はてなキーワード: 生長の家とは
はてなユーザーのWebプログラマに尋ねたいのですが同一内容で"http:"と"https:"とURLの頭だけが異なるサイトについたはてブのブコメページを合体もしくは関連させることは、そんなに難しい技術なのでしょうか?
例えば、今話題の塚本幼稚園と稲田朋美防衛相について書かれたこの2015年11月10日の記事。
稲田朋美と「軍歌を歌う幼稚園」を結ぶ、「生長の家原理主義」ネットワーク ――シリーズ【草の根保守の蠢動 第22回】 | ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/67110 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/67110
http://hbol.jp/67110 http://b.hatena.ne.jp/entry/hbol.jp/67110
上のリンクが、"https"から始まるURLと、そのページについたはてブページ。7ブクマしかついていません。全部今年に入って、森友学園の疑惑が出た後についたブクマです。
下のリンクが、"http"から始まるURLで、そのページについたはてブページ。こちらは64ブクマもついています。記事が発表された直後についたものが多数です。
今は自動的に"https"のURLに飛ばされるので、意識的に、"s"の有無を確認しないと、過去にブクマされた"http"のコメントは全て無視されることになってしまいます。
chromeのはてなブックマークの拡張機能だと、URLの後ろに余計な英数字が付く場合は、「このページには別のURLが提示されています。」と注意表示がされて、他にたくさんの人がブクマされているページがあることに気がつくことができます。
このように「このページには別のURLが提示されています。」の表示を、"http"と"https"のブクマページの違いにも適用することは難しいのでしょうか? 何かできない深刻な理由でもあるのでしょうか?
前から、このことを不便に思っていて、でも何か放置されているようで、すごく気になっています。
追記:
「s」の意味について尋ねているのではありません。
「s」の有無で分割されたブクマページを統合したり、お互いに関連づけたりすることがWebプログラマ的に難しいのか、と問うているのです。
小学から人生の大半を左翼の為に費やしたけれど左派系ブログを見てもネット叩きが多くて嫌になる
諸事情で廃人化していたけれどネットで意思疎通に慣れたお陰で社会復帰出来た。ネットは心の故郷
ネットが無ければ誰とも話せないままだったし首を吊っていたかも知れな
ネットで馴れ合うことで得たコミュ力は余りにも大きい。活動場所などは身元がバレるので書けないが
ネトウヨは社会的地位のある奴、脳筋、逆に衒学的すぎる奴はどうしようもないが、
若い人に一番多いコピペを信じてるだけの奴や量産型ネトウヨは絶対に治る
一番の薬は論破や暴力でもなければ子供扱いして馬鹿にする事であるはずがなく
少しずつ諭すことだ。彼・彼女の気持ちを労り決して厳しい言葉を何一つ使わず相手を何一つ否定せずに。
ネトウヨどころか生長の家の信者だって一人治した。彼女は以前公然と人権を否定していたが今回は民主党の女性候補に投票した
かなりの人数をうまく心変わりさせた。ネトウヨや、左派同志の内ゲバやネトウヨの人格否定しか出来ない「左派」と違って
政治の話は、能動にはしない、会話の中で自然に政治の話題が出たり相手が差別用語やデマを口走ったときのみ、その方が彼らの心には響く。
だが、心の故郷を徹底的に否定されるのが結末だった。十数年頑張って来たんだが。
ネトウヨを馬鹿にしたりネットを否定する「左派」には精神的弱者の心がわからない
ネットでしか会話できない人間を馬鹿にするのがリベラルですかそうですか
引きこもりでニートで二次元の住人で何が悪いんだ・・・。ペドフィリアでもいいじゃないか
心を開いた彼らは、まっとうな社会人様(笑)より余程人間らしくて優しい。オタク文化の性質上、LGBTへの理解は特に。
既に仲好しになった後ならばたとえネトウヨでもこちらを売国奴だとか朝鮮人めとか言って来ることもないのだ
民主党をこき下ろす書き込みをしてきた相手でも、こちらが民主党擁護を書いたら、
再反論はしてきたが民主党への言葉遣いはとても穏やかになった。仲間の好きなものを全否定するのは心苦しいからだろう
全否定もレッテルハリも出来ない状態でこそ初めて会話の余地が生まれる
「キモオタニートウヨわらわら」なんて書き込んでくる相手ならば、たとえ正しいと思う事でも反論して論破したくなるというもの
仲良くなってやってから時間かけて諭してあげればいいじゃないか
人格否定でネトウヨの気持ちを踏みにじる「左派」は多様な存在や変わり者を認めない時点でリベラルかどうか疑わしいが戦略面でも失敗している
最近は「元から「左派」」の人間のブログを読んでも全く楽しくない、左派には社会不適合者がいないからだ。
民主党政権になったら、日本人の精神性が根本から変わり、少しは楽しい国になるかと思った
現実にはネット叩きが増えただけであり政策はマシになっても精神性は悪化したようだ
左派といるよりネトウヨと仲良くしながら少しずつリベラルに引き込む方がずっと楽しい
ネトウヨの気持ちはよくわかる、こちらもネトウヨと同じか以上に引きこもりでニートで虹でペドだから。
もっとも、ネトウヨにもそんなテンプレな人間は少なくそうした属性を一つも持たない人間も結構いたが
そうした属性が少なすぎても多すぎてもそれぞれ違った政治的右派の側面が残り抜けきらないことが多いようだ
ずっと左翼として生きているから本能的に日の丸が嫌いだし、赤旗が好きだ。
こう書いてみるとますます釣りくさいが、本当にそうなのだから仕方ない
個人を特定されない為内容に非常に注意している為書きたい事がまとまらず申し訳ない
しかしどうしても、ネット叩きに我慢がならなかった
なんでヤングな彼らは「ポスティング」なる行為に走ったのだろうね。
だって、すんげぇ泥臭くてうざったいイメージあるじゃん。いかにも若者が「安保時代のバカサヨじゃないんだからwwww」とか言って嘲笑しそうじゃん。
ま、それはさ、ともかく。
フツーね、郵便受けン中に自分が想定していた以外のモンが入ってたら不快に思うじゃない? 思わない? や、そういう人はそういう人でいいんだけど。すいません。しかし、俺は「うわっ」、ってなっちゃうわけ。で、内容を一瞥すらせず、デリヘルの型番不明なちっこいチラシと一緒にさ、ストレートにゴミ箱に突っ込んじゃうの。そのゴミ箱ってのがさ、マンション側が用意した迷惑チラシ用のヤツなんだけど、覗いてみたらまたそういうビラで溢れかえっちゃってんのよ。選挙中ずっと。ウヨサヨ自民公明民主社民共産幸福実現生長の家その他その他問わず。
で、思ったわけね。何でこんなに揃いも揃って嫌われてんのかなー、って。思ったわけね。何で俺はこいつら、というかこういうビラが大嫌いなのだろうね、って。別に俺だって宗教も政治もいうほど嫌いじゃないし、ってか今回の選挙にあたっては、選挙権もないくせに珍しく能動的に行動しまくって、まず各党マニフェスト読破、したら「そもそも政治ってなんじゃらほい」って気分になったんで岩波書店の『政治学入門』とか、敷衍してジャンはジョンでもロックじゃないルソーとか読み出して全然わかってないのに理解した気になってちょこずいて『リヴァイアサン』(大塚原作じゃない方の)を二三ページ捲ったところで我に返った。それまで溜めた経験値もリセットされた。誰も褒めてくれなかったよ……。慰めてくれるのは不定期に届くエロい夢が詰まったAmazonのダンボールだけ……。
そう。同じ郵便受けにあってもAmazonは歓迎される。だって自分で頼んだんだもん。しかし、俺は人生を通じて一度たりとも「どこそこの勧誘ビラが欲しい!」などと願ったことはない。
通販も(一応)新聞も人からの手紙や郵送物も各種料金請求書も普通、何かしら先立つの契約や相互の信頼関係があってはじめて投函される仕組みになっている。つまり、受取人に「望まれて」おり、あらかじめ「配達されることが織り込み済み」なんだ。裏を返せば受取人に「望まれていない」郵便物は明らかに異物だ。だから俺は拒否してしまう。いかにアブトロニックの効果が素晴らしかろうと、大川先生が偉大であろうと、招かざる客である以上はほうり捨ててしまう。恐るべきは、その仕分けシステムを受取人の無意識に組み込んでしまった投函ポストの魔術。
俺らはマンションの玄関先で郵便受けを「ああ、今日は待ちに待ったアノDVDの……不在受け取り票が届いているであろう日!」などといかがわしい期待で悶々としながら開錠する。勧誘DMアジメールくさやがその中に鎮座していようなどとは想像だにしない。ダストとしてINしたものはすべてノイズであり、カスであり、ゴミであり、一律にダストとしてアウトすべき障害でしかない。普段の志向/嗜好がどうの、とかはそこでは全く関係ない。ダストに中身なんぞ存在しない。単に無意味だ。一掴みで十数の紙束を一絡げにしてダストシュートへ。なんと見事なまでに洗練された取捨選択の美しさよ。
とすれば、俺自身そこまでアジビラ勧誘メールを憎んでいるわけではないのかもしれない。
ただ、「望まれない」「配達が期待されてない」ブツを分別する手間が疎ましいだけで。
気持ち悪い、と感じてしまうのは、あるいは嫉妬しているだけかもしれない。ポストというシステムに人格を否定されながらもなおも自己主張を止めない彼らに、自分の正義を貫く彼らに。
ああそうか。わかった。最初の疑問が解けた。ワカウヨは、彼らは「真実」や「正義」を突きつければ手段やプロセス関係なく、他人を説得可能と思い込んでいるのか。
ちくしょうめ。なぜ前提としての彼らの「正義」を疑わないのか。なぜなら、教師は悪だ。やつらは束縛する。なぜなら、一党独裁社会主義国家は悪だ。やつらは束縛する。児ポ法は悪だ。俺たちを束縛する。在日は悪だ。俺らが束縛されているのに、やつらは自由だ。
してみると左翼はわかりにくい。景気が悪いのは自民のせいだという。格差社会は自民のせいだという。年金問題も派遣問題も自民のせいだという。どれも社会人生活経験の少ない若者にはピン、とこない。なんとなれば、天下り官僚は宿題を忘れた子供を怒鳴りつけたりなどはしない。それに仕事や景気の話というのはどうしても「自分」を要素として含まなければ成立しない。そうなると「自己責任」というメンドクサイ勘定までいれなくてはいけない。勘定しようにも社会人生活を営なまないことには算定方法も解らない。経済も勉強しなきゃ。数学? ケッヘイ。ならば徹底して「他者」と「エピソード」のみで構成されている右翼の敵の方が信じやすい。迷わないですむ。
俺は信じられない。迷う。彼らが「ネットにこそ真実がある」と学んだように、俺は「ネットにすら真実なんて存在しない」のを思い知らされた。だから常にニュースや情報を目の前にして、いつも迷ってしまう。信ずべきか否か。教科書に出てくるような公式や定理やシステムや歴史や定説は本当に信じていいのか? 「この時計は一日に0.000....01秒遅れます」本当に?
猜疑心と躊躇は決して同世代において、彼らより俺が賢(し)いということを意味しない。大体の場合において、俺は怠惰だ。一次ソースなんてクソ食らえで孫引きに次ぐ孫引き伝言ゲームで捻じ曲げられた捏造情報が事実として流布されるなら、それはそれでかまわないとすら考えている。半分ヤケクソに近いメンドくさがり屋だ。
そうやって踏み出すことをためらっている分、「政治」に貪欲なネトウヨたちより知識において劣るだろう。っていうか俺はそもそもサヨでもない。かといって中道を名乗るにゃ定義に確信が持てない。俺はなんでこんな話をしてるんだ。
率直に言ってさ、http://anond.hatelabo.jp/20090901001358にでてきた男の子がうらやましいと思ったよ。あいつには諭してくれる人間がいる。信念を表明したことを労ってくれる仲間がいる……