はてなキーワード: エディ・レッドメインとは
エディ・レッドメインが主演のリリーのすべて。
あらすじはこう。
画家夫婦のアイナーとゲルダは仲良く過ごしていた。頻繁にセックスはすれど、子供はできない。
ある日、アイナーはゲルダに足だけのモデルを頼まれて、女性用のタイツ、ドレス、靴を身に着ける(女装する)。これによって、アイナーは隠れていた自分の性自認が女性だったと気づく。さらにアイナーは女装を続け、頻繁に男性と会うようになる(恋愛感情はギリギリなかった模様)。また画家業をやめてしまい、百貨店で女性として働き始める。
アイナーはゲルダを愛している一方で、自分はもはや女だから夫の真似事はできない、名前もアイナーではなくリリーだと主張し、さらには性転換手術を受けることを決める。
そしてゲルダはアイナーをいまだ愛している一方、リリーのことは受け入れられない。他の男性と会っていたことに対する嫉妬や、自分が愛しているのは画家のアイナーであることに葛藤しつつ、見た目こそ女装して性格も女性的になっているものの、本質は自分の愛したアイナーのままであることから、最後は手術で女性になることを応援する。
りゅうちぇるが完全に女性になりたいと思っていたり、もしくは女性になったとしたらどうだっただろう。
わりと状況はこの映画に似ていると思っていて、ぺこりゅうが完全な離婚(別居したりする)という形をとらなかったのは、長年の愛着と子供の存在、それからひとえにお互いの本質が好きだから、というところじゃないだろうか。
きっとぺこはゲルダみたいに悩んだと思う。大御所タレントたちにいろいろ言われ、夫としてやっていくと大見得切ったわりに、数年経ったらやっぱり夫って向いてないかも…とか言われたら腹立つだろうし。
ただりゅうちぇるの投稿を見るに、「夫」とか「父親」という名称で呼ばれるのが無理になっただけなんだろうな、と思う。
女と男が結婚する以上、男側は夫になるし、子供が生まれたら父親になる。
きっとりゅうちぇるはぺこにとってのただ1つの枠におさまりたかっただけ、ぺことの子供が欲しかっただけ。
夫とか父親という名称がなくてもぺこの大切な人で、大切な子供を守る人としてやっていけるのに、性自認と合わない名称に無理やり収められてしまうことが苦痛だったんじゃないでしょうか。
りゅうちぇる無責任だ!みたいな意見が目立つけれど、性自認なんていつ何がきっかけでどちらに傾くかなんて分からない。
もちろん結婚していないことでぺこが被る損失もあるだろう。
でもそこまで踏み込んだ話題はもはや我々外野が立ち入る内容ではなく、ぺこりゅうがよく考えたって言ってんだから放っておけばいい。
と増田は思うのです。
お前の言っていることは一方的な決めつけばかりで、何ひとつ客観的な根拠がない
「なぜそれが差別だと言えるのか」については一切説明せず、「とにかく差別だから疑問を抱くな」というクソみたいな主張
まあ俺は民主国家の人間だから、法がトランス女性を女性と規定するなら認めるけど
そうでない限りは「テメーらが勝手に言ってるだけ」でしかないし、お前らのやってることはローリングが自分の意見と違うから攻撃するという、およそ不寛容で独善的な行いでしかない
あなたは、トランスジェンダーの差別問題について考えたことがありますか? 私は、常にじゃないですけど、結構長い間考えてきた問題です。
いわゆるセクシャルマイノリティと呼ばれる人達が、差別を訴えてきたことは周知の事実です。
わかりやすい例で言えば、保毛尾田保毛男事件がありました。最早あんな表現は許されない世の中になっているのですよ。だから猛批判を浴びました。
差別問題というのは一般的には、過去から未来へと差別が解消されていくという流れです。
黒人問題など言わなくても分かる話ですし、女性問題だってそうです。或いは、ハンセン病で差別されたり、障碍者も差別されてきました。
日本国憲法にも、趣旨として差別してはいけないと書いてあります。
差別は人権問題なのです。そして人権というのは近代に確立された概念です。現代社会は民主主義社会であることが当然なので、人権は何より大事な概念なのですよ。
バカにするような言い方で申し訳ないですけど、あなたはそんな事もわからないのでしょうか?
ネットでは、トランスジェンダーの人はトランス様、セクマイ様と呼ばれて今もなお差別が当たり前です。
増田でも、トランスジェンダーの友人が差別に耐えかねて自殺したという話も過去に上がっていました。ホントかどうか知りませんけど。
では何故、ローリングの言っていることが差別になるのか。どうして、猛批判を浴びているのか。元増田中に上げたリンク記事の中にはローリングの発言への反応のほとんどが批判だったと書かれていますよね。
エマ・ワトソン、エディ・レッドメインもJ.K.ローリングの反トランスジェンダー発言を批判 | cinemacafe.net
トランスジェンダーの人、あるいはセクシャルマイノリティな人は、自分たちがそうなりたくてなったわけじゃないからなのです。
黒人等の人種や民族、あるいは上で上げたような病気もそうです、そうなりたくてなったわけじゃない、自分自身のアイデンティなのです。
トランスジェンダーの人は、成長するに連れ、生まれた時に言われた自分の性別に対して、どうしても拭えない性別違和に気づきます。
例えばトランスジェンダー女性は、男として育てられ、男の服を着せられ、学校などでは男の中で過ごすうちに、どうしても自分が他の男とは一緒だとは思えなくなってくるのです。
自分がおかしいと思っても、全くこの違和感が拭えることはありません。
そんな話今時なら、全く珍しい話でもなく、聞いたことあるはずです。
どんなに頑張っても、自分が男だとはどうしても思えないのです。
ですから過去、病気とされていた時代でも、治療は男性に認識させ直すことではなく、ホルモン療法や或いは性転換手術などによって認識に一致させる方向で行われてきたくらいなのです。
しかし2000年代以降、そうした人達をトランスと呼ぶようになり、出来る限りそのままで認めようという流れになってきたのです。
別にそのままでいいじゃないか、治す必要などない、と。そこで性自認という考え方を重視するようになってきました。その自認こそが性別であるというわけです。
ところが、一部の人は頑強にこれを認めないのです。
例えば、カナダではとある女性保護施設が、いわゆる生物学的女性しか認めないと主張したために、トランス側からそれは差別だとして襲撃されたりしています。その後、カナダ政府はトランス女性を排除しないように命じています。
今すぐ思い出せる象徴的な事例はそれくらいですけど、差別的に思われてきたことは保毛尾田保毛男が昔は容認されていたことから分かるでしょう。
まだまだ、差別解消の途上ですし、そんなに理解されているとは思いません。戸籍上の性別変更だって手術要件は消えていませんし。
だから、あなたのような人がいても不思議ではありませんが、頭の片隅にでも、そういう差別を言っている人がいるのだなぁくらいには理解してもらえたら幸いです。
レイチェル・ワイズのことをワイツと表現するのを珍しい、と思ってスペリング検索ついでにWIKIPEDIA見たが ”父の母語ハンガリー語ではヴェイス、母の母語ドイツ語ではヴァイスと発音される。レイチェル自身は、自分の姓の発音は「ヴァイス」であると表明している[1]。” 「否定と肯定」出ていた人だ。両親ともユダヤ系なのか。納得。
”ファースト・マン” は 女性キャラ(専業主婦)が弱いらしい (男女平等社会の実現を図る視点)
”ちなみに Netflix でも来月に配信される。” 予告編さらっていると ”Only in theaters” というアピールの作品もあって、時代の変革期だ。
”ジョエル・エドガートン監督” ザ・ギフトでも監督だったのか。個性的な顔の俳優という認識だった。
”LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ” エディ・レッドメインの出世作もそうだった。(ノミネート)
”『A GHOST STORY』” といい、ケイシーアフレックが#Metoo系スキャンダルで干されていないのはなぜなんだぜ