いろいろ向精神薬を飲んでるけど、どうにも改善しなくて行き詰まってる。
2車線をちんたら蛇行運転をして走行を妨害していた。
程無く車線が空いて、何台かが珍走団を追い越していくのに俺も続いた。
それが気に食わなかったのか、ちょうど俺の前に珍走団の一匹が邪魔しに車線変更してきた。
アドレナリンが分泌されて気分が昂揚していくのを感じた。
これ、この感じだよ!
こいつを轢き殺したらこの停滞した日々を抜け出すことができるだろうか。
そんなことを考えながら走っていたら、なぜか珍走団が道を開けてくれて、そのまま彼らとは別れた。
殺したい。
でも、殺したらいろいろ失ったりするのかな。
殺して欲しいのかと思ってちょうどいいのが来た、とか思ってた。
そんな日。
診断書のあるなしはともかく、「集団生活」という名のもとに一蹴されたことを言ってんでしょ。
診断書があれば個別対応してくれるんならそうしてるし、保育所だって最初からそう説明するだろうし。とはいえ、保育所はあまり進んでそういうことしたがらないのは事実。どこも似たようなもん。
喘息じゃなくたって、風邪の治りかけとか、元気だけど外遊びさせるの躊躇することあるからね。自分が休むほどじゃないけど安静にはさせたい葛藤。
ものすごく横になるけど、うちの子は肌が弱くて、虫刺されとかすぐ掻き壊したり刺されたところが腫れて硬くなったりするんだよ。しかも刺されやすいときた。夏なんか可哀想で。虫除け塗っても効き目ないし。
保育所とか学校は“医療行為”しちゃいかん、て法で定められたらしく、昨今は学校で痛み止めひとつもらえないらしい。
なので、保育所ではほとんどの薬を拒否られる。明らかに1回分、て判るもの(処方箋でもらった薬に限る)だけ預かって飲ませてくれるけど、おむつかぶれの塗り薬とかはまずダメね。“1回分”をどのくらい塗るか、保育士が判断することになるものは受け付けてくんない。塗り薬1回分ずつ小分けして、塗る時間指定すればやってくれるらしい。機械的に。
それこそなんかあったときに責任とれないから、ってことらしいんだけどさ。塗り薬の件とかアホかと思うけど、まあ言い分は判る。
うちの子はすごいひどかったの、肌。ステロイド入りの軟膏処方されたくらい。
で、医者が診断書書いてくれた。虫刺されのとこ薬塗ってやって、外に出る直前に虫除け塗って、って内容。
その診断書、保育所に出して、よろしくお願いします、って頼んだの。
したら、その診断書、突き返されたよ。
増田とおんなじ理由。「集団生活なので特別対応できません」って。
愕然としたよね。
医者の判断より、保育所の都合が優先なんだな、って、すげえ憤った。
診断書関係ねえんだよ。
“医療行為”でなんかあったら困るから、っていうけど、じゃあ“集団生活なので”っつーので保育所来てんだから咳してようが鼻水たらしてようが問答無用で外で遊ばせて、そんで悪化してたとえば入院するくらいになったらどーすんだ、ってのは気になる。
完治してないのに連れてきた親の責任なの?
保護者が「今日は外で遊ばせたくないな」と思ったら、仕事休めってか?
保育所って、働いてたりして保育できない保護者の代わりに保育してくれるところなんじゃないの?
保育所に過剰な期待しすぎ?
ほんとさ、誰か教えてほしいよ。
人は人にじゃけんにされるために生まれてきたんじゃない
それでも人は生きていくしかないのだ
それを辛いと思うかくすぐったいと思うかで、気の狂い方が違ってくる
消えたあとの迷惑を考えて消えられないうちは、消えたりなんかできやしない
いっそ、ナイフのような言葉で突き刺された方が、条件反射的に居なくなれるのだ
ラクをするのは大変だ
寝るに限る。休暇が足りてないんじゃないか。休息が必要なので連休をとる。
明日はじっくり寝る。無理はしない。
本当に考えなくてならないことは考えてるはずなので、忘れてるなら気にしない。
あとは友達でもいいと思うけど。
ネットで見ていて、色んなことが言われておりなんだか非常に滑稽に感じたから。
厳密に言うと、引き寄せの法則というよりは、思考はあなたの現実を形作っている、と言い変えた方がいいと思う。
考えてみてほしい。あなたの今の現状は、絶対に想像出来なかっただろうか?
現状を一度たりとも思考しなかっただろうかと。
恐らくほとんどの人は「確かにそう考えてこともあったかもしれない」と思うだろう。そう考えていたことが現実になっているだけだ。
全ての人間のこの引き寄せの法則は働いていて、今もその法則というか、思考によって世界は動き形作られていくのだ。
ではどのような方法で、どうすれば引き寄せられるか、というのが一番知りたいところだろう。
しかしながら伝えるのが中々難しいし、万人ができるかというとこれもまた難しい。
だから引き寄せの○○とかに書いてある本は、細かくではなく大まかに書いているのだと思う。
簡単な方法を一つ。
1冊のノートに叶えたい願望を書く。
例えば トヨタのプリウスが欲しい。仕事をして5年後は認められる。とかである。それを常にでは疲れるので
思いついた時に見る。色々書いてみよう。
2,3年後にみかえしてみると、結構な多くのことが叶っていることに気づくだろう。これだけでも多分やったことのない人からすれば凄いことではないだろうか。
そしてこの手の願望で叶いにくいのが
彼女が欲しい、セフレが欲しい、10億欲しい、結婚する等である。
引き寄せの法則で、実現する、ことは実現するのだが、多分いきなりこういう思考を持ちそれをノートに書いても現実化しない。
じゃあどうしたらいいんだ!と思わずにまずはノートに書いてみよう。
50%以上は叶うから。
結婚したい、美人になりたい、3億当選するとかの欲望丸出しの引き寄せ法則の話は
ややこしいので気が向いたら書きます。
その「無意識に理想が高い人」を書いたyuhka-uno(宇野ゆうか)だけど。
「無意識に理想が高い」というのは、色々あるんだけど、一言で纏めて言うなら、今の自分にできないことをやらなければならないと思うのは、全てにおいて理想が高いということなんだよね。例えば、骨折してるのに走ろうとするのは、理想が高いです。
なんというかな、本人の中では、言われた注意が全部並列なんだよ。本当は、どんな仕事でも、言われた注意の中には、「できればした方がいい注意」というのと、「守らなければ致命的な注意」ぐらいの区別がある。で、このタイプの人は、いわゆる「無駄に真面目」なので、この二つを区別することができない。言われた注意は、全部、確実に守らなければならない絶対命令だと思ってしまう。
(中略)
ある時、もう、真面目になるのを諦めて、「不真面目になろう」、「人の話を逆に全く聞かないようにしよう」と思った。一旦、全部の注意をまっさらにして、自分が他人だったときに論理的に考えてやられると困るミスから潰していくようにした。
人に助けを求めるという行動は、
じつは、強いとか、弱いとかの問題ではなく、
自分の危機的状況を、把握する力と、
その危機的状況を救えるのは何かを、
判断する力の問題です。
そしてさらに、その判断に従って、実行する力の問題です。
(中略)
というのは、
この「迷惑をかけたくない」
という気持ちが、強すぎると、
ぎりぎりまで、ひとりで頑張ってしまうので、
最悪の事態になって、初めて助けを求めることにります。
すると、
「迷惑をかけたくない」と言いつつ、
だいたいこのリンク先に書いてある通りかな。