疑問ばかり。心配ばかり。部屋の中でガタガタ震えてお祈りしてれば?
「あんたのやりかたはダメだ。これこれこういう理由で(あるいは俺にはそのやり方は理解できんからなんとも言えないけど、とか)。それよりもこっちの方がうまくいく確率が高い」という意見が建設的な意見というものでしょう?「絶望した!」と叫びたいだけなの?
ヒーホー! 平成時代の皆さん、初めまして!
ラノベでしか知らないけれど、ずっと平成時代に憧れていました。
今日は、僕から皆さんにお願いがあります。
皆さんがいる平成時代は一番自殺者の多かった時代でもあります。
でも待って! あと50年生きてください!
50年後になれば、素晴らしい発明がされるんです!
それは、いらない命を使って大切な命を蘇らせることができる機械です!
僕のおじいちゃんも幼い時にその機械のおかげで生き返ることができました。
だから僕が生まれてこれたのはその機械のおかげです。
この間も、うっかり死んでしまった従兄弟のユウセイくんが、いらない命を使って生き返りました。
実は今、僕たちの時代ではいらない命が足りません。
お願いです。助けてください!
この時代の皆さんが自殺をしてしまうのはとても無駄なことなんです。
でもあと50年経てば、皆さんの命は無駄じゃなくなります。
誰かの大切な人の命に換えることができます。
もしかしたら、僕のおじいちゃんの命は、皆さんのうちの誰かのいらない命で救われたのかもしれません。
だから、あと50年頑張って生きてください。
どうかお願いします!
分かってないな。それは悪役が満足して悪がなくなったってだけで、悪じゃなくなったわけじゃない。元増田は日本の歴史に一貫している異常なまでの利己主義をいってるんだろ。
また、辛勝率+1%未満の候補は誰かを救ったというより、自分自身がマスコミの民主大勝報道にレスキューされているため、それにレスキューされた候補は二重にラッキーだ。
実際の結果はマスコミの予想通りだったわけでアンダードッグとバンドワゴンで前者のほうが強かったと言うことはないだろうからマスコミにレスキューされたと言うのはこじつけでは?
町村信孝や中川秀直といった清和会の超大物候補がたったの814票だの626票だので命を繋いだのを、自分1人の投票もしくは不投票行動で日本の歴史を変えた当該選挙区の人たちはどう思っているのだろう。
当該選挙区のものだが、民主の比例下位が当選するくらいなら自民大物が残るのは別に気にならない。あと彼らが今回当選したからと言って歴史が変わるとも思えない。弱小野党ではほとんど影響力なんか出しようがないはず。
基本的なものは守った上で改革をする?
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090805AT3S0501K05082009.html
何が基本的で何が基本的でないかを、誰が決めるのか?
財政規律を正し、小さい政府にする、その為の第一歩として、プライマリーバランスを実現するという公約を破ったのは、誰であろうか。
高速道路は償還が終わったら無料化するという約束で始まった。無料化するための財源として、揮発油税の割り増し分と、その同額を軽油にも付与すれば良いのに、ETCを使い、指定の日時と区間を利用した場合のみ、普通車だけ1000円均一という事でお茶を濁しているのは、誰であろうか。
守るべきは道路族の利権であり、既得権益層の利権であり、天下り先であるとしてきたのが、今の自民党政権が行ってきた事であり、それゆえに、支持率を失ってきた。
その反省をせずに、日本の歴史、伝統、日本語、皇室、国旗、国歌、という当たり前の物を守れるのは自民党だけだと言う。
それらを危うくするほど日本に売国奴を増やしたのは自民党自身であるし、自民党の長老議員の中には、選挙前だから仕方なくおとなしくしているが、未だに売国する気まんまんの者すら居る。
移民や外国人出稼ぎ労働者といった非国民を増やそうとする行為を、経団連の中核企業と一緒になって進めようとしていたのは、他ならぬ自民党である。
聖域無き改革から聖域のある改革へと転換し、その聖域は自民党の中枢が勝手に決めるというのでは多くの国民の支持は得られない。
どんなしくみでも改革できない物は無い。改革できないのは知恵が無いせいである。個人の頭だけでは知恵は足りない。多くの人の知恵を借りられるのが民主主義のメリットである。
ただし、知恵を集めるには、相応の人気・人望か、相互の利益が必要であるし、そうやって集めた知恵の中のどれが最適なのかは、どこかで決断をしなければならない。
選挙で多数決という手段もあれば、実験的にやってみて、有権者に拒絶反応が無い事を確認してから本格的に導入という手段もある。
改革は不断に行うモノであって、それを怠ってきたのが万年与党体質に染まった自民党である。自民党を変える必要があるというのが、国民の認識であり、残念なことに、現在の自民党の長老・領袖クラスは、この認識を国民と共有できていない。
矛盾はしないかもしれないが、どう考えても一般的なフィクションという語の用法とは違うね。
「昔々、太郎と花子というものがおりました。太郎と花子は愛し合い、結婚し、子供を作り、そして死にました。おしまい」
思考実験として、こういうフィクションを誰かが書いて発表したとしよう。
日本の歴史上、太郎と花子という恋愛結婚をして子供を作ってなくなった夫婦はたぶん何組もいただろう。
その現実の一致/類似の発見をもってその物語はフィクションからノンフィクションに変化するのか? 普通はそういう使い方をしない。
むしろこの作品が仮に偶然に現実世界の特定人物名等と一致したとしてもフィクションであることを主張するために、「この作品はフィクションです」という注意書きはあるんじゃないのか。
これは純粋な思考実験だが、もっと長い物語で、現実と多少の齟齬があっても、それは脚色だ、と言い張ることは可能だろう。
たまたま捜査一課に十津川と亀井という名の実在警部と刑事がいて、たまたま西村京太郎作品とどこか似た事件を解決していたとして、それで西村京太郎作品がノンフィクションだったということにはならない。
>彼らが任官したとき、上司も部下もみんな「旧軍関係者」なんです。
>にもかかわらず、20代のそこそこの若者が、周りが旧軍出身という環境で、
>自称「大先輩」にそれを面と向かって言ったという、その勇気と気概が痛快で
>見事なわけで。
「面と向かって」というのはさすがに嘘臭いな。
防大初期の人間にそういう意識のものがいた、というのは聞いた事があるけど。
随分と話を膨らませていないか?
>隊内のいわゆる「むかし防人、いま自衛隊」ちゅうたとえは、そこから来たわけで。
これもなんか嘘臭い。
2009/4/7の読売新聞の論点にて元陸将が田母神論文批判を書いていた。
だいたいこんな内容。
●(田母神さんは)自衛官が命を捨てる国防の根拠を「侵略の過去を持たない良い日本の歴史」に求めているが、
交戦国は互いに異なった正義があるのは世界の常識で、日本の主張だけを正義とするのは客観性に欠いている。
●自衛官の決意の前提(文のまま)を「良い日本の歴史」とするならば、歴史の評価が定まるまで
●今の日本を見れば、政治も道徳も決して良い日本とは言えない。それでは「良い日本」が存在しないから、
自衛官は命を捨てる国防の決意を持たないことになるのだろうか。
●自衛官が国防を決意する根源は歴史でなくて、「自分の国は自分の手で守る。主権者には国防の義務がある」と言う
●私も在職中に政治決定への反論を考えたことがある。だがその都度、先輩から「軍人は所詮職人だよ」と諭されて受け入れてきた。
組織のトップがこのルール破れば、部下はそれに倣って勝手放題の行動を取るかもしれない。
己の所信に忠実ならんとして、組織を省みないのはトップではない。
●軍国主義華やかなりしころの軍人は今の自衛官に比べて遥かに自由であったことと思われる。
だが一部の現役将校たちは、専門外の軍事以外の分野に発言を求めだし、クーデターも純粋な青年将校の行為と主張したのではなかったか。
http://kakisyann-kaisou.seesaa.net/upload/detail/image/001-6e6f8-thumbnail2.jpg.html/
でもってそれに関するネタを2ch軍事板で探してたらこんなスレを発見。
694 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 00:52:06 ID:???
読んだ香具師いる?
696 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 11:32:05 ID:???
ああ、読んだよ。
至ってまともなもんだよ。
戦中派とか厖大10期ぐらいまでは、組織人としてごくまともで、非常にラディカルでバランスのいい
方々が多かったなあ。
ところが俺が厖大にいた頃に冷戦構造が終わり、さてこれから日本の防衛をどうするべきかって
学生なりに真剣に考えていたところに、タモさん世代は混乱して、なぜか皇軍に「原点回帰」しちまった。
講話とかで平気で旧軍を「先輩方」と言ってしまう神経には、呆れたものだよ。
自分たちの存在意義や使命感を半世紀前に求めるって、どんだけよ?
ああこういうバカな司令官になっちゃいかんのだなと、その時みんなで思った。
ちなみに厖大一桁は、旧軍の将軍を「諸君の先輩は」と言った旧軍将官に対して
といって、新たな国防の担い手であることを高らかに宣言したという逸話がある。
隊内のいわゆる「むかし防人、いま自衛隊」ちゅうたとえは、そこから来たわけで。
705 名前:696[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 12:54:42 ID:???
「先輩なし」というのは、表面的につながっているとか継承された部分があるとか、
本質はそういう話じゃないと思うんですよ。
彼らが任官したとき、上司も部下もみんな「旧軍関係者」なんです。
にもかかわらず、20代のそこそこの若者が、周りが旧軍出身という環境で、
自称「大先輩」にそれを面と向かって言ったという、その勇気と気概が痛快で
見事なわけで。
もっともこの勇に至ったのも、当時講話なんかを旧軍関係者がすると、平気で
当時の海軍や陸軍の礼装で来きて、ひたすら武勇伝を宣う、今で言う「KY」な
負け戦しといて、軍装して自己弁護とは、なんのこっちゃと。
こりゃあ、指揮官がこんなのだから戦に負けたんだなと思ったんだろう。
井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。
706 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 13:51:56 ID:???
なるほどね。そういう背景があったんですなぁ。
了解しました。
昔の自衛官はえらかったんだねぇ。
むしろ我々もみならわなきゃいかんね。
720 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 16:38:45 ID:???
>井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。
当時は蟄居して自伝書いて印税を部下の遺族に渡してたんだっけ?
そりゃ恥知らずって怒るのも判る気がする。
そもそも敗軍の将が平気で兵を語ってるんだからな
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239170839/
はるかに年下の若造が、大先輩に対して「我らに先輩なし!」と言い切れてしまうその若さと気概にちょっと震えるくらいの感動を覚えた。
あまり自分自身のことを振り返らないので、たまには振り返ってみようと増田になりすまします。
では簡単に、現在の私のことを書いておきます。
とにかく勉強というのが嫌いで、中でも宿題などの復習は、苦痛でした。
少し自慢のようになるのかも知れないですが、頭の出来じたいはそれほど悪いわけでもなかったらしく、
まあ、中学程度なのでそのような方はたくさんおられたと思います。
頭は悪すぎることはない、実際のレベルよりも少し下の偏差値の学校に入ると
更にあまり勉強せずとも留年はしないのではないか、といった考えのもと高校を探しました。
探しているうちに、商業科、工業科などの専門学科があることを知り、
それらは普通科の授業が、普通科よりも大幅に少ないという情報に辿りつきました。
商業科が少なく、頭が足りないか、余裕でいけるところの2択ぐらいしかありませんでした。
かっこいいから、という理由で、数少ない友人と一緒に工業科のデザイン系の学科の受験を受けました。
当時は、第一次と第二次とわかれて受験がありました。倍率が4倍と2倍ぐらいだったと思います。
この学校に入ると勉強しなくていいと、何故か当時は本当に思っていて、人生で一番勉強しました。
第一次はあっけなく2人とも落ち、友人は別の進路を選びました。
受験前日に、地元で同人誌即売会のイベントがあり、残念ながら2人で参加してしまいましたが、
それは小学生からのオタク歴を考えると、仕方のないことに思えます。
結局、甘くはなくデザインにも色々と勉強しなくてはならないことが多かったです。
カメラやビデオなどの授業もあり、露出の計算や、言葉を覚えることの量、
行ったことがないのでわかりませんが、普通科の方が種類の多さが少ないため勉強しやすかったと思いました。
また、勉強で追いつかない技術の面でのテストなど、留年の危機を3度ほど乗り越えての、ぎりぎりの卒業でした。
(デザイン系だったこともあってか、オタクな友人も増えました。(今でも数名とはやりとりが続いてます))
その時点で卒業が危うかったのですが、私は専門学校に通うことにしました。
オタク全開で、あまり大きな声でまわりの友人に進路は言えませんでしたが、
先行入学の権利のある受験の方を受けてしまい、少し早く進路が決定しました。
高校で生き別れた友人とも、同じクラスになり、オタクという強い絆を感じました。
マンガという単語が履歴書に載ってしまうことを承諾したような、強いオタクなのだから
さぞかし同人活動で東京には年に4回行くような猛者が集まるのだと思ってましたが、
実際はそうではありませんでした。私の、オタクとしての視野の狭さを突きつけられました。
当たり前ですが、少女漫画家、少年漫画家を純粋に目指す、キラキラの瞳の方がたくさんです。
同人誌?日本の歴史にはあまり詳しくなくって、などと返されることもしばしば。
漫画家を目指す上で、今では知識として持っていないのは勉強不足にも感じましたが、
そこは勉強嫌いな私が突っ込めることでもないので、オタク知識を分け与えました。
当の私も、同人活動はしたことがなく、漫画も描いたことないので、全くのど素人でした。
それはまわりも余りかわらず、マンガという単語を履歴書に残すには、浅い覚悟の人が集まったと思いました。
歴史は繰り返されました。
マンガを描くにも沢山の知識、それを上回る技術が必要でした。早々に後悔だけがつもりました。
唯一できたのは、高校時代に触ったおかげのフォトショップやイラストレーターの授業でした。
二年にあがり、進路の話しにだけのために私は学校にいき、たまに絵を描いて帰り、バイトをしました。
クラスじたいはクラス変えもなく、二年目の怠惰な空気の中、オタクの話しをだらだらとする、
私の通う学校は学校法人ではなかったため、早々に進路が決まると、
学校ではなく就職先にバイトとして入るなどといったシステムがあることを知りました。
勉強から遠ざかりたい、そんな思いで、思いつきのままに選んだデザイン会社で10月からバイトしながら、
やはりマンガもろくに描くこともなく、国への借金だけをこさえて卒業しました。
今でも、専門学校で得たものは、数名の友人と、私の駄目さの理解であったと思っています。
匿名だから安心したのか、普段よりも長くなってしまいました。
次書くとしたら、法律の話しまでいきたいです。
日本の歴史的人物は登録されてないか…….
しかし補完がひどいw
http://www68.wolframalpha.com/input/?i=Fukuzawa+Yukichi
あと,勝手にグラフまで出すあたりはMathematicaより便利だなー.
http://www68.wolframalpha.com/input/?i=D%5Bx%5E3%2B2x%2B1%2Cx%5D
現在、33歳。「半導体関係」という業界で働いている。(半導体とは、世界中のおよそ全ての電子機器の中に入っている部品の事)
多数の躓きはあったものの、自分の道を疑問に思う事なく、導かれるようにしてここまでやってきた。
ここは、自分が居るべき場所であると感じている。
人生が新たなセクションに入ろうとしている今、何故自分はここへやって来たのか、振り返り、確認してみたい。
小学生低学年の頃。日曜日の朝。「漫画日本の歴史」→「筋肉マン」→「ミームいろいろ夢の旅」というアニメ3連コンボは至福の時だった。
前者2つはもちろん、ミームは特に好きだった。アニメの内容は、当時の知見における「近い将来、世界はこんな進化を遂げ、スッゲー情報科学世界が実現する!!!」という未来像が紹介されるものだった。
そこには、無線情報端末は言うに及ばず、今で言う「インターネット」さえも登場していた。
理由はわからない。とにかく毎週、そこで紹介される未来像にひたすら胸が躍った。
これが、今へと自分を導いてきた最初の一つだったのだと思う。
そして2つ目。小学校高学年の頃。
地元熊本県で、「グリーンピック熊本」という、ちょっとした科学展があった。そこには、「ミーム」で見た世界の一部が実現されていた。
テレビ電話、ステージとモニタの中を自由に往来しながらトークするお姉さん、3Dモニタ、壁を覆いつくした多数のモニタとそれを操る多数のPC・・・・・・。
その頃、当時の我が家としては余りにも高額な(でもメーカ的には廉価版)のMSXというPCを買ってもらった。三菱製だった。
ローマ字をやっと習った程度。英単語なんて読めない。それでもブ厚いマニュアルをめくりながらコマンドを「シーオーエルオーアール」等と口にしながら覚えていった。
X,Y座標なんて書いてあっても理解不能。しかしこの辺は実際に弄りながら試行錯誤してみる事でなんとなく理解出来た。
そうやって、MSX BASICというプログラムを身に付けていった。
この頃のこういった行動は、今の自分にかなり大きな影響を与えていると思う。
目標の設定→現状把握→ルート設定→目標達成のための障害把握→障害の除去方法習得→実現。
この思考/行動が極めて迅速かつ正確に出来るようになった。大人になってから気付いたが、この自分にとっては余りにも当たり前の事が、他人にとっては特別な事で、やろうとしても出来ない人が多い。
3つ目。
裕福ではなかった、昭和における平均かそれ以下であった我が家。母親は「子供との時間を確保するため」外での勤めをせず、内職をしていた。
帰宅すると母が内職をしている。内職に夢中で自分に構ってくれない。それが気に入らず、母親がやっと作業した品をグチャグチャにした事も、何度もあった。
時折、気まぐれで手伝ったりもした。
母親がやっていた内職とは、数ミリ□~2センチ□程度のモノに絶縁テープが巻かれたもの。それから、針金が何本も並んで突き出ている。
就職してから知ったが、これも所謂「半導体関連製品」であった。
高校は、公立で入れそうな所を受験した。理数科だった。意図して選んだわけではなかった。「ここなら落ちないだろう」との判断だけだった。
大学へも行った。工学部。電子工学。研究室ではすばらしい方々とともに、当時の世界最先端の研究を体験させて頂いた。
「ここに書いてある会社なら、間違いなく入れますよ」ってファイルが置いてある。その中から、成績の良い生徒から順に就職先を決めていく。成績最下位だった自分は、残りすくなったリストの項目の中から、最も地元に近い会社を選んだ。それが、今働いている会社。
就職して10年目。既にエンジニアとしては成熟し、今後はマネージメント側に回るのか、エンジニアとして続けるか、或いは別の道を行くか。決めなければならない。
こうやって振り返ると、今の自分がここに居るのは、何らかの力による必然である様にさえ思える。
先述したように、今、自分は、人生が新たなセクションに入ろうとしている。
今はまだ、わからない。
ただ、思う。もしも必然であるのなら、この先も、望むと望まざるとに関わらず、同じ世界で生きていく事になるのだろう。
そんな中、去年の夏、素敵な人の存在を知った。
egachan.netというのをやってる、「えがちゃん」という人。非モテ、のあの人。
現実逃避。それでもいい。
今はPHPを弄りながら、自分がどこに辿り着くかは、流れに身を任せたい。
蛇足になるが、当時の母親が扱っていた様な製品は、体積でいうと数百分の1~数千分の1のサイズまで微細化されている。もはや、年老いた母親には見る事もままならないだろう。作業自体も、フルオートである。手作業はない。全てを機械がやってくれる。
自分が入社してすぐに関わった製品もまた、今では当時の1000分の1の体積まで微細化されている。
微細化の先には有機との融合の時代が待っている。(もうずっと前から始まっている)
外人が日本人を特別視してるってのは、自分の国の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、
その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・。
だから農業で輸出して食べていくことすらできない。条件からして最貧国でもおかしくない国。
そんな国が、100年ほど前で当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、
非白人国家で普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回してガチで戦争して、
世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして、オランダ倒して、
世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。しかも二発だよ。二発。考えられない。
敗戦とか言ってるけど日本のせいでアジアから白人の植民地全部消されたし。
しかも信じられないのは、戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらにインフラまで全部叩き潰されて、
多額の賠償金まで背負わせて100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で、
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年はウザイ顔見ないで済むと思ってたら、
参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて世界第一位。
東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で世界中( ゜Д゜)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。しかも経済の80%が内需。内需だけでそれ。
金融とかでまだ全然進出してないし車や家電、工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。
もうキチガイの域。伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。
何気に世界最長寿国とかなってる。んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。
しかも最近の話をすると日本の防衛庁がガチでガンダムとファンネル開発してる。
挙句に光学迷彩まで研究開発してる始末。どんだけ夢を求める国なんだと。
極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より長い王室ならぬ、
普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。
http://anond.hatelabo.jp/20081206220423
はっきり言ってゴマカシなのである。
自分の周囲の嫌なものを日本と同一化し、日本ひどい=(それを批判する)俺すごいとオナニーしている。しかもその自覚すらないのないのだからよけい醜悪だ。
本人にそれを言うと必死に否定するが「日本HIDEE!」と言っている人間を馬鹿にすると何故か「日本はキミが思っているよりもひどい。日本の歴史は悪い」と返ってくるので苦笑してしまう。「日本」への肯定が「自分」への批判へと直結してしまっている。これは日本と自分の敵(受け入れられない自分の状況を作り出すもの)とを同一視しているからに他ならない。
「日本HIDEE!」は、これからの日本の未来の雲行きさえも悪くしている。
何故なら過去の結果に対して「HIDEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力を放棄しているからである。いわば「これは理想の社会ではない」と不満だけ言うクレクレ人士と同質であり、その空気が未来を担う若者にまで侵食しているという証が「日本HIDEE!」なのだ。
空疎な理想が蔓延した先に待っているのは、ひたすらなる現状否定(=現状に不満のある自己の肯定)だけなのである。
現状を否定したいからコピペ化させてまで日本のひどさを再確認したいのか(再三言うがキミが日本をくさしたからといって日本がよくなるわけでもないしキミがすごいわけじゃもちろんない)、未来を夢想するから否定してしまうのかは卵と鶏の話になるが非常に危ない状態であるのは間違いない。
それだけじゃない。「日本HIDEE!」の怖さは他にもある。そして、それは何千年にも渡って文明を発展させてきた我々にとって断じて否定しなければならないものだ。
「日本はHIDEE!」「日本に生まれて恥ずかしい」……これは立派な差別主義の萌芽である。
これは「(歴史的に)日本はHIDEE!」「日本に生まれただけでそれは罪」「(自分は直接してなくても)日本人の俺は罪深い存在」という含みが入っている。それはそれぞれのアイデンティティーを大切にしようという今の国際状況からじゃ考えられないものだ。キミたちはフランスが大革命を起こしたというだけで今のすべてのフランス人に肯定的になるべきか? ドイツがナチスを生んだからといって今のすべてのドイツ人を否定すべきなのか?
何にも考えずに差別主義を隠さない国がどうなるかなんて明白だ。滅亡に決まっている。
もっと言おう。この「日本HIDEE!」は同じキミたちが嘲笑う血統主義と同じである。何故か?
それは血統主義が人間の資質は血筋によって決まるとしているからである。この「血統がいいんだから私もすごい」という考え方はそのまま「昔の日本人が悪いことをしたんだから今の日本もひどい」と一緒だ。どっちも根拠無く自分の在り方/責任の立脚点を個人と関係ない血筋に置いているのだから。さらには血統主義は「前の代が偉かったら次の代も偉い」というのと同時に「前の世代がダメだからこいつもダメ」という考えを孕んでおり、これはほとんど「罪は遺伝する」という非合理的な主張と一緒だ。「日本HIDEE!」は「日本人だから謝らなければならない」という転化をし、これは間違いなく「国的絶対差別」だ。
以上のように「日本HIDEE!」は絶対に認めてはいけない思想なのである。キミたちはこのテンプレを読む前に本当の自分と向き合い、どうやったら自分を承認できるか、どうやったら自分の嫌なものをただ忌避するだけでなく自分を変えられるか考えた方がいい。そして自分が満足できない状態ならば「日本HIDEE!」などという単なる転嫁、自分の嫌なものは叩けばいいという後ろ向きな考えを捨ててこれからの日本がさらにすごくなるように努力すべきだ。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/081016/lcl0810161139000-n1.htm
この騒動から何となく思いついたことを書いてみる。
郊外の農村にある実家の近くで高速道が建造中でなんだかなぁと思う
田んぼのど真ん中突っ切ってるし、つつがなく進んでるからこれとは問題が違うんだが、見てくれが悪くなったり、実際に効果があるんだか怪しかったりとうー・・・んと思う。議員さんやら商工会みたいなところは乗り気みたいだけどさ。
経済活性化を担うにしても旧町単位でショッピングモールができまくってる過当競争の現状があるし、そもそも兼業農家が多い中で農業に何か意味あるとは思えんし、あとはベッドタウン化するくらいしかメリットが思いつかない。ベッドタウン化しても無策なら若者は20-30年後には出て行くだろうから諸手を挙げて賛成とはいかないしと。
そんなことなら反対していれば良かったじゃないかと言われるかもしれない。けれど、そもそも私が子供の頃以前に決まったことでどうしようもできないし、仮に反対したとしても若気の至りでもっと単純な主張だったろうし、「子供を政治に巻き込んではいけない」世の中だからね……選挙権を持っておかしいと思っても橋脚がずらーっと並ぶ光景を見ると諦めに似た思いがする。
だから、20年後辺りにでも無用の長物となったらどうすんだろうと考えてしまう。日本の歴史を見ても大型公共事業の失敗や波に乗れなかった事例なんていくらでもある訳で、高速道が即公共性の高い事業とは判断できないだろうから。失敗した場合、合意がなされたならまだしも、所有権・利用権を否定、強権発動してまで造ったものの価値って何なんだろう。成功すればいいの勝てば官軍なんだろうか・・・・・・・
「中国4000年の歴史」というのは、なんかのCMのキャッチフレーズだったものに過ぎないです。
中国の歴史は60年ぐらいしかありません。1949年に建国されました。それ以前は「別の国家」があの大陸を支配してました。
日本の歴史は、それぞれの解釈によって異なると思いますが、自分は「2000年」と認識してます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418869259
269 :日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:10:10
印鑑になんて文字が書いてあるの?
あと当時の中国大陸にはいくつの国があってどの国と交流があったの?
70.「中国4000年の歴史」は虚構だ!! 中華帝国の幻想(2000.5.7)
(本文略)
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/chinese_empire.html
百歩譲って中国の歴史は1912年(中華民国建国)からの85年です。
では、黄河文明などはどうかって?それは「支那」の歴史であって「中国」ではありません
中華人民共和国って1949年に建国したので60年弱の歴史しかないのに、なんで...kstkikaさん
中華人民共和国って1949年に建国したので
の歴史とかいう風説があるのですか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149374229