個人の行動はすべて環境に対する反応であって、その行動には一切の責任は生じない。「責任を負うべき個人」はいかなる意味においても存在しない
これはお前の主張の引用だ、一字一句何も違わない
「無保証無回復な社会にならないため」の話などしていない、お前の主張がどこに帰結するかを指摘している
お前はただ俺の指摘で泡を食ってみっともない正当化を試みているだけだ
論理そのものの正当性などは、論理の数だけあるものだ。
どの論理が間違っていて、どの論理が正しいということはない。
あるのは、どういう論理が採用されるか、だけ。
花屋の花とはわけが違うぞ
大学にくらいは通ったんだろうな?
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