初期Quick Japanって、大泉実成など、弱者に寄り添う感じもあったのに、イジメ紀行みたいな醜悪なやつもあって、なんだったんだろうね。赤田祐一は弱者に近いと勝手に思ってたから、あの感じはなんか意外だった。
小山田圭吾の過去の精算の余波で、久しぶりに赤田祐一でてきたらいいのにな。いまこそロングインタビューだと思うけど。読みたい。
あと、赤田祐一後のQuick Japanといえば、いろいろ面白いことやってたにもかかわらず、大塚幸代のイメージだけがつよい。本当にキモかった。でも、あのキモさは、小山田圭吾インタビューのキモさに通じる。後に、ああいうキモいライターの箱になったことを思うと、小山田圭吾の記事みたいなのがでた風土はQJらしさだったのかな。
まあ、当時から、「消えたマンガ家」だけ立ち読みして、あとは特集によってたまに買う、というくらいにしかハマれなかった程度の自分の感想です。当初は、自分達の世代&サブカルチャーを代表する雑誌にならないかなと期待してたけど、期待ハズレでした。
💩『💩 = 💩』
軽度のイキりやで😷
『誤解は解かねばならないし、主張は通さねばならないッッッ!!!』マンかぁ、たいへんそうねぇ~
オリンピックやるんだったら俺たちも自由に遊ぶぜ、といっている人たちはその結果コロナにかかっても仕方ないと思ってるの?
コロナにかかったら苦しい思いをするのは自分自身なんだけど、そのあたりどういう理屈で行動しているのかが最近はすごく気になる。
あの事件をどうすれば作品に昇華できるのか2年考え抜いた末にたどり着いた見せ方だと思う
まんが道的な要素であの事件で理不尽な死を強いられた被害者にも
これだけの人生の積み重ねがあったはずだということを浮かび上がらせ、
自伝的要素を入れることで表現者としてそれを語る必然性をもたせているんだよな
おつ。目を瞑って、そうだなー、好きな歌を頭の中で歌ってみるとか。 2 曲で 10 分くらい
ってゆう友達がいたら、理不尽に被害者になってくれてたら、私の気持ちも少しは晴れたろうに、と思いつつ今日も仕事をするのです
という話やな
最近の関係ない人にも衝撃を与えた事件引っ張り出して自分が関係者だったら、友達いなかった私は最強に運がいいんじゃね?いまの寂しさは人を救った青鬼気分だぜ、って話でしょ
ねれない