2013-02-08

ブラック会社職業倫理

仕事柄、色々な会社を見てきて、中にはここ入れてくれないかなーと思うくらい良い会社も多々あったけど、

大抵はどこも大変だなーという感想で、そして一部に何故ここに人がいるんだろうというところがある。

 

いわゆるブラック会社だ。

内情は様々だが、極まると似た形になるのは何でも共通している。

ブラック会社の標語・理念・訓示・規程は文句の付けようが無いほど綺麗に作られているか

もしくは全くないか過去形骸化した)のどちらかであることが多いように見える。

必然というか、内情もその2種に合わせて収束する。

 

後者社員日雇いのごとく入れ替わるので、

悪影響は少ない(短い期間にトラウマを植え付けられるケースもあるが)。

見ていて悲惨を感じるのは前者だ。

 

まずトップ教育熱心である理想を語り、あるべき姿を定める。

大きな会社出身であることが多く、規則など細かい部分まで決める。

そして新卒が大好きである

 

この辺りの感覚処女信仰に近い。

有体に言ってしまえば、他と比べられないという安心感を拠り所としている。

自分色に染めやすいのだ。

 

新卒だけでなく、未経験の中途もよく採用する。

理由は同様だが、愛され方には不思議と差が出る。

意図的かはともかく、古代ローマ外交のような効果を発揮している場合もあって感心したことがある。

いずれにせよ、社会人としてまっさらな頭の中に崇高な理念職業人像が叩き込まれる。

そして遠からず、理想現実乖離を知る。

不幸なのは理想現実ギャップについて未経験ゆえに評価が出来ないことだ。

そういうものだと言われれば、そういうものだと思うしかない。

さらにそういう会社は「社員の成長に期待」して重要仕事責任とセットで新人に任せることが多い。

新人は任されたことによる自尊心責任感が相まって、

失敗を犯した時も上手くいかないのは自分が足りないからと考えるようになる。

 

ブラック会社本質職業倫理にこそあると言っていい。

その社員の多くは、仕事に対して非常に誠実だ。

そしてその誠実さゆえに仕事から逃げることが出来ない。

彼らに辞めるという選択肢はない。

どれだけ会社に不満を持っていようと、顧客仕事に罪は無い。

仕事自分の問題だ。

であれば、自分がやるしかない。そう考えるのだ。

それで儲かっている会社であれば、成長の中で法と向き合う機会が遅かれ早かれあるのだけど、

ゼロ~低成長の会社場合、その状況がいつまでも続く。

ある程度外部と付き合いのある仕事であれば気付きを得て抜け出すこともあるが、

その機会を得ることなくいつまでも抱え込み、身体や心を壊す人は少なくない。

こう大雑把に括ってしまうのは好みじゃないのだけど、やはり日本的な問題なのかなと思う。

宗教人権思想、そして法が強固に結びついている欧米と違って、

日本場合、規則よりも法律よりも職業倫理が上に来てしまう。

法をいくら変えようが、より正しいものがその上にあるのでは、実態は何も変わらないのではないか

 

去年の労働派遣法に続き、今年は労働契約法の改正があるが、

単に契約構造が変わるだけでそれ単体では余り効果は無い様に思う。

考え方を変えなければ、いつまでもこの問題は残り続ける。

仕事は尊い。素晴らしい考えだ。だが、そこに付け入る悪が野放しになっている。

悪と認識されてすらいない。何が悪かを誰も知らない。

経営者哲学を語る偉い人の本はいくらでもある。

でも、そんなの読まないでもわかるだろう。

過労で倒れる。鬱で出社できない。業務中に泣き出す。わけのわからんミスを繰り返す。

わかりやすアラートがいくつも出てる。

近頃の若い者はとか言う前に気付いて欲しい。

尊いはずの仕事が人を壊している。その異常に。その仕組みに。

 

 

過去、「会社は誰のものか」という議論が活発にされた時期があった。

資本家のものなのか、労働者のものなのか。

 

会社」を「仕事」に置き換えてみるといい。

問題は全く同根だが、

当時「会社労働者のもの」といった人達は「仕事労働者のもの責任)」と言うだろうか? 

会社資本家のもの」といった人達は「仕事資本家のもの責任)」と言うだろうか?

 

ブラック会社経営者と従業員に聞けば、両者とも正反対の自己矛盾した意見を言うはずだ。

経営者は「会社は皆のもので、仕事経営者責任だ」と言い、

従業員は「会社経営者のもので、仕事自分責任だ」と。

 

なんと美しく完成された拷問装置だろう。

誰かに意図的に作られたわけではなく、

法と倫理エアポケット自然進化したバケモノが、全国に何千何万と存在している。

 

 

別に本人たちが納得しているなら、口を出すのも余計なお世話のように感じられることも、なくはない。

だけど、過労で倒れ、心労で鬱になり、

短期で転職もしくは履歴書にスキマを作り、またそういう会社に吸い込まれていく、

そんな仕組み(ブラック会社スパイラル)が年収300万円時代の正体(の一部)だとしたら、

それは止めるべきだろう。そのために、口を出さずにはいられない。

 

 

はいっても、どう止めるかについては、無責任意見しか言えない。

上の例に自分が当てはまると思うなら、さっさと辞表を出せというくらいだ。

クライアントや同僚のことは、ひとまず脇におく。

脇に置けないなら、長期的にはその人達のためと思えばいい。

ブラック会社仕事クオリティは、その職業倫理に反して得てして低いのだから

 

まだ先はわからないが、政権交代後、景気は上向きつつある。

労働力市場も売り手に力が戻りつつある状態だ。

希望年収を聞かれた時も、臆してはいけない。

誇張してもいけないが、それが正当な対価と信じる額を言っていい。

それがブラックから抜け出す第一歩になる。

 

 

そういうものだと言われ、そういうものだと思っている。

仕事は辛いもの人間関係理不尽もの、我慢は美徳理想理想

あほか。身体や心を壊す常識が正しいものであってたまるか。

辞めろ、さっさと。選択肢がないなんてのは思い込みだ。

履歴書職務経歴書を書いて、転職サイトに登録して、

近所のダーマ神殿ハロワ)に行くんだ。

恥ずかしがらずにキャリコンに相談して、可能性を整理してもらえばいい。

そこで卑屈にならずに他の世界を見ることができれば、きっと世界が広がるはずだ。

 

多分。

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