2011年08月29日の日記

2011-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20110829215140

ネタ要員、お笑いで言うところのボケ担当しているのと

自分の駄目なところを投影しやすくなってて、キャラを愛でながら自分を愛でる事ができるようになってるのが

知的障害者っぽいキャラが人気な理由だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20110829215305

むしろ女性社会進出を後退させ、なにがなんでも男に寄生しないと生きていけない状態にすべき。

そうすれば子だくさんで国家の将来は明るい

http://anond.hatelabo.jp/20110829212902

パヤオ系か。

これはどうなんだろう。

困難に立ち向かって子供が成長していく成長物語が好きなだけにも見えるしなぁ。

そもそもリアル子供見てたらそんなに完璧主義のまま子供好きではいられないでしょう。

http://anond.hatelabo.jp/20110829214345

てか、最近の適齢期が上がり過ぎなんじゃね? ひいひいばあちゃんは14歳で結婚したし、ひいばあちゃんは18歳だったそうだ。ばあちゃんは24歳で、かあちゃんは、えーと27歳か。

今の法律でも16歳で結婚は出来るんだから、真面目に交際すればいいんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20110829180518

K-POPMaxが劣化したような感じだから、聴いてるだけで辛いものがある

http://anond.hatelabo.jp/20110829214847

実際、キモオタ系の文化では知的障害者みたいなキャラが好まれるよな。あれはどういう嗜好なんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20110829213417

征服感がめっちゃ満たされるよね。

んで制服も持ってこさせて、着せてから

自分パンツだけ脱がせて~ってね。

もちろん妄想だけどw

http://anond.hatelabo.jp/20110829213302

この感覚は実際にやったことないとわかんないよなー

俺はやったことないんだけど

http://anond.hatelabo.jp/20110829210542

別に成長とかどうでもいいけど。どうせしばらくやってバイバイだし。

実際のJCとかの肌のスベスベ感とキツキツ感、

無知な子だと何でも言うことを聞くからリアルオモチャに出来るし。

そういうのを実際に体験するとほんとたまらんよ。

もちろんネタだけどwwww

http://anond.hatelabo.jp/20110829210542

社会や困難に立ち向かっていける強靭さとか完全さみたいなもんをロリに求めてるロリコン結構いる気がする

子供は醜悪だ

子供は醜悪だ

我が儘で嘘つきで、それを自分の中のへりくつで決して曲げようとはしない

自分の損得をすかさず勘案して、不味いことは隠し通そうとする

何より自分を最優先に考えて、他人のことなど殆ど気にも止めず、奪ったり殴ったりも躊躇がない

大人は、それを出来る範囲が小さいからと、まるでないものように判断するが

子供本質は大人よりも醜悪だ

http://anond.hatelabo.jp/20110829210542

ロリではなくとも子供純粋さには心惹かれると思う

成長してはダメというのは、成長するとダメになるという思い込みがあるからであって、

それを取っ払って考えればロリコンの言ってることは普通に理解できること。子供のような純粋な大人に惹かれる人は多い。

ただロリコンって別にそれだけで幼女が好きなわけじゃないからな。

社会によって汚された醜い自分が汚れていない純粋存在を汚すことで社会への復讐を果たすとか、

そういうねじれまくって何がなんだか良くわからないものもあったりするから

http://anond.hatelabo.jp/20110829210436

セクトという単語意味がわからないけど、まぁ三十路近いんでおっさんであることは否定できない。

純ジャパという言葉はなんか新卒就職したときに同期が使ってるのを聞いて認識したな。

http://anond.hatelabo.jp/20110829174716

君はリア充なんだね。きっと。


きっとロリコンの発想は

社会がは汚い⇒社会適応して生きている大人は汚い⇒社会適応する前の純真無垢な子供なら綺麗!!!

という事なんだと思う。

最近オタクロリコンカルチャーだとわかりにくいけど、昔の少女趣味の時代だと

子供軟禁して社会の風に当てずに、汚れないまま育てていく(飼っていくと言った方が適当かも?)話がけっこうあったもの

大人の身体に、世間ずれしてない綺麗な子供の心っていうのもある種の人たちにとっては理想なのだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20110829193857

それはそういう環境からそういうふうに適応したんじゃないのかな。

環境が違えば結果が変わってしまうというのなら、元増田の言う方法ではコミュ障が治らない人も出てくるって事にならないか

結果が保証されないんだからコミュ障を治すアドバイスとしては使えない。

http://anond.hatelabo.jp/20110829180518

私としては、本国でもたいして人気なさそうなのが気になる。


日本に軸足を置くつもりなら、もうちょっと日本語勉強してBoaローラ並みには話せるようになって欲しい。

http://anond.hatelabo.jp/20110829204636

違う違う。俺は下流生まれだよ。パチ屋リーマンの息子(純ジャパね)。

高校時代くらいまでは周りも似たようなもんで、その頃の同級生が勉強してないのは納得できる。

大学以降の、俺よりずっと良い生まれの上流な人達も段々勉強しなくなってきてるんだよ。

そこの話をしてる。

http://anond.hatelabo.jp/20110829202316

はあ?

それは君が旧帝大に通う程度に偏差値が高い=育ちがいいからでしょ?

いやー格差怖いわーこういう無理解な富裕層まじこわいわー

他人のためではなく自分のために生きる

自分のために生きるというと誰だって自分を一番大切にしてるし自分のために生きてると反論してくる人がいる。

しかし、自分のために生きるというのはそんなに簡単なことではない。

自分のために生きるというのは、自分幸福になれる行動を常にするということだ。

たとえば、お金を稼ぐために嫌な仕事をやる。これは自分のために生きていることにはならない。休日自分趣味を楽しんでるといっても、それはその日だけ自分のために生きているということにしかならない。

たとえば、両親の介護のために自分のやりたいことを我慢する、これも自分のために生きていることにはならない。

じゃあ自分のために生きるには他人をないがしろにしなきゃいけないのか、他人の幸せを踏みにじってまで自分のやりたいことをやるのが自分のために生きることなのか、という人がいるだろう。

そうではない。

自分のために生きるからといって、他人を不幸にして良いことにはならない。他人を不幸にしないというのは、自分のために生きていれば自然に達成されることだからだ。

他人を利用して自分利益を得られるように行動している人を「自分のために生きている人」と言うのは間違いである。彼は自分のために生きてはいない。

他人を不幸にすれば、そこには必ず・どんな人間であっても「痛み」を感じるからだ。その痛みを感じないようにどんなに訓練しても意味が無い。もし訓練の結果、他人の痛みを感じなくなったとしよう。すると今度は自分幸せを感じることが出来なくなってしまう。他人の痛みを感じることは、人間人間らしく生きる第一条件だからだ。

他人を利用してまで自分利益を得ようとする人は、そこに発生する他者の痛みを無意識に押し込めているだけでしっかりと感じている。自らが痛みを感じることをする人を「自分のために生きている」といえないのは明白だ。

自分のために生きるとは、自分も他人も全ての人が幸せになれるように生きることである

両親の介護のためにやりたいことを我慢しなきゃいけない、ともし感じているのなら、それはその人のやりたいことというのを優先するためならば誰かを不幸にしてもいいと思っていることだ。

結局のところこれは考え方を変えるということに尽きる。両親の介護という新しい生活を楽しめば、「我慢」は必要なくなる。それに、全く自由な時間がとれないわけでもない。

自分を痛めつけないことも、自分のために生きるためには重要なことだ。

やりたくないことをやる、誰かの言うことに盲目的に従う、そういったことはストレス病気に繋がり、自分自分人生を生ききれていないことを教えてくれる。

他者のためを思ってやることというのも、一見すると善意に見えるが、その背後にあるのは自分善意で相手をコントロールしようとする「エゴである

また、他者に何かを期待するのも、他者をコントール、自らの支配下に置こうとする姿勢である

他者ではなく自分が何をやりたいのか、それを明確にするのが第一だ。そして、他者が求めていることに応えるのが第二。

他者に奉仕することは自らを奴隷とすることではないかという反論もあるだろう。しかし、それも考え方の問題である

そもそも他者とは鏡に映った自分である。他者に奉仕するとは自分奉仕するということ、自分奉仕するということは自分を癒すということ。

全ては自分のために生きるためだ。奴隷と言う発想は他者を「自分に危害を加える存在」としか見ていないから生まれてくる。

自分であるところの他者についてそう思うということは、自分を信頼していない、自分への不信に繋がる。だから、他者を信頼できない人は外的なパワーを求める。代表格は金だ。

自分人生を100%生きることが出来れば、恐れも不安も消え去る。それは世界幸福に満ちるということを意味する。

http://anond.hatelabo.jp/20110829191447

そうなのかなあ。

学生時代はみんな勉強してた気がするけどね。

これが大人になるということなのか…と思ったりする。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん