はてなキーワード: リンネルとは
ツイッターをやっていると、フォロワーの絵師が「たくさんRTしてしまってすみません><」「最近絵を上げてなくてすいません!」と言っているところをよく見る
なんなの?何様なの?
私自身がキッズなので敏感に反応してしまうのだが、大人なフォロワーはこんな他人のどうでもいいことにいちいち反応したりしない。
私の憧れの絵師は、おしゃれな自炊の写真や旅行の報告、仕事の愚痴とかこそ言うがそもそも私みたいにツイッターに常駐したりなんてしない。し、自分のしたいようにやってフォロワーに謝ったりなんかしない(むしろ○○しないのか、などと言われてもきちんと丁寧に反論して自分の権利をガッチリ確保している)
私はそう言うスマートなSNSの使い方に憧れているから、意識的に何日かおきにしかツイートしないようにするとか、何か言いたいことがあるような時しかツイートしないようにしている。
なぜ自分がフォロワーに謝る絵師が嫌いなのか、実は明確に理解していないが「遠回しに態度がでかい」ことが気にさわるのかな…と考察している。(何かいい答えあったら教えてください)
あぁ早く大人になりたい。
ついこの間20歳になった。20代になればもっと大人っぽくなれると信じていたけど、いつまでたっても私は自分の理想に近づけない。落ち着きがないのが悪いのか?なぜ他人がこんなに嫌いなのか。
目につく他人の挙動にいちいち反感を抱くようになってしまってから、気にさわる相互をみんなミュートした。最近はもっぱら、他人との繋がりが薄いと評判のtumblrに引きこもって原稿作業をしているけど、大人になったフォロワーに訊きたい。どうやったら大人になれますか?大人っぽい発言をして、大人っぽい価値観のもとで誰も不快にせず誰かに憧れられるようなライフスタイルが出来ますか?
ブスが心置きなくオシャレ出来るジャンルこと、オーガニック系カジュアル界に舞い降りた天使である。
今まで宮崎あおいちゃんが長らく在籍していた、オーガニックカジュアルカーストの頂点の座を受け継いだ女性(と勝手に思っている)である。
佐々木希ちゃんにも似たハーフ顔で、スタイルもよい。国立大学出身で賢く、イラストもプロ並みにうまく、女優として演技も上手である。インタビューを見ても性格がよさそうで嫌味がなく、博識。自身で雑誌を刊行するほどのガッツもある。完璧、非の打ちどころなし。
ブスでも可愛くオシャレに見えるし、物はいいしで、私は数年前からクウネル・リンネルのファッションに傾倒していた。それこそ雑誌は宮崎あおいちゃんとか、タレントのはなさんとか、蒼井優ちゃんとか、雰囲気美人(失礼だったらスンマセン)の表紙が多くて、雰囲気を頑張れば私もきれいに見えるかも、と淡い期待を寄せていた。そこに彼女の到来である。
彼女が、まあそういう服の似合うこと似合うこと。やっぱり美人でスタイルがいいほうがなんでも似合うよねっていう当たり前すぎる事実をまざまざと感じる。思いっきりK.Oされ、嫉妬の抱きようもないのである。そのくらい完璧なのである。あそこまで美人だと、なぜこういうブスが好き好んで着ているファッションをしているのかも謎である。端正な顔立ちなので、奇抜なきのこみたいな髪型もやめて、普通のファッションしたほうがもっと似合うのではと思うときもある。
はてな村ではきっとこれから大人気だと思うから、嫉妬の垢まみれですが彼女の紹介です。知らない人は名前をググると天使がいっぱい出てきます。本当にかわいいです。朝起きたら彼女の顔立ちとスタイルになっていないかなあ…
「いわゆるサブカル系ロックバンドのファンに背が低い女の子が多い現象」といった記事を読んでも読まなくても、ほんわりと感じていたことなのだが、いわゆるキャスケット(wikipedia)をかぶって街を歩いている日本人の男女がどうもちんちくりんな外見の人が多いのは、なぜなのだろうか、という問題について考えてみたい。
太めで大きな体の男性がキャスケットをかぶっていたら、この帽子の丸いシルエットがうまくマッチして、なかなか愛嬌のある外見になるが、ほとんどそういう人はいない。キャスケットをかぶっている男性はほとんどがひょろっとした体型で、以下の属性に分けられる。
たくましいイケメンがキャスケットをかぶっている姿はまず見かけない。かぶっているのは大抵の場合、ひょろっとした体型で、顔の作りがあまり良くない男性である。そして、キャスケットに合わせようとしている服や靴のセンスはぱっとしない。
これは次のように説明できるのではないか。
もともとファッションセンスがあまり良くなく、外見にもあまり自信のない男性が、オシャレしてみようと考えると、なにか他の人と違っていて、オシャレっぽく見えるものとして、キャスケットという選択肢がある。が、体を鍛えておらず、猫背で、しかもトータルコーディネートの技術に長けてはいないため、キャスケットのみが目立つ。その結果、全体的に、貧相で、うさんくさく、むさくるしいというイメージが、意図せず演出されてしまう。
若くして禿げてきている男性が、減った頭髪を隠すために帽子をかぶるが、少しでもオシャレにしようとして、キャスケットをかぶっている。しかし1.と同様の理由で、トータルコーディネートがうまくできていないため、一種異様な印象を与える。
私自身の周りで、キャスケットをかぶっている女性は、男性よりもさらに顕著な外見的統一性がある。
彼女たちは総じて背が小さく、痩せていて、顔の造作は地味であり、また浅黒い肌の割合が高い。
上記の体型をした彼女たちがかぶるのは、男性よりも輪をかけてサイズの大きなキャスケットであり、低身長とコントラストをなして、ひときわ、ちんちくりんとしか言いようのない外観を呈する。
この現象は次のように説明することができるのではないか。
彼女たちには、男ウケのする、Viviやcancamに載っているような、ギャル系の服を着る選択肢は最初から与えられなかった。
次の選択肢は、リンネルやOZmagazineに出てくるような、ナチュラル系かつ文化系女子を目指すことだが、この路線でナチュラルビューティーを達成するには、相当なリサーチ力とファッションセンスを要する。
とはいえ、ジーンズに、中途半端なフリルがついた寸胴型のチュニックを着ているだけでは、喪女たちの中に埋没してしまう。
このようにしてキャスケットをかぶることになるが、そのことによって全体的なコーディネート力がアップしたり、顔の造作が変わったりするわけではない。もっとわかりやすく、オシャレ感を出そうとすると、キャスケットのサイズがどんどん大きくなる。
こうして、身体の大きさにキャスケットの大きさが反比例してゆく。
以上のことから、キャスケットをかぶるという行為は、男女ともに、もともとの外見やファッションセンスというリソースの不足を最大限に補おうとする努力の一端であることが伺える。しかし、彼(女)らはもともと、異性に見せるための服と割りきって自分の服を選んだり、髪型や体型を変えたりすることがあまり得意ではない。その結果、キャスケットをかぶるという行為は、一点豪華主義または局所最適化的な解答になっている。