はてなキーワード: とっぴんぱらりとは
俺は十年も前、思春期に考えた。
思春期に彼女が出来ないような人間は後から何しても無駄じゃん、と。
よく、「学生時代に冴えなかった奴が社会的に成功して逆転」みたいな話があって
だから頑張れ人生はこれからだみたいに励まされるしそれは正しいんだけど、
「本来異性に好かれないような人間が財産や地位を築き、そういうのに寄ってくる異性と付き合う」
醜いよね。社会的見下しの対象でもある。
(よく世間的な揶揄の対象になるのも、「正しいカップル」より一段以上低い・卑しいものだからだろう
「正しいカップル」最上位は勿論、若く互いにホルモンに突き動かされて付き合ってるような2人)
まずこれ目指して頑張るっていうのは俺は気力が湧かなかった。
一番恋人とか欲しいのは十代から二十代の初めまで。 精神的にも肉体的にも。
二十代後半だの三十代だので異性に寄ってこられてもそもそもあんま嬉しくなくね?
少なくとも嬉しさ十分の一ぐらいかそれ以下だよ、思春期だったらに比べて。
また、その異性が同い歳前後だとすると、言っちゃなんだけど、相手の市場価値もがた落ちした頃だよね。
取引が成立する頃にはもう取引をする動機がかなりうせてるんじゃないかと予想した。
最重要。
だって、金や地位でひきつけた異性なんて、本当は俺の相手なんかしたくないわけで。
俺と居る間ずっと打算や仕事気分でいる人が欲しかったんじゃない。
俺のプレゼントを即効で換金して本当に好きな人にプレゼント買う異性にプレゼントしても楽しくない。
と考えるとこんなの全然、わざわざ獲得する価値がないモノとわかる。
(シミュレートすると、愛人作ってガッハッハというタイプの男のマッチョさは想像を絶する
相手が腹で自分を好いてなかったり憎んだりしててもそんなのお構い無しで楽しんじゃうんだから)
こういう予測を十代の頃に立てて、
(予測を立てたと言うかあらゆるルートの絶望が身に染みただけだが)
仕事や趣味は頑張ろう、しかし恋愛とかはすっぱり諦めて降りるしかないんだ・・・と決めた。
そして今二十代後半になった俺は、一応社会的ステータスのある資格の仕事についたけど
キリンですし元増田の言うことがよくわかる大人になっちゃいました。
とっぴんぱらりのぷう。
実際アレが本当に大元の元増田の肉付けだったとして、ではその肉付けをした上で増田に書いた意図を考えると、
「自分の性格」を理由に「子どもを作らない」ことは正しい判断であるっていうのを他人に肯定してもらいたい
という期待があったのでは? と考えられる
その場合、
「子ども持つかどうかは人それぞれの判断だし、今の時代子どもなしでも楽しんで生活できればそれでいい」
みたいな流れは、母親に孫の顔を見せないという復讐を正当化することにも繋がるので元増田的には一石二鳥で大歓迎となる
逆に「孫の顔見せてやれ、恩返ししてやれ」という助言に対しては、「なに的外れなこと言ってんだ」と怒りをたぎらせ、
「自分はこんなに抑圧された、こんな過程があってこそのこの結果なんだ」と切々と真意を訴えることができる
(実際にはその真意を示唆する描写があるので正面からは訴えなかったかも)
ところがここで、子ども持つか持たないかの判断の源すなわち骨の部分である恨みやトラウマにまで切り込まれてしまった
その際まるで自分の恨みや憎悪に無自覚であるかのように扱われたのが(なぜか他人である解説者らの)癪に障ったのだろう
当然だ、真意という骨に肉を巻いて意図的に皮肉に仕立てていたとしたらその憎悪と恨みに苦しんでいないはずがない
いわば傷口に塩を擦りこまれたも同然の指摘記事がついたのである
かくしてわざわざ他人のネタを懇切丁寧にネタばらす人が出現したのであった、とっぴんぱらりのぷう
解説者のいう「文章として面白みがないから肉付けを行った」という解釈はあまりよろしくない
面白いかどうかは主観の問題なので退けるとしても、肉付けを行ったことで背後に隠された「骨」が新たに展開しているかというとそうも言えない
骨すなわち真意が展開するとは、書き手の中でその恨みやトラウマがどのように昇華したのかが示されるということを指す
元記事において恨みやトラウマはまったく昇華してはいない、元増田は依然として母親の「教育」の影響下にあり、意趣返しこそ為したが何ら救われていない
「文章として」楽しむのならばそこで救いを生じさせ、感動を生むことを狙うのは定石である
この文章は定石を打っておらず、また定石を超えた独創的な結末を持っているわけでもない
よってつまらない。つたない。肯定的な評価を与えるための理由が無い。
骨である恨みつらみやトラウマをそのまま露出させれば得られたであろう「生々しさ」という面白さすらない。
例えばブコメにも「のろいがえしー」のような読みが普通に転がっているわけで、やっていることは増田記事での指摘と同じなのに、
何がどう琴線に触れてこんな大爆発に至ってしまったのかは不明。しかもその琴線の主は解説者であって元増田ではないときた。もう何が何だか。
ああ。ひまだな、自分。
http://anond.hatelabo.jp/20100324210157
思春期に彼女が出来ないような人間は後から何しても無駄じゃん、と。
よく、「学生時代に冴えなかった奴が社会的に成功して逆転」みたいな話があって
だから頑張れ人生はこれからだみたいに励まされるしそれは正しいんだけど、
恋愛とか異性関係については全然あてはまらないんだよね。
「本来異性に好かれないような人間が財産や地位を築き、そういうのに寄ってくる異性と付き合う」
1.客観的に醜い・見苦しい
醜いよね。社会的見下しの対象でもある。
(よく世間的な揶揄の対象になるのも、「正しいカップル」より一段以上低い・卑しいものだからだろう
「正しいカップル」最上位は勿論、若く互いにホルモンに突き動かされて付き合ってるような2人)
まずこれ目指して頑張るっていうのは俺は気力が湧かなかった。
2.時期のズレ
一番恋人とか欲しいのは十代から二十代の初めまで。 精神的にも肉体的にも。
二十代後半だの三十代だので異性に寄ってこられてもそもそもあんま嬉しくなくね?
少なくとも嬉しさ十分の一ぐらいかそれ以下だよ、思春期だったらに比べて。
また、その異性が同い歳前後だとすると、言っちゃなんだけど、相手の市場価値もがた落ちした頃だよね。
双方向から時機を逸する。
取引が成立する頃にはもう取引をする動機がかなりうせてるんじゃないかと予想した。
最重要。
だって、金や地位でひきつけた異性なんて、本当は俺の相手なんかしたくないわけで。
俺と居る間ずっと打算や仕事気分でいる人が欲しかったんじゃない。
俺のプレゼントを即効で換金して本当に好きな人にプレゼント買う異性にプレゼントしても楽しくない。
と考えるとこんなの全然、わざわざ獲得する価値がないモノとわかる。
(シミュレートすると、愛人作ってガッハッハというタイプの男のマッチョさは想像を絶する
相手が腹で自分を好いてなかったり憎んだりしててもそんなのお構い無しで楽しんじゃうんだから)
こういう予測を十代の頃に立てて、
(予測を立てたと言うかあらゆるルートの絶望が身に染みただけだが)
仕事や趣味は頑張ろう、しかし恋愛とかはすっぱり諦めて降りるしかないんだ・・・と決めた。
そして今二十代後半になった俺は、一応社会的ステータスのある資格の仕事についたけど
キリンですし元増田の言うことがよくわかる大人になっちゃいました。
とっぴんぱらりのぷう。