そもそも整形がずるいって誰に対してずるいの?
せっかく努力して(例:他のライバルを押しのけて)美形を選んで子供作ってみたら、
その子供はパートナーの「美形」たる部分を何も受け継いでいなかった。
あとで聞いてみたら、その「美形」たる部分は美容整形によるものだった。
その子供が遺伝的にできるだけ有利になってほしい、っていう潜在意識があるからじゃないかな。
人一人のリソースは限られてるから、そんなにたくさん子供が作れるわけじゃない。
せっかく作るなら、なるべくその人にできるベストのものをつぎ込みたいじゃん。
そういう観点で考えると、上のような事例が非常に高い確率で起こりうるわけで、
整形はやっぱりずるいよね。
特に、その人を選ぼうとするパートナー候補や、結果的に選んだパートナーに対して。
生まれてきた子供にも同じ整形をすればいい、という意見もあるかも知れないけど、
少なくとも安全に整形が受けられる年齢に成長するまでは、
そのパートナーの落胆は簡単に回復しないと思うよ。
全然大変じゃないよね。
金もらえるんだったら、土曜日曜だって家にいたってどうせボーっとしてるだけなんだから、バリバリ働いちゃうよ。
夜中まで残業したら1.5倍でしょ?超おいしいじゃん。
毎日夜中の1時まで6時間残業して土日出ればひと月200時間分稼げる。残業代2000円だとしたら40万。全然OK、超残業したいわ。
サビ残もう嫌だ。。
しつこいぞノータリン
お前の書いたことは一から十までお前の主張・信念の域を一歩も出られていないし
その主張・信念が論理として破綻してるって言われてるんだぞクサレ脳みそ
横だけど、動植物の社会に責任があるなんて話聞いたことないぞw
何だか主張がブレブレですよ。
>厳密に言わなければ「性転換は必要に迫られたものが多く、美容整形はファッションでするものが多い」と言える。
言えないよー。件数データあるなら出してみろよ。
「性適合手術は法的規制によるフィルタリングがあるので専門医師の診察を経て必要性が認められたものが圧倒的に多く、美容整形は法的規制がないので実態不明」とは言えるだろうけど。
「じゃあ法的規制かければいんじゃね?」はナシなのが惜しいね。
例えば美容整形を正式に心療外科あたりに位置付けて顔が原因で鬱状態その他に陥っていると認められた患者にだけ施術することにしたとしても、施術の結果確実に患者の鬱状態その他が治るなんて誰にも明言できない。
医者が責任持てるのはせいぜい希望通りの顔に出来たか否かまでで、希望通りの人生になるかまで請負えないよね。
整形ってだけで叩きが強い世の中ならなおのこと。
>で、必要に迫られての手術であれば、性転換にしろ、美容整形にしろ、そこまでブーイングを受けない。
>さらに言えば、「美容整形に対するブーイング」は感性の問題でしかない。何だと思ってたんだよ。
これ両方合わせると、「美容整形に対する必要性はオレがオレの感性で決める」ということになるんだけど、それって「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな(AAry」の域を出ないじゃん?
だったら美容整形を受ける当人がその必要性を自身の感性で決めて受けることの何が誹りを得なきゃなんないのかやっぱり不明だし、そうなるとブーイング自体が単に厚かましい迷惑行為でしかないよねってことになって、結局話が戻ってきちゃって意味がないんだけど。
そこまで厳密に言うのであれば、「性転換はブーイングされないのに整形はブーイングされる」なんて大雑把な話もできない。
厳密に言わなければ「性転換は必要に迫られたものが多く、美容整形はファッションでするものが多い」と言える。
お前の主張は「紙幣は本質的にはただの紙だ」すなわち「責任は本質的にはフィクションだ」ではない
個人の行動はすべて環境に対する反応であって、その行動には一切の責任は生じない。「責任を負うべき個人」はいかなる意味においても存在しない。
お前の主張においては責任が本質的にフィクションであるか物質であるかはそもそも関係ない
「いかなる意味においても存在しない」ものは、フィクションとしてすら存在し得ない
「責任を負うべき個人」がいかなる意味においても存在しない社会には、責任がフィクションとして流通することはない
そこでは犯罪者は不良品として廃棄され、犯罪被害者や傷病者、災害被害者を補償・回復させる手立てはなくなる、もはや社会とすら呼べない劣悪なる「環境」が出現する
これ以上トラバは要らん
お前は自分がノータリンであることを認められない、最悪な部類のノータリンだ
自覚してせいぜい頭が回るように読書に励め
あなたはきっと優しすぎるひとなのでしょう。
社会の要請からくる責任という概念を「フィクション」として退けたのは
お ま え だ
なんて声をあげたら気違い扱いされるに決まっているのでここに書く。ここで言う体罰とは、指導者から行われる、程度の大小、肉体的・精神的を問わずに、相手へストレスを与える行動とする。
生徒が自殺するくらいまで追い込まれてしまう体罰と、授業中に言うこと聞かない相手を殴るであるとか教師に暴言を吐いてきた相手を殴るであるとかの体罰は、性質が明らかに異なっている。
と、ここまで書いて力尽きた。
程度を問わずに、あらゆる体罰を否定するのであれば、とりあえず、教育を受ける権利、教育を受けさせる義務をどーにかしないとややこしいことになりそう。
弱者に積極的に手を差し伸べないことと、ボコボコにすることは全くの別物。
自分で頑張って、それでもできないなら協力したいとは思う。
しかし、小学生の頃からクラスに一人はいた”弱者”を思い出すと
できないから他の人間が助けてくれるべきだ。できないからやらないのは仕方がないことだと
初めから真面目に取り組もうともしない人間が圧倒的に多かった。
手伝ってもらうのを傍でぼーっと眺めている彼らが、誰かを助けているところを見たことが無い。
性転換者って別に性同一性障害者のことだけ示してるわけじゃないよ。
文字通り「性転換する(した)人」のことだ。
一応診断しないと性別適合手術は受けられないとはいえ、性自認なんてもともと曖昧なもので、術後に鬱になったなんて話は掃いて捨てるほどあるよ。
それに性同一性障害者だって性転換を期に美容整形する人いるし。
何というか、「必要なものが得られないカワイソーな性同一性障害者vs贅沢な美容整形希望者」ってだけだと理屈として弱いよね。
というのを踏まえて再度聞くけど、性転換手術の「必要」と美容整形の「必要」の度合いってそんなに違う?
どっちも「こうあるべき自分」「こうなりたい自分」のイメージに現実の肉体を添わせる操作だよ。
どう違うの? どうやって測るの?
個人の行動はすべて環境に対する反応であって、その行動には一切の責任は生じない。「責任を負うべき個人」はいかなる意味においても存在しない
これはお前の主張の引用だ、一字一句何も違わない
「無保証無回復な社会にならないため」の話などしていない、お前の主張がどこに帰結するかを指摘している
お前はただ俺の指摘で泡を食ってみっともない正当化を試みているだけだ
大学にくらいは通ったんだろうな?